その四十八 虚の建物
文字数 6,143文字
待ち合わせの場所は、予備校のフリースペース。正直、俺が入るのには敷居が高いぞ。
(エスカレーター式だから大学受験なんてしてない、ってのは口が裂けてもここに通う学生には言えないな…)
そう考えながらエレベーターまで進んで、指定のフロアに行く。窓側の、自販機の横って言っていたな。
「お、いたいた」
俺が向こうに気づくと、向こうも手を振って答えてくれた。
「初めまして、御門 銀杏 です。高三で、ここには講義のために通ってます」
「受験生か…。頑張れよ」
ろくなアドバイスが送れないことには目を瞑ってくれ。
「で! 話ってのは本当なのか?」
「はい」
自信満々に銀杏は頷いた。
何でも、ゴーストタウンに行った話をしてくれるのだという。
「でもみんなが想像する、廃墟の街って感じじゃなくて」
「はあ……。はあ?」
じゃなければ何だよ?
「町自体が幽霊、とでも言いましょうか? そんな感じの場所なのですよ」
それはそれで興味があるな。
「なら新鮮味がありそうだね」
俺がノートパソコンを広げるのを見届けると、銀杏は語り出した。
去年の夏の話。
「なあギンナン、暇だ…」
お盆に生まれ故郷に戻った私は、友人の冠 凪 と一緒に宿題をしていた。
「暇じゃないよ、早く終わらせて海に行こう! 手を動かして!」
「でもさ~。暑くて脳みそが動かねえや! 先に海行かね?」
それは却下。だって冬休みに、寒いからスキーして体を温めてから宿題をするって言って、結局疲れたからその日は何もしないで過ぎたことがある。
「早く終わらせれば遊び放題! でしょう?」
「……あのハゲめ、宿題多すぎだろう! 解く身にもなれってんだ!」
「口を動かして文句言う暇あるなら、手も動かせるじゃん?」
何とか催促を繰り返し、凪に宿題をやらせた。
流石に一日で全てを終わらせるのは無理があるので、一日のノルマを決めている。それさえ達成できればその日はあと、遊び放題という取り決め。
「終わった!」
「答え合わせは?」
「……今からするよ、すればいいんだろう!」
凪は頭がいい方ではない。でもできないなりに頑張ってくれている。
「今度こそ終わったぞ! さあ海へレッツゴー!」
しかし、時間的には夕食。居間で食事を済ませると、
「おいおーい、もう暗いじゃないか!」
とても海水浴ができる状況ではない。日はとっくに沈んだし、海の家も閉まったし。だいいち夜の海は危ない。
「明日にしようか」
「それ言うとさ! 結局明日も勉強終わったころには日が暮れて! またこういうことになるんだ! どうするんだよ、ギンナン!」
確かに凪の言う通りかもしれない。
「じゃあさ、明日の分も今夜やってしまおうよ! それなら…」
「いーやーだーね! ノルマ以上はやらないって決めてんだ!」
でも、何とか凪を説得し、涼しい夜の内に明日の分も半分ほどやることにした。
「勉強始める前に、散歩行こうぜ? ちょっと体をほぐしたいんだ」
まだ言い訳して机に着きたくないのか、と思ったけど、この日はラジオ体操以外で一日中家から出ていない。
「いいかもね。行こうか」
私は賛成し、懐中電灯を持って家を出た。
「肝試しにでも行くか?」
「ええ、多分面白くないよ……。だって脅かす役いないじゃん」
「そこはモノホンの幽霊が出てきて……わけないか」
故郷は田舎と言って差し支えないレベル。申し訳程度の街灯こそあるけれど、それ以外に光はほとんどなくて暗黒。観光スポットとして有名でもないから、故郷には活気もない。あるのは田んぼと畑ぐらいで、夜は不審者ですら避けて通るのだ。
「おいギンナン……! あのバス停に誰かいるぞ!」
「え? あ、本当だ…」
私たちが目にしたのは、非常に珍しいお客だ。
「すみません、バスはいつ頃来ますかね…?」
しかも若い女性。多分二十歳かそこら辺だと思う。バス停の時刻表は色あせているので、来ないことがわからないらしい。
「バスは朝と夕方だけですよ? いくら待っても来ませんけど…」
「そうですか……。困りました、民宿に今日中に着かないといけないんですが…」
「民宿ですか?」
私の祖父の家は、夏と冬だけ民宿として部屋を貸している。海が近いので海水浴客が毎年少しは来るのだ。後は冬場にサーフィン客も少々。
「だったら、私の爺さんの家がそうです! こっちですよ」
「案内してくれません?」
断る理由がなかったので、私と凪は彼女のことを案内した。
「助かりました。もしあのまま待ってたら、野宿確定でしたよ…」
ご飯を食べながら女性は自分のことを私の両親に話していた。私と凪はそれをテレビを見ながら聞いていた。
「聞いたか、ギンナン。霊能力者だってよあの女性。今時そんな胡散臭い商売する人って、珍しいな~」
「声が大きいよ、凪!」
その女性がこの田舎に来た理由は、こうだ。
誰かが彼女に指示を出したらしい。
「あの村に行けって言うんですよ? 断る権利はなし! 全く、行く身にもなって欲しいものです」
何でも、この地方にいると言われている幽霊を鎮めに来たという。そんな曰くは今まで聞いたことはないけど、
「林の中を行くと、道があって。道なりに進むとあるんですよ。その社が! んで、そこにいると言われているんですよ……」
呪われた何かが、そこに。
「呪いを解くためには、そこにあるという札を破いてですね……」
聞けば聞くほど胡散臭い話だ。
「馬鹿馬鹿しくて付き合ってらんないね、ねえギンナン?」
凪が小声で私に耳打ちしたので、私は頷いた。
しかし次の日のこと。
「え、行かない?」
凪が、海には行かないと言い出したのだ。何でって理由を聞いてみると、
「もっと面白そうなものを見つけたんだ」
それしか言わない。
結局海水浴は延期。その日は暗くなるまで家で暇を潰した。
「ギンナン、行くぞ?」
凪が私のことを引っ張った。夜ご飯を食べ終わった直後だ。
「いいけど、どこに?」
「昨日聞いただろう? 例の社さ! 興味が湧いてね…!」
彼女によれば、最初は嘘臭い話だと思っていたらしい。でも訪問者に一泡吹かせたくて、先回りしてその札を取ってしまおう、と思いついたらしい。
「それは駄目じゃないの? だいたい、林の中に社があるなんて聞いたことないよ?」
「大丈夫! とにかく行ってみようぜ!」
凪の勢いは強かった。私は断り切れず、行くことになった。
「林の中をまず、歩く…」
舗装されていない道をサンダルで進むのは大変だ。でも凪は止まらない。私も足を動かした。
「あ、あるじゃん!」
数分ほど進むと、本当に道があるのだ。
「こんな道が、こんなところに?」
不思議だ。何の用途があって道が作られたのか……全く見えてこない。
とりあえず道なりに進んだ。すると、
「おい、嘘だろぉ!」
ビックリした。何とその先には、建物があったからだ。ボロボロの一軒家とかではなく、コンクリートでできた三階建ての建物だ。
「林の中に?」
聞いたことがない。凪も初めて見るって顔だ。
「ねえ、社は?」
「知らねえよ。と、とにかく、入ってみようぜ?」
「え、入るの?」
今はもう使われていなさそうなそのビル。入り口のシャッターが崩れていて、侵入することが可能。
私と凪は、その廃れた建物に入った。
中は驚くほど綺麗だった。まるでついさっき掃除したばかりのようだ。
「ねえ凪……。やっぱり引き返そうよ」
私は怖くなってそう言った。
「だな…。よく考えると、こんな建物のことを俺らが知らないのはおかしいぜ…。帰っておじさんに聞いてみるか…」
凪も不気味さを感じていたらしい。
「あれ?」
振り向いて、凪が先に気がついた。
「どうしたの?」
「なあギンナン……。俺らシャッターくぐって入って、ドアとかなかったよなあ?」
「うん」
彼女の言う通り、扉の類はこの建物にはなかった。だから振り向けば林道が見えるはず。
「な、ないぞ……?」
「何が?」
私も後ろを向いた。
私たちの後ろは、壁だった。
「え? おかしくない? だって私たち、真っ直ぐ歩いてたじゃん…?」
でも、扉や廊下の類がどこにもないのだ。
「道でも間違えた?」
「間違えようがある? 少し歩いて来たのに!」
困惑していると、凪は、
「別の道を探そうぜ…。多分外に繋がる扉があるはずだ」
そう言い、建物の中を探索することになった。
けれども全然見つからない。
「おいおい、こんなに大きい建物だったか?」
明らかに横幅がおかしい。歩いていてそう思う。五十メートルぐらい廊下を進んでいる。
「そんなに奥行きがあるようには見えなかったけど……」
しかし進んでも進んでも、突き当りが見えてこないのである。
「戻ろう?」
「ああ…」
そして振り向くと、、また壁だ。
「こんなのおかしいだろう! さっきから歩いてるじゃないか! なのに、どうして壁が背後にあるんだ! 俺たちは進んでないのか?」
ついに凪がキレだした。
もとはと言えば、行ってみようと言い出した凪の責任なのだけど、私はここでそれを言ったら喧嘩になるだろうから抑えた。
横を見ると、階段があった。
「……登ってみようぜ」
後ろに道はない。だから上に進んでみる。
これもおかしなことに、登っても登っても上の階にたどり着かない。
「確か三階建てぐらいじゃなかった? こんなに、登ってるのに……」
私が足を止め、少し休憩しようと階段に腰を掛けた時だ。
「な、凪?」
思わず凪を呼んだ。
「どうしたギンナン!」
私の目の前には、一階の床がある。
「そんな馬鹿な? 結構登ってたぞ! 学校の四階建ての校舎よりも登った! なのに一階の床があるのはおかしい!」
私も凪も、ゾッとした。さっきから私たちは、動いてないのか。それともこの建物がおかしいのか。
「出口はどっちだよ、本当に……」
凪が愚痴をこぼすと、
「こっちだよ」
という声が聞こえた。
「誰かいるのか?」
その問いかけには何も反応がない。だが、
「出口は?」
と言うと、
「こっちだよ」
と、返ってくる。
「……ギンナン、行ってみるか」
正直、得体の知れない声に従うのは恐ろしいことだ。でも、今ここでうろちょろしても何も起こらない。だったらその声に賭けてみるのも手。
「出口はそっちなんだな?」
「こっちだよ」
声は一階の奥の方からする。だから私と凪は階段から降りて進もうとした。
その時、
「行っちゃだめよ!」
声と同時に、何者かに腕を掴まれた。
「ぎゃあああ!」
しかしそれはお化けではなく、民宿に泊まりに来たあの若い女性だった。どうやってここまで来たのかは知らないが、この窮地に駆け付けてくれたのだ。
「……危ないところだったわ。声、聞こえたんでしょう?」
「は、はい……。出口はこっち、だって…」
「本当にそうだった?」
彼女は私たちに問いかけた。
「いや、違う! 『こっちだよ』って言ってた。でも出口とは……」
「でしょうね。それがここの幽霊のやり口。そっちにあるのはあの世への入り口よ」
もはや何が何だか。混乱している私と凪を引っ張って女性は建物の中を進む。
「この建物はね、人の魂を食べるの。迷い込んだ人を閉じ込めて、殺す……出口はどこにもないわ」
「それじゃあ、どうやって出るんですか?」
「心配は無用よ。出方を知っているからね」
もう全て、この女性に任せることにした。
進んだ先にあったのは、社だ。変な話だけど、建物の中にそれがあった。
「札はこの中にある…」
彼女は社の戸を開き、中に手を突っ込んだ。その時、
「やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ」
と、金切り声が部屋中に響き渡った。耳に手を当ててても聞こえてくる嫌な声だ。悲鳴のようでもあった。
女性が社から札を取り出すと、声は止む。代わりに悪臭が漂い始めた。
「う、うぐうう!」
息が苦しくなっていくのを感じる。胸が痛み、足に力が入らない。
「大丈夫よ、これさえ破いてしまえばね!」
そう言って、彼女は一気に札を引き裂いた。
「あ、あれ?」
さっきまでの重い空気が一瞬で消え去った。胸の痛みも感じなければ、ちゃんと足に力が入る。
「え、ここ、どこ?」
そして何よりも一番驚いたのは、私たちが立っている場所だ。建物の中じゃなかった。林の中にいるのだ。そして周りを見てみると、あの林道もない。
「これが、ここの幽霊の仕業よ。あなたたちは多分、昨日の私の話が聞こえたんじゃない? 私は小声で話していたけどね。でもそれも、この幽霊の作戦。一人でも多くの人を招くために、話を聞きとりやすくしたのよ」
社は残っていた。女性は、
「代わりに、こっちの札を入れましょうか。除霊の札よ」
それを突っ込むと、突如社はボロボロになって崩れ落ちた。
「何が起きてるんですか?」
凪が聞くと、
「まずは帰りましょう。その後全部話すわ」
私たち三人は帰路についた。
「建物の幽霊、ですか?」
女性によれば、人の幽霊が存在するように、建物にも霊が存在するらしい。そしてそれはこの世を彷徨い、ちょうどいい場所に根付き、人の温もりを求めるのだそう。でも悪い存在に変わりはなく、命を奪うことが目的。
「入ってさ、気づいてんじゃない? 出口がないって。戻る道もないって」
コクンと頷くと、
「それがあの幽霊がいかに厄介な存在であるか……。一度足を踏み入れたら、二度と出て来れない。声に従うしかなくなって、そんであの世に連れていかれるだけよ」
もしもあの時、あの声の方に向かっていたら……。その先を考えると、恐ろしい。
「でもあなたはどうして大丈夫だったんですか?」
私が女性に聞いた。
「大丈夫よ。だってあのぐらいの霊に抵抗できなきゃ、霊能力者なんて恥ずかしくて名乗れないわ」
ただ、あの状況は本当にヤバかったらしい。あと一歩遅かったら、私も凪も手遅れであったと言う。
「今行っても林が広がってるだけですよ。あの建物と社は、あの時だけありました」
銀杏はそう言う。
「……俺個人としては、その霊能力者がすごく気になるんだが…」
しかし銀杏は、彼女の詳細については聞いていないらしい。
「でも当時は驚きましたね……。狐に化かされたとか、そういうレベルじゃないですから。建物の幽霊なんてフレーズ、生きている内に一回聞くかどうかって感じですよ」
まあ、そうだろうな。俺も今、初めて聞いたんだから。
昔の人は、物にも魂が宿り、そしてそれにも神様がいると信じていた。だが、今はそんな風潮をあざ笑うかのごとき大量消費社会だ。建物の幽霊はそんな日本人が失った道徳観に一石を投じる存在なのか。それともただ命を狙う害悪か。
(エスカレーター式だから大学受験なんてしてない、ってのは口が裂けてもここに通う学生には言えないな…)
そう考えながらエレベーターまで進んで、指定のフロアに行く。窓側の、自販機の横って言っていたな。
「お、いたいた」
俺が向こうに気づくと、向こうも手を振って答えてくれた。
「初めまして、
「受験生か…。頑張れよ」
ろくなアドバイスが送れないことには目を瞑ってくれ。
「で! 話ってのは本当なのか?」
「はい」
自信満々に銀杏は頷いた。
何でも、ゴーストタウンに行った話をしてくれるのだという。
「でもみんなが想像する、廃墟の街って感じじゃなくて」
「はあ……。はあ?」
じゃなければ何だよ?
「町自体が幽霊、とでも言いましょうか? そんな感じの場所なのですよ」
それはそれで興味があるな。
「なら新鮮味がありそうだね」
俺がノートパソコンを広げるのを見届けると、銀杏は語り出した。
去年の夏の話。
「なあギンナン、暇だ…」
お盆に生まれ故郷に戻った私は、友人の
「暇じゃないよ、早く終わらせて海に行こう! 手を動かして!」
「でもさ~。暑くて脳みそが動かねえや! 先に海行かね?」
それは却下。だって冬休みに、寒いからスキーして体を温めてから宿題をするって言って、結局疲れたからその日は何もしないで過ぎたことがある。
「早く終わらせれば遊び放題! でしょう?」
「……あのハゲめ、宿題多すぎだろう! 解く身にもなれってんだ!」
「口を動かして文句言う暇あるなら、手も動かせるじゃん?」
何とか催促を繰り返し、凪に宿題をやらせた。
流石に一日で全てを終わらせるのは無理があるので、一日のノルマを決めている。それさえ達成できればその日はあと、遊び放題という取り決め。
「終わった!」
「答え合わせは?」
「……今からするよ、すればいいんだろう!」
凪は頭がいい方ではない。でもできないなりに頑張ってくれている。
「今度こそ終わったぞ! さあ海へレッツゴー!」
しかし、時間的には夕食。居間で食事を済ませると、
「おいおーい、もう暗いじゃないか!」
とても海水浴ができる状況ではない。日はとっくに沈んだし、海の家も閉まったし。だいいち夜の海は危ない。
「明日にしようか」
「それ言うとさ! 結局明日も勉強終わったころには日が暮れて! またこういうことになるんだ! どうするんだよ、ギンナン!」
確かに凪の言う通りかもしれない。
「じゃあさ、明日の分も今夜やってしまおうよ! それなら…」
「いーやーだーね! ノルマ以上はやらないって決めてんだ!」
でも、何とか凪を説得し、涼しい夜の内に明日の分も半分ほどやることにした。
「勉強始める前に、散歩行こうぜ? ちょっと体をほぐしたいんだ」
まだ言い訳して机に着きたくないのか、と思ったけど、この日はラジオ体操以外で一日中家から出ていない。
「いいかもね。行こうか」
私は賛成し、懐中電灯を持って家を出た。
「肝試しにでも行くか?」
「ええ、多分面白くないよ……。だって脅かす役いないじゃん」
「そこはモノホンの幽霊が出てきて……わけないか」
故郷は田舎と言って差し支えないレベル。申し訳程度の街灯こそあるけれど、それ以外に光はほとんどなくて暗黒。観光スポットとして有名でもないから、故郷には活気もない。あるのは田んぼと畑ぐらいで、夜は不審者ですら避けて通るのだ。
「おいギンナン……! あのバス停に誰かいるぞ!」
「え? あ、本当だ…」
私たちが目にしたのは、非常に珍しいお客だ。
「すみません、バスはいつ頃来ますかね…?」
しかも若い女性。多分二十歳かそこら辺だと思う。バス停の時刻表は色あせているので、来ないことがわからないらしい。
「バスは朝と夕方だけですよ? いくら待っても来ませんけど…」
「そうですか……。困りました、民宿に今日中に着かないといけないんですが…」
「民宿ですか?」
私の祖父の家は、夏と冬だけ民宿として部屋を貸している。海が近いので海水浴客が毎年少しは来るのだ。後は冬場にサーフィン客も少々。
「だったら、私の爺さんの家がそうです! こっちですよ」
「案内してくれません?」
断る理由がなかったので、私と凪は彼女のことを案内した。
「助かりました。もしあのまま待ってたら、野宿確定でしたよ…」
ご飯を食べながら女性は自分のことを私の両親に話していた。私と凪はそれをテレビを見ながら聞いていた。
「聞いたか、ギンナン。霊能力者だってよあの女性。今時そんな胡散臭い商売する人って、珍しいな~」
「声が大きいよ、凪!」
その女性がこの田舎に来た理由は、こうだ。
誰かが彼女に指示を出したらしい。
「あの村に行けって言うんですよ? 断る権利はなし! 全く、行く身にもなって欲しいものです」
何でも、この地方にいると言われている幽霊を鎮めに来たという。そんな曰くは今まで聞いたことはないけど、
「林の中を行くと、道があって。道なりに進むとあるんですよ。その社が! んで、そこにいると言われているんですよ……」
呪われた何かが、そこに。
「呪いを解くためには、そこにあるという札を破いてですね……」
聞けば聞くほど胡散臭い話だ。
「馬鹿馬鹿しくて付き合ってらんないね、ねえギンナン?」
凪が小声で私に耳打ちしたので、私は頷いた。
しかし次の日のこと。
「え、行かない?」
凪が、海には行かないと言い出したのだ。何でって理由を聞いてみると、
「もっと面白そうなものを見つけたんだ」
それしか言わない。
結局海水浴は延期。その日は暗くなるまで家で暇を潰した。
「ギンナン、行くぞ?」
凪が私のことを引っ張った。夜ご飯を食べ終わった直後だ。
「いいけど、どこに?」
「昨日聞いただろう? 例の社さ! 興味が湧いてね…!」
彼女によれば、最初は嘘臭い話だと思っていたらしい。でも訪問者に一泡吹かせたくて、先回りしてその札を取ってしまおう、と思いついたらしい。
「それは駄目じゃないの? だいたい、林の中に社があるなんて聞いたことないよ?」
「大丈夫! とにかく行ってみようぜ!」
凪の勢いは強かった。私は断り切れず、行くことになった。
「林の中をまず、歩く…」
舗装されていない道をサンダルで進むのは大変だ。でも凪は止まらない。私も足を動かした。
「あ、あるじゃん!」
数分ほど進むと、本当に道があるのだ。
「こんな道が、こんなところに?」
不思議だ。何の用途があって道が作られたのか……全く見えてこない。
とりあえず道なりに進んだ。すると、
「おい、嘘だろぉ!」
ビックリした。何とその先には、建物があったからだ。ボロボロの一軒家とかではなく、コンクリートでできた三階建ての建物だ。
「林の中に?」
聞いたことがない。凪も初めて見るって顔だ。
「ねえ、社は?」
「知らねえよ。と、とにかく、入ってみようぜ?」
「え、入るの?」
今はもう使われていなさそうなそのビル。入り口のシャッターが崩れていて、侵入することが可能。
私と凪は、その廃れた建物に入った。
中は驚くほど綺麗だった。まるでついさっき掃除したばかりのようだ。
「ねえ凪……。やっぱり引き返そうよ」
私は怖くなってそう言った。
「だな…。よく考えると、こんな建物のことを俺らが知らないのはおかしいぜ…。帰っておじさんに聞いてみるか…」
凪も不気味さを感じていたらしい。
「あれ?」
振り向いて、凪が先に気がついた。
「どうしたの?」
「なあギンナン……。俺らシャッターくぐって入って、ドアとかなかったよなあ?」
「うん」
彼女の言う通り、扉の類はこの建物にはなかった。だから振り向けば林道が見えるはず。
「な、ないぞ……?」
「何が?」
私も後ろを向いた。
私たちの後ろは、壁だった。
「え? おかしくない? だって私たち、真っ直ぐ歩いてたじゃん…?」
でも、扉や廊下の類がどこにもないのだ。
「道でも間違えた?」
「間違えようがある? 少し歩いて来たのに!」
困惑していると、凪は、
「別の道を探そうぜ…。多分外に繋がる扉があるはずだ」
そう言い、建物の中を探索することになった。
けれども全然見つからない。
「おいおい、こんなに大きい建物だったか?」
明らかに横幅がおかしい。歩いていてそう思う。五十メートルぐらい廊下を進んでいる。
「そんなに奥行きがあるようには見えなかったけど……」
しかし進んでも進んでも、突き当りが見えてこないのである。
「戻ろう?」
「ああ…」
そして振り向くと、、また壁だ。
「こんなのおかしいだろう! さっきから歩いてるじゃないか! なのに、どうして壁が背後にあるんだ! 俺たちは進んでないのか?」
ついに凪がキレだした。
もとはと言えば、行ってみようと言い出した凪の責任なのだけど、私はここでそれを言ったら喧嘩になるだろうから抑えた。
横を見ると、階段があった。
「……登ってみようぜ」
後ろに道はない。だから上に進んでみる。
これもおかしなことに、登っても登っても上の階にたどり着かない。
「確か三階建てぐらいじゃなかった? こんなに、登ってるのに……」
私が足を止め、少し休憩しようと階段に腰を掛けた時だ。
「な、凪?」
思わず凪を呼んだ。
「どうしたギンナン!」
私の目の前には、一階の床がある。
「そんな馬鹿な? 結構登ってたぞ! 学校の四階建ての校舎よりも登った! なのに一階の床があるのはおかしい!」
私も凪も、ゾッとした。さっきから私たちは、動いてないのか。それともこの建物がおかしいのか。
「出口はどっちだよ、本当に……」
凪が愚痴をこぼすと、
「こっちだよ」
という声が聞こえた。
「誰かいるのか?」
その問いかけには何も反応がない。だが、
「出口は?」
と言うと、
「こっちだよ」
と、返ってくる。
「……ギンナン、行ってみるか」
正直、得体の知れない声に従うのは恐ろしいことだ。でも、今ここでうろちょろしても何も起こらない。だったらその声に賭けてみるのも手。
「出口はそっちなんだな?」
「こっちだよ」
声は一階の奥の方からする。だから私と凪は階段から降りて進もうとした。
その時、
「行っちゃだめよ!」
声と同時に、何者かに腕を掴まれた。
「ぎゃあああ!」
しかしそれはお化けではなく、民宿に泊まりに来たあの若い女性だった。どうやってここまで来たのかは知らないが、この窮地に駆け付けてくれたのだ。
「……危ないところだったわ。声、聞こえたんでしょう?」
「は、はい……。出口はこっち、だって…」
「本当にそうだった?」
彼女は私たちに問いかけた。
「いや、違う! 『こっちだよ』って言ってた。でも出口とは……」
「でしょうね。それがここの幽霊のやり口。そっちにあるのはあの世への入り口よ」
もはや何が何だか。混乱している私と凪を引っ張って女性は建物の中を進む。
「この建物はね、人の魂を食べるの。迷い込んだ人を閉じ込めて、殺す……出口はどこにもないわ」
「それじゃあ、どうやって出るんですか?」
「心配は無用よ。出方を知っているからね」
もう全て、この女性に任せることにした。
進んだ先にあったのは、社だ。変な話だけど、建物の中にそれがあった。
「札はこの中にある…」
彼女は社の戸を開き、中に手を突っ込んだ。その時、
「やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ」
と、金切り声が部屋中に響き渡った。耳に手を当ててても聞こえてくる嫌な声だ。悲鳴のようでもあった。
女性が社から札を取り出すと、声は止む。代わりに悪臭が漂い始めた。
「う、うぐうう!」
息が苦しくなっていくのを感じる。胸が痛み、足に力が入らない。
「大丈夫よ、これさえ破いてしまえばね!」
そう言って、彼女は一気に札を引き裂いた。
「あ、あれ?」
さっきまでの重い空気が一瞬で消え去った。胸の痛みも感じなければ、ちゃんと足に力が入る。
「え、ここ、どこ?」
そして何よりも一番驚いたのは、私たちが立っている場所だ。建物の中じゃなかった。林の中にいるのだ。そして周りを見てみると、あの林道もない。
「これが、ここの幽霊の仕業よ。あなたたちは多分、昨日の私の話が聞こえたんじゃない? 私は小声で話していたけどね。でもそれも、この幽霊の作戦。一人でも多くの人を招くために、話を聞きとりやすくしたのよ」
社は残っていた。女性は、
「代わりに、こっちの札を入れましょうか。除霊の札よ」
それを突っ込むと、突如社はボロボロになって崩れ落ちた。
「何が起きてるんですか?」
凪が聞くと、
「まずは帰りましょう。その後全部話すわ」
私たち三人は帰路についた。
「建物の幽霊、ですか?」
女性によれば、人の幽霊が存在するように、建物にも霊が存在するらしい。そしてそれはこの世を彷徨い、ちょうどいい場所に根付き、人の温もりを求めるのだそう。でも悪い存在に変わりはなく、命を奪うことが目的。
「入ってさ、気づいてんじゃない? 出口がないって。戻る道もないって」
コクンと頷くと、
「それがあの幽霊がいかに厄介な存在であるか……。一度足を踏み入れたら、二度と出て来れない。声に従うしかなくなって、そんであの世に連れていかれるだけよ」
もしもあの時、あの声の方に向かっていたら……。その先を考えると、恐ろしい。
「でもあなたはどうして大丈夫だったんですか?」
私が女性に聞いた。
「大丈夫よ。だってあのぐらいの霊に抵抗できなきゃ、霊能力者なんて恥ずかしくて名乗れないわ」
ただ、あの状況は本当にヤバかったらしい。あと一歩遅かったら、私も凪も手遅れであったと言う。
「今行っても林が広がってるだけですよ。あの建物と社は、あの時だけありました」
銀杏はそう言う。
「……俺個人としては、その霊能力者がすごく気になるんだが…」
しかし銀杏は、彼女の詳細については聞いていないらしい。
「でも当時は驚きましたね……。狐に化かされたとか、そういうレベルじゃないですから。建物の幽霊なんてフレーズ、生きている内に一回聞くかどうかって感じですよ」
まあ、そうだろうな。俺も今、初めて聞いたんだから。
昔の人は、物にも魂が宿り、そしてそれにも神様がいると信じていた。だが、今はそんな風潮をあざ笑うかのごとき大量消費社会だ。建物の幽霊はそんな日本人が失った道徳観に一石を投じる存在なのか。それともただ命を狙う害悪か。