その十九 手紙の逆鱗

文字数 6,862文字

「氷威君、言霊信仰って知ってる?」
 俺にそう話すのは、文月(ふみづき)誠一(せいいち)。ごく普通のサラリーマンって感じの男だ。そんな彼でも迷信紛いなことを信じているのだろうか。
「あれでしょ? 口で発言した言葉には、力や魂が宿るって考え。簡単に言うと、言ったことが本当になるとか」
 この手の怪談はよく耳にする。例えばある少年が、「自分が死ぬ」と言うと、数日後に本当に死ぬとか。その前に言ってはいけないことがあるとかないとか……。
「私の体験は、その延長だ。書いた文字にも魂が宿るんだ」
「ははは、まさか」
 失礼ながら、笑ってしまった。
 というのも、それは怪談というよりも疑似科学の領域だ。聞いたことがあると思うんだが、例を挙げれば、同じオレンジジュースでも「ありがとう」と書いた紙を張り付けた場合は美味しくなり、「ばかやろう」と書いた場合は不味くなる。水の結晶でも同じことが言え、それは水からの伝言と言われている、よくある迷信。
「信じられないって顔だな? 私も昔はそうだった。あの時までは…」
 では、誠一の話に耳を傾けてみよう。

 私は、最初からこの地方に住んでいたわけではない。中学時代に転校してきた。当初は何もない田舎だと思っていたが、住めば都だ。時間の流れが粗く速い都会に疲れていた私にとっては、ちょうどよかった。集合住宅の一室は狭かったが、三人暮らしで困ることはなかった。
「今度転勤になったら、父さんだけ引っ越してもらおう」
 とか、母と冗談交じりに話していた。

 転校には慣れていた。新学期が始まると同時に、近くの中学校に通うことになったのだ。
「文月誠一です…。神奈川から来ました…。よろしくお願いします…」
 決まり文句を言って自己紹介を済ませると、新しい席に案内される。隣の席の生徒に軽く挨拶をすると、早速授業が始まる。進行速度は前の学校よりも遅く、一学期で習った内容から始まったが、ゆっくり学んで行こうと逆に思えた。
 授業が終わり、休み時間になると、ここもお決まりの校内案内だ。クラスメイトに連れられて、校舎を回った。やはり田舎の宿命か、生徒数は多くない。全校生徒で百人いるかいないかなので、一学年につき一クラスのみ。
「でも早くみんなのことを覚えられるから、誠一君もすぐに打ち解けられると思うよ!」
 そんなことを言われながら、クラスメイトと先生の顔と名前を一生懸命覚えた。

 そして、その日の昼休みのことだ。教室の端っこが騒がしい。
「何だあれ…?」
 私が聞くと、クラスメイトが答えた。
篠原(しのはら)(たかし)だよ。アイツとはあんまり関わらない方がいいかも…」
 よろしくないことを言われたが、見れば理解できた。
 崇はいじめの主犯格だった。そう、このクラスにはいじめが存在した。
「霙も可哀そうに…」
「みぞれ…?」
「ターゲットにされてる女の子だよ。ほら、あそこに座っているでしょ?」
 その子は、ゲラゲラ笑っている男子三人に囲まれて、髪を掴まれていた。
「あの子が、上終(かみはて)(みぞれ)
 普通なら、関心を持つこと自体が間違っているのだろう。見てみぬフリは共犯と言われるとしても、この教室で苦しい立場になりたくなければそれが正解。
 だが私は違った。
(可愛い子だ……)
 顔を見た瞬間に、そう思った。霙はクラスで一、二を争うぐらい整った容姿をしていた。
 その彼女が何故いじめに遭っているかと言うと、崇の告白を断ったから。要は逆恨み。プライドを折られたと感じた崇は、霙の存在自体が気に食わなくなったということらしい。そんな理由で理不尽な目に合わせるところが子供っぽい奴だ。だがそれは、このクラスでは禁句。言ったが最後、取り巻きの昂平(こうへい)悠太郎(ゆうたろう)にも睨まれる。
「まあ、あまり関わらないことだね…」
 しかしクラスメイトの忠告とは裏腹に、私はどうすれば霙とお近づきになれるかどうかを考えていた。

 当時、携帯は子供の間ではほとんど普及していない。パソコンを持っている家庭も珍しいと言われるレベル。そこで私は考えるのだ。
「電話はどうだろう…?」
 また、個人情報についてもガバガバな時代だったので、クラスの連絡網には全員分が載っていた。
 しかし、私にはダイヤルを回す勇気がなかった。電話口で気まずい話になったら、どうする? そんなチキンな思考が頭の上をハエのように飛ぶ。
「明日、声をかけてみようか…?」
 それも駄目だ。自己紹介と断ればいくらでも声はかけられる。けれどもそれは、霙の立場を計算に入れていない。彼女はいじめられっ子。休み時間の最中は常に崇たちが周りにいる。そんな状況で、私が霙に声をかけるタイミングはないだろう。
 八方塞がりとも思える状況下で、打開策が家に届いた。前の学校の時の友人からの手紙だ。
「これだ…!」
 手紙で文通すればいいんだ。私はそう思った。手紙なら、住所は知らなくても昇降口の下駄箱に入れておけばいい。手渡しする必要はないし、気まずい空気も作らない。
 私は宿題を済ませるとそのまま机に吸い付き、文章の構成を考えた。
「まずは、自己紹介から…。んで、相手のことを聞いてみる…。いや、まずここはいじめについて助け舟を出せないことについて謝るか…? でもそれは何だか、言い訳じみてるよな…?」
 試行錯誤と夜更かしの末、手紙は書きあがった。
『初めまして、霙さん。僕は昨日転校してきた、誠一です。ビックリさせてみすません、霙さんと話をしてみたいのですが、面と向き合うと緊張してしまうと思ったので一筆書きました。僕が前にいた学校は男子校だったので、霙さんのような子と話す機会は全くなかったです。だから……』
 そんな書き出しだったことは覚えている。だが肝心の内容は、あまり。送ってしまった故に、手元にもないから無理もない。
 私は次の日の放課後、崇たちが帰ったのを見計らって霙の下駄箱に手紙を入れた。
「返事が来ればいいけど…」
 正直、望み薄だ。だって私は転校してきたばかりの分際。期待はあまりしていなかった。手紙を書いたこと自体、自己満足のようなものだ。

 次の日のことだ。朝私が自分の下駄箱を開くと、それは入っていた。
「返事だ…!」
 ここで舞い上がるような私ではなかった。迷惑です、という内容も十分にあり得る。だから開けるのを少し躊躇った。だが放っておいても勝手に前には進まない。私は男子トイレの個室に籠ると、封を切った。
『手紙、驚きました。でも、もらえてうれしい! 誠一君は男子校出身なんだ? 私には無縁の世界だから、どんな校風なのか気になります。よかったら教えてください! それから…』
 霙は、私の手紙に好意的な意見を持ってくれた。まず私はそれに安心した。そしてもう一度、じっくりと文章に目を通した。私は時間を忘れていて、朝のホームルームのチャイムが鳴ってトイレから急いで飛び出したくらいだ。それぐらい、手紙に引き込まれていた。
 彼女の書いた文字には魔力でもあるのか、普通の文章なのにどこか、心が惹きつけられるのだ。
 その日は、手紙のことばかり考えていた。
(どういう返事を書こうかな…)
 授業中も上の空。先生に指名されて、少し焦ったほどに。まだ返事を一文字も書いてないのに、もらえるであろう返事のことを考えていた。
 家に帰ってから私はまた手紙を読んで、それから返事を書いた。

「まずは、霙さんがくれた疑問に答えて…。それからもっと話題を膨らませて…」
 どんどんと手紙にのめりこんでいくのが、自分でもわかった。だが止まる気はなかった。これほどに心が躍ることは、今までの短い人生で体験したことがない。手紙を書くたびに、早く返事が欲しい。もっと仲良くなりないと思った。そして仲良くなれている気がした。

 ついに、本当の勇気を振り絞る時がやって来た。それは冬休みのことだ。手紙のやり取りが日常的な行為となっていた私にとって、二週間も我慢はできなかった。そこで、年賀状を送ると理由をつけて住所を聞いてみることにした。しかし受け取った返事にはその記載がなかった。それには落ち込んだが、よく手紙を読むと、
『初詣、一緒に行こうよ!』
 と書かれていたのだ。私の心は冬だというのに燃え上がった。
「デート…! 霙さんと一緒に…!」
 私は心の中で叫んだ。その日が来るのを、ずっと待っていた。自分の想いがやっと届いたと思った。
 適当な場所と時間で待ち合わせた。
「お待たせ…」
 思えば、学校ではあまり話さないから、これが初めての会話だったかもしれない。
「ごめん、待った?」
「ううん…。僕も今、来たところなんだ…」
 そして二人で、近所の神社を目指す。私が何を話そうかと一生懸命考えていると、霙の方から、
「今年は、いい年になるといいね!」
 と元気に切り出してくれた。
「僕は、霙さんともっと仲良くなれるといいな…」
 緊張のし過ぎ故に、思ったことが馬鹿正直に口から出て来た。もちろん私は恥ずかしさを感じた。しかし、
「そうだね。私も誠一君のこと、もっとよく知りたいな! 来年も同じクラスになるし、隣の席になったりさ」
 と、霙は気まずくなりそうな雰囲気を回避した。私も彼女の言うことには大いに賛成だ。
 だが、大きな壁がある。
(崇に昂平、それに悠太郎…)
 霙をいじめる三人だ。嫌がらせレベルに落ち着いてはいたが、未だにいじめは続いている。毎日、休みの時間になると霙の机を囲むもんだから、邪魔でしかない。
(アイツらさえいなければな…)
 私は、いやきっとクラスの誰しもがそう思っていたに違いない。
 私は、急に首を振った。
「どうしたの、誠一君?」
「いや、何でもないよ…」
 誰かの視線を感じた気がしたが、田舎とは言え初詣で混雑している。その時は、きっと誰かがちょっと見ていたのを気にし過ぎただけと思っていた。
「そうだ、誠一君は宿題終わった? 私、わからないところがあって」
 会話が途切れそうになると、霙が話してくれるのだ。

 だが、あの時感じた視線は気のせいではなかった。
「霙、お前さ? 誰と一緒に神社に行ったんだ?」
 休み明け、崇がハッキリと、クラスの誰しもに聞こえる声で霙に怒鳴ったのを覚えている。私はそれを聞いて、しまったと思った。
(あの時、崇も同じ神社に足を運んでいたのか…! マズい、見られた…)
 嫌な汗が私の全身から流れ出たのを覚えている。確か崇は、告白してフラれたから霙をいじめているのだ。崇からすれば、自分をフッておいて他の誰かと付き合うのか、という怒りでいっぱいだろう。
「………」
 霙は黙っていた。いじめに私を巻き込みたくないと思っていたのだろう。だがそれは、崇にとっては面白くないこと。崇は霙に平手打ちをした。
「覚えてろ! 今度そんな真似したら、タダじゃ済まさねえからな!」
 まるで自分の彼女が浮気したのを咎めるかのような態度で、崇は怒鳴っていた。私には、どうすることもできなかった。ここで頑張って胸を張っても、三対一では結果は知れてる。だからただ、いつも通りに手紙を書くしかなかったのだ。
『ごめん。僕のせいで霙さんを傷つけてしまって…』
 私は手紙の中で、何度も謝った。実際に頭を下げて涙を流しながらペンを動かした。
『気にしないで。誠一君は何も悪くないから!』
 霙はそう、手紙の中で私を慰めるのだ。

 そして、その事件は起きる。

 朝、いつも通り霙からの返事は私の下駄箱に入っている。家で読むことにしていたので、それを取ってカバンに入れた。
 ホームルームが始まるのを待っていると、霙が私の元に来るのだ。
「誠一君、これ…」
「え…?」
 私は困惑した。返事なら、朝回収したはずだ。なのに霙は私に、手紙を寄越すのだ。
「おい、待てよ!」
 それを崇たちが見逃すわけもなく。手紙は没収された。
「おい、余所者の分際でよ? 何ちょっかい出してんだ?」
 崇とここで、初めて会話した。威勢だけはいいチンピラみたいだった。
「僕は…」
 言い訳をしようとしたが、先に崇の拳が私の頬に命中した。
「調子に乗んな、ボケ!」
 そして、崇は手紙に手をかける。
「こんなものはな……こうだ!」
 手紙は、私と霙の目の前でビリビリに引き裂かれた。
「はっはっはー! スッキリだぜ!」
 何て酷いことを平然とするのだろうか。霙は泣いていた。私も悲しい気分になった。バラバラになった手紙は、昂平と悠太郎がゴミ箱に突っ込んだ。そのまま三人は教室を出て行った。
 クラス中が、崇たちの行動を見ていた。みんな口にしないだけで、相当引いている。

「出席を取ります。って、崇君はどうした?」
 ホームルームが始まったが、崇の姿は何故か、教室にはなかった。
「わかりません」
「っかしいな、さっき一緒にトイレに行った時は、いたのに」
 昂平と悠太郎は、困惑していた。二人が知らなければ、崇の行方を知る者はいない。
「学校には来てるんだな? ホームルームをサボってもいいと思ったら大間違いだぞ。見つけたら指導室行きだな」
 だが、崇の姿は放課後になっても見えない。
「どこ行ったんだ、アイツ…?」
 私はその日、ゴミの当番だった。だから教室掃除の後、ゴミ袋をゴミ置き場まで運んだ。
「ん…?」
 その不自然さには、気づかずにはいられなかった。赤い液体が、ゴミの隙間から洩れている。それはとても生臭いのだ。
「なんだなんだ…」
 私はその臭いの源を探った。ゴミ袋をどかすとそれは、顔を覗かせた。
「う、う、う、うわああああああああ!」
 それは、バラバラになった人間の体だった。鋭利な刃物で切り分けたというより、強引に引きちぎった様子だった。
 私は吐き気を殺して職員室に駆け込み、先生にそのことを伝えた。すると先生たちは四、五人でゴミ置き場に向かう。
「け、警察! 警察に通報だ!」
 事件は大事だった。学校のゴミ置き場で、誰かが死んだ。いや、状況から考えるに、殺人事件だ。遺体は生徒手帳を持っていて、変わり果てた崇であることがその日の内にわかった。
 警察の捜査は優秀だったに違いない。そしてこの田舎だ、すぐに犯人は捕まるだろうとみんな思っていた。
 しかし、期待とは真逆で、いつまで経っても容疑者が絞り込めないどころか、犯行に使われた凶器すら出て来ない。事件はすぐに迷宮入りになった。

 だが私には、思い当たる犯人がいた。
「霙さん…。あの手紙に、一体何を書いたんだい…?」
 私は勇気を出して、霙に聞いた。
 というのも、崇は彼が破り捨てた手紙のようにバラバラに引き裂かれた気がしてならないのだ。
「誠一君、私が何かしたと思ってる?」
 私は、曖昧だった。霙が犯人なわけがない。終日教室にいたし、だいいち彼女の華奢な体では、人体を切断することはおろか、崇を押さえつけることすらできそうにない。
 でも、崇が失踪する前に、霙の手紙を破いたのも事実なのだ。そしてその手紙は、私に渡そうとしていたがいつもの返事ではないのだ。
「僕は…。どうだろう…? でも霙さんを信じたいんだ…」
 私は、そう言うのが精一杯だった。すると霙は、
「文字にはね、力があるの」
 とだけ返事をした。
 その後、崇の死に完全に腰が抜けた昂平と悠太郎は、霙をいじめなくなった。そして邪魔者がいなくなったところで、文通をさらに重ね、学年が変わる頃に私は霙と付き合うことになった。
 その後交際は順調に進み、今では霙は、私の妻になった。

「……あの時の手紙には、何が書かれていたのか。今となっては確かめることはできないが、想像には難くないだろう?」
「そうだな…」
 俺はすぐに閃いた。文字に力があるというのなら、
『この手紙を破いた人は、その日の内に同じ目に遭います』
 と書かれていたのではないだろうか? 実際に崇は手紙を破き、ゴミ箱に捨てた。だから体をバラバラに引き裂かれ、遺体はゴミ捨て場に放置された。
 文字には力がある。読ませる魔力とは別に、この世ならざる力があるのだ。おみくじなんかがいい例だ。紙に書かれているだけなのに、よく当たったりする。
「絵馬とか、書くだろう? 何故人はそれに希望を書くか、わかるかい?」
「……文字にすることで、力が生じるとか?」
「なんだ、わかっているじゃないか」
 誠一は、こうも言った。
「君の書く本が楽しみだ。文章を読めば、恐怖のできごとが目の前で再現されるかもしれないからな。文字に起こすとは、そういうことなのだ」
 それは、ちょっと避けたい案件だ。だから俺は、製品が出来上がったのなら、お祓いしてもらうと決意した。
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