その六十八 記憶の転移

文字数 5,645文字

「本当に手術室ってこんな感じなのかな?」
 医療ドラマを見ていると必ずあるのが、手術のシーンだ。人間ドラマに重きを置く番組や、事件が起きて犯人を探してみたりする番組でも、
「っメス……!」
 と言って器具を受け取るシーンは欠かせない。言ってしまえばわかりやすい描写なのだろう。
「先生! 心拍が!」
「アドレナリンを追加だ!」
「心臓マッサージします!」
「サイナス」
 他にもこんな感じである。今見ていたドラマも、手術で何もかも解決する。
「氷威が知らないだけでしょ?」
 祈裡にそんなことを言われた。でも仕方ないだろう? 俺の学力じゃ医学部なんてとてもじゃないが目指せない。
「まあそれは置いておいて。明日は……」
 次の日に俺たちは待ち合わせ場所に移動した。その飲食店には今回インタビューさせてもらえる、安斎(あんざい)香帆(かほ)がもうスタンバイしていた。
「おはようございます。安斎香帆です」
「あ、はい。俺は天ヶ崎氷威です。こっちは和島祈裡で……」
 自己紹介をして、本人であることを確かめた。それから飲食店の店内に進む。
「氷威さん。私の話は信じてもらえますか?」
「もちろん!」
 肝心の内容を聞かされる前に、俺は頷いた。そもそもそういう前提がなければ、彼女の話なんて聞かない。
「怖い話、でしょう?」
「そうなんですが、ちょっと違う部分があって……」
 どうやら、信頼させる自信があまりなさそうなのだ。だが、
「大丈夫。君の話を否定したりはしないから! そこは心配しないで! 科学的根拠なんて、なくていいんだ!」
 こう言って促した。
「わかりました。では始めますね……」
 俺もノートパソコンを広げた。
「貸して」
 だが、タイピングは祈裡の方が速いため、祈裡がワードファイルに打ち込むことに。俺はメモ帳を取り出しメモを書く。

 私は、生まれつき体が弱かったです。肝臓の病気のせいで、
「完全に治療するには、移植しかありません」
 と、医者に言われました。その病気のせいで、入院しがちな生活を送っていました。
 臓器に異常があるのなら、すぐに移植すればいいと私も両親も考えました。肝臓は再生できる唯一の臓器なので、少し減っても大丈夫なので提供を躊躇うことはありません。しかし父も母も、いいや親戚一同も、適合者ではなかったのです。
「ごめんなさい、香帆……」
 涙を流しながら母がそう、私に言ったのを今でも覚えています。
「ドナーを待つしかない……。現れてくれればいいんだが……」
 そのドナーは本当にいつ現れるのかわかりません。私は小学校生活で、何度も何度も病院に入院しました。その間ドナーは現れませんでした。
 これは仕方がないことなのです。日本は海外と比べると、ドナー数が圧倒的に少ないのです。それに臓器提供のできる病院自体が少なく、さらにドナーの意思表示なども少ない……。これら三つの要素が掛け算されると、確率はグッと下がります。
 入院しがちな生活は、出席日数以外にも学校に対して支障をきたしました。
「う~ん……」
 授業に出れないので、成績が悪いのです。当時の私は多分、下から数えた方が速いくらいに悪かったでしょう。退院した直後にテストがあって、しかも習っていない範囲だったことすらありました。そんな状態で点数が取れるわけがありません。私も一生懸命クラスのみんなについて行こうと思いましたが、それも中々叶わず。

 そんな私でしたが、中学生になったある日に転機が訪れます。
「香帆! 今病院から電話があって! ドナーが見つかったって!」
「えええ!」
 私に提供できる肝臓があるというのです。私と母はすぐに入院の準備をしました。父は書類にサインをしていました。
「この手術が成功すれば……!」
 もう、苦しむ必要はありません。入院とも、ほとんど無縁になるかもしれません。私は、名前も知らないドナーに感謝しました。その人のことが神様にも思えました。
「失敗する可能性もなきにしもあらずです」
 と医者には言われましたが、その心配は必要ありませんでした。手術は大成功。術後の経過も安定していましたし、拒絶反応もありません。提供された肝臓は私の体の一部になって働いてくれました。
 こうして私は滅多に入院することはなくなり、授業にも毎日出ることができるようになりました。とても嬉しかったのを覚えています。

「香帆ちゃんってさあ、実はかなり勉強できたんだね」
 クラスメイトから、そう言われたことがありました。
「そう?」
「そうだよ! だってこの前の中間考査、学年で十六位だったんでしょう?」
「十五位だったよ」
「凄いじゃん、それ!」
 このクラスメイトは小学校時代から付き合いがあります。彼女は小学校の時の私の成績を知っており、中学になってからの好成績に驚いていました。
「ねえ、教えてよ! どんな勉強方法なの? 一日に何時間やってるの? 暗記はどうしてる?」
「それはね……」
 私は返答に困りました。
 確かに、授業に出る機会が増えたので自然と勉強している時間も増えました。しかし私は、特別努力していたわけではないのです。
 授業中にしょっちゅう感じることがありました。
(あれ? 私、この方程式知ってる)
 数学だけではありません。国語の漢字、理科や社会の用語、英語の単語などもです。
 かなり難しいのですが表現すると、
「前に学んだことを授業で復習している」
 感覚です。
 ですが、これはおかしいのです。私は塾には通っていませんし、学校の授業の予習も特にしていません。日頃はまともに出れなかった小学校時代の勉強の復習をしています。言わば遅れを取り戻す勉強はしていますが、授業内容を先取りした勉強はしていないのです。
 不思議な感覚でした。テレビのニュースには新鮮さを感じていましたので、例えば未来の出来事を先に知ることができる、というわけではないのです。

 しかし、誰にも言えなかっただけで思い当たる節はありました。
 それは、夢でした。移植手術を受けた後から、奇妙な夢を見るようになったのです。
 妙にリアリティがあるのです。それも現実世界を味わっているような感じなのです。
 例えば、ある夜に遊園地に行く夢を見ました。コーヒーカップに乗ってぐるぐる回ると、本当に吐き気を感じます。ジェットコースターに乗れば、乗り物のスピード感が風を切って味わえるのです。
 他にも食べたポップコーンの食感やジュースの冷たさにも現実味があって、起きた時に真っ先に口を動かして内部を確認したほどでした。
「プラチナムランド、だったっけ?」
 夢は遊園地の入り口から始まったので、看板に書かれた名前を私は覚えていました。そして朝食の時に、独り言を喋っていました。
 それを聞いた父が、
「香帆、知っているのか?」
 驚いた顔で私にそう言いました。私は、
「夢に出てきた遊園地だよ。ジェットコースターの隣にコーヒーカップがあって、さらにその隣のメリーゴーランドは休止中だったかな……? 入り口から一番奥に観覧車があって、その手前にお化け屋敷……」
 覚えていることを伝えました。すると父は自室に一旦戻ってアルバムを取り出すと、それを開いて私に見せてくれました。
「これを見てくれ……」
「え?」
 それは、私が夢で見たあの遊園地で撮られた写真です。父が高校時代の友人と一緒に遊びに行った時のものらしいです。アルバムには、遊園地のパンフレットも収められていて、
「ジェットコースターの隣にコーヒーカップがあって、その隣にさらに休止中のメリーゴーランド。園内の端には観覧車があって、目の前にお化け屋敷……」
 私が夢で見た通りの構図です。
 私は、
「幼いころに行ったことがあった? 私が覚えていないだけで、遊んだことがあって、それが夢に現れたのかな?」
 自分では思い出せないけれど、記憶として脳内に存在する、それが無意識の内に夢として蘇った。自然に考えればこうなるはずです。
 ですが、
「それはない」
 父は断言します。というのも父が結婚する前に住んでいた地域の遊園地だったらしく、しかも私が生まれる前には廃園になっているのです。つまり私は、その遊園地を体験しようがないのです。父のアルバムは開いたことがないので、知っていること自体がおかしいのです。
「不気味だな、おい……」
 気持ち悪さを父と一緒に覚えました。

 どうして私の中に、あり得ない記憶があるのか。疑問を抱きました。全ては移植手術から始まっています。
 なんとなくネットで検索してみました。すると興味深い話がありました。
 とある少女が心臓移植を受けた後、何度も悪夢にうなされるようになります。その夢には知らない男性が出てきて、顔もハッキリとわかるのです。実はその男は殺人鬼であり、ドナーとなった子供を殺害したのでした。これがきっかけとなり、犯人は逮捕されたのです。
「………」
 この話が本当かどうか、科学的な根拠があるかどうかはわかりません。でも私にも同じことが起きているのなら、
「肝臓をくれた人の記憶が私の中に移ったってこと?」
 と、判断できるのです。
 私のドナーも何か体験していて、それが私の中で蘇ったのかもしれません。
「何かを訴えたいのかな……?」
 元々の肝臓の持ち主は、何を私に伝えたいのでしょう? 一番手っ取り早く知る方法はドナーについて調べることですが、それはできません。原則として、ドナーとの接触は禁じられているからです。
 その記憶の持ち主は、今も生きている人なのでしょうか。それとももう亡くなられているのでしょうか。その場合、この先に何か事件的なことを夢に見るのでしょうか。正直なところ、怖さがあります。相手も、自分と同じ記憶を持っている人が他にいる状態なんて、良い気分ではないでしょう。

 数日経ったある日私は驚きの夢を見ました。
 なんと、夢の中に父が出てきたのです。それも写真の中でしか見たことがないような若さです。
 起きた時、私は確信を一瞬だけ抱けました。
「この記憶は母のものだったんだ!」
 それなら安心です。しかし、そうはなりません。
 何故なら、両親含めて親戚一同、肝臓が私に適合しなかったからです。つまり移植された肝臓は母のものではありません。そもそも移植手術の際、母は摘出手術を受けてすらいません。
「じゃあ、誰……?」
 若い頃の父と出会ったことがある人物なのは確かです。しかしそれ以上の判断材料がありません。
 この夢のことを父に伝えると、
「香帆、ちょっと来なさい」
 と、改まって書斎に案内されました。そこには既に母もいて、
「これから大事な話をする。香帆がもっと成長して……大人になってから言おうと思ってたんだけど、前に見た夢の話があるだろう? だから今、教える」
 急に難しいことを言い始めたので私は手に汗を握るほど緊張しました。
 父はまた別のアルバムを見せてくれました。それは結婚式の写真のようですが、父の相手は母ではありません。
「これは、何?」
「父さんの、弟の結婚式だ」
 父には、亡くなった双子の弟がいたのです。その話は墓参りの時に聞いたことがありましたが、双子だったことはそこで初めて知りました。
「それがどうしたの?」
「弟は結婚した後すぐに事故で死んだ。義理の妹も一緒だった。でもその事故で、助かった子供がいるんだ。それが、香帆……お前なんだ」
「は、はい?」
 父の話は衝撃的なものでした。私は両親の実の子供ではない、という意味なのです。両親が未だに話すのを躊躇っていたわけがわかります。
「でも父さんも母さんも、香帆は実の娘だと思っているよ。大切な家族。それは揺るがない」
 私は混乱しました。フラッと来たのでソファーに腰かけると、立ち直れるまで父と母は待ってくれました。
 当時のことをまとめると、父と母の間には子供がおらず、事故後一人残された私を養子として迎え入れたということ。
 そして記憶に関する答えを教えてくれました。
「香帆は生まれつき肝臓が悪かったから、事故の後すぐに実の母……父さんの義理の妹の肝臓を移植したんだ。でもそれでも完治までには至らなかった……」
 私の記憶の持ち主。それは実の母でした。
「どうしてなのかはわからない。でもきっと、香帆の本当の母が見守ってくれている。だから記憶が蘇ったのかもしれない」
 あの話を聞いた私は結論を出しました。
「移植手術がきっかけで、本当の母の記憶が私の中で蘇ったんだ」

「記憶は血の中にも流れているのでしょうか……。とにかく私が見た夢は全て、実の母の体験だったんです」
「なるほど。レシピエントの記憶転移か……」
 香帆は、母の経験を追体験していたのだ。
 臓器移植で記憶転移が見られるケースは結構報告されているようだ。性格や振る舞い、好物が変わったりすることもあれば、香帆のように夢に出てくることもある。どうして臓器を移されただけでそうなるのかは、わからない。
「精神的なものなのかもしれないね」
 魂レベルの話で、記憶は体と結びついているのだろうか。
「でも、私には一つ心配事があるんですよ……」
「何?」
 香帆は最後に、あることを心配していた。
 それは、今の肝臓を提供してくれた人のことだ。香帆はまず、実の母の肝臓をもらった。その後中学時代に、また別のドナーの肝臓を移された。
「どうして、その新しい方のドナーの記憶は移っていないんでしょうか? 移せない事情でもあるのでしょうか……?」
 もしかしたら、ドナーはかなりヤバい人……犯罪者だったりするのかもしれない。それを考えると、香帆はゾッとするらしいのだ。でもそこで祈裡が、
「何か事情があるとしたら、実のお母さんが守ってくれているってことでしょう!」
 と、自分の考えを言った。すると香帆も、
「そうだと良いのですが……」
 いつの日か、蘇るかもしれないドナーの記憶。かなり不幸なことが、ドナーにはあったのかもしれない。でもきっと大丈夫だと俺は思う。香帆の実の母と、今の両親が彼女のことを守ってくれるのだから。
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