その八 屍亡者

文字数 6,080文字

「せっかくこっちに来たんだし、あの遊園地に行きたいのにな~」
 祈裡がそう言う。
「…誰も台風が来るなんて、予想できるかよ。あそこら辺のホテルって、ベラボーに高いんだぞ? そんな旅費はない」
「だからって、こんなボロい民宿に泊まることはないじゃない。言ってくれれば、お父さんがお金くれたのに」
 また、親の金がどうのこうの、だ。こうなったら放っておくのが一番だ。
「お、時間だ。飯食いに行こう」
 一階に降りる。食堂に行く。
 食堂には四人分の夕飯が並べられている。
「私たち以外にもお客がいるのね。驚き」
 俺たちが席に着くと、若い男女がやって来た。見た感じ、まだ高校生だろうか?
「今晩は、台風大変そうですねー。こんな民宿じゃいつ吹っ飛ぶか不安でしょう? 今日は本当は何しに来たの?」
 祈裡が女の子に言った。
「ダイガクの…オープンキャンパスに…キた…。でも…タイフウの…せいで…チュウシに…なった…」
 返事のトーンがちょっと暗い。
「てことは高校生か? 懐かしいなあ俺も三年生の時はいろんな大学に手を出したもんだ」
 男の子の方も話し出した。
「なら、お前たちは、大学生か社会人? お前たちの方こそ何のようがあったんだ?」
 年上ってわかってるのに、その口調か…。生意気な奴だな。でも高校生なら普通か。
「俺たちはな、仕事で来てるんだよ」
「その職場ってのは、こんなボロっちい民宿に泊まらされるのか? すごいブラック企業だな!」
「ちょっと君たちだってここに泊まってるじゃない?」
「ワタシたちは…リョヒを…セツヤクするため…。コノんで…ここに…トまったり…しない…」
 それはそうだろう。高校生が豪華なホテルに泊まれるほど小遣いを持っていたら不思議である。
「こんな不毛な議論なんて続けても無駄だぜ。静、冷めないうちに飯食っちまおうぜ」
「…わかったわ…」
 二人は食べ始めた。
「俺たちも食べるか」
「うん」
 俺たちも食べ始めた。
 夕食はすぐに食べ終わる量だった。静という女の子の方はまだ食べ終えていないようだが。
「デザート来るまで、まだ時間あるな。そういやお前たちの仕事って何なんだ?」
 男の子が聞いて来た。
「俺たちは、全国を旅していろんな人から恐怖体験を聞いて回ってるんだ」
「なら…。ここでも…ダレかに…キきに…?」
 俺はスマホを確認した。
「インターネットで募集を掛けてはいるんだけど、誰も…。君たちは何か持っていないかい?」
 顔を合わせると、
(しずか)、あの話は覚えてるか? 聞かせてやったらどうだ?」
大輔(だいすけ)…。でも…あれは…」
「いいじゃないか。減るものでもないんだしよ」
 俺はそれに食いついた。
「支障がなければ、教えてくれない? 名前とか地名とかは全部、仮名にするから個人情報の心配はいらないよ」
 祈理が二階にパソコンを取りに行った。そして戻って来た。
「あれは…ワタシが…ニュウインしていた…トキの…こと…。」

 私が入院していたのは小学一年生の時。詳しい病名は親に聞かされなかったから知らないけど、二か月は大神病院に入院していた。
「県内で一番大きい病院なんだぜ? 静の病気なんてすぐ治るさ!」
 大輔は毎日お見舞いに来てくれた。
「でも、もし治らなかったら、どうしよう? 私、一生病院暮らしになるのかな?」
「そんな事は考えるなよ!」
 毎日同じような会話だった。でも、話す相手がいることはとても大きかった。
 大輔には習い事があったので、すぐに帰ってしまう。
「今日も来てるかな…?」
 病院には、児童向けの本が置いてあるコーナーがある。院内教室のすぐ横だ。
「あ、ケイちゃん!」
 ケイ。フルネームは知らない。本人がそう呼んでって、言っていた。私より二つ年上だった。
「静ちゃん、今日も絵本読みに?」
「そうだよ。だって病室にいても、することなくて退屈なんだもーん!」
 ケイがどんな病気だったのかはわからない。名前しか教えてくれなかった。院内教室でケイを見かけたこともない。当時は私も、大きな病院だから違う教室にいるとか、正確には入院患者ではなかったとか考えていた。だから気にしてなかった。
 でも、気になることは一つあった。
「今年のオリンピックはどこでやるのかなあ?」
「ケイちゃん、それは夏休みにアテネでやったよ。ヨーロッパのギリシャっていう国で。テレビ、見なかったの?」
「そ、そうだったよね。私の家、テレビの調子悪くて…。ダイヤル回しても反応しないときがあるんだよ」
 テレビのダイヤル…?
 ケイの話にはたまに、私が知らない単語が出てくる時がある。それに、世間話も話が合わないこともあった。
 でも、一人で入院していた私にとってケイは、大輔以外に話すことができる唯一の同年代の人だった。

 ケイはこの病院のことを何でも知っていた。
「静ちゃん、今度病院内を探検してみない?」
 ある日突然そう言ったので驚いた。
「ええ、でも、先生や看護婦さんに、絶対に止められるよ? 入っちゃいけないところだってあるじゃん…」
「大丈夫。私ならバレないから!」
 自信満々のケイ。私は返事に困った。入院してる身なのだから、できる限り安静にしているべきだ。でも、ケイの誘いを断っては悪い。
「…わかった。なら行こう」
 私がベッドから出ようとすると、ケイが止めた。
「待って。行くのは消灯時間が過ぎてから!」
 そんな時間に抜け出すの…? 私はそう思ったが、昼間から院内をうろつくのも他人の迷惑だ、と勝手に納得した。
「わかったわ。ところでたまに窓の外からスズムシの音が聞こえるんだけど、ケイちゃんは何か知らない?」
 ケイは首を横に振った。どうやら私の空耳のようだ。

「静ちゃん、お休みなさいね」
 看護婦さんにそう言われ、布団を掛けられた。でも私は寝るつもりはなかった。布団に包まってケイが来るのを静かに待った。
「起きて! 静ちゃん!」
 どうやら眠ってしまったようで、ケイの声で起きた。
「今はもう夜中の二時。みんな寝てる。さあ行こう!」
 ベッドから降りて、病室を出た。廊下はもちろん暗い。お化けが出そうなくらいだ。
「本当に今、行くの?」
 私は急に怖くなった。でも、
「私がいるから大丈夫!」
 ケイは引き下がることを考えていなかった。
 非常用の懐中電灯をつけて、ケイが先頭なり、私は後を付いて行った。
 最初に向かったのは、院内教室。いつもは明るい時にしか行かない場所。こんなに暗いのは初めてだ。昼間と印象が全然違う。教室内に飾ってある、生徒の描いた絵が不気味に見える。私が描いたのも例外ではない。壁から剥がしたい気分だった。
「次はどこに行こうか?」
 私的にはもう満足だったけど、ケイはまだ物足りなさそうだった。
「是非とも静ちゃんに来てもらいたいところがあるの。そこにしない?」
 どこだろう? 私は頷いて、ケイと一緒に階段を下りた。

 この病院に地下室があったことを、この時初めて知った。
「何て読むんだろう?」
 霊安室。今なら読めるし意味もわかるが、当時の私には無理だった。でも、その部屋の周りの雰囲気の悪さは、夜だからで通用するものではなかった。
 私はドアノブに手をかけた。だけど鍵がかかってるからか、開かない。
「駄目みたいだね」
 ケイが代わった。一度ドアを叩いてドアノブを回すと、カチャっと音がした。そしてケイはそのままドアを開いた。
「入れるよ!」
 私は不思議に思ったが、同時に部屋の中にも興味が湧いてしまい、一緒に入ることにした。
 部屋の中には、壁一面にロッカーの様なものがずらりと並んでいた。
「こんな所に何を預けるのかな?」
 私が呟いた一言に、ケイが反応した。
「遺体だよ」
「え?」
 ケイは確かにそう言った。
「静ちゃん、この部屋はね、病院で死んじゃった人が入れられるところなの。今日は誰も死んでないから、全部空っぽだけど。でも死人が出ると、入れられるんだよここに」
 この時私は恐怖した。ケイはもしかして、ここに私を閉じ込めようとしているんじゃないか? こんな所に一人残されるのは嫌!
 私が出ようとしたら、ケイが腕を掴んで放さなかった。私よりも力が強かったケイから逃れることは不可能だった。
「静ちゃん、今この部屋を出たら死ぬよ?」
 ここに残っていても、死ぬ気がする――
 私は泣きそうになったが、ケイは、
「こっちに来て。私がいれば大丈夫。静ちゃんがアイツに捕まることはないから」
「アイツ…?」
 私は涙声で質問した。
「もうちょっとこっちに隠れよう。じゃないと見つかっちゃうよアイツに」
 私とケイは霊安室の隅っこの方に隠れた。入り口からではまず見られない所だ。
 私はもう泣いていた。パジャマの袖が涙で濡れていたのを覚えている。ケイは頭を撫でてくれたが、ケイのことも怪しいと感じていた私はそれでは安心できなかった。

 ドンっと大きな音がしたのは、数分後だった。霊安室のドアに誰かが体当たりしていると思った。
「…来た!」
 ケイは私を撫でるのをやめた。
「な、何が?」
「アイツ…。屍亡者が!」
「シカバネモウジャ? 何なのソレ?」
 ケイは手で私の口を塞いだ。もう一方の手でシーっとすると、隅っこから顔を出して様子を伺った。
 私も覗いてみたが、しなければ良かったと後悔した。
 ソレは…人の形をした何か…いや、人ですらなかった。頭は人間のものだったけど、体の方は何て表現したらいいのかわからない。下半身がタコの様な感じ。でも腕というか脚というか、八本以上はある。体のパーツを適当にくっつけたって言った方がいいかもしれない。よく見ると頭が四つある…。
「ケイちゃん…あれは何なの…?」
 私はそれしか言えないぐらい、震えていた。
「静ちゃん…あれが屍亡者。アイツは今日、この病院に体を奪いにやって来た」
 この時のケイの発言は、今でも覚えてる。

 アレが屍亡者。何が屍亡者の元になったのかは、わかってはいない。戦時中に死んだ人の魂かもしれないし、もっと昔のものかもしれない。でも一つだけわかっているのは、それはこの土地由来の地縛霊ではないこと。
 屍亡者は全国各地の病院に移動する。常に体のパーツを求めているから。でも接着が弱いのか、移動するたびにいくつも落としてしまうらしい。
 目的地に着くと、死人が出るまで待つ。そして誰かが死ぬと、その人の遺体が運び出される前に体の一部を奪いにやって来る。奪う所は毎回異なるため、今夜はどこが狙いなのかは、実際に屍亡者が遺体に接触するまでわからない。

「じ、じゃあ、今日もどこかを奪いに?」
「違うわ。アイツは一部の人にしか知られていないけど、その人たちも知らないことがある」
 ケイはそれについて、話してくれた。

 屍亡者はただ単に体のパーツを奪うだけじゃない。狙った相手が子供なら、体と共に命を奪うこともできる。

「アイツの今回の狙いは、間違いなく静ちゃんのこと」
「う、嘘…?」
「だって今の大神病院には、静ちゃんしか子供はいない。今日は誰も死んでないから」
 私はケイの話についていけなかった。いや、理解したくなかったのかもしれない。
 現状を一度整理することにした。
「アレは、幽霊なの? それとも妖怪?」
「屍亡者としか言えない。でも、この世の物ではないことは確か」
 ここで疑問が湧いた。
「じゃあ何で、ケイちゃんは知ってるの?」
「それは…私もこの世の者じゃないから…」
「えぇ?」
 その言葉が信じられなかった。でもケイは、
「黙っててごめんね。私は今から三十年ぐらい前に、この病院で屍亡者に遭遇した。その時まだ私は生きていたけど、屍亡者にお腹を取られると同時に死んじゃったの」
 そう言って、パジャマをめくる。ケイのお腹の部分は…何もなかった。
「きゃあ!」
 私は隠れているのに、悲鳴を上げてしまった。
「ソ…コ…カ…」
 屍亡者の声がした。アイツがこっちにやって来る。
「ケイちゃん、ど、どうしよう?」
 私はもう助からないと思った。
「絶対にアイツを止める。静ちゃんには手を出させない!」
 ケイは叫んで飛び出した。
「オ…マ…エ…ジ…ャ…ナ…イ…」
 屍亡者はおぞましい声でそう言ったが、ケイの方を向いた。逃げるなら今しかない!

 私は隅っこから出て、霊安室のドアノブに手をかけた。何度か回したが、ガチャガチャとしか鳴らない。
 開かない!
 私はドアを叩いた。するとガチャっと音がした。そしてドアが開いた。
「静ちゃん、早く逃げて!」
 ケイが叫んだのが聞こえた。私は無我夢中で階段を上って逃げた。どこに逃げれば助かるの? そう思いながら病院中を駆け回った。
 自分の病室に戻って、布団に包まる…。はっきり言って現実的ではないけれど、幼くてしかもパニックになっていた私はそうしようとした。
「はあ、はあ、はあ」
 私は自分の病室がある階についた。そして廊下を走ろうとすると、反対側から屍亡者が現れた。
「きゃあああ!」
 病室には戻れない。私は今度は院内教室に逃げた。

 教室の鍵を閉め、いつも使っている机の下に隠れた。そこでジッとしていた。
 どうか見つからないで…。そう思ったが、廊下からコツ、コツ、と誰かの足音が聞こえた。
 過ぎ去って…。でも足音は、教室の前で止まった。
 そして、ドアが開く音が聞こえた!

「それで、どうなったの?」
 祈裡が聞く。
「アラワれたのは…インチョウセンセイ…。ワタシは…タスかった…」
 女の子はそう言った。助かってなければここにいない。当たり前か。
「そのケイって子は、どうなったの? そもそも本当に存在したの?」
「俺が病院の知り合いに聞いたところによれば、実在していたのは本当だぜ。でも、入院中に原因不明の病死。院長先生もそれが気がかりで、ケイの死後、毎夜毎夜病院を見回るようにしたんだと。静が院内教室に走っていくのが見えて、何か起きたと直感したらしい」
 男の子の話によれば、院長先生が駆け付けたのは偶然ではなかったようだ。
「ケイは…そのアト…。ワタシは…まだスコし…ニュウインしてたけど…ミなかった…」
 女の子は話をやめた。その後すぐにデザートが来て、食べ終えるとそれぞれ部屋に戻った。

「そう言えばどうして霊安室なんかに行ったんだろうね? 違う所に行けば逃げる選択肢は他にもあっただろうに」
 祈裡の言う通りではある。だが俺は、もう結論を出していた。
 恐らくケイは、幽霊になった自分が犠牲にならなければ、あの子を助けられないと思ったのだろう。そして最後の場所に霊安室を選んだのは、既に死人の自分が本来病院にいる場所は、霊安室しかないとわかっていたからだろう。
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