その六十 輪廻転生の記憶

文字数 7,302文字

 今日会う予定の人物だが、先に断りを入れておく。
 彼は数年前まで、塀の向こうで過ごしていた。理由は簡単で、人を殺したからだ。それも事故で不本意に殺してしまったとか、何かの手違いを起こした結果死なせたというわけではない。
 彼は、立派な殺意をもって人を殺した立派な犯罪者だったのだ。刑期は十五年。刑務所の中では模範的で大人しく、トラブルを起こしたことはないそうだ。
「でもちょっと抵抗がある……。これは、偏見だろうか?」
「仕方ないよ。私だって実を言うと怖いもん」
 祈裡もそう言う。
「その感じの怖さは求めてないけどさ、本人は怪談話的なものを知ってるって言うんだ。失礼な態度だけは取るなよ?」
「わかってるもん!」
 では、待ち合わせのカフェに移動しよう。

 どうやら件の彼、舛添(ますぞえ)里次郎(さとじろう)は土木工事現場で働いているらしく、その近くの店で待っていた。今日の昼休みを俺に割いてくれるそうだ。
「君が、天ヶ崎氷威か。もっと茶髪でいかにも若者! って感じかと思っていたよ」
「まあそういう人も大学時代にはいましたね。何しにキャンパスに来ているんだか……」
「へえ、大学を卒業していたのかい? 羨ましいなぁ」
 最低限メールで経歴を聞いている。里治郎は大学三年生の時に、同級生を殺害する事件を起こした。だから退学となり、最終学歴は高校卒業。
 彼はメニュー表を俺と祈裡に見せてくれた。
「何か、頼みなよ。私が奢ってあげよう」
「そんな……。自分の分は自分で払います!」
 祈裡がそう言ったのは、罪を犯した人から施しを受けたくないからではない。相手の生活を思ってのことだ。日本社会は前科に厳しいので、里治郎の生活費も切羽詰まっているのだろう、という配慮。だが、
「大丈夫さ。心配はいらないよ」
 と言う。その言葉に乗っかって、俺も祈裡もフレンチトーストとジュースを頼む。
「早速ですが、本題に入りましょう。えーと、里治郎さん? 俺が今から言うことに間違いはないですよね?」
 再三確認する。
「あなたは二十歳の時、同級生である加美山英詩という人物を殺害。二人は特別仲が良かったわけでも悪かったわけでもない」
「そうだね。同時期に入学しただけの、顔見知りだった」
「では、何故殺害したんです? 裁判でも動機は喋ってませんよね?」
 俺はパソコンを立ち上げネット検索した。当時の新聞の記事がネット上にアップされているのでそれを表示。そこには、二人はもめたことはなかった、と書かれている。
「本当は、どうしてなんです?」
「それはね、相手に殺されると思ったからだ。先手を打って殺したんだ」
 裁判でも同じことを言ったらしい。だが状況からして、英詩が里治郎を殺める可能性はゼロだった。里治郎に英詩を殺す理由がないように、英詩にも里治郎を殺す理由がないのだ。だから検察官は彼の述べた動機は、緊急避難を悪用するための嘘と断言。
 そのことは俺もわかっているが、そんなことを確認したかったから聞いたのではない。
「何故、英詩があなたを殺すであろう未来が来ることを知っていたんですか?」
 聞き方を変えた。というのもメールでやり取りした際、
「信じてもらえないかもしれないが、私はアイツが将来的に自分を殺しに来ることを知っていた」
 と、言ったから。その理由は会ってから教えると言われたので、今聞いたんだ。
「君は、生まれ変わりを信じるかい?」
「はい?」
 唐突にそんなことを言い出す里治郎。
「魂というのは死んでもまた別の生き物になってやり直す。それが私に、英詩が自分を殺すことを教えてくれたんだ……」

 里治郎には、自分のものではない記憶があるらしい。それはつまり、他人の記憶だ。
 遡れるところまで遡ると、相当昔。ちゃんとした衣服も着ていない原始的な時代だ。その時代の彼の記憶は結構曖昧で、山に登って狩りをしていたり農作物を育てたりしていたらしい。
 ある時、隣の村と戦争があった。どうやらその年は作物の出来が悪く、食べ物を求めて攻め込んできたのだという。
 記憶の中の自分は男だったので、武器を持ってそれに立ち向かう。まず一人、殺した。さらにもう一人、頭を石器で叩き割った。
 だがその際に隙があったのか、後ろからブスリと刺される。急激に体から力が抜け、生暖かい血が背中を流れるのがわかった。
 倒れこむときに、振り向けた。自分を刺した相手の左頬には、十字の傷があったらしい。
 最初の記憶はそこで途絶えている。つまりは自分は、死んだのだ。

 次の記憶は、多分飛鳥時代ごろのものだろう。教科書に出て来そうな貴族のような衣装を身にまとっている。この時の彼は、蹴鞠や短歌、漢詩が得意だった。
 自分の友人に、弓矢が得意な人物がいた。その彼とはよく競い合ったり、好みの女性について話したり、時には一緒に酒を飲んだりした。
 しかし自分は、その彼のことが好きになれない。初対面の時から、何故か恐怖心を抱いていた。それは、彼の頬にあるという傷が関係しているのかもしれない。幼いころ、間違えて刃物で切ってしまってできたらしい、十字の傷だ。
 彼と顔を合わせるたびに、目がその傷に行ってしまう。そして得体の知れない恐怖が身を包み込む。
 事件はその直後に起きた。その日自分は、彼に弓矢を教えてもらうことになっていた。だが、彼が間違えて自分に向けて射ってしまったのである。心臓を貫通した矢は、自分の命を簡単に奪ってしまった。

 時代は飛ぶ。兜に身を包んでいた時代。己が仕える人のために、戦場で戦うのだ。
 馬に乗って、槍を振る。それで相手を倒していく。そこまではいい。だが、そのまたがっている馬が突然止まった。どうやら飛んできた矢が首に当たったらしい。急に立ち止まったのだから、乗っていた自分は慣性のせいで落馬。でもまだ立ち上がる。
 命尽きるまで戦うのが男の役目だ。敵陣まで行ってから死ぬ。そう決めていた。
 だが、目の前に現れた人物がそれを阻んだ。
「邪魔だ退け!」
 槍を振って頭を叩く。その衝撃で、相手の顔あてが落ちた。
「ここで負けるわけにはいかない!」
 その相手の顔には、十字の傷があった。
 しかしそんなことはどうでもいい。ここは戦場なのだ。自分は槍を構えて突進する。
「ふんっ!」
 だがそれは避けられる。代わりに相手の刀が、自分の首目掛けて振られた。
「げっ!」
 一撃で首を取られてしまった。

「………という感じなんだ。私の記憶はね」
 里治郎の話、理解できないものではない。寧ろわかりやすい説明だった。
「つまり……。あなたはこう言いたいわけですね?」
 一息おいてから、
「毎回、頬に十字の傷がある人物に殺されて人生が終わる、と」
 そうだと言わんばかりに彼は頷いた。
「もしも神様が本当にいて、一人一人の運命を構築しているというのなら、私の魂は毎回、その傷を持つ人物に殺されるようになっているに違いないよ」
 確かにここまで来ると、偶然や妄想とは言えなさそうである。俺は事件の被害者である英詩の顔写真を見た。
「ありますね……。斜めになっているから☓印でしょうか?」
 頬に傷があった。
「でも、本当に?」
 ここで疑問を投げかける祈裡。
「何がだい?」
「もし仮に何度も生まれ変わっているとして、ですよ? あなたの魂に前世があったとして、どうして記憶があるんです?」
 祈裡の主張はもっともらしいものだった。
 どうやら前にオカルト系の番組を見たようだ。
「その番組では、前世の記憶は催眠状態でないと口から出てこなかったらしいです。でもあなたの話では、まるで記憶を引き継いでいて当然! みたいになってますよね?」
 その他にも事例を出す祈裡。ドロシー・イーディーの話が有名だ。彼女は二十世紀のイギリス人だったのだが、ある時階段から転ぶ。その拍子で前世がエジプト人であったことを思い出し、現地に行ってそれを確信したという話。彼女の場合は、他の考古学者が知らないことを言い、実際に遺跡の場所を言い当てたとか?
「でもドロシーの場合は、転んで意識不明になったという状況があったんですよ。でもあなたは? 何か過去に、頭をぶつけるようなことはありました?」
「ない、かな」
 里治郎は言った。
 言われてみれば先ほど彼が語った前世の記憶、殺される時のことばかりだ。前世で催眠術を受けたり頭をぶつけたり、夢で見たりということがない。
「でも、それを説明するために一つ、私は考え出した」
 里治郎は、説明として不十分かもしれないと前置きしてから、
「来世でまた殺されないようにするために、魂が教えてくれているんだ」
 と。
「ああ、なるほど。自分は顔に傷を持つ人に殺される運命で、それからは逃れられない。だからその危険人物に出会わないよう、もしくは出会っても対処ができるよう、来世に託す。ってことですか?」
「そうだ」

 では、彼はその運命の相手と出会った時、どう対処したのか? 答えは簡単で、殺したのだ。

 彼は大学に入学後、オリエンテーションで絶望を味わうことになる。
加美山(かみやま)英詩(えいし)です。早くみんなと仲良くなりたいです! よろしくお願いします!」
 自己紹介の時だ。英詩の頬には、十字の傷があった。
(あの傷を持つ人は………!)
 自分の中にある、前世の記憶がすぐに教えてくれた。彼は将来的に、自分を殺す、と。
(どうにかしなければ!)
 真っ先に里治郎が考えた対処法は、仲良くしないことだ。そうすれば関わる機会が必然的に減り、安心して大学を卒業できる。幸いにも学生番号も離れているから、講義で班を作る時に一緒になったりしないだろう。
 だがそれはすぐに打ち砕かれる。同じサークルに加入してしまったためだ。しかも新入生歓迎会で隣同士になってしまった。
「や、やあ…加美山君………」
 里治郎は全然楽しくなかった。反対に英詩の方は、
「同じ学科なんだし、仲良くしようぜ!」
 と肩に手を回す。
 結局、そのサークルに里治郎は正式には入らなかった。でも講義の時になると、結構近くに英詩は座る。学科の専門講義は仕方ないのだが、他学科も混ざる一般教養は何と、事前に示し合わせたわけでもないのに一緒のを履修登録してしまっていた。
(これは、逃れられない宿命なのか……!)
 頭を抱える里治郎。記憶を何とか洗い出し紙にその状況を列挙したが、そのXデーがいつなのかだけはわからない。
 わかっているのは、英詩はいつの日か自分を殺すことだけ。それも他人を使って手回ししたり自殺に追い込んだりなどはしない。必ず、直接手を下す日が来る。
「考えろ、俺! どうして記憶を持っているのか、その意味を! アイツに殺されない方法が、あるはずなんだ!」
 しかしすぐには思いつかない。できたことと言えば、とにかくキャンパス内で関わらないようするだけ。もちろん無視することはできないので、挨拶は交わすがその程度。
「このまま安全に卒業しよう。そしたら地元に戻ろう。英詩は俺とは真反対の地方出身だから、偶然出くわすことはないはずだ……」

 だが運命は、里治郎を弄んだ。
 彼がいた学科では、三年生の秋学期から研究室に配属される。その組み合わせ表は夏休みに入る前に掲示板に張り出された。
「嘘……だろ?」
 英詩と同じ研究室になってしまったのだ。交流を極力断っていたのが裏目に出て、お互いの希望する研究室を里治郎は知らなかったのだ。
「どうすれば、いいんだ………」
 夏休みが終われば研究室生活だ。嫌でも毎日顔を合わせることになる。その度に、震えが止まらなくなる。残りの一年半の大学生活、そうやってブルブル過ごすのか? 
 当初里治郎は、冷たい態度を取ろうとしていた。そうすれば相手から絡まれることもないだろう。しかし、
「里治郎君、もうちょっと他のメンバーと仲良くやっていこうよ? 一緒に研究する仲間なんだからさ」
 先輩や教授にそう言われるのが簡単に想像できた。それに険悪なムードを作ると、英詩が怒って行動に移すのが早くなるかもしれない。
 仕方なく仲良くすることにしたのだが、どうしても恐怖心を隠せない。それは態度に表れた。ある日、先輩に呼び出されたのだ。
「里治郎君、何で君はいつも、英詩君を避けるんだい?」
「え、そう見えますか?」
「というより、英詩君のご機嫌ばかりうかがっている感じかな? 相手を怒らせたくないというか、そんな風。仲が良いと言うより、逆鱗に触れたくないようにも俺には映るんだ」
 先輩は里治郎に聞いた。前に二人の間でトラブルがあったのか、と。里治郎は前世の記憶のことを話しても信じてもらえないだろうから、ない、と答えた。
「じゃあ、仲良く行こうぜ!」
「僕はしてるつもりですが………」
「全っ然! 俺がいい計画を考えてやるよ!」
 その計画。それは里治郎からすれば悪魔じみていた。
 英詩は料理が得意らしい。だから里治郎の下宿先に行って、手料理を振る舞ってもらう。そのお礼として里治郎は酒を彼のグラスに注ぐ。
「飯と酒! この化学反応はすさまじいぜ! 決まりだな、英詩君にも連絡しておくよ」
 笑顔を取り繕って里治郎はこの場を後にした。
 英詩が料理を作るということは、台所に立つということだ。
「ふざけるな……」
 前世の記憶は、自分を殺す相手の特徴だけでなくあることも教えてくれている。
 それは、十字の傷を持つ人が直接自分を殺すということ。そして凶器が必ずあるということ。さらに仲が良くても偶然殺されることもあること。つまり英詩が里治郎を殺す時は、二人の間のムードは関係ない。ただ英詩が何かを使って、自分を殺める。
 その状況が簡単に想像できた。多分、英詩との食事は盛り上がる。酔った状態で追加料理を作るとか言い出す。それを自分が止めようとしたところで……。
「どうすればいいんだ、神様……」
 相手に殺されない方法が、わからない。

 そしいぇ運命の日が来てしまう。
「お邪魔します」
 英詩は食材だけを持って里治郎の家を訪れた。そしてそのまま、台所に立った。
「なあ、英詩……」
「ん? どした?」
 里治郎は、話すことにしたのだ。自分が前世の記憶を引き継いでいることを。
「冗談に聞こえるかもしれないけど、本当なんだ。明らかに今の時代じゃない記憶が、俺の中にはあるんだ!」
 ただし、傷を持つ者に殺されるところだけは喋らない。
「あはは。それが本当なら今度テレビ局行ってさ、取材受けようぜ?」
 相手は本気ではない。
(くそ! どうすれば……)
 だがここで、里治郎は閃く。
 自分に殺される記憶があるのなら、相手にも殺す記憶があるのではないか、と。
 だから彼は英詩に尋ねたのだ。そういう夢を見たりしないか、そういう記憶がないかどうか。
「何言ってんだよ? 俺が人殺し? 笑わせるなって!」
 答えは、ない。被害者の自分だけが、その負の記憶を引き継いでいるのだ。
「あれ、包丁どこだ? ないぞ?」
「ここだ……」
 それを背後から取り出し、英詩に向ける里治郎。
「お、おいおい! 危ないって!」
「うるさい! 今、わかった! お前には何もわからないことが!」
 完全に殺意に支配されていた里治郎は、英詩目掛けて包丁を振った。
「ふざけんじゃねえよ! 刺さったらどうするんだ!」
 しかし手首を掴まれ止められる。包丁を巡る取っ組み合いに発展した。
(ま、マズい…!)
 相手に殺意がなくても、自分は殺されるのだ。今、少しでも指の力を緩めれば、間違いなく自分に包丁が刺さる。殺される。
(させるか!)
 片手を放した。その一瞬、英詩が有利となった。多分意識していないのだろうが、包丁の刃が里治郎の頸動脈に迫る。しかし里治郎は台所のガスコンロの上に置いてあった鍋を取ると、それで英詩を殴った。
「ぐあ」
 今度は英詩が手を放す番だ。殴られた場所を手で押さえている。
(今しかない……)
 その後の人生がどうなってもいい。死ぬよりマシだ。
 覚悟を決めた里治郎は英詩の右わき腹に包丁を刺し、半回転捻ってから抜いた。
 赤く染まった英詩は、もう動かない。完全に死んだ。自分が殺したのだ。そして里治郎は自ら警察に通報し、駆け付けた警官に逮捕された。
 でも、生き残れた。運命に勝ったと思えたから、どうでもよかった。

「………ということがあってね」
 里治郎が事件後始めて口にする真相。それは悲しいものだった。命を奪わなければ、運命に抗えないのだ。
「そうだったんですか」
 人殺しは容認できない。でもやらなければ自分が殺される。それは前世が教えてくれるのだ。
「後悔はないよ。あの事件を起こしたから私の人生はめちゃくちゃになってしまったけどね、生きていることに感謝しているし、英詩には済まないことをしたとも思っている」
 その心境は複雑だった。
 昼休みはもう終わりそうだったので、帰ることにした。
「今日はありがとうございました」
「こちらこそ。こんな話でいいだなんて、心が広いんだね、君は」
 謝礼を手渡し、一緒にカフェを出る。でも向かう方向は反対だ。そこで解散した。
「前世、ねえ……」
 俺にもそんなものがあるのだとしたら、どうだったんだろうか? 孤児だったのか、それとも親はいたのか? そして俺の人生は、何回目なんだろうか。
「あっ!」
 急に声を出した祈裡。何やら前にいる人を指差そうとしている。
「おい、失礼だぞ……」
 しかし俺は、言葉を失った。
 左頬に十字の傷がある人物が、暗い顔をして歩いている。今、すれ違った。そのまま里治郎が行った方向を進んでいるのだ。
 もしかして、彼とその魂はまだ輪廻転生のしがらみから脱出できていないのか? 
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