その六十五 遅すぎた懺悔 前編

文字数 5,623文字

 今回話を聞かせてくれるのは、ボランティア活動を主に行っている人だ。俺はその前情報だけを聞いた時、
「多分、奉仕に関する話だろうな」
 と勝手に思っていた。しかしカフェに現れた谷崎(たにざき)征爾(せいじ)によると違うらしい。
「なあ天ヶ崎さん? あなたは小さいころに体験したことがあるかい? いじめを」
「う~んそうだな……」
 パッと思い出しても、そういう出来事はなかった気がする。そもそも学校側からして、いじめとかに関してはかなり厳しかった。少しでも暴力をすれば、例えそれが遊びの一環であっても問答無用で反省文を書かされるし保護者も呼び出されるしで、そんな非行を働いている暇がない。
「俺が思い出せる範囲では、なかったと思う」
 陰で何かあった可能性はなくはないのだが、少なくとも俺の目が届く範囲では起きてはなかった。
「……そういう質問をするってことは、だ。征爾さん、あなたはまさか?」
「ああ……」
 小声で返事をし、征爾は頷いた。
「どっちだった?」
「加害者だ…」
 それはつまり、過去に誰かのことをいじめていたという意味だ。
「もう、ハッキリと言おう。俺がいじめに加担したせいで、同級生が自殺した。いいや、俺たちがいじめて殺したようなものだ」
「それは穏やかではないね」
 加害者の味方をするつもりはないが、悲しい経験であったと思う。でも、いじめのターゲットの方が辛いに決まっている。
「せめてもの罪滅ぼしのために、仕事がない日はボランティアをしているんだ。仕事も福祉系のを選んだんだ。いつか許される日が来るというのなら、その時を迎えるために」
 しかしそんなことを言うということは、自分が許されないと察しているようだ。
「本題に戻ろう」
「そうだな」
 強引に軌道修正をする。俺は征爾に恐怖の体験を語らせた。
「あれは俺が中学生の時……。いや、そもそもの始まりは、小学校の時だったな。同級生に、倉沢芳人という人物がいた……」

 小学校の中だと、学業成績よりも運動が上手いとか、絵が上手とか、身長が高いとか、ゲームが得意とかそういうので、
「俺はアイツよりも得意だから、上だ」
 と勝手に自分が相手よりも上の立場にいると錯覚してしまう。そしてそれが価値基準となって、自然と馬鹿にする相手を探してしまう。
 俺のクラスには、倉沢(くらさわ)芳人(よしと)という人物がいた。あまり身長が高くはなく、スポーツも下手。おまけに勉強も苦手と、当時は褒める点が見い出せない劣等生だった。
「おいおい倉沢? またテストで六十点だったのかよ?」
「やっちゃった……」
「本当に馬鹿だな、お前。この前も漢字のテスト、全然できてなかったのに」
 そういう欠点を突いて笑いを取る。クラスメイトも倉沢のデキの悪さは知っており、誰も擁護しない。
 特にその中心だったのが四人。俺と新条(しんじょう)赤山(あかやま)岡野(おかの)だ。
 でもこの時は、ここで終わっていた。クラスで何かテストや運動会とかイベントがあると、それが苦手な倉沢のことを馬鹿にして笑う。馬鹿にされた倉沢は最初の内は嫌がったり泣いたりしていたが、小学校を卒業する時くらいになると一々気にしていなかった。
 周りの保護者や先生は何も言わないし注意もしない。ただできない人を馬鹿にして笑い、自分はコイツよりも立場が上だと、思い上がるだけ。貶された倉沢には失礼だが、彼もこの時まではまだ平和だったと思う。

 その微妙な均衡が、壊れる日がやって来た。中学校への進学だ。俺と新条たち、そして倉沢は学区が同じだったので同じ中学に進んだ。でもそこへは、小学校の時は違う学区の子供もある程度進学してくるのだ。
 その中に、佐々木(ささき)という人物がいた。
「あの噂、聞いた? アイツ、女の先生のスカートをみんなの前でめくって泣かせたらしいよ?」
「へ? 僕は、教頭先生の髪の毛をハサミで切り刻んだって聞いたけど?」
 佐々木は問題児だった。小学校が違ったので六年間の武勇伝が本当かどうかはわからない。でも全部事実と言われても首を傾げない程度には、チンピラだった。注意をされると同級生どころか先生にすら手を挙げるレベルだ。できれば関わりたくない類の人物なのだが、最悪なことに無視していると、
「おい、俺のことが気に食わねえってのか!」
 という感じで胸ぐらをつかんでくるので、近くにいると話しかけないという選択肢が取れない。
 もちろんこんなヤツに勉強ができるわけがない。テストはいつも悲惨な結果だった。体付きは良いので運動もできるのだが、体育の時間はルールを守らないせいでそっちの成績も壊滅。
 当時の定規で測ろうとすると、佐々木はただの馬鹿でしかない。だから本来なら馬鹿にされる立ち位置なのだが、コイツには唯一他人を貶められる物……暴力があった。
「佐々木の馬鹿が!」
 悪口を聞かれたが最後、保健室送りになってしまう。運が悪いと病院にたどり着く。要するに佐々木は、文字通り力で見下す視線に対抗したわけだ。
 そんな佐々木だったが、いっちょ前にプライドを持っていた。それも誰かの上に立ちたいという願望だ。
「おい、俺も混ぜろよ?」
 中学二年の時だ。俺たちは佐々木と同じクラスになってしまった。しかも倉沢をいじっているところを見られ、その中に乱入してきたのである。
「……」
 俺は新条と目を合わせた。佐々木とはできれば関わりたくない。でもここで拒否するとボコボコにされる。悩んでいると赤山が、
「コイツ、前のテストの合計点三百もいかなかったんだぜ」
 と、倉沢のことを馬鹿にした。岡野は大声で笑っていたが、俺と新条は小声だった。
「うわ、馬鹿じゃねえのお前? 脳みそ入ってんのか、頭に?」
 普段ならそこで終わるはずだが、佐々木は違った。実際に拳を丸め、倉沢の頭を殴ったのである。
「い、痛い!」
「あ? 文句あんのかお前?」
「やめてよ…!」
「俺に指図すんな!」
 いじりが一線を越え、いじめになった瞬間だった。そしてその次の日から、壮絶ないじめが始まった。殴る蹴るなど日常茶飯事で、酷い時は倉沢の給食を佐々木が全て横取りしてしまうことすらあった。筆箱を勝手に開き、中に入っている鉛筆やペンを全部へし折るということもやっていた。罵声も何度も何度も浴びせた。
 他のクラスメイトはみんな、見て見ぬふりをした。当然だ、佐々木に何か注意したら、いじめのターゲットが自分に変わってしまう。
 担任の先生は何度も注意した。のだが、佐々木が先生の言うことを聞くはずがない。反省文を提出しろと言われても、名前を書かないどころか原稿用紙すら用意しないくらいだ。一度保護者を呼んだこともあったらしいのだが、佐々木の両親は彼のことについて諦めている節があり、職員室に来なかった。
 俺はこのいじめに対し、何も思わなかった。いじりの延長線上にあるとしか感じていなかったからだ。他のみんなもそうだろう。止めようと言った人はいないし、態度で示した人もいない。
「おい倉沢! 俺の代わりに教室掃除しとけよ」
「……」
 倉沢も、抵抗を諦めていた。
 いじめの内容は正直、あまり思い出したくない。とにかく酷いことをした。それこそテレビドラマで見かけるようなことを、だ。
 一か月も経つと、もういじめは日常の中に組み込まれていた。誰も注意しないし、関心も向けない。倉沢はクラスメイトからも先生からも見捨てられていたのだ。

 だが、佐々木はある日やってはいけないことをした。
「おい倉沢? お前、好きな人いるって本当か?」
 どこで聞いたのやら、佐々木はそんなことを倉沢に尋ねた。倉沢は答えたくなかった感じだが、
「聞いてるのか? 聞こえないのか、ああっ? 聞こえないならこんな耳、いらねえよなあ!」
 両耳を力強く引っ張ったら、流石の倉沢も参って答えた。
「ふーん。五組のあの、ブスがね……」
 彼女は倉沢の幼馴染だ。佐々木がいない時、よく倉沢と話しているのを見かけることがあった。
「いいことを考えてしまった! 俺、天才すぎる!」
 当時の俺は新条たちと共に佐々木に便乗し、その内容を聞いた。でも、
「まあ、期待してな! 休み明けの文化祭が楽しみだぜ!」
 俺たちはその言葉を聞いて、
「文化祭の日にみんなの前で無理矢理告白させるんだ」
 と想像した。きっと幼馴染には、絶対に断るように指示しておくのだろう。
 この想像通りにだったらどんなに幸せだったことか。
 文化祭では、夏休みに生徒が取り組んだ課題を展示する。一人一人テーマは違って、絵が上手い人は絵画を描いたり、地理が好きな人は日本の地図についてまとめたり、手先が器用な人は独自の戦国ジオラマを作ったり……。一応教科ごとに担当の教室が分かれ、休みの前に先生と何度も話し合ってその課題を作るのだ。
(倉沢は何を作るんだろう……?)
 その当時の俺が選んだ科目は、理科。自分の課題に取り組む傍ら、少し倉沢のが気になったので、計画表を後ろから覗いてみた。
(ほほー)
 倉沢は、昆虫の標本を作ろうとしているらしい。休みの日に山や林に行って、休みの前の時点で既に十数種類か捕まえてあるそうだ。またそれ以前の昆虫採集の成果も全部持ってくる予定。しかも捕まえた昆虫の解説も作るつもり。
(中々、面白そうだな)
 俺の電子工作がお粗末に思えるほどだった。
 夏休みが終わり、文化祭の前日がやって来た。その日は教室の机を展示用に並べ替え、展示物を飾るのだ。
「倉沢君のはこのスペースに」
 結構大きめの箱に加え、模造紙にどの虫がどこにいたのかも記載されている。文化祭は小学生や子供も来るので、ウケが良さそうだ。
「明日、文化祭だね。佐々木は倉沢に何をするのかな?」
「さあ? 明日になってみないとわからないぜ。佐々木は何も教えてくれないから」
 帰り道で俺は新条と話をしていた。
「ところでよ、谷崎。泥棒の話は知ってるか?」
「ん? 何?」
「夏休み中、学校のプール解放してたじゃん? その更衣室で女子の服が無くなったらしいんだよね。誰のどれのことなのかは詳しく知らんけど」
「そんなことあったのか~。俺は赤山とキャンプに行ってたから、全然知らなかった」
「関係ないし、無理もない」
 そして次の日……文化祭で、事件が起きる。
 生徒たちは朝から体育館に集合するのだが、そこで担任が大慌てで俺のクラスメイトを集め、
「倉沢君! 倉沢君はいるか?」
「は、はい……。どうかしましたか、先生?」
「ちょっと来なさい!」
 担任は倉沢のことを掴んで校舎内に向かった。
「何があったんだ?」
 俺を含めたクラスメイトはみんな怪しがって、その後ろをつけた。どうやら目的地は理科の展示室のようだ。
「あっ!」
 ドアを開いたら、何が起きているのか理解できた。
 倉沢の課題は昆虫の標本だったはずだ。それが全部無くなっている。代わりに展示されているのは、倉沢の想い人の下着だった。しかも模造紙も全然別の物に変えられていて、その内容はその彼女に対する異常な妄想。
「せ、先生……! これ、僕のじゃないです!」
「でも、だ。これらは夏休み中に無くなった五組の子の衣服だ。これを君が持っていた?」
「そんなわけ、ないです!」
 そりゃそうだ。いくら好きとは言っても、そんなことするわけない。倉沢はそう言ったし、その場に居合わせたクラスメイトもみんなそうだと頷いた。
(……あれ?)
 俺はその時、ここに佐々木がいないことに気が付いた。クラスの人全員がここまでついて来ているわけではないのでいなくても不思議ではないのだが、
(こういう時、上げ足を取りそうだけど…? そもそもこのいたずら、佐々木が犯人なんじゃないのか?)
 そう感じた俺は一足先に体育館に戻る。そこには、何か紙を配っている佐々木がいた。その紙には絵が描かれている……というよりも写真だ。大量の写真を体育館の全生徒にばら撒いていたのだ。
「俺は掴んだぞ! 泥棒の正体を! みんな、見てくれ!」
 写真を拾った俺は、愕然とした。それはあの、女子の下着に入れ替わった倉沢の課題だったのだ。
(文化祭が楽しみって、これかよ……)
 バッチリ倉沢の名前がわかるその写真。一年生も二年生も三年生も関係なく受け取り、ドン引きしている。その中にはあの倉沢の幼馴染もいた。
 この事件のせいで、開会式は二時間遅れた。
「流石に度が過ぎてる!」
 その年の文化祭は全く楽しめなかった。放課後俺は新条、赤山、岡野と一緒に通学路の公園で話していた。
「佐々木の野郎……。これはちょっと……」
「だよな…。いくら何でも、これは…」
 写真はすぐに回収されたが、多くの生徒の手に渡ってしまった。それが指し示すことは一つだけで、倉沢が変態であるという嘘だ。
「明らかに犯人は佐々木だろ!」
 しかし、二人についてよく知らない人はそう思えないだろう。
 俺たちは佐々木の家に行くことにした。理由は簡単で、倉沢に謝罪させるのだ。でもその日、佐々木は何と親戚の家に遊びに行っていた。
「明日には帰ってくると思うから。明日来て」
 冷たく彼の両親にそうあしらわれた。
「じゃあ、明日! どんなにぶん殴られても必ず謝らせようぜ」
「そうだな」
 でも、その日は来なかった。
 日曜日の朝、学校から家に電話がかかってきた。
「え……?」
 内容は、訃報。昨日、倉沢がマンションの十階から飛び降りたのだ。

「つまりこういうこと? あなたはいじめの末、友人を自殺させてしまった、と」
「そうだ……」
 征爾はゆっくり頷いた。
「酷い話だ」
 胸糞悪いとはこのことか。いじめられ傷ついた人が死に、いじめて楽しんでいた人が生き残る。この世が理不尽に満ちていると嫌ほど教えてくれる事象だ。
 正直、これ以上何も話を聞きたくないのだが、肝心な部分がまだ語られていない。
「これは怪談話……恐怖体験だったはず。それはどの部分が?」
「今までの話は、ただのバックボーンだよ。俺の罪を知って欲しかっただけ。本当の恐怖は、卒業の十年後に起きたんだ」
 それは今から二年前のこと。
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