その四十七 釣りスポット

文字数 5,309文字

 今日はとある釣り堀に来ている。別に晩ご飯に困ったワケではなく、待ち合わせ相手の趣味が釣りだからそれに付き合うだけだ。
「どうよ、この素人丸出しの竿裁き! 全く釣れる気がしませんねえ…」
 餌の大きさは適当で、まあ生きてる感じをかもし出すためにちょいちょい動かせばいいんでない? 詳しくは知らん。
「あ、釣れた~!」
 祈裡の方が上手いらしい。多分趣味を無くす前の鈴茄に習ったことでもあったのだろうか?
「氷威君、今日は来てくれてありがとうな。いつもは一人で釣りをするが、静かで集中できると言えばそうだが、口が暇なんだ」
「気にしないでください。蛇川さん、あなたこそ話を聞かせてくれるんですから」
 お相手は、蛇川(へびかわ)楊汰(ようた)。四、五十台であろう男性だ。この地方の会社に勤めている。
「で、どんな話なんです?」
「あれは四年前の出来事……。だが、事件は数十年前に遡る」

 私は小さい頃から魚釣りが好きだった。だから休暇はほとんど釣りに出かけた。しかしいつも同じ釣り堀や川、池では面白みに欠けるので、地図で遠くの人気スポットを調べて車で出かけることが多い。
「明日はこの池にしよう」
 隣の県ではあるが、今までで一度も行ったことがない場所に目星を付けた。前日の内に支度をし、次の日の朝早くに出かけられるようにいつもしている。
 だが、初めて行く場所だったので道に迷ってしまった。
「カーナビによると、私は田んぼを走っている……?」
 しかもナビの電波も悪いし、新しい道は登録されていない。だから滅茶苦茶だ。
 何とか辿り着いたのだが、もう夕方。
「今日は諦めて帰るか?」
 烏の鳴き声が私に帰宅を促そうとしている。が、私は、
「ええい! せっかく来たんだ! 二度と来ないかもしれないんだ! 釣らなきゃ絶対に後悔する!」
 竿を振ることを選んだ。

 調子は順調だった。面白いぐらいに釣れる。だから余計に帰る気がなくなってしまう。
「次で最後にしておこうかな…?」
 そう思いながらも、釣り針に餌を付けてまた竿を振る。そして次の獲物がかかるのを待つ。
「おお、大きい!」
 今度のは、大きかった。ドンドン糸が引っ張られていく。負けじと竿を引くが、強い力を感じる。
「お手伝いしましょうか?」
 突如、若い男性が話しかけてきた。
「あ? ああ、頼めるかい?」
 周囲は暗かったし、ここは穴場で私以外の人はほとんどいなかったしで、私は彼の存在に気がつけなかったらしい。
 何とか大物を釣り上げた。
「見事ですね」
 彼は褒めてくれた。
「いやいや、君のおかげでもあるんだ! ありがとう、私一人では難しかっただろう……」
 お礼に、今釣り上げた魚を譲ろうと思った。しかし、
「君、クーラーボックスとかはどうしたんだ?」
 その若い男性は、釣り具を何も持っていないのだ。
「釣り竿もなしで、ここに来たのかい?」
 私が問い詰めると、
「ええ。釣りが目的ではないので…」
 ほほう、と私は相槌を打った。
(珍しい客もいるんだな…)
 その時は特に気にしていなかった。もしかしたら、散歩中に通りかかっただけかもしれないからだ。

 だが、彼はその後もずっと私の側に座っているのだ。
「……本当は釣りに来たんじゃないのか?」
 聞くと、
「いいえ」
 とだけ答える。
「予備用の竿が車にある。貸そうか?」
「遠慮しますよ」
 これも断られた。
 この辺から、私の中である疑問が生じてくる。
(この人、何が目的なんだ? 何故私の側から離れようとしない? もう日は落ちたし、釣り以外でここに来る理由はないと思うのだが……)
 コミュニケーションを取ろうにも、
「君はどこから来たんだい? この辺に住んでいるのかい?」
「いいえ、違います」
 困ったことに会話が全く膨らまない。彼は何かをすることも、話をすることも嫌な様子。となると増々、ここに来た理由が気になる。けれども聞いて答えてくれそうな空気ではない。
 諦めて、引き上げようと思ったら、
「帰るんですか? もっといいのが釣れそうですよ?」
 不思議なことに、呼び止めるのだ。
「……明日は日曜ですし、少し長引いても大丈夫じゃないですかね?」
 確かにその通りだ。だから私はもう少し粘ることにした。そして彼の言う通り、さっきまでとは違った珍しい魚が釣れる。

「なあ、黙っているのも退屈じゃないか?」
 私はもう我慢できなかったので、切り出した。
「君はどうしてここに来たんだい? 釣りが目的ではないことはわかったが、だからと言って君がすべきことをしようともしない。一体これは……」
「竿、引いてますよ」
 話の途中で彼が竿の先を指差し、遮った。
「ああ、ちょっとこれを釣るから待ってくれ」
 私がルアーを回そうとした瞬間、竿にかなりの重さが加わった。
「で、デカい! 今日一番大きいかもしれない!」
「でしょうね」
 彼はそう言った。
「ちょっと、力を貸してくれ!」
 すると、
「最後なんですし、自分の力で頑張ってみたらどうです?」
 何が最後? 言っている意味がわからないが、今はアレコレ考えている暇はない。急いでこの獲物を釣り上げないといけないからだ。
「ぬん!」
 踏ん張ったが、かなり強い力で引っ張られる。
「そう言えば、あの日もこんな感じの時間帯でしたね」
 突然、彼が口を開いて語り出した。
「あ、あの日……?」
「ええ。あなたはもう憶えていないかもですが、俺は忘れたことがありません。あの日、何があったのか…。その全て」
「何を言っている?」
 さっきの発言といい、意味がわからないことを私に語り掛けてくる。
「あの時が全てじゃないですよね? そもそもの歯車が狂いだしたのがその半年前。あなたの会社の経営が傾き出した。大きな取引をしていた会社が倒産したからだ。その影響をもろにくらったあの会社が破産するのは、もう秒読みだろうと誰もが思っていた……」
 私は彼が言っていることが何一つ理解できない。会社? 破産? 本当に何のことなのだ?
「しかし、あなたは延命させることに成功する。とは言っても黒い手法で、俺と手を組んでできる限り金を集めてから、持ち逃げしようって決めたわけだ……」
「お、おい……?」
「でも人間は愚かな生き物だ。あなたは目の前の大金に欲が出た。一人占めしたいと思うようになっていた。そうなると、手を組んだ俺が邪魔になってくる。では、どうするか…?」
 ちょうど彼がそう言い終わるタイミングで、獲物の抵抗が急激に弱くなった。私はルアーを一気に巻いた。
「げっ!」
 釣れたのは、何と人影。水にふやけ、野生動物に噛み千切られ、骨がむき出しになった顔が、私の竿の釣り針に噛みついていたのだ。
「答えは簡単だ。邪魔者は殺してしまえ。元々違法な手を使っていたあなただ、それに迷いはない。ではどうやって殺すか。人気のないところに呼んでは、確実に相手に企みがバレてしまう。そうなると逆襲される可能性もある。俺に殺意を気づかれず、なおかつ社会にもバレない方法を取らなければいけない……」
 竿を握る手の力が、勝手に抜けた。すると釣り上げた人骨とともに、水の中に落ちていく。
「わ、わわわ……」
 こういう時、警察に通報するべきなのだろうか。だが遺体を発見した経験がない私には、どれが正しい選択なのかがわからない。できればここからすぐに逃げてしまいたい。
「うわ!」
 ドン、と彼が背中に回り込んで私のことを押した。当然私は池に突き落とされた。
「な、何をするんだ!」
「あなたが選んだ方法は、やっぱり簡単だった。まずは気分転換を俺に勧める。俺も息抜きがしたいと思っていたから了承するし、あなたからの申し出なら断る理由がない。そこで何をするか悩んでいると、そこに自分の趣味を突っ込んでくる。釣りに行こう、と。相手は疑うことをしない。当然だ、気分転換を選ばせているように思えるから。でも実際はあなたが予定を全て決めていた。だからあの日もここに来た」
 私はすぐに陸地に上がろうと手を伸ばしたが、彼がその手を踵で踏みつける。
「ううっ!」
 濡れた指に衝撃的な痛みが走ると、反射的に手が引っ込んだ。
「そして釣りを始める。最初の内は普通にしているから俺も何も疑わない。そして油断したところで、休憩しようと持ちかける。その時、俺はあなたが差し出したペットボトルを手に取った。毒が入っているとも知らずに。そして飲む。俺は毒に侵されて死ぬ。後は予め用意していた重りを体に括り付け、池に沈める。あなたは本当に賢く、次の日が雨であるあの日を選んでいた。だから現場に残されていただろう証拠も洗い流されてしまう。そして俺については、誰かに聞かれたら嘘を答えればいい。会ってないとか、池に来なかったとか。後は奪った金を持って逃げる。それだけ」
 そう言い終わると、彼も池に入った。すいすいと水の中を動き、私の目の前まで来ると私の首を掴んで、
「お前も死ね!」
 睨みながら、そう叫んだ。
「ひいいいいいいい!」
 その顔は、さっきまでの人のそれではない。目が向き出て、血を流して絶叫している形相なのだ。それこそ劇毒でも飲んでしまったかのように。

 だが、何も起こらない。
「な、何だ……?」
 私は水の中で震えながら、その見るも無残な顔を見ていた。
「違う、お前じゃない……?」
「は、はい……?」
「お前、似ている……だが、違う。お前じゃない。俺を殺したアイツじゃない!」
 それはそうだ。私はさっきから彼の話についていけていない。そんな私が彼を殺した犯人であるわけがないだろう。
 彼は手を放した。私はまた捕まりたくなかったのですぐに岸に上がったが、追いかけては来なかった。
「アイツじゃない……! アイツじゃない…? アイツはどこだ、どこにいるんだ…?」
 そう言いながら、彼の体は池の底に沈んでいった。
「な、何だったんだ今のは?」
 改めて池を見てみたが、何もなかったかのように水面は静まり返っていた。

 私は服が濡れていても構わず運転席に座って、家に向かった。釣った魚は、全部池に戻した。
「もしも、あそこで昔殺人事件が起きているなら……まだ彼はあの池の底に?」
 そう思うと、気味が悪くて食べる気が起きないのだ。

 次の日には念のため、私は警察に通報した。
「池に不審な物が沈んでいるようだ」
 匿名で通報したので、捜査状況は知らない。だが数日後にテレビで、
「行方不明となっていた男性の遺体が、池で発見されました」
 という報道を見た。
「ああ、やはり彼は未だにあの池の底にいたのか…。とすると、犯人もまだ捕まっていないのか」

 あの日の出来事は、幽霊が自分を殺した相手を道連れにしようとしたのだろう。だが何故か私と間違えた。故に起きた心霊現象。
 彼からすれば、憎い相手を殺せなかったことが悔しいだろう。しかし私はあの日、池に行って良かったと思っている。あの体験は背筋が凍るほど恐ろしかったが、あれがなければ彼の遺体は発見されず、事件は表になることすらなかったのだから。

 事件が発覚して二か月ぐらい経った日のことだ。
「容疑者が自首しました」
 何と、犯人が捕まった。数十年前、彼を殺して池に沈めた犯人の顔が公開され、私は驚いた。
「そっくりじゃないか!」
 見分けるのが自分でも難しいぐらい、似ているのだ。世の中には同じ顔の人が三人いるとは聞くが、まさかその内の一人が殺人犯だったとは……。
 私はもう一度あの池に足を運んだ。
「君、犯人が捕まったぞ。日本は法治国家なんだ、それ相当の罰を受けるさ。君を殺したことについては時効かもしれないが、ああいうことをしでかした犯人が罪を一回だけで済ませるはずない。次々と余罪が掘り出されている。きっとかなり長い間、刑務所だろうな…」
 合掌し、目を瞑りながら池に向かってそう言った。
 池は相変わらず静かで、返事はなかった。

「……ということなんだよ」
「それは大変でしたね……」
 楊汰は一歩間違えたら、勘違いであの世に連れていかれるところだったのだ。
「大変か……。私はそうは思わない。そりゃ、幽霊の存在を肯定するわけではないが、死人にだって喋る権利はあるだろうからね。私はそれを聞いただけだ。だから警察に言っただけだ」
「それができるなら、立派なもんです」
 もし俺だったら、確実に逃げに逃げて忘れようと努力するだろう。
「霊媒師という職業は怪しい。でも、満たされぬ魂は体のある場所に留まり続けるのだろうな…」
 楊汰はそう言い、話を閉じた。
 幽霊の成仏にも、いくつか手法があるのかもしれない。だとするならこのケースでは、受けるべき報いを受けさせることだろうか。
 本当にそれで未練が解消されるのかどうかは知らないが、死者の無念を晴らすのは俺たち生者の役目であることには間違いはないだろう。
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