その五十五 画面の中から

文字数 5,849文字

「勇敢だね」
「はあ?」
 俺はただ、ノートパソコンを広げてワードを立ち上げただけなのに、そんなことを言われた。
「僕はね、子供の頃は無理だった。トラウマだ。今はもう克服したけどさ…」
 大鳳(たいほう)雛臥(すうが)はそう言う。
「どういうことがあったって?」
 興味が湧いたので聞いてみると、
「リングって言ってわかる?」
「何々、指輪?」
 反応から察するに違うらしい。映画と言われて、
「ああ、あのホラー映画のことか! 随分昔で内容は覚えてないけど、孤児院で観た記憶はある。でもそれが、どうかした?」
「あの映画の主要人物……って、故人設定なのに言っていいのか? 貞子っているじゃない?」
「いたね」
 髪の毛のせいでどんな顔かはパッと思い浮かばないが、それが呪いのビデオを生み出した? あれ、違ったっけか? 一回レンタルビデオ店で借りて、ホテルで見直した方がいいな……。
「でもそれが何か? あれを子供が観たらさ、誰だっておしっこちびるだろ?」
 現に孤児院では、岬だけが平然としていた。
「言えてるよ。でも、その話をしたいんじゃない。僕の経験は違うんだ。あの貞子って、テレビ画面から出てくるじゃん?」
「そんなシーンあったっけか…。あーでもイメージはできる。構図は何となくつかめるぞ」
「それなんだよ…」
 雛臥が昔経験したこと、それは十年前に彼が中学生の時にした恐怖体験。

「やった!」
 僕は中学に上がると同時に、携帯電話を買ってもらった。本当は駄々をこねても駄目だったのだが、塾に通うことになって遅くなることが多くなると危ないので、防犯用に買い与えられた。
「ネットで知り合った人に会っては駄目だよ」
「使い過ぎは良くないから。メールも電話も最小限に!」
「ゲームするなよ?」
「壊したら二年生に上がるまで買い換えないからな!」
 散々釘を打たれたが、それでも嬉しいものは嬉しい。毎日友人とメールしたり、カメラで何でもないようなのを撮影したり。新しいおもちゃを買い与えられた子供のようだった。
 しかし、保護者によって機能は結構制限されてしまう。僕はそれが不満だった。
「ちぇッ! あのサイトにアクセスできない」
 あのサイトというのは、僕がパソコンでよく覗きに行くオカルトサイトだ。この手のホームページは教育上よろしくないらしく、僕の家では高校を卒業するまで制限されるプランに加入していた。
 だから、夕食を食べ終えお風呂に入り、宿題も済ませると寝るまでの自由時間、パソコンを立ち上げる。
「……新しい情報は、なし! つっまんねえな!」
 そのサイトには、独自の機能がいくつかあった。
 一つは怪談話を投稿することだ。自分の体験談でもいいし、作り話でも構わない。気軽に読めるが当たり外れが大きい印象。
 次に、心霊スポット報告。写真をアップロードでき、実際に心霊スポットに行った人がその証拠として上げる。嘘は確実にバレ、よくほら吹きが現れる。
 三つ目は、心霊研究板。様々な霊的現象や妖怪、都市伝説や怪物について議論する場所だ。ネット上の小さな学会みたいで、結構白熱した議論がなされた。最大の欠点は民度の低さ。
 もちろん占いページもある。ほとんどが無料だが、それ故に信頼度はお察し。有料なのは他のサイトに飛ぶ仕様。
 そして、最後に呪術の部屋がある。
「見てみよう……」
 そのページにアクセスするのは、結構な勇気を必要とする。というのも、それは呪いたい相手がいる人向けなのだが、本当に呪術のようなものを伝授するからだ。おまけに、どんなひどい仕打ちを受けたか、その相手をどうしてしまいたいか、も詳細に書かれていて、読んでるこっちの気分が悪くなる。
「生け贄となる動物の血を抜き、入れ物に保管する。生け贄の体は四肢をもいで、呪いたい相手の数に切り分ける。入れ物以外を穴に隠して、四十九日が来たら入れ物を燃やす……」
 効果があるかどうかは、知らない。でも教えてもらった人は例外なく、「ありがとうございました」と感謝の言葉を送るのだ。僕はそのページを読むことはするが、書かれている内容を実践することはしないと決めていた。

 でも、一度だけその誓いを破ってしまったことがある。
 予め断っておくけど、当時の僕に恨めしい相手がいたわけではない。呪いたい相手なんて、これまでの人生で遭遇したことはない。
 じゃあ、何で行ってしまったか? これは簡単で、好奇心に負けたからだ。もっと詳しく説明すると、あまりにも簡単に行えてしまえる呪術であったために、ならばやってみよう、と軽いノリでしてしまったのである。
「丑三つ時に、携帯電話の画面を鏡に映す。それから……」
 使うアイテムは、何と身近な電子機器だけ。それも液晶画面があればキーホルダーについているようなゲームでも大丈夫。
「……最後に、外に出て月の光をその電子機器に浴びせる。これで呪いたい相手を殺せる、か……」
 嘘臭い。でも僕は自室のベランダに出て月明りを携帯に浴びせた。
「なんだい、何も起きないじゃな……」
 ここで、急に違和感を抱いた。何故か携帯電話が、さっきよりも重く感じる。
「う…ん?」
 片手で持っていたのだが、握っていられずベランダの床に落としてしまった。
 その時、液晶画面が上を向いたのだが、僕は信じられないものを目にした。
「ぎょぎょえええええええええええ!」
 何と画面から、指が出てきているのだ。それは手首、肘、肩……と、ドンドン伸びる。
「グググッ…!」
 すぐに幽霊のような何かの全身が、画面から現れた。顔には生気がなく、目は赤く充血している。口は開が、歯並びがボロボロで舌には穴が開いている。体は一見すると普通の人のようだが、よくよく見ると曲がるべき関節が全て、反対側に曲がっている。
「ひょへえええええ! 何だこの、ばばばばばば化け物!」
 すぐにベランダから部屋に戻って、窓を閉めた。鍵もかけてカーテンも閉じ、
「やばいやばいやばい……! 消えろ消えろ消えろ!」
 何度も念じる。そんなに時間が経ってないのに、汗でびっしょりだ。
 僕は化け物に窓をドンドンと叩かれると思っていたが、それとは真逆に静かだった。だからカーテンの隙間からベランダを覗き見た。
「へ……?」
 そこには、何もいない。
「き、気のせい……なのか?」
 窓を開けてもう一度ベランダに出たけど、本当にいない。周りを見回しても、結果は変わらない。
「あ、焦ったぁ……。夢でも見ていたのかな?」
 恐怖感から解放され、僕の心臓は正常な鼓動を取り戻した。携帯電話も回収し、その日はもう寝ることにした。

 異変があったのは、数日後のことだ。
「ねえ雛臥、あの話は聞いた?」
 クラスメイトが僕に話しかけて来たのだ。当時僕は、学年に一人はいるだろうオカルトマニアとして学校で有名だった。
「何が?」
「お化けの話だよ。この辺に出没するんだって!」
 当初、僕には、彼女は僕の反応を見て楽しんでいる、と感じられた。だが話を詳しく聞くと、心当たりがあるのだ。
「関節が逆に曲がってる、幽霊……?」
「そう! しかも、真っ赤な目と崩れた歯並びが特徴なんですって。ねえ雛臥、それってどんな妖怪? 幽霊なの?」
「しししし知らないよ! 僕でも調べないとわからないことだってあるんだ!」
 この時ははぐらかした。でもこの日の授業が終わると速攻で家に帰り、パソコンを開いた。
「ま、まさか……。あれは夢じゃなかった? 現実?」
 そうなのだ。あの時ベランダに現れた、僕の携帯電話の画面から出て来た化け物は、実在する。
「しかも、それが野放しになっている…!」
 僕がこの噂話に責任感を抱いた、最大の理由がそれだ。
 多分、あの化け物は呪いたい相手の携帯電話から出現し、その対象を殺めると画面に戻るのだろう。でも僕には恨めしい相手なんていない。だから、この町をたむろしているのだ。
「やるしかない……!」
 僕は、思った。責任があるのだから、自分が呼び出してしまったあの化け物を始末する必要がある、と。そして対処法を調べたくてパソコンの電源を入れたのだ。
 だがそんなに甘くはない。呪いたい相手がいない人のためにあの呪術があったわけではない。だからこの場合の対処法は、どこにも掲載されていなかった。
 でもここで諦めなかった。
「僕の携帯に戻せばいいんだ!」
 押さない僕は、そんな都合のいい発想を抱いた。そして実行するために、夜の町に出た。

 昼間は賑やかな商店街でも、夜はシャッターが閉まって静まり返っている。誰も歩いていない。野生動物の姿もない。
「どこかにいるはずなんだ、あの化け物が!」
 心当たりはない。だが、いる気はする。根拠のない自信が、僕に近所を探索させた。
 この日はあの化け物の姿を捉えることはできなかった。
「駄目だ、全然見当たらない……。どっかに行っちゃったのか?」
 もっと早く気づけば手の施しようがあったのだろう。僕は家に帰った。

 しかし、である。次の日もクラスメイトが騒がしい。
「どうしたの?」
「ああ、雛臥! 聞いたか? 隣のクラスのあのガキ大将……。お化けに遭遇したってよ」
「ななな何だって?」
 あの化け物は、やはり近所にいたのだ。
 授業中、ずっと僕はいかに化け物にたどり着くかを考えていた。
(町中を探し回るのは、賢くない。でも、神出鬼没のあの化け物はどこに現れるかわからない)
 被害が拡大しないうちに、騒動を静めないといけないのだ。当然、策を考える。
「あああ!」
 授業中にもかかわらず、僕は立ち上がってそう叫んだ。
「ど、どうした大鳳? 先生、何か間違ったことを黒板に書いてたか?」
「あ、いいえ! 僕が上の空に飛び立ってしまっていただけです……」
 そう誤魔化すと、クラスメイトからは笑われ先生からは軽く怒られた。
(でも、これしかない! あの化け物を僕の携帯に戻す方法は!)

 その日の夜のことだ。僕は近くの公園の滑り台の頂上に立っていた。
「必ず来るはずだ。あの化け物!」
 当然、接近を見張るためだ。
 しばらくすると、風が止んだ。同時に茂みが一か所、不自然に揺れた。
「そこか!」
 僕は滑り台を滑り降り、茂みに迫った。
 葉っぱを分けて、そこからあの化け物が現れた。
「やっぱり来たか! コイツ!」
 血に染まった目は、僕のことを睨んでいる。
「シネシネシネシネシネシネ……」
 化け物は何度もそう呟く。その度に歯が、口の中から落ちる。
 相手も距離を詰めてきて、いよいよ命を取る行為をしようとした時だ。
「おおい! ここがお前の巣だろ? 帰るがいい!」
 僕は携帯電話の画面を開き、化け物目掛けて突き出した。
「ウウウ…!」
 すると、その不気味な姿が液晶画面に吸い込まれていく。
「ウググ。グガァ!」
 化け物も抵抗し、凄い力が腕から伝わってくる。僕はもう片方の手で、何とか押さえた。
「終わらせる!」
 長引かせるのは得策じゃない。そう判断したので、一気に畳みかけた。グイっと、携帯電話を押し出した。
「ウブグアアアア……」
 僕が勝った。化け物を携帯電話の中に封じ込めることに成功したのだ。
「ふ、ふう……。もう大丈夫かな…」
 でも、勝手に携帯電話が揺れる。まだ抵抗しているのだ。僕は完全にトドメを刺すために、公園に落ちていた石を拾って、何度も液晶画面を叩いた。
「はあ、はあ…。これで、終わりだ!」
 気づけば携帯電話は、動かなくなっていた。同時に僕の携帯は、ぶっ壊れた。僕が自分の手で破壊したのだ。

 両親には、転んだ拍子に壊れたと嘘を吐いた。でも壊したことに変わりはないため、二年に上がるまで新しいのを買ってもらえなかった。
 一方、オカルトサイトでも動きがあった。呪術の部屋で暴れている人がいたのだ。
「誰だ? 俺の呪獄霊(じゅごくりょう)を殺したのは? もうあの呪術が使えなくなっちまったじゃないか!」
 おそらくほとんどの閲覧者が、彼が何を言っているのかわからないのだろう。でも僕には意味がわかる。呪獄霊とはあの化け物のことで、あれは一点物の幽霊だったのだ。

「あの、化け物が僕の携帯から出てくる光景は今でも思い出せるよ。幼いころは本当に衝撃的で、夜になるとベランダを覗けなかったよ。カーテンをガムテープで貼り付けるぐらいには恐怖だった」
 雛臥はそう言う。でも俺からすると、腑に落ちない点が一つ。
「その、呪獄霊はどうして君のところにやって来たんだ? 町を徘徊していたんだろう?」
「氷威、あれは人を呪うための道具だったんだ」
「あ、そうか!」
 俺もここで閃いた。
「呪いたい相手がいないから、どっかに行ってしまったわけだ。だったら呪う相手を作ればいい。そしてそれが、僕自身。そうすれば向こうから僕のところにやって来るからね。他の人に被害も出ない」
「でもそれ、危険じゃないか? 一歩間違えれば、君が殺されていたかもしれないってわけだろう?」
「それぐらいの覚悟がないなら、オカルトマニアを名乗る資格はないよ」
 自信満々に彼は言ってのける。
 気になったことがもう一つあったので、聞いてみた。
「そのオカルトサイトは? 何て名前?」
「ああ……。覚えてはいるんだけど、もう存在してないよ?」
「どうして?」
 聞き返すと、衝撃の返事が。
「神代が本腰を上げてね、そういう本当にヤバいサイトを全部……とは言っても二、三個だけだが、潰したんだ」
「か、神代……? 神代のことを知ってるのか?」
「ああ。だって僕は霊能力者だもの」
 それを先に言ってくれれば、取材の内容は全然違くなるし、報酬も豪華だったのに…!
 でも雛臥は、
「霊能力者がどうのこうのよりも、僕がそれに目覚める前の出来事の方がよかっただろう? 正直、いい気はしないんだ。サイト狩りに僕も参加したからね」
 彼はお気に入りのサイトを、自分の手で潰したらしい。それが自分で許せない様子だ。
「話を戻そう。氷威、この画面の中から幽霊が出てくるって想像してみなよ? ブルっちまうだろう?」
「まあ、そうだよな…」
 俺はできるだけ、画面を見ないようにして雛臥と数十分の雑談に興じた。
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