その二十七 学び舎を彷徨う

文字数 6,659文字

「こちこち」
 相手の方が待ち合わせ場所に、先に来ていた。
「こんにちは。私です、黒外(くろそと)恵理乃(えりの)です」
 相手は、大学院二年生。
「俺が天ヶ崎氷威さ!」
 院生と聞くと、世間は就活から逃げたとか、そもそも失敗したとかいうマイナスイメージを抱くかもしれない。だが、俺は違う。学問を究めようとすることが、果たして負の活動になるか? 勉学は人間に課された永遠の宿題だ、やり続けることに意味があるはず。俺の仲間も大勢が大学院に進んだんだ。中には、海外に飛んで行ってしまった輩もいる。
 だが彼女は、自分は馬鹿で院進以外に道はなかったからしょうがなく、と言った。なれたのなら、どこかの博物館の学芸員が夢だったらしい。しかしそれは狭き門で、門前払いが関の山だと言う。
「黒外…珍しい苗字ですね? 沖縄じゃ聞いたことがないや」
「そですね…。私の実家と、従弟の家の二世帯しかいないので。レアというより絶滅危惧種だわー」
 そんな恵理乃は、考古学を学んでいるらしい。
「期待できそうだ。だって古を考える学問でしょう?」
「いいや、私の話は全然ちゃいますけど…」
「そうなのか?」
 どうやら俺がはやとちりしてしまったみたいだ。でも怪談話なら、何でも大歓迎。それこそ、種類は問わない。
「私しゃ封印しようと思ってたんだけど、でも話してみたくもなるね。高校生だった時だから、もう七年も前の話だけど」

 当時私は高校二年生。進学校に進んだために、周りは受験ムードが漂う。そんな中、のほほんと生きていたのが私。
「だってそうじゃん? まだ一年半以上もあるのに、もう志望校を考えろって? 拷問?」
 弟は中三でそれこそ受験がどうのこうのと言っていたけど、まだ猶予のある私は実感もクソもないと思っていた。
「この学校に入学した時点で、懲役三年! 完全敗北、骨も残らず。無念…!」
 当時の友人、影縫(かげぬい)凛々子(りりこ)が言った。彼女も私と同じ類の人間で、強制参加させられるはずの模試を平然とサボっていた。指定校推薦狙いだから、定期試験は本気を出していたみたいだけど。
 毎日、ダラダラと過ごしていた。
「凛々子さ、この前隣のクラスの山川(やまかわ)君に告ってフラれたんだっけ?」
「それ、言わないでよー! 結構傷ついてるんだから」
「でも、脈ないのあからさまだたじゃん? 勇気だけはあるよね、玉砕する分は」
「それ、褒めてんの? けなしてんの?」
 放課後、教室に残って雑談した。勉強ガチ勢は自習室に籠っているので、私たちのようにだらけている生徒が数人いた。
 それは、隣のグループが話していたことだった。
「ねえ知ってる? この学校、やっぱり出るんだって!」
「嘘~マジで?」
 声のボリュームが大きくて、嫌でも聞こえてしまう。
「どしたの?」
 私と凛々子は、その話に加わった。
「聞いてよ恵理乃~! この学校、お化け出るって!」
「はあ?」
 それはよくある怪談だった。何でも戦時中、空襲を受けたこの地方では、成仏できない幽霊がこの世を彷徨い、道連れを探しているのだとか。
「よく聞くけど、それ本当?」
 私は疑った。だって空襲を受けたのは、私の町だけじゃない。それこそ、日本全土だ。アメリカ軍の本土爆撃は容赦がなく、歴史的建造物を何の躊躇いもなく破壊したと聞いたことがある。そしたら、同じ話が日本中で囁かれている? 無理があるでしょう?
 しかし、凛々子は食いついた。
「もっと聞かせてよ!」
「いいよ」
 相手も心地よく、会話に混ぜてくれた。
「この学校に忍び込んだ邪悪な魂は、自分が死んだことに納得できず、生者の温もりを求めているんだって! それで、温かい魂の持ち主を探して、捕まえるんだ。でも死者に捕まったら、必然的にあの世行き…!」
「ゴクリ」
 凛々子が唾を飲んだのが、隣にいる私にもわかった。
「睨まれたが最後、こっちには戻って来れないとか…」
「ひえっ!」
「大丈夫だよ~凛々子! 例え捕まっても、『お眠りください、お眠りください』って唱えれば逃げられるんだって!」
「ふううう~。良かったぁ」
 私は笑うのを必死に堪えた。そんなガバガバな幽霊がどこにいるって? ここ?
「でもさあ~。あ、凛々子の後ろに幽霊が!」
「キャーッ!」
 そのグループはいたずら好きなのか、凛々子を怖がらせて遊んでいた。凛々子も臆病で、しかも本気にしてしまう質。恰好の餌食だ。
 とりあえず話題を変えてその場を凌いだけれど、かと言って勉強する気も起きない。気がつけば夕方まで口を動かしていた。
「凛々子、そろそろ帰ろ。宿題は家でやればいいでしょ」
「うんそうだね。じゃ、駅まで」
 凛々子の帰宅方面は、最寄りの駅から私と真逆の電車に乗る。だからホームまでしか一緒にいられない。
「あ、ちょうど来た」
 上手いタイミングで、電車が来た。
「じゃ、バイバイ! 月曜日にね!」
「うん!」
 私は電車に乗った。

 電車に揺られ、大きな駅に着いた。そこからさらに乗り換えだ。その時、携帯にメールが来た。相手は凛々子。
「宿題、何ページからだっけ?」
 この子は本当にドジだな、と思って私はカバンを開いて確認しようとしたが、私の方が勝っていた。
「学校に教科書忘れた!」
 ここに来て、気づいてよかった。でも気分は悪い。反対側の電車に乗って、学校に戻らないといけないから。
 凛々子には、今から学校に戻って忘れ物を取りに行くから他の人に聞いてくれとメールした。

「うわあ真っ暗…」
 学校は、私が出た時と違ってほとんどの教室の電気が消えている。夜の学校は、昼間とはまるで雰囲気が違った。校門をくぐっただけで、異空間に迷い込んだみたいだ。
「ここから教室に行かないといけないの…?」
 宿題をやって来ないと、みんなの前で説教される。それはまるで公開処刑だ。内申点にも響く。普段が真面目じゃない私としては、成績にマイナスになることはどうしても避けたい。
 しばらく立っていたが、勇気を出して昇降口に向かった。当然下駄箱は真っ暗で、携帯のライトを灯して上履きに履き替える。
 そして、廊下も電気もオフになっている。暗闇の道には威圧感があり、中々一歩が出ず、照明のスイッチを探そうとした。けれども近くの壁にはなく、諦めて携帯で足元を照らしながら進んだ。
「……ゴクッ」
 自分でもわかるぐらい、心臓の鼓動が速くなっている。
(何もない、何もない…)
 心の中で何度も繰り返した。
「フウ」
「きゃっ?」
 耳元で、空気が動いた。生暖かい風が耳に当たった。すぐ隣に誰かがいるのかと思って振り向いたが、誰もいない。この時点で心臓はバクバク言っている。
「わっ!」
 今度は、足を触られた気がした。
「違う違う違う! 全部気のせいだ!」
 私はそう叫んで、自分を奮い立たせた。そして廊下を進み、階段を登った。教室にたどり着くと、まず電気をつけた。
「これで安心…」
 少し、落ち着いた。上がっていた息のテンポが下がっていくのが自分でもわかった。
「さあて、教科書を取って速く帰ろ…」
 私が教室の中を進むと、突然ドアがピシャリと閉まった。
「え? 誰かいる?」
 その不自然過ぎる現象は、一気に私を不安にさせた。
「いるんだよね? 誰? 誰なの?」
 現実を受け入れたくなかったからか、私は語り掛けた。だが私の言葉は空しく響いただけだった。誰も返事をしない。
 すると突如、部屋の電気が落ちる。いきなり闇に突き落とされた感覚だった。
「誰! 誰なの!」
 私の足は完全に震えており、歩くたびに机にぶつかる。真っ直ぐ進めないのだ。
(早く教室から出て帰らなきゃ!)
 何かがいる。そう確信した私の心を、恐怖が一気に鷲掴みする。
 ドアが、何もしていないのに開いた。
「ひえっ!」
 誰かが立っているわけでもない。かと言って私も、ドアには近づいていない。でも何かが教室に入ったのだろう。その証拠に、机が、何かに押されているかのように動いた。まるで誰かが机を押しのけて歩いているかのようだった。
「ああ、あ…」
 気がつけば私は、尻餅をついていた。汗も流し、下着がびっしょりだった。それは私の目の前まで来ると、静かになった。
(足に力が入らない…)
 立とうとしているのに、立てない。私の足が石にでも変わったのだろうか、動かない。
 その時だ。床についていた私の手を、何かがチョンチョンと突っついた。反射的に右後ろを向くと、そこには真っ黒い顔をした子供のような物体がいて、その瞬きをする黒い目と目が合ってしまった。
「ひゃあああ!」

 気を失った私は、すぐに目を覚ました。
「う~ん……」
 その時も思い出せなかったが、何か悪い夢を見たのだろう。目覚めが悪かった。
「はっ!」
 私は全身を手で触って確かめた。しかし、どこも失っていない。大丈夫だ。
「さっきの黒いのは…?」
 キョロキョロして確かめたが、私の周りにはいなさそうだった。が、違和感がある。自分がいる空間は教室で間違いないのだが、変だ。いつもと違う。
「どういうこと…なの?」
 私は、天井に立っていた。驚いたことに、上下が逆転しているのだ。足元に照明器具があって、頭の上に机がある。
(何が起きたの…?)
 頭が状況に追いついておらず、私は混乱した。でも早く帰らないといけないことはわかっていたので、教室から出ようとドアを開けた。廊下も上下が逆になっている。
「あ! あの…」
 懐中電灯を持った先生が、見回りをしていた。だから私は声をかけた。でも、声こそ聞こえているみたいだけど、上は向いてくれない。逆効果だったらしく、不気味がったのか先生はさっさと廊下を早走りで去ってしまった。
「どうすればいいの?」
 このままでは、家に帰ることはおろか、元の状態にすらたどり着けない。一度教室に戻って、作戦を練ることになった。

「きっと、あの真っ黒な子供が私をこの状況にした。だからあの子を見つければ…!」
 そうとしか考えられなかった。私は荷物をもって教室を出た。廊下の天井を、蛍光灯を踏まないように走った。途中、これから帰宅する生徒が私の頭上を通り過ぎて行った。毎回声をかけたが、よく聞こえていないようで、戸惑ってキョロキョロして、誰もいないことを確認するとみんな、足早に昇降口に向かうのだ。
「どこにいるの?」
 この学校は、結構大きい。私の在籍していたコースの他に、二つほど違うコースがあったから、教室の数も多い。そこから探し出すとなると、困難を極める。
(もし見つからなかったら…。私はどうなるの?)
 そんな心配が芽生え始めていた時のこと。家庭科室の扉が開いたのだ。
 それは、黒い影のようだった。私よりも小さい子供ほどの背丈しかなく、しかもやせ細っている。その猫背の黒い影は私と同じく、天井を歩いているのだ。
「見つけたわ!」
 私は臆することなく、その影に掴みかかった。すると影は、顔を私に向けた。
「ひいいい、いいいいいい!」
 その顔は、さっきの子供とはまた違う。半分が髑髏になっていて、眼孔に生身の目玉があり、それが右左と目線を動かしていた。下顎は二つに裂け、左右が別々に動いていた。よく見ると鼻がなかった。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
 そして、その幼い外見からは想像もできないほどの低い声。
「あわわ、わわっ!」
 私は後ろにこけた。こんなの、ビビらない人の方がおかしい。
「どうしたの? お姉ちゃん?」
 天井に倒れた私に、その黒い物体は迫る。口を動かしながら、
「どうしたの? どうしたの? どうしたの? どうしたの?」
 と何度も繰り返し、私に手を伸ばした。私は逃げようとした。ここで捕まったら、本当にあの世に連れて行かれるかもしれない。
(そうだ! 確か対処方法があったはず!)
 思い出せた。同級生が言っていた、逃げる方法を。
「お眠りください、お眠りください…」
 何度も繰り返した。すると、
「うううう……」
 唸り声を上げて、黒いそれの動きが止まった。
(逃げられる!)
 私は何とか立ち上がり、足を動かそうとした。が、止まった。
(ここから逃げても、どうやって元に戻るの? それがわからないと意味ないんじゃ…?)
 逃げられない。この存在に、元に戻してもらわないといけない。私は黒い影の方を向いて、
「ねえお願い! 元に戻して! 私はあなたとは違うの! まだ死んでないから、一緒には行けないわ! 家に帰らないといけないのよ! あなたと一緒にはいられないわ!」
 私は、藁にもすがる思いで言った。これで無理だったら、一生このままの気がしたのだ。
 すると、黒い影は笑い出した。
「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!」
 左右に裂けた顎の隙間から、舌が見えた。口の中にも目玉があり、舌の上に乗っていた。その影は口から目玉を天井に落とすと、それがすごい勢いで黒い煙を吐き出す。
「そ、そんな…!」
 焦げ臭い煙だ。瞬く間に廊下中に広がっていく。そして私の呼吸の邪魔をする。ゴホ、ゴホ、と喉を押さえて咽た。
「う、うう…。くうぅ…」
 意識が遠ざかっていくのがわかった。

 携帯に電話が来た。その振動で目が覚めた。
「ここは…?」
 私は家庭科室の手前で倒れていた。周りを確認すると、黒い影はいないし、煙もない。そして、私がいるのは廊下の床。上を見上げると、蛍光灯がチカチカと切れかかっている。
「戻れたんだ!」
 嬉しさのあまり、涙が出そうになった。
「でも、アレは何だったんだろう?」
 電話は母からで、まだ帰ってこないのかと言われた。私は今すぐ帰ると言って、学校を出た。そしてその日は無事に家に帰ることができた。

 問題だったのは、月曜日だ。
「恵理乃、変な噂があるよ?」
 凛々子がそう言うのだ。
「変?」
 首を傾げて聞いてみると、下校が遅くなった生徒の一部が、廊下で私の声を聞いたという。それはあの時見回りをしていた先生にも確認されて、何時まで学校に残っていたかを聞かれた。
「でも先生、私は早めに帰りましたよ?」
 教科書を取りに戻ったことは言わなかった。言えば話がこんがらがるだろうから、どうせ確認のしようもないのだし、黙っていた。
 最後に噂を聞いた時は、こんな感じの話になっていた。
「恵理乃の魂が放課後の学校内を彷徨っており、生徒を道連れにしようと声をかけて回った」

「恥ずかしいね。まさか彷徨っていたのは私で、しかも声がしっかり同級生に聞かれていただんて…」
 俺は疑問を抱いた。
「その話に出てくる、黒い影は何だったんだい?」
 すると恵理乃は、こう返してくる。
「学校の地縛霊だったんでないの? 悪さをするような幽霊じゃなかたよ。寧ろ人を困らせて、笑っていたぐらいだもん。ただの悪ふざけ…いたずらでしょうね」
「本当かよ?」
「だってさ、あの後私の他にも、同じような体験をしたっていう生徒もいてね。面白かったな、凛々子や山川君があんなに必死になってクラスのみんなに、『天井を走った』って言って回るのは。私は軽く流したけれど、何人かいたずらされてるんだもの。でもみんな、ちゃんと帰って来るから、幽霊もあの世に連れて行こうとか考えてなかったんじゃない?」
 なるほどな、と俺は頷いた。幽霊が必ずしも害をなすとは限らないってことか。中には人を困らせて笑う、別のベクトルで悪質な幽霊もいるってことか。
「でも、もう同じことは起きんでしょうね」
「どうしてだ?」
 俺が聞くと、
「今のは全部、旧校舎での話なの。震災の後、あの校舎は取り壊しが決まって、すぐに実行された。弟に聞いたけど、新校舎ではそんな噂は聞いたことがないって」
「そうか…」
「でも、きっと成仏もしてないよ。違う学校に流れ着いてさ、またいたずらするんじゃない? 人が学舎を彷徨う無様な姿は、きっと腹を抱えるぐらい面白いんだろうね、私にはわからないけど…」
「そうしたら、どこかの学校で噂になっているかもしれないのか。そして絶賛活動中の可能性も…」
 俺と恵理乃は、同じことを同時に言った。
「それはそれで、一度見てみたい気もする…」
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