その二十九 顔の私怨

文字数 5,910文字

 延川(のぶかわ)舒子(のぶこ)という女子高生が今回、話題を提供してくれることになった。結構顔の整った子で、将来これは確実にモテると確信させてくれる。彼女が乗った天秤には、俺なんかでは釣り合わないだろう。
「でも私、顔で人のこと判断したくないよのね」
「嫌味かそれ?」
 美人が何を言うか! 俺は少し怒りそうになったが、どうにか平常心を保った。
「そうじゃなくて、実際ああいう体験をしちゃったし。ま、去年のことだから忘れようにも忘れらんないわね」
「聞かせてくれよ。その、怪談話を!」
「言われなくても。これで忘れられたら、どんなに楽なことか」
 聞く話によれば、かなり壮絶な体験らしい。
「話したくない部分は無理して言わなくて大丈夫だから。そのくらいの配慮はできるよ?」
「大丈夫よ、全部言うわ。じゃないとスッキリしないから」
 そして優雅にぶどうジュースを一口飲むと、舒子は話し始めた。

 去年私は、高校に入学した。それ自体は別に何も驚くべきことじゃない。普通の人生を送っているのなら、当たり前のイベントだからだ。でも、
「舒子ちゃん、今日一緒に遊園地行かね?」
「……あのさ、授業はどうするわけ?」
「サボればいいんだよサボれば!」
 お誘いがあるのは暇しなくていいんだけど、平日に白昼堂々、不良行為を宣言する輩がクラスにいた。当然、そんな話に私が乗るわけもない。
「一人で行ってれば? あなたと遊園地で遊ぶよりも授業の方が何倍も面白いから」
 私は大学受験を真面目に考えているので、勉学を疎かにするなんてもってのほか。だからこの、里助(さとすけ)とかいう男子の誘いを断った。
 でも、彼はまだマシな方だ。私が注意すればちゃんと真面目に授業も受けているから。それに…。
「聞いたか? アイツの話」
「ああ、ブス子だろ? キモいったらありゃしねえぜ!」
 同じクラスの女子に、酷いあだ名をつけている男子がいた。里助はそのあだ名を使わなかったので、だからまともだと思えた。言うまでもないけど、私もそんなあだ名を口にはしなかった。言えば、自分もその子をいじめているように感じるからだ。

 そう。このクラスには明確ないじめがあった。対象は本名、晴実(はれみ)。さっき酷いあだ名で呼ばれていた女子だ。あまりこう言いたくはないけど、その子はお世辞にも可愛いとは言い難いのだ。私の通う高校は、化粧は禁止されていて、女子は常にスッピンだった。つまりはありのままの顔を隠せなかったわけだが、それがいけなかったのかもしれない。
「個性的を通り越して化け物顔だよな。同じ人間かどうか疑わしいぜ!」
 クラスの男子がそんなことを言っていたのを、聞いたことがある。
 何も男子だけではない。
「ねえ、ブス子と一緒に実習とか、私なんか罪でも犯した?」
「かわいそう! ブス子と同じ班とか。死んでもごめんだわ」
 女子も、意図的に避けていた。晴実が教室にいる時には、話しかけられれば普通に接するのに、教室からいなくなった途端に悪口のオンパレード。下手をすれば男子よりも陰湿だったかもしれない。

「たかだか顔だけで、そこまで遠ざける? 普通? インフルエンザにかかってるわけでもないのに…」
「舒子ちゃんがそれ言ったら、嫌味だよ?」
 里助はというと、さっき話したようにいじめには加担していなかったから、普通に接していた様子だ。
「俺のいた中学でもさあ、顔が崩れてるからって理由で遠ざけられてた子とかいたし。人間所詮はその程度じゃん…」

 最初の頃は、あだ名と陰口だけで済んでいた。でも最初の定期テストが終わると、いじめは急に加速するのだ。きっとみんな、思ったように点数が取れなかったんだろう。それでストレスの発散を、晴実で行っていたわけだ。
 最初は、無視から始まる。話しかけられても、あたかもそこに人がいないようにふるまうのだ。見ているこっちも辛いが、助け舟を出すと、私もいじめられかねない。だから何もできなかった。
 いや、私はあえてしなかった。
「多分連中は何言っても聞かなそうだし…」
 だから、このクラスの生徒は大きく分けて二つ。
 一つは晴実を積極的にいじめるタイプ。そしてもう一つはいじめと関わろうとしない、私や里助のような生徒。奇妙なことにバランスは取れていて、中々崩れないのだ。
 そしていじめは、エスカレートしていく。靴隠しや、教科書をゴミ箱に捨てたりと。やっていることは小学生並みで、そんな人と同じクラスであることが恥ずかしく思えた。
「ちょっと、それは…」
 クラスの誰かが、流石に酷すぎると思ったのか、止めに入った。
「いいんだよ。こんなブサイク、いない方が世のため人のため~」
 だが、それは無駄。いじめる側は聞く耳を持たないのだ。それに、
「何だ、お前も教科書捨てたいの?」
 と、脅しもしてくる。そうなっては、誰も助け舟なんかとても出せない。助けたが最後、明日は我が身なのだと思うと、絞れる勇気もなくなってしまう。

「酷いじゃないか、みんな」
 そんな状況に異議を唱える人物が一人いた。
「あ、(よう)…」
 耀はクラス一のイケメンだ。それに、勉強もできるし運動にも強い。
「ちょっとみんな、いい加減に大人になろうぜ? こんなことして何になるんだよ? 一歩間違えれば犯罪だぞ!」
 そして、性格も良いのだ。耀は晴実に手を差し伸べた。隠された靴を探し当てたのも、捨てられた教科書を拾い上げたのも、耀だった。
「里助…。あなたも彼を見習ったら?」
「俺が? 無茶言うなよ、敵うわけがない…」
 耀は本当によくできた人だと私は思った。だって、いじめられている晴実に積極的に話しかけるなんて、普通じゃ無理だ。里助も彼のようにはなれないと思っていたのだろう。

 だが、耀の介入がまた悲劇を生むのだ。
「ブス子…。あんたさあ、鏡見たことある?」
「えっ?」
 女子が数人、晴実の机を囲っている。
「耀君と仲いいよね、最近」
 それが気に食わないらしく、嫌に好戦的な態度なのだ。
「でも、耀君が…」
「言い訳すんなよこのブサイク!」
 次の瞬間、晴実がビンタされた音が教室中に響いた。人は単なる嫉妬で、ここまで狂えるのだ。
「いいか! 耀君と仲良くしたらただじゃおかないからな! 一発で済むと思うなよ? 耀君には、私の方が相応しいんだ!」
 教室の隅で聞いていた私でもわかるぐらいの、理不尽な話。そもそも晴実と耀は何も特別な関係でもない。
(こんなのちょっと酷すぎない? 仲良さげに話しただけ…ていうか、いじめから救われただけで平手打ちだなんて…)
 私は引いた。里助も同じ意見だった。

 最初の異変が起きたのは、次の日だ。
「あれ? 鈴木(すずき)は今日休みか? 誰か連絡聞いてる人いない?」
 鈴木とは、晴実にビンタした張本人。その彼女が担任に連絡することなく欠席したのだ。
「仕方ないな…。おい延川!」
「はい?」
「鈴木の家に、プリント届けてくれ。今日配るプリントは絶対に親御さんの手に渡らないと困るんだ」
 不幸なことに私は鈴木と同じ中学出身だったので、配達の役目を任命されてしまった。断るわけにもいかないので放課後、鈴木の家に寄った。
「ごめんなさいね、家の娘がこんなに迷惑かけちゃって…」
 鈴木の母は、普通の人だった。だが何か、後ろめたいことがあるらしい。
「と言うと、仮病ですか?」
 私が小声で聞くと、頷いた。
「それも、変なのよ…。舒子ちゃん、何か心当たりはない?」
「変?」
 何が変なのか、説明してくれた。
 鈴木の顔は、まるで蜂にでも刺されたかのように腫れあがっているらしい。病院に行っても原因不明とのこと。その顔をクラスメイトに見せたくなくて、学校に行かなかったそうだ。
「何で私の顔が、こんなに醜く…!」
 何度もそう叫んでいたらしく、今もそれを気に病んで布団に籠って泣いているらしい。実際に見たわけじゃないけど、多分晴実と同じような顔にでもなっていたのだろう。
「そんなことが…。でもすみません。私は何も心当たりとか、ないです…」
 私はそう言って、帰った。
「天罰でも下ったんじゃないの?」
 と、帰り道で呟いたことを覚えている。
 私は鈴木に配慮して、次の日担任には、
「病院に行くほどではなかったみたいですが、学校にも行けなかったようです」
 と茶化した。

 隣のクラスに、美琴(みこと)という女子がいる。それなりの可愛さと成績を兼ね備えた彼女は、耀を狙っているらしい。だからなのか、休み時間に私を捕まえた。
「ねえねえ、耀君は誰と仲いいの?」
「そんなに気になるなら、彼女とか気になってる人いるか聞いてみる?」
「ええー!」
 でも、私は耀に聞かなかった。理由はわかっている。耀もまた、美琴のことが好きらしいから。その噂を昨日耳にした。
「大丈夫でしょう? 行けば?」
「でも…フラれたらどうしよう…?」
「マイナス思考が災いの元! さあ、呼ぼうか?」
 強引に話を進めたが、美琴がまだ待って欲しいと言うのだ。何でも、クラスではどんな感じなのかを見てみたいと言う。ストーカーのごとく美琴は、教室のドアの窓から耀を観察していた。
「どう? そんなに仲良い人はいなさそうでしょ? 速くしないと取られちゃうわよ?」
「いたわ…」
 暗い返事が返ってきた。
「あの、顔がキモい子! 何なの、耀君に話しかけられて! 私なんてまだ、あんなに話し込んだことないのに!」
 もちろんその人物は、晴実のことだろう。
「あの子は別に、そんなこと思ってないと思うよ? だって…」
 いじめられているのを、耀が助けようとしているだけだ。そう言いたかったが、できなかった。晴実が教室から出ようとしたのだ。美琴の存在に気付いたからじゃなくて、用を足したかったからだと思う。でも不運にも、美琴とばったり会ってしまった。
「あなたに耀君は譲らないから! 私の方があなたよりも脈ありよ! だって、私はあなたみたいに崩れた顔じゃないから!」
 そこまで言うかよ…。正直、この子の性格はよろしくないのかもしれない。言われた晴実は美琴の言葉をスルーし、トイレに消えた。
「あんな子に耀君と話す権利なんて、ないわ!」
 と言い捨てた瞬間、
「うぐ、ああああああああ!」
 と美琴が突然悲鳴を上げて顔を押さえだした。
「ど、どうしたのよ?」
 何か、痛いのだろうか? それとも病気か? パニック担った私は、偶然そこを通りかかった里助に頼み込んで、美琴を保健室に連れて行ってもらった。
 その時、私に嫌な考えが過った。
(鈴木は晴実の顔をけなしたから、顔が醜く腫れあがって未だに学校に来れてない。まさか、美琴も?)
 そして、その悪い予感は的中するのだ。放課後保健室に立ち寄ると、思わず声が出てしまいそうになった。
(こ、これが、美琴?)
 顔が腫れあがっている。その風貌は、休み時間に話していた人とは全くの別人だ。美琴はその変貌した顔を手鏡で見ると、泣いている。恥ずかしくて保健室から出れないでいるのだ。

「あの子、隣のクラスの美琴って子だよな? あんな顔じゃなかった気がするんだけど…」
 教室に戻った私は、里助とその話をしていた。
「ちょっといいかい?」
 私たちの間に、耀が入ってきた。
「その話、詳しく聞かせてくれない?」
「いいけど、本当かどうかは…」
 私は、自分の考えを耀に聞かせた。
「晴実の顔をけなすと、顔が突然腫れあがったのよ。思えば前の鈴木も同じだわ。あの子はビンタまでしてたけど…」
「み、美琴が?」
 耀は驚いている。同時に怒りも感じていた。思えば、耀は美琴のことが好きなのだ。その子の顔が、晴実が原因で台無しになったと聞けば、体も心も震えない方がおかしいかもしれない。
 耀はすぐに行動に出た。この日の放課後に、晴実を体育館裏に呼び出したのだ。

 次の日、耀は学校に来なかった。私にはその理由が、わかる気がした。
(絶対に、言ったんだ。「君のような容姿の優れてない子に、俺は好意は抱けない。迷惑だ」とか…。それとも会話の最中にに「ブス」とか言ったのか…)
 本当のところはどうかわからない。けれど顔をけなされた恨みが耀を襲った。そんな気がする。
 そして最後の事件が起きる。一週間後のことだ。
 朝のホームルーム前に、なんと鈴木と美琴と耀が姿を現したのだ。
「おいあれ、耀…かよ?」
 クラス一のイケメンと呼ばれたほどのその顔は、まるで整形に失敗したかのように崩れていた。彼だけではない。鈴木も美琴も、生徒手帳を見せても本人だと信じてもらえないくらいに別人って顔だ。
 三人は他の生徒や先生のことを気にも留めずに晴実の元に来ると、暴行を始めた。
「このクソブス! 俺の顔を戻しやがれ! このっ! このっ!」
 流石に教室内で起きた暴力沙汰を見逃すわけにはいかない。先生も、他の生徒も止めに入るのだが、顔を台無しにされた恨みは山より高く海より深いのだろう。三人は暴行を止める気がないのだ。
「おい、いい加減に…」
 里助も耀の体を押さえようとしたが、
「うるっせ! 黙ってろタコ!」
 同年代の男子を一撃でぶっ飛ばすほど、力の入ったタックル。里助は一発でダウンした。
 やがて、誰かが生活指導や体育の先生を呼び、三人を取り押さえたのだが、晴実は血まみれで、すぐに救急車に運ばれた。三人はすぐ駆け付けた警察が、署にお持ち帰りした。
 この時受けた暴行が原因で、晴実は未だに意識が戻らず病室で寝ている。そして逮捕された三人の顔は、未だに元通りにはなっておらず、寧ろ前よりも悪くなったと風の噂で聞いた。

「顔の恨みは怖いわね。普通の人を犯罪者にするには十分すぎるのよ」
 舒子はそう言った。俺は、
「その、晴実って子はさ…超能力者か何か?」
 そう疑問に思った。そうでもないと舒子の同級生に起きた顔の変化は、説明のしようがない。
「違うと思うわ。多分普通の子よ。…ある一点を除けばね」
 その一点とは? 舒子は話してくれた。
「顔に対するコンプレックスが、誰よりも深いの。それは非科学的な力を帯びて、指摘してきた人の顔をぐちゃぐちゃにする程度に」
 そして、こう、付け加えるのだった。
「氷威さん? 人の悪口言うなとは言わないわ。でもね、触れてはいけない悩みに手を出しちゃあ駄目よ?」
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