その九 パンゲア

文字数 9,509文字

 ついに津軽海峡を越えた。ここまで来るのは生まれて初めてだ。この旅もついにクライマックス。話はいくつも聞いたが、さらにそこから厳選するつもりだ。これが一番と感じた話には、提供者に何か贈ろうか。そんな話を祈裡としている。
 今向かっているのは、レストランだ。そこに相手が待っている。
 店内に入ると、混んでいた。今日は休日だし時間帯は昼だし、当たり前と言える。
「あ、あの子じゃない?」
 祈裡が先に発見した。今日、話を教えてくれる人。美術高校に通っているらしく、目印にわかりやすいベレー帽をかぶっていた。
「こんにちは。如月(きさらぎ)紗夜(さよ)さんですか?」
「…はい、そうです」
 頷いた。本人のようだ。
 俺たちが席に着くと、店員がお冷をくれた。それを一口飲んで、ノートパソコンを立ち上げた。
「…今日お二人に話したいのは、パンゲアという話です」
 それだけ聞くと、どうしてもウェゲナーの大陸移動説を思い浮かべてしまう。でも内容は別物らしい。
「…お二人にだけ、特別ですよ? 本当は信じてもらえないだろうから、話したくないんですけど…」
 紗夜はそう言ったが、彼女の目が嘘を言っているようには見えない。
「信じるよ。全部ね」
 今まで会ってきた人たちは、他人なら嘘の一言で片づけられるような話を持っていた。でも俺も祈裡も、疑ったことはない。…いや祈裡は違ったっけかな? 相手が語る話を、怪談話として聞くだけだ。
「…これは、とある人の話です」
 話はそこから始まった。

 まずこの話に出てくる主人公を、鈴蘭(すずらん)と呼ぶ。性別については伝わってないが、男ではないかと言われている。
 鈴蘭は普通の会社員だったらしい。彼は毎日毎日、電力会社で働いてきた。結婚こそしてないものの、将来を考える恋人もいた。お互いに思いやれる仲だったらしい。
 鈴蘭には同期の仕事仲間がいた。ここでは松坂(まつざか)桜井(さくらい)と言おう。松坂とは上手くやっていけていたが、桜井には手を焼いていた。
 というもの桜井は、宇宙人とか異世界とかを真面目に信じる類の人だった。いつもその話をしていた。鈴蘭も松坂も最初こそ耳を傾けたが、同じことしか言わないくせに否定意見を一切聞き入れようとしない桜井にうんざりしていたらしい。
 でも鈴蘭の同期は松坂を除くと、桜井だけ。だから無駄に軽蔑したり罵声を浴びせたりはせず、一応問題を起こすことなくやっていったようだ。

 会社の休憩室で飲み会を三人でした時、酔いが回った松坂は、桜井に対して言ってしまう。
「お前の話は嘘偽りで固めた、ただの出鱈目だ! いつも俺や鈴蘭が信じてやってるようにしてるだけだ。いい加減、そんなの卒業しろよ!」
 鈴蘭もこの時酔っていた。だが桜井の顔が、わずか一瞬だけ曇ったのは見逃さなかった。その一瞬が過ぎると、桜井は笑顔でビールジョッキを握る。
 飲み会はその後二時間ほど続いたが、鈴蘭は酒を飲める気分じゃなかったらしく、大人しくお茶だけ飲んでいた。松坂と桜井は完全に酔っぱらっており、会社に泊まると言った。鈴蘭も彼らの面倒を見ようとはしたが、同棲中の恋人である横山(よこやま)に遅くなっても帰ると約束していたので、一人で帰ることになった。二人を休憩室のソファに寝かせ、背広を布団代わりにかけた。
 会社を出た直後に、松坂と桜井を一緒にしたままでいいのか、と考えた。だが桜井は怒ってはいなかったし、そもそもお酒の席なら本音が多少こぼれても仕方ない。適当にタクシーを拾って家に帰った。

「あなた。カバンに何か引っかかってるわよ」
 横山に指摘されてカバンに目をやると、チラシが一枚挟まっている。
「どれどれ…。会社で婦人会? 聞いてなかったが…」
 チラシはその告知だった。
「そりゃあ男のあなたは聞かんでしょうに。私が行くものだわ」
 それはそうなのだが…。鈴蘭はチラシをもう一度確認すると、予定が書いてあった。明日の昼十二時から社員食堂で開催されるとのこと。
「おかしいな、部長も係長も、誰も婦人会のことは言ってなかったぞ?」
「お忍びなのかもよ?」
 疑り深くなる鈴蘭。だが横山は行く気満々だ。
 その時だ。鈴蘭の携帯電話が鳴った。相手は松坂。
「どうしたんだ?」
 まさか…。と思った。酔いがさめた二人がさっきのことで言い争いとなり、取っ組み合いの喧嘩になった。それで松坂が桜井に怪我を負わせたとか…?
 冷や汗が出る。二人きりで会社に置いてきたのは自分だ…。
 すぐに電話に出る。
「ツー、ツー」
 電話に出た直後、切れた。
 今度はこちらからかけ直す。しかし何度かけても、松坂は出ない。ならば桜井にも電話をした。こちらも何の応答もない。反応がないことが、余計に鈴蘭を焦らせる。
「二人であなたをからかってるんじゃない?」
 横山が言う。最悪のケースばかり考えていた鈴蘭は、横山の言葉を聞いて気が緩んだのか、それで納得してしまう。
 結局その日は、すぐに寝てしまった。

 次の日は横山と共に会社に向かった。二人はまず、休憩室に行った。昨日の飲み会の後はきっちりと片づけられている。でも大事なのはそこじゃない。鈴蘭の動きは、テーブルの上のある物を見た瞬間、止まった。
「松坂の…携帯…」
 何故か松坂の携帯だけがそこにあった。仕事で使う都合上、松坂が置き忘れて行ったとは考えられない。
「ねえ」
 横山が鈴蘭の肩を叩いた。
「ねえってば。二人はここで寝たんだよね?」
「そう…だけど?」
 横山の表情はどこか怯えていた。しかしどうしてなのか考える余裕は、鈴蘭にはなかった。
「地べたで寝たの?」
 え?
 その時、鈴蘭はあるはずの物がないことに気が付いた。
「ソファだ。ソファがないんだ…」
 でもどうして? そこまで重くはないだろうけど、酔ってた二人が運び出したとは思えない。いや、動かす理由がない。
 だが松坂の携帯はある。
「あるはずない物があって、ないはずの物がある…」
 説明がつかないこの現状。二人は恐怖で動けなかった。

 松坂の携帯を持って、鈴蘭は自分の部署に向かった。もちろん横山も連れて行く。何かに横山が巻き込まれて欲しくないからではなく、一人では心細すぎるからである。
「本当にこのまま、デスクに向かうの?」
 横山が言う。自分の部署に戻れば、桜井はいるだろう。彼に聞きたいことがある。
 同時に、桜井に対して恐怖心もある。飲み会で一瞬見せた表情の曇りが頭を離れない。
 階段を上って廊下を渡って、いよいよ自分の机に着いた。机は、いや部署自体は、松坂がいないことに目を瞑れば昨日のままだ。
「特に問題は…ないみたいだ」
 鈴蘭は隣の松坂の席に横山を座らせた。そして自分も席に座った。そして黙って、松坂の携帯を見ていた。開こうにもパスワードがわからない。ボタンを押しても、松坂の家族の写真しか表示されない。この携帯からは何もわからないが、きっと大事な物のはずだ。
「ねえあなた」
 横山が鈴蘭の肩を叩いた。
「変じゃない?」
「何が?」
 特に変わったことはないはずだが…?
「あなたの仕事仲間はみんなお寝坊さんなの?」
 横山は壁にかかっている時計を見ていた。時刻はもう十時を回っている。ボーっとしていて気がつかなかった。
「みんなが出勤してこない?」
 いつもと違うことがあった。課長も係長も、部下も誰もこのオフィスにいないのである…。
 鈴蘭は携帯を懐にしまうと、立ち上がった。会社の他の部署を見に行くため、いやこの場にいるのが怖くなったためである。横山も連れてこの場から逃げ出そうとした時、
「やあおはよう。鈴蘭の忠義さんよぉ。」
 桜井が立っていた。
「…や、やあ、桜井…」
 声が震える。彼に聞かなければならないことがあるのに、一つも口から出て行こうとしない。
「今日は横山さんも一緒なのか。僕がワザと入れた、偽のチラシにまんまと釣られたね」
 桜井が喋りながら横山に近づく。
「ねえ横山さん。鈴蘭が何も喋ろうとしないから君に聞くけど、僕に何か言うことがあるんじゃない?」
 鈴蘭は横山の方を見た。横山は怯えている。でも口を開けた。
「松坂さんはどうしたの? 何で誰も出勤してこないのよ?」
 聞かれた桜井は懐に手を突っ込む。取り出したのはコンパスのような何か。
「この世にいないんじゃない? もう既に、旅立っちゃったとか?」
 そんな答えを返した。
「ど…どういう、意味?」
 流石に見ていられなかった。鈴蘭は叫んだ。
「桜井! お前、昨日何をしたんだよ?」
 はたしてまともに答えてくれるのだろうか…。そんな心配をよそに、桜井は語り出す。
「並行世界って知ってるかい? この世界とよく似てるけど違う世界。そんなものがあったら随分と面白いんだけどね」
 何を語ってるんだ桜井は…。
「僕は必死になって研究したんだよ。もっとも君たちは否定することしかしなかったけどね。あの松坂みたいにさぁ?」
 確かに飲み会で、松坂は桜井の考えを否定した。でもそれだけで人を殺める何て、流石の桜井にもできないはずだ。
「いや、できる。ちょっと違うな。殺してはないよ。この世界から出てってもらっただけだ。これを使えば、誰だって別の世界に行くことができるのさ。でも、帰っては来られない」
 桜井はコンパスのカバーを外し、針を回し始めた。それが何を意味するのか、鈴蘭には全く理解できなかった。
「横山さん。鈴蘭なんかより僕と一緒に暮らさない? 君のような女性を見てると、とても興奮するよ」
 手を差し伸べてきたが、横山は拒否して桜井の頬を叩いた。
「あんたみたいな人は、お断りよ!」
「そうなんだ。じゃあもったいないけど、残念だね」
 コンパスから針を取り出し、それを桜井は横山に当てた。
 チクリ、と音がした。それだけのはずだった。
 目の前から、横山が消えた。
「……」
 開いた口が塞がらないとは、このことだ。何が起きているのか、そもそもコンパスが何なのか、桜井の言動すら不明だ。
「鈴蘭、どうする? 愛する横山さんがこの世界から消えちゃったよ~?」
 答えることができなかった。そこまでの余裕がなかった。
「何だ感想も教えてくれないの? じゃあ君も、消、え、る?」
 コンパスの針を自分に向けた。そして桜井は迫って来る…。
 あの針に刺さるのは危険だ、自分の本能がそう言っている。だが動揺し過ぎて思うように動けない。
 桜井が突進してきた。そして針を自分の胸に突きつける。痛みは感じなかった。
 針が折れた。桜井が狙ったのは左胸だったが、そこには松坂の携帯が入れてあったからだ。携帯の強度に針は勝てなかったのだ。
 この機を逃せばチャンスはもうない。懐から重みが無くなったのを感じる。携帯が、横山のように消えてしまったのだろうか?
 頭ではそんなことを考えていたが、体は折れた針を掴み取って、桜井の腕を刺していた。自分でも信じられない反射。だが…。
 痛い。
 もう半分の針は桜井がまだ持っており、その半分の向きを変えて、鈴蘭の頬を刺した。
 刺し違えた。それが、この世界での最後の記憶。

「お兄さん、こんなところでお昼寝? 邪魔だよ」
 目を開けると、自分は公園にいた。そこで遊んでいる女の子に起こされた。
「…お嬢ちゃん、ここはどこかな?」
「そんなの村杉山公園に決まってるじゃん」
 鈴蘭は立ち上がると、公園内を歩き回った。だが自分の記憶には、こんな公園は存在しない。そもそも村杉山という名前すら、初耳だ。
 公園から出た。そして町の中を探索した。通り過ぎる人が話す言葉、看板に書かれている文字などは理解できた。それによると自分は日本という国の北海道という県の函館という市にいるらしい。だがそれらの全て、聞いたことはない。
「ここはどこなんだ?」
 確か桜井が、並行世界が何とかって言ってはいた。ヒントとなり得そうなことはそれぐらいだ。
 全く見たこともない町中を一人で歩いた。何時間も飲まず食わずでさまよった。気がつくと最初にいた村杉山公園にも、戻れそうにないくらい移動したし、時間も経っている。疲労の限界で、鈴蘭は倒れた。

 また気がつくと、今度は建物の中にいた。自分の腕に点滴の管が伸びている。どうやら病院のようだ。
「あ、野沢先生! 患者が目を覚ましました!」
 看護婦の一人がそう言った。医者が一人、慌てて病室に入って来た。
「えーと、君。名前は? 所持品から個人情報は何も出てこなかったのでね…」
 鈴蘭は名乗った。自分の話す言葉は大丈夫。通じた。
「どこの学校に通っているのかな?」
 学校? 自分は会社員だ。そう言うと鏡を持ってこられた。それに映った自分の姿は中学生ぐらいだった。
「学生じゃないです。俺は、会社員で、電力会社で働いていて…」
 何度もそう言ったが、信じてくれることはなかった。

 病院には三週間入院していた。体に悪いところは何処にもなかったが、どこの孤児院に入れるか、決まるのが遅くなったからだ。送られたところは、神代孤児院函館支部という施設。
 この施設に来ても、自分の話を理解してくれる人は誰もいなかった。
 でも一つ、わかったことがある。
 それは、自分はこの世界の住人ではないことだ。
 施設の図書館の考古学の本を読んでいた時に気がついた。
「このパンゲアって大陸…。大昔に存在していたのか、こっちでは」
 パンゲア大陸の形を見ると、自分が元々いた世界の大陸と似ているように感じた。いいや、全く同じだ。
 他にも孤児院で学んでいたことで色々気がついた。こっちの世界は様々な発電方法が混在しているようだ。かつての自分の世界では、発電方法は石油の燃焼による火力発電に完全依存していた。
 国という概念の獲得が一番難しかった。前の世界では大陸は一つしかなく、中央政府が隅々まで支配していたため、あまり気にせず生活していたからだ。

 ある程度の土地勘を身に付けると、村杉山公園に一人で行けた。
「俺は、ここで…生まれたわけじゃないけど…」
 こっちの世界での、自分の始まりの場所。段々と孤児院での生活にも慣れていき、普通に暮らしていけそうと思う時、よくここに来た。この公園にいる時だけ、自分は本当はこの世界の人じゃないってことを思い出せる。
「…ん?」
 公園を散歩していて、とある物を発見した。携帯だった。
「これは…松坂の携帯!」
 間違いなかった。適当にボタンを押すと、バッテリーがまだ生きていたのか、彼の家族写真が表示された。
 あの時…桜井と刺し違えた時に、自分よりも先に並行世界に飛ばされたはず。それが自分と同じ世界にあるってことは。
「あのコンパスの針で刺したものは、こっちの世界に送られてくる」
 ならば探せるはずだ。

 急いで孤児院に戻り、先生たちの許可を取ってパソコンを借り、インターネットで横山ヒカリと検索してみた。検索結果は膨大だったので、条件を色々と絞ってみた。それでも数多くのサイトが出てきた。もうここからは根性と直感だけが頼りだった。
「いた!」
 自分がこの世界にやって来たのとほぼ同じタイミングで、更新が開始されたブログがあった。そのブログにメッセージを送った。
「パンゲア」
 もし自分と同じようにこの世界に受け入れられ、生活しているのなら、その一言で気がついてくれるはず。
 次の日にブログを確認すると、更新はされていなかったが、自分宛てにメッセージが届いていた。
「もしかして忠義なの? もしそうなら、この北海道にいるの?」
 さらにメッセージを送り返す。

 一週間後、孤児院にある人物がやって来た。その人物は鈴蘭と同じ年ぐらいの女の子だ。
 普段この孤児院に来客はほとんどないらしく、先生や子供たちはかなり驚いていた。鈴蘭は驚いてはいなかったが、緊張はしていた。
「ヒカリだね。良かった、こっちの世界で再会できるなんて」
「忠義…。あなたを忘れたことは一度もないよ」
 鈴蘭と横山は涙を流して抱き合い、再会を喜びあった。

「なるほどね…」
 ネットでよく聞く、異世界に迷い込んだ系の話だ。しかしそこから、同じ世界にいた人と再会したって話はあまり聞かない。そこは新鮮だった。
「…まだ続きがあります」
「そんなもの?」
 祈裡が聞く。
「…同じコンパスの針で刺されたものがこっちの世界に飛ばされたというのなら、鈴蘭って男と刺し違えた桜井も、この世界に来てるってことですよね?」
「まあ、そうなるね」
 俺は頷く。言われてみればそうだが。
「…さて、鈴蘭と横山は本当に再開して終わりでしょうか?」
「はい?」
「…普通なら思いませんか? 横山を探せたのなら、桜井も、いや他のみんなも探せるのではって。そして鈴蘭はそれを実行するわけですよ。みんな、パンゲアの一言に反応しました。だから簡単に探し出せたわけです」
 紗夜の話はどんな方向に向かうのかと思って聞いていると、急に祈裡が震え出した。
「どうした?」
「周りの人…」
 周り? 今日は休日で混んではいたが…。
「…!」
 みんな、こちらを見ている。店員も客も。子供も大人も。違う方を見ているのは、誰もいない…。違う、二人はこちらに背を向けている。
「…気がつきましたか、氷威さん。考えればわかることなんですけど、並行世界に誰よりも詳しかった桜井は、報復を恐れて名前を変え、あたかも元からこっちの世界で暮らしているように装うわけですよ。でも、信じるものは隠しきれない」
 淡々と話し続ける紗夜に恐怖心を抱いた。まるでその桜井が、今、この場にいるかのような口ぶりだ…。冷や汗が体中から分泌されるのを感じる。
「…もう手遅れでしょうね、桜井は。かつて松坂を飛ばした時に一緒に飛ばしたソファに座っていて、どんな気分です?」
 店員が店のシャッターをガラガラと下ろした。まだ店内には自分をはじめとした客がいるのに。心臓の鼓動が急に速くなる。
「…もしかして、みんな赤の他人と思いますか? 桜井が何人飛ばしたのかはわかっていません。けれどここに収容できるくらいの人たちは見つけ出すことができました。シャッターは下してしまったし、ここで何が起きても誰も、気がつきませんよね?」
 紗夜がそう言うと、背を向けていた二人が立ち上がり、こちらにやって来る。
「久しぶりだね、桜井。僕だよ、鈴蘭。やっと君を見つけ出せた」
 男の子が言う。
「私たちはきっと、元の世界には帰れないのよね。だってあなたはコンパスの針、持ってないから。それともまた、私にいやらしい目を向けるの?」
 女の子が言う。
「ちょっと待って! 俺は桜井じゃない!」
「…そうですね。今は。でも本当は桜井なんでしょう? 往生際が悪いですよ? これは因果応報ってやつですよ」
 紗夜が言うと、鈴蘭と名乗った男の子が懐に手を突っ込む。
「何が出ると思う?」
「ま、松坂って人の携帯?」
 祈裡が答える。
「残念外れ。正解は…拳銃でした!」
 男の子の手には、一丁のリボルバーが握られている。それを見ると血の気が引いた。
「これはこっちの世界の警官が持ってる、ニューナンブM六〇って拳銃。これぐらいしか手に入んなかったんだけど、十分さ」
 と言って撃鉄を引いて、銃口を俺たちに向ける。
「だから違うって!」
 そう叫んだが、遅かった。既に鈴蘭は引き金を引いており、バン、と銃声が店内に響き渡った。

「…フフフ」
 紗夜が笑い出した。
「アハハハハハハ!」
「何がおかしいのよ!」
 祈裡が涙ながらに訴える。
「全部ですよ。氷威さん、今のは嘘です」
 嘘…?
「パンゲアって話は、あなたを怖がらせるためにみんなで知恵を出し合って考えた作り話ですよ。忠義の銃も、ただのモデルガン。火薬を詰めて音だけ出るようにしたんです」
 俺は体に手を当てた。確かにどこも怪我をしていない。
「ここに集まってる人も、みんな知り合いですけどね、流石に同年代ばかりじゃ警戒されると思って…。大変だったんですよ、お年寄りから子供まで集めるのは」
「じゃあ何だ? これはただの悪ふざけってこと?」
「そうです」
 紗夜はニコッと笑って答えた。
「何でこんな…!」
 怒ろうとしたが、紗夜はさせなかった。
「氷威さんは怪談話を集めて、全国の人を怖がらせるおつもりでしょう? そういう人が怯えさせるにはどうすればいいか、そもそも怖がるのか、見てみたかったんです!」
 もはや呆れて何も言えない。
「お礼はいりませんよ。氷威さんの怯えた顔が拝めただけで十分ですから」
「当り前だ。こんな手の込んだドッキリに誰が金をやるかよ!」

 さっさとシャッターを上げてもらい、店を出た。
「あーあ! イライラするぜ! こんな話は絶対本には載せないぞ! 祈裡、居酒屋に行って飲もうぜ!」
「そうね。今日は私もすっごく不愉快!」
 まずはホテルに戻ろう。
 だが歩き出そうとした時に、男性に呼び止められた。
「氷威さん!」
「誰?」
 知らない人である。
「こんなことを言っても信じてもらえないかもしれません。でも話を聞いてください!」
「一体何の?」
「さっきレストランでしていた話です!」
 それなら嘘偽りの出鱈目なんだろう? もう耳は傾けない。
「お願いします!」
 ここで大声を出されても困る。仕方なく近くの公園で少し、話を聞くことにした。
 男性は名前を教えてはくれなかったが、
「あの話は自分の身に起きた本当の出来事?」
 そんなバカバカしい話がどこにあるか!
「本当なんです! 私は元々、この世界の人ではありません。あの少女が話を募集していて、その事情をよく聞くと、本に載る話を、とのことだったので、教えたんです」
「…証拠は何かあるわけ?」
 祈裡も疑いの目を向けた。
「あの話を聞いて、違和感はありませんでしたか?」
「違和感?」
 あまり感じなかったが…。
「どうして元いた世界と言語が同じなのか。なぜみんな日本に来たのか。そんなに簡単に、一個人がインターネットで特定の人物を探し出せるのか。そもそも並行世界は元いた世界とこの世界の二つしかないのか」
 言われてみれば、紗夜のパンゲアの話は都合が良すぎる。聞いてる時には気がつかなかったが、割と粗がある…。
「じゃあ、何なんだ?」
「私は、話に出てくる鈴蘭その者です。名前は違いますよ、彼女は私のことをモデルに、知り合いのカップルを話に登場させました。そのように脚色されていたから、粗が出るんです」
 男性は続ける。
「実際の私は、仲間を誰一人として見つけ出せていません。お願いです。あの話を本に載せて下さい! 話全体は入れなくてもいい。ただ一言、書いていただければそれでいいんです!」
 さっきドッキリを食らったばかりですぐに信用するわけにはいかないが、この男性が嘘を言っているようには見えない。目が真実だと伝えてくる。
「そこまで言うならわかったよ。じゃあ、何を書けばいいのさ?」
 俺が聞くと、男性は、
「パンゲア」
 とだけ答える。
「それだけでいいんです。私の世界にいた仲間は、それだけで気付いてくれるはずです」
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