その五十三 死返の葛藤

文字数 6,409文字

「はい、天ヶ崎氷威さんですね?」
 俺は恐る恐る頷いた。相手は警官だ。でも、話を聞かせてくれる人物がそういう職業に就いているわけではない。彼らがここに駆け付けた理由は一つ。俺が通報して呼んだのだ。
「失礼ですが、もう一度遺体発見時の様子を教えてくれませんか」
「わかりました」
 祈裡も職務質問、じゃなかった。事情聴取を受ける。
神山(かみやま)さんたちとはどういう関係で?」
 俺のサイトに、メールが来ていたのだ。それに従って山中のとある山荘に来たのだが、そこに待っていたのは怪談話ではなく遺体だった。
 警察は怪しい目つきで俺と祈裡を見る。でも、死亡推定時刻に俺たちがこの山荘にいなかったこと、俺らが荒らした形跡もなかったために疑いは晴れた。
「ふう、疲れた……」
 ホテルに戻って、まずしたことはベッドにダイブすること。祈裡も勘弁してくれと呟いている。
「でもさ、どうして二人は死んじゃったんだろうね?」
「自殺、だと思うぞ? 警察の鑑識? がそう言ってるのが聞こえたから」
「いやいやそうじゃなくてさ。死を覆せるのに、何故死ぬことを選んだのって意味だよ。私にはよくわからないな~」
 生きることに意味を見い出せなくなったからなのだろう。
 実は、警察に言っていない品物が二つある。置手紙に、
「氷威さん、持って行ってください。他の人には渡さないでください」
 とあったので、その意志を尊重し、俺がホテルに持ち帰ったのだ。
「………読んでみるか」
 神山姉弟の自殺の原因も、この辞書のように分厚い日記帳に書いてあるのだろう。だから俺はベッドに腰かけ、隣に祈裡を座らせてページをめくった。
 最初の方から、日記の内容は全開である。

「お姉ちゃん、昨日は森の方に見回りに行った?」
 僕は姉に、日課について聞いた。
洋治(ようじ)、まだだけど?」
「最近、出るって噂になってるんだよ。もしかしたら霊が流れ着いているのかもしれない。だから速めにしてよ? 今週はお姉ちゃんの番なんだから」
「わかってるって」
 姉は僕に急かされると、ようやく支度をして家を出た。
「さて。僕の方も……」
 家事も代わりばんこなので、僕はネットで必要な食材や雑貨を購入する。町に行って買ってくるのもいいけど、ふもとのスーパーは品ぞろえが悪い癖に高い。これなら通販の方がいいんだ。
「今週は、軽い料理にしようかな…?」
 そんなことを考えながら、他の家事も済ませる。
 でも、やはりと言うか……。姉の様子がおかしい。いつも十二時までに戻ってくることになってるんだけど、もう二時だ。
「何かあったな?」
 僕はパジャマから服に着替えて玄関を出た。

 姉は、山道に横たわっていた。
「お姉ちゃん?」
 返事はない。もう死んでいるのだ。
「………でも大丈夫さ! あれさえあれば!」
 それは、秘密の石だ。死返を可能にする、特別なアイテム。
「これを使えば、死者を蘇らせることができるんだ……」
 この森の奥にある社に本来ならば収められている。でも僕は、それを持ち出した。
「手順は簡単だ。ようし……!」
 深呼吸をして息を整えると、僕は儀式を始めた。
 まず、僕の指先を血が出るまで齧る。そしてその血を、もう一方の手のひらに垂らす。あとはそこに、秘密の石を置くだけだ。最後に読経する。
「う、うん……?」
 姉は息を吹き返した。
「お姉ちゃん、大丈夫だった?」
 僕は、何事もなかったかのように姉に話しかけた。
「ああ、洋治。ここは?」
「帰りが遅かったからさ、心配になって! お姉ちゃんはどうやらこの辺で眠ってしまったらしいね……。もう、しっかりしてよ! 二十歳なんだから!」
「ごめんごめん。私もしっかりしてたはずなんだけど、おかしいわ?」
「いいから、速く帰って寝よう!」
 僕は困惑する姉を強引に引っ張って、山荘に戻った。

「何の話だこれは?」
 俺も祈裡も、困惑。そりゅあ仕方ないだろう? だってこの姉弟にとっては日常的なことなので当たり前のように書かれているのだが、俺らからしたら解釈なしにルーチンを書かれても、何もわからんぞ?
「ねえ氷威、シカエシ…? って何これ?」
「ああ、これは、まかるがえし、って読むんだ」
 意味は文字通りだ。死を返却する、つまりは死者を蘇らせることである。
「じゃあこのお姉さんの陽菜って、死んだの?」
 俺は頷いた。それに日記の文章を読むに、一度や二度ではないらしい。
「そっか…。それがメールにあった、死を覆す力なのね…」
「らしいな。もうちょっと読んでみよう。どこかのページに解説があるかもしれない」
 もっとめくってみる。

 僕がその存在に気付いたのは、十年前だった。
 そもそも神山家は、霊的な存在を認知できる一族だ。今はもう廃れてしまっているが、昔は繁盛していたらしい。
 そして、その神山家に伝わる秘宝……それが、死返を可能にするあの石だ。黒ずんだ赤色のその石は、持ち出してはならないという決まりがある。その掟を破ったら、子孫に不幸が訪れるという言い伝えがあるんだ。だから社に封印されている。
 でも、幼かった僕はその掟を破った。姉に死んで欲しくなかったからだ。
 その時のことは、今でもよく覚えている。
 夜道を姉と二人で散歩していたら、凶悪な幽霊と遭遇したのだ。僕はその当時力も弱かったために、姉が代わりに戦った。
 姉は、勇敢でしかも実力があった。でも凶悪な幽霊を除霊させるために、命を落としてしまったのだ。
「お、お姉ちゃん? お姉ちゃんお姉ちゃん?」
 姉は地面に倒れたまま、動かない。
「まさか、死……」
 それがわかった途端、それ以上何も言えなかった。
 嘘だ。姉が死んだなんて、信じられない。
 僕は何とかしなければいけないと本能で感じた。でも、頭で良く考えなかった。この当時健在だった両親を真っ先に呼ぶべきだったけど、僕は、
「確か、社にある石は死者を蘇生させられるんだ! それを使えば…!」
 社の前に来ていた。戸を開こうと手を伸ばしたが、
「子孫に不幸が訪れる……」
 言い伝えが、僕の行動を邪魔した。僕の家では、この言い伝えが絶対であり、逆らうことは許されない。
「今はそんなこと言ってる場合じゃない!」
 僕は迷いを捨てて、戸を開いた。汚い布袋の中に、石が一つ入っていた。
「これが、秘密の石…!」
 姉の元にそれを持って行っても、何も起こらない。
「どうすればいいんだ? いや、待てよ?」
 ここで、神山家の習慣を思い出す。
 読経する時、指を齧る仕草をする。その後、その指の先端で手のひらをなぞり、何かを置く動作がある。
「そうか! これが死返の手順なんだ!」
 そしてすぐに実行してみた。すると姉の心臓が再び動き出したのだ。
「や、やった……!」
 姉は三途の川の向こうから戻って来た。
「あれ、洋治? どうしてここにいるの……って、ここ、どこ?」
 どうやらショックで記憶が曖昧になっているらしいが、僕にとっては好都合だ。
「散歩してたんだよ。そしたら急にお姉ちゃんが転んで…」
 上手く誤魔化した。そしてその日は何事もなかったかのように山荘に戻った。

 でも、僕は禁忌を犯した。
「子孫に不幸が訪れるって、どういう意味なんだろう?」
 僕が子供を設けた時、不運に見舞われるとか? でもそれぐらいのペナルティだったら、姉に子孫を残してもらえばいいや。
 勝手に納得した僕は、秘密の石を社に戻した。最初はバレるかと思っていたけど、何日経っても誰も何も言わないので最後まで表にはならなかった。

「なるほど。つまりは神山(かみやま)陽菜(ような)と洋治は、霊能力者…! そして生と死を司る者たち!」
 洋治は姉の死をなかったことにしたのだ。
「姉思いなのね、この子は……」
 祈裡も感動している。
 だが、その言い伝えさえなければ美談で終わったかもしれない。
「さらに読み進めよう……」

 僕はどちらかと言うと、除霊や幽霊と交わるのは苦手な方だ。しかし姉によれば、霊能力者として訓練しなければいけないのだとか。
「洋治、準備はいい?」
「うん、いいよ!」
 この日、僕と姉は山荘の地下室にいた。姉はガラス玉を持っている。その中には、幽霊が封じ込められているのだ。
 僕は、その幽霊を除霊する。それが今日の訓練の内容だ。
 姉が床に叩きつけてガラス玉を割った。するとその中から、モヤモヤとした煙のようなものが現れ、それが濃くなって骸骨の形になっていく。
「シネ………!」
 それは、僕の方を向いて苦しそうに呟いた。
「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏…」
 僕は緊張してしまい、とても単純で念も込めずに呟いた。もちろんそんな読経では幽霊もへっちゃらだ。
(どうしよう? もっと集中しなくちゃ!)
 合掌している手から汗が出るほど、焦っていた。そして焦れば焦るほど、気が散っていく。全然上手くいかないのだ。
 でも、どうやら僕は勝ったらしい。
「初めてにしては、上手いじゃないの! 安心したわ!」
 気がつくと、僕の目の前にいた幽霊の姿は消えていた。
「やったぁ! 成功だ!」
 僕は訓練とは言えデビュー戦で勝利できたので、喜んだ。
 だけど姉は、その時に褒めてくれたにもかかわらず、両親に僕のことを下手くそと言った。でもそれはきっと、霊能力者としてみればの話なのだろう。僕個人からすれば大きな一歩に違いないんだ。
 今まで僕は、霊能力者としての才能がないと思っていた。でも実際は真逆なようで、姉は訓練を全くさせなくなったのだ。僕の力を見て、鍛錬する必要性を感じなくなったんだろう。

「死返だけじゃなく、洋治はちゃんとした霊能力者なのね…」
 祈裡はそう言う。だが俺は、
(そうだとしたら、どうして二人は結果的に死を選んだんだ? その理由がこの日記に書かれているはずだ……)
 用心深く、読み解くことにした。

 それから数年後のことだ。両親が死んだ。ある儀式の途中での事故だったらしい。
「母さん、父さん……」
 僕は悲しくて布団の中で泣き、枕をびしょびしょに濡らした。当時の僕は両親の死を受け入れられる年齢じゃなかったのだ。
「使おう、あの石を!」
 決意した僕は、早速社に向かった。でもその途中に姉に捕まった。
「どうしたの、洋治?」
「いいや、何でもないよ? お姉ちゃんこそ、こんな夜中に?」
 姉は僕のことを山荘に戻した。寝るまで一緒にいてくれるって言われたけど、僕からすれば脱出して石を使うチャンスがなくなってしまった。
 気づけば夜が明けていて、僕の心も少し落ち着いた。
「………」
 冷静に考えれば、死んだことを他の人も知っている。のに、いきなり生き返るのは無理がある話だ。僕は両親の蘇生を諦めた。
 それに、当時の僕は、
「秘密の石を使った罰が、僕に下ったんだ……」
 そうも解釈していたのだ。だから諦めも早かった。

 両親の死後、僕と姉は交代で社を見回る係になった。
「いい、洋治? 誰も近づけちゃダメ。人でも幽霊でも、だよ?」
「わかってるよ!」
 僕はいい。実力は折り紙付きだからだ。でも姉の方はちょっと心配だ。一度凶悪な幽霊を除霊するために、死んでいるから。また同じような霊と遭遇して、無事でいられるとは限らない。
 そう思っていた矢先、姉が山荘でいきなり倒れた。
「う、ぐう……! よ、洋治!」
「どうしたの、お姉ちゃん?」
 ここでも僕は、秘密の石を使う。姉は一命を取り留める……というか、生き返った。その後に姉から聞いた話によれば、昼間の除霊で完全に祓い切れていなかった模様。だから霊が姉を狙っていたらしい。

「う~ん……」
 俺も祈裡も、一度日記を閉じた。
「洋治君が姉思いで、何度も秘密の石……だっけ? 使ったのはわかったよ。でもそれがどうして、二人の死に起因してるの?」
「ちんたら読んでたらわからないな……。失礼だが、読み飛ばすしかない」
 そう決断し、俺たちは最後の方まで日記を飛ばした。

 ある日のことだ。山荘に依頼人がやって来た。
「取り憑かれたんです……。助けてください!」
 その人の除霊を地下室で僕と姉で行うことになった。
 儀式は手順通りに進んでいたんだけど、この時依頼人に取り憑いている幽霊の正体を知った。
「い、生霊……!」
 死者の魂ではない。まだ命ある人が激しく相手を恨んだり、憎く思ったりすることで、その怨念が体を抜け出し、相手に危害を加える。
 僕も姉も驚いた。その一瞬に生霊は、依頼人の命を奪ったのだ。
「う、うわあああ!」
 どうやら相当恨まれていたらしく、魂を奪った生霊はそれに満足したのか、消えた。
 でも、僕と姉の顔は絶望している。依頼人が殺されてしまったら、この山荘はお終いだ。もうお客は来ない。死活問題なのだ。
「よ、洋治……。ちょっとさ、コーヒー淹れてくれる? お、落ち着きたいの」
 姉は僕に指示を出した。僕も頷いて地下室を出てキッチンに向かった。でも、コーヒーは淹れない。キッチンからすぐに抜け出して社に行った。
(あの石を使えば! 依頼人の死は取り消せる! お姉ちゃんには上手く誤魔化せばいい!)
 僕はそう考えていた。
 社へ続く道で、姉とばったり出会った。
「お、お姉ちゃん……?」
 姉はとっさに、何かを背中に隠した。
「洋治こそ、どうしてここに?」
 ここで、僕と姉は同じことを考えていたことがわかったのだ。
「洋治……。石を使ったことがあるのね?」
「う、うん……」
 もう黙っている意味がなかった。
 依頼人の死は、秘密の石を使って取り消した。生霊も消えたのだから、満足してお金を置いて彼は足早に去っていった。

 その日の夜だ。僕と姉はリビングのテーブルに石を置いて大事な話をした。
「私は使ったことがあったけど、洋治も、とは……」
 驚きを隠せないのは、石を使った理由……つまりは誰を生き返らせたか、だ。
 僕は姉を生き返らせるために石を使った。
 姉も僕を生き返らせるために石を使った。
 一度や二度ではない。何度も何度も。二人で禁忌を犯し続けていたのだ。

 俺と祈裡は、そこで日記を読むのをやめた。
「………つまりは、洋治も陽菜も、自分じゃないどっちかは真面目に社を守っていると思っていたわけだ。それが覆ってしまった……」
 そしてそれが、二人が死を選んだ理由に違いない。
 死返のできる石があってお互いにその存在を認知し使用できる状況では、二人は永遠に石を使い続けて死を取り消すのだろう。しかしそれは、生き物は必ず死ぬという自然の摂理に反することだ。そして二人が自然の法則に戻るには、一つしか選択肢がない。
「二人同時に死ぬってこと?」
「そうなる……」
 二人がこれから先の人生を放棄してまで死を選んだ理由は、日記を読んでないからわからない。だが、彼らなりの悩みがあったに違いない。
 日記帳と一緒に、神山姉弟から託された黒ずんだ赤色の石。
「この石が、秘密の石……」
 社に封印されているのに、二人はそれを破った。だからあそこには収めておけないという判断なのかもしれない。霊能力者ではない俺に預けることで、石の存在意義を消したかったと俺は理解した。
「言い伝えも、当たってしまったんだね」
 祈裡がそう呟いたので、どういう意味かを聞いてみた。
「だって、そうでしょう? 子孫に不幸が訪れる、って? 陽菜にも洋治にも子供はいないらしいから、神山家の血は途絶えたんだよ? 不幸って言うのは、未来に血を繋げられなかったってことじゃない?」
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