その六十一 あの川を越えて

文字数 6,555文字

 臨死体験という単語がある。人は時として死にかける。その時にする体験だ。
 主にどんなことが起こるのか? それには個人差がある。しかし面白いのが、一定のパターンが存在するのだ。例えば、川辺にいて船に乗ろうとしたら断られた、とかだ。その川が三途の川で、渡り船に乗らなかったから生還できた……と聞くと、超心理的な現象に思えてくるな。一方でこれを科学的に証明できると意気込んで研究する人もいるとか。彼らによれば、脳に生理的なまたは化学的な変化が起きて幻覚を見るらしい。
 まあ、未だにどれが正しくてどれが間違っているかはわからないんだけど。俺としては魅力的な話だから、心霊現象であって欲しいかな? でも自分で体験するのは勘弁だ。仮に、とは言っても死にかけるなんて、それこそ死んでもごめんだ。
 今日話を聞かせてくれる人は、そんな臨死体験を幾度もしたらしい、筋金入りの玄人だ。
「辛いとか、ある?」
「いいや、全然。僕って死にやすいのかな?」
 いきなりそんな命を軽々しく言うのが、島津(しまづ)菊雄(きくお)
「そんなことないさ! だって、何度も戻って来れてるんだろう? ならいっそのこと、死神に嫌われてるんだ!」
 自信持っていいのかどうかよくわからないことだが、彼が何度も死の淵から生還しているのは事実だ。
「いやそうじゃなくて………」
 でもそれを、菊雄は否定する。彼によれば、
「頭の後ろをね、ちょっと力を入れて手でつまんで眠るんだ。そうすると、何故かあの夢を見る」
「その夢、とは?」
「三途の川だよ」
 彼のその話を、深く聞いてみよう。

 僕の記憶が確かなら、小学校低学年くらいの時の出来事だ。学校の廊下で悪ふざけをしていた時に、その事件は起きた。
「おりゃ、おりゃ!」
「何を、うぬううう!」
 休み時間に、遊んでいた。その遊びというのは結構幼稚で、流行りのテレビアニメの真似をして相手を叩くというもの。今思い返せば何が正しいのかわからないけど、当時はみんなやっていた。
 友人が、僕の体を押した。
「あっ」
 思ったよりも力が強く、僕の体は結構後ろにのけ反った。その時に階段を踏み外してしまったのだ。
「ああー……」
 角に頭をぶつけたらしく、それ以降の記憶はない。

「ん?」
 気が付くと僕は、河原に立っていた。でも見たことがない場所だ。近所の川辺ではないし、流れる水の色も血のように赤い。変だ。空も暗い青色をしている。
「ここ、どこ?」
 手探りで調べようとした時、誰かが、
「お前はこっちだ」
 と言って僕の腕を引っ張る。振り向いたら、ビックリした。その人は全身が真っ赤で、しかも額に角が生えているのだ。赤鬼と表現したらわかりやすいだろう。
「おじさん誰?」
「誰でもいい」
 口調は厳しそうで、僕の質問に全く答えてくれない。でも暴力を振るうことだけはしてこなくて、ただ、
「お前はこっちに行くと決まっているんだ」
 とだけ。
 案内されたのは、石が無数に落ちている川の手前の広場。キョロキョロしてみると、子供が大勢いた。僕よりも小さな子もいれば、明らかに大人に近い子もいる。
「石を積み上げろ」
 赤鬼は僕に指示を出した。
「何で?」
「何でもいい。ここではそういう決まりがある」
 らしく、みんな積み上げているのだそう。僕は学校に戻らないといけないことを話したら、
「そうか、それは大変だな。ならば、俺の腰の高さぐらいまで積み上げてみろ。そうしたら、戻っていいぞ」
 だいたい一メートルくらいの高さを手で示された。
「本当に?」
「ああ」
 やけに余裕を持って赤鬼は返事をした。僕は早く戻りたい一心で、石を積んだ。まだ幼かったので手先も器用じゃなく、かなり苦労したのを覚えている。
「やり直し!」
 急に赤鬼が、僕の積み石を蹴って崩した。
「何すんだよ!」
「うるさい。俺が、やり直し、って言ったら、初めからやり直せ!」
 かなり理不尽なことを言われて腹が立ったけど、周囲の子供たちも同じく何度も何度もやり直しをくらっていた。だから僕も変に納得してしまい、
「あの人が満足するくらい積み上げれば……!」
 と、謎に熱くなった。
 でも赤鬼は本当に容赦がない。河原を巡回しているようで、機嫌が悪いとすぐに戻って来る、酷い時には、二つ積み上げたのをリセットさせられた。
 このやってもやってもゴールが見えない行いは、確か割とすぐに終わる。傘をかぶった髑髏の人が来て赤鬼と話をしていると、急に僕の方を向いたのだ。
「手違いだったらしい。じゃあしょうがない」
 どういう意味か、僕にはわからなかった。その髑髏は僕の手を掴んで、
「さあ戻ろうか。みんなが待っているんだ」
 と言う。僕はどこに連れていかれるのかわからず泣き出した。
「男なら泣くな、喚くな! そして二度とここには来るな!」
 赤鬼がそう叫んだのが、そこでの最後の記憶だ。

「………」
 僕は病院で目を覚ました。
「あ、菊雄!」
 母が目の前にいた。よく見ると僕の体には何本もチューブが繋がれていて、医者と看護師が目の下にクマを作りながら看病していたらしい。そして全然記憶にないけど、数日が経っていた。
 退院は早かった。
 僕は、あの河原での光景を両親に教えた。実際には目覚めたので夢だったんだ、となるのだが、父が、
「そういう話、聞いたことがあるな……。賽の河原って言うんだけど」
 と言った。僕は学校に登校すると図書室でそれについて調べてみた。
「あった!」
 そこでは、子供たちが石を積み上げる。でもそれをあざ笑うかのように、鬼がやってきて崩してしまうらしい。またそこに連れてこられる子供はみんな、親不孝者。親より早く死んだら、賽の河原に案内されて罰を受けるのだそうだ。
「ということは、あの河原はあの世?」
 興味深いのは、その場所だ。三途の川の手前だそう。その川はこの世とあの世を隔てているので、必然的にそうなるのだ。
 僕は、死にかけた。
 そう直感すると、夏なのに冷や汗が止まらなくなる。

 賽の河原で、石を積み上げる経験をした。それは全くステータスにはならないけど、僕にある疑問を残した。というのも僕は、その話を臨死体験の後に知ったのだ。
「頭にはない状態だったはず。なのにどうして、あの河原の夢を僕は見たんだ?」
 仮に、先に知っていたのなら脳が想像した産物だったと言える。でも逆で、見た後に知ったのだ。これが不思議でたまらない。
「そもそも僕は、死んだのか? それから蘇ったのかな? それとも仮死状態だったのか?」
 中学生になった時には、口では馬鹿馬鹿しいおとぎ話と言っていたけど、実際に体験した事実は変わらない。
 そんなことを考えながら頭の後ろ……あの事故でぶつけた場所を触った。もう傷口は塞がっているけど、手術痕はある。
「うぅ!」
 急に眠くなってしまった。

 目が覚めた時、僕はあの河原にいた。
「ここは…!」
 あの世とこの世の境界線、その手前。
「お前は、あの時の!」
 見覚えのある赤鬼が、僕のことを見て言った。
「二度と来るなと言っただろう? どうして来たんだ?」
「知らないよ。僕は死ぬようなことをした覚えがない」
「嘘言え。ここは死んだ者しか来れない場所だ」
「僕、まだ死んでないよ?」
「うるさい! じゃああっちの髑髏に聞いてみろ!」
 その髑髏も見覚えがある。傘をかぶった人だ。
「あの。僕、死んだんですか?」
「そういうことにしたいか?」
 髑髏は渡し船を運転するらしく、乗ってみろと船の方を指差した。それが何を意味するのか僕は知っていたので、
「遠慮します」
 と断った。
「そういうことだ。お前はまだ死んでない」
「じゃあ、どうすればいいんですか?」
「知らんがな。私はこれから忙しいんだ、お前に構っていられん」
 冷たく突き放された。
 何もすることがなかったので、僕はボーっと川を見ていた。橋を渡れる人、船に乗って向こう岸に行く人、川に突き落とされる人の、三パターンがあった。面白いことに一度に案内された人の中でも、これはキッチリ分けられるのだ。そして子供は例外なく赤鬼とその仲間の鬼が引き取り、石積みをさせる。

「んん!」
 僕は起きた。どうやら勉強中に眠ってしまっていたようだ。
「あの夢……。死後の世界はあるんだな」
 何故僕がそれを確信したか? それはテレビをつけた時に、事故のニュースが流れたからだ。豪華客船が、沈んだらしい。みんなあの川を渡るのだろう。いいや、善人だけが橋の上を渡れて、普通の人は渡し船に乗る。もしも悪人なら、川に落とされる。自力で向こう岸に渡れればいいが、それができない場合は沈んで地獄に。そして子供は賽の河原で、永遠に石積みを。

 高校生になった時、これまた大きな災害があった。
「あの川はどうなんだろう?」
 もう僕は、自分が臨死体験をするスイッチを知っていた。あの事故でぶつけた後頭部だ。どういうわけかそこを力を入れて押さえると、あの河原に行ける。

「おお……」
 多くの人が順番待ちをしていた。もちろんあの髑髏も張り切っていて、何度も川を往復する。鬼も泣く子供を無理矢理引っ張って、賽の河原に連れてくる。
「おい髑髏のヤツ!」
 僕は渡し船の髑髏に声をかけた。
「お前もついに死んだか? 乗るといい」
「違うよ。この人たちを、僕と同じように現世に戻してくれないか」
「無茶言うな。それは俺が決めることじゃない」
 断られた。曰く、
「俺は命じられて、コイツらを向こう岸に運んでるだけだ。あの鬼もそうだ。自分の意思じゃない。懸衣翁も奪衣婆もだ。ここでは自分の意思が反映されることなどないのだ」
「じゃあ、誰に従ってるのさ?」
 すると髑髏は川を指差した。
「川が?」
「よく見ろ。この川の下だ」
「下って、地獄だったっけ?」
「そうだ。その地獄の中にいる……」
 やけに偉そうな人物がいた。
「あの人が、閻魔大王?」
「詳しいな、お前」
 この髑髏もあの赤鬼も、全員が彼の指示で動いているのだそう。
「大王が決めたことには逆らえん。私は船を動かし、鬼は子供に罰を課す! それだけがここで、延々と繰り返されている……」
 ここで髑髏、手が止まっていたことを自覚し、
「帰れさっさと! 死んでないヤツには、用はない! 邪魔なんだよ、お前!」
 怒鳴った。その怒鳴り声が聞こえた直後に僕は目が覚めた。

 あの時の怒りのこもった声を二度と聞きたくなかったから、僕は臨死体験を封印した。二度とあの河原に行くものかと誓った。
 だけど、それが揺らいだ事件が起きる。時期はちょうど大学を卒業した辺りだ。僕の恋人である宝山(たからじま)七子(ななこ)が、事故に巻き込まれたのだ。その連絡を受けて僕は病院に飛んだ。
「意識不明の重体で………」
 彼女の家族の声は重くか細い。僕も動揺が隠せず、
「う、嘘…ですよね……」
 現実を受け入れられないでいた。
 医者によれば、この夜が峠だそうだ。
(もし、手術しても駄目だったら…………)
 七子は、死ぬ。
 当然だが、僕には受け入れられるわけがない。でも医者ではない僕にできることと言ったら、助かるよう祈ることぐらいだ。
「いいや、一つだけある……」
 違った。僕は病院のトイレにこもると、後頭部を手で強く押した。
 あの川を渡ってしまったら、取り返しがつかない。でもまだ七子は、死んでない。ならば間に合うはずだ。そう思って、あの河原に行ったのだ。

「お前も往生際が悪い。さっさと諦めたらどうだ?」
「でも……」
「お前と一緒の車に乗っていた奴らは、全員死んだ。お前も死なないわけがないだろう? さあこの船に乗れ。幸い、お前はそこまで悪い人間ではなかったようだな……川を渡って向こう側に行けるだけ、幸せと思うんだ。渡れない人だって大勢いるんだから……」
 あの渡し船の髑髏と目が合った。七子と一緒だった三人の友人たちは即死だったと聞いている。その三人は既に船に乗っていた。七子だけが、まだ岸に立っていた。
(なら! 間に合うはずだ!)
 僕のことに気が付いた髑髏は、
「またお前か。もう冷やかしは沢山だ、悪いが無視させてもらおう」
「七子を返して欲しいんだ」
 僕はド直球にそう言った。
「ああ?」
 髑髏が聞き返す。
「僕は、七子を失いたくないんだ! だから、お願いだ! 生きて戻ることができるはずだ! 七子はまだ、死んでない!」
「そんなことを言いに来たのか? わざわざここまで?」
「そうだよ。七子が死ぬのを止めるために僕ができることなんて、これしかないんだ」
 この髑髏さえ説得できれば。
「前に説明したよな? 私は私情をこの仕事に挟めない。全て、決められたことをこなすだけだ。私には、決定権がないんだ」
 そう言われると思っていた。だから、
「じゃあ、七子に、船に乗るのを強制するのもできないはずだ。だってまだ、七子は死んでないんだから」
 髑髏にはそれを決める権利がない。
「それもそうか……? じゃあこの場合、どうすればいいんだ?」
 上の指示を仰ぐためだろうか、髑髏は川に頭を突っ込んで何やら話を始めた。僕には聞こえなかったけど、それを覗き込んだら、
(話してる、閻魔大王と……!)
 七子の処分を相談しているらしい。僕の勝手のイメージだが、閻魔大王って結構怖くて厳しいと思っていた。だから、
(難しいかもしれない……)
 と感じていた。でも、
「……指示が出た。この三人だけを向こう岸に連れて行く」
 髑髏が川の中から顔を戻すと、そう言った。
「じゃあ七子は…!」
「連れて戻れ。ただし条件がある」
「何?」
「一つ! その娘を幸せにできなければ、お前の生前の行いがいくら正しく善良であっても、地獄に落ちてもらう。それとこんなことは何度も繰り返せないから、死んでないのにここにまた来たら、もう問答無用で私の船に乗ってもらう」
「あ、ありがとうございます!」
 僕は首を縦に振り、そして髑髏に土下座した。

 顔を上げると、病院のトイレに戻っていた。僕はすぐに七子の病室に向かった。そこでは彼女の家族が泣いていて、
「七子! 良かった! 無事だったんだ!」
 と、僕に教えてくれた。
 七子の退院はまだ先になりそうだった。僕は毎日お見舞いに行き、彼女を励ますために話をした。その時に、
「変な夢を見たんだけど……」
 と、彼女が切り出した。
「河原で、船に乗ろうとしているの私が。でもそこに菊雄が現れて、私を連れ戻すの。そうしたら、目が覚めて………」
 驚いたことに、彼女もあの光景を覚えていたのだ。それはつまり、七子も臨死体験をしたということ。
「きっと、僕の願いが七子に届いたんだよ」
 嘘は言わない。でも七子に興味を持って欲しくなかったから、三途の川のことは何も言わなかった。

「……っていうのが僕の話だよ」
「なるほどね。臨死体験にそんなドラマが」
 俺は頭の後ろを手で触ってみたが、菊雄によれば無理だという。
「だって君は、事故ってないだろ? だからできないんだ。でも僕も、もうできない」
「ああ、それは話にあったね。次に遊び半分で行ったら、あの世に連れていかれるから、だっけ?」
「そうだよ。だから七子には詳しく言えなかったんだ」
 もしも菊雄の彼女がそれに興味を持って、知りたがったら? 多分彼に何度か臨死体験をさせようとするはずだ。でも菊雄はそれをしたら、次はない。
「じゃあ俺が代わりに頼んだら?」
「お断りさせてもらうよ。まだ死ねないから」
 当然の返事が返って来た。俺は菊雄と七子の幸せを願って、
「きっと幸福になれれば、ちゃんと川の向こう岸に連れて行ってもらえるんだろう? 頑張れ!」
 エールを送った。
「わかってるよ。君も三途の川の下に落ちないよう、頑張ってくれ」
 死後に三途の川を渡るというのなら、俺も渡り切れるよう頑張らなければいけない。
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