その五十七 妖の町

文字数 7,249文字

 地図に載っていない場所って言われると、無人島ぐらいしか思いつかないのは俺だけじゃないはずだ。
「だってさ…。今のご時世、グーグルアースがあるじゃない? お天道様の気分で地球を見れるんだぜ? 知らない場所を探す方が難しいと思うぞ?」
「それは無知の極みだ。僕は知っている」
 しかし俺の主張を頑なに拒むこの男、佐山(さやま)弓雄(ゆみお)は、
「だって行ったことがあるんだ。あの町は地図に掲載されていない。でも、確かに存在していた…」
 ようだ。
 詳しい話を聞くために俺はより踏み込んで、
「で、何を体験したの?」
 尋ねると、
「とても不思議な町だった。あれは三年前の春のことなんだ」
 タイムスリップ開始だ。

 三年前の春、僕は絶望のどん底にいた。
「まさか落ちるなんて………」
 あれだけ勉強したのに、模試でもいい結果が出ていたのに、過去問だって暗記するぐらい解いたのに、志望校に不合格だったのだ。
 家族は慰めてくれた。
「また来年、受験すればいい。それまで頑張れ!」
 浪人生に対して、そう接するのが正解なんだろうな。でも当時の僕には、効果なし。
「終わったんだ、何もかも…」
 全く耳に届いてなかった。
 そもそも落ちた時点で、高校三年間の努力が全て水泡に帰した。水の泡となった頑張り。もう一度挑戦する気力など湧き出るはずがない。
 合格発表は高校の卒業式の後だったこともあり、家に引きこもって毎日友達とゲームばかりしていた。それが不合格の一報で、ただ起きて食って寝るだけの生活に変貌。しかも自分の番号がなかったことを忘れることができず、夜な夜なその光景を思い出しては泣いていた。
 正直に言って、あの時の僕の精神状態はヤバかった。
 だからなのか、
「死のう……」
 鬱になってそんなことを呟いたこともある。でも結局は怖いので、実行することはない。

 ある日のことだ。
「たまには外の空気でも吸って! 散歩に行ってきなさい。町内を一周するだけでもいいから」
 母がそう言った。
「気分転換か……」
 悪くないと思った。時間の流れが、僕の受けたダメージを回復させてくれていたのだろう、僕は久しぶりに靴を履いて外に出た。
「とは言っても、何も変わんないんだよなあ…」
 家の周りは、更地が増えたり新しい建物が建ったりとかがなかった。高校の通学で見慣れた道だ。だいたい生まれてから、地元を離れたこと自体が一度もない。新鮮さはないが、それでも足を動かした。
「あ、こっちの道はあまり歩いたことがなかったな」
 いつも通りの道では面白くないので、普段あまり寄り付かないような路地にも立ち寄る。ちょっと…いや、結構廃れている路地だ。しかし、
「僕と同じだな」
 不合格のショックが尾を引きづっていたために、その活気のない道に共感していた。だからもっと奥に入り込んだ。
 変な形をした木の林があった。春だというのに、虫すら一匹もいないぐらい不気味だ。その隣に、駄菓子屋があった。
「僕の住んでいる町にも、こんな典型的な駄菓子屋なんてあったのか!」
 お菓子の類はスーパーで買うので、こういう店には訪れたことがない。僕は入店を決める。
「ああ、いらっしゃい」
 初老の店長一人で切り盛りしているらしい。見かけに反して店内は綺麗だ。
(どれも美味しそうじゃない…)
 安さが売りの商売なのだろうが、マズそうな物には一円も支払いたくなかった。ただ、入ってすぐに出ていくのは失礼だと感じたので、じっくり品物を見るフリはする。
 すると店長の方から、
「ちょっとこっちに来なさい、お前さん」
 障子一枚で隔てられた居間を指差し言ってきた。
(老人特有の無駄話かよ…)
 断るつもりだったのだが、店長が湯のみにお茶を注ぎ込んでいるところを見てしまったので、気まずくなっては嫌だと感じ、仕方なく、
「失礼します」
 畳に腰かけた。
 しかし心配していた長ったらしい話はいつまで経っても口から放たれない。
(どういうことだ?)
 不思議がりながらお茶を飲んだ。
(美味いじゃん、これ! これだけ買って帰ろうかな…?)
 そう思った矢先、強烈な眠気に襲われる。
(な、なんだ?)
 僕は気を失うように眠ってしまった。

 目が覚めると、僕は和室に敷かれた布団の中にいた。店長が気を利かせてくれたらしい。
「やはりお前さん、疲れているのだろう」
 声のした方を向くと、
「ぎょえええ!」
 驚いて悲鳴を上げてしまった。
「うむ、いい反応だ」
 店長の額には、第三の目があったのだ。ボディアートではなく、本当に左右の目と連動して動くし、瞬きもする。
「ひいいいいいい! ばばばばば化け物!」
「おお、もう見抜くとは素晴らしいぞ!」
 もはや彼…いや目の前の何かが何を言っているのかはどうでもいい。逃げることを選ぶ。障子を突き破って店の外に出ると、
「あ、あれ……?」
 全然違う風景だった。活気のない路地だったのだが、まるで田舎の下町のような町並みだ。あったはずの方向に道はなく、ないはずの方向に通路がある。そして町全体が、夜中のように暗い。
(僕が散歩に出たのは、午前中だったはず! なのにどうしてもう真っ暗なんだ? そんなに寝ちゃったのか!)
 慌てて腕時計を確認する。時刻は午前十一時頃で、僕が散歩に出てまだ十数分しか経っていない。
「お、おおお?」
 しかし、時計の秒針が動かないのである。壊れたと思って今度はスマートフォンを取り出したが、同じく時計の針は止まったまま。
「何なんだ、ここは!」
 僕が叫ぶとそれに返事をするかのように店長が店の中から出てきて、
「ここはな、現世と時間の流れが違う。物の怪の世界なんだ」
 淡々とそう述べた。意味は不明である。
「妖怪か…。まさか僕をさらって、食い物にしようって魂胆か!」
 持っていたスマートフォンを向け威嚇するが、店長には通じていない。
「そんなことはしないよ。ただね、君のような疲れている人は放っておけなくて」
 だから、休ませるためにこの町に招いたという。
「しばらくこっちにいなさい。元の世界に戻っても、数分も経ってないのだから、それこそ気の済むまで」
 ここで僕はあることを同時に考えた。
 一つは、この言葉が罠であるということ。だが周囲を見回しても、僕を狙っていそうな妖怪はいない。逆にすれ違った雨傘に、
「こんにちは!」
 と、笑顔で挨拶をされたぐらいだ。
 次に、これが夢である可能性。普通に考えて妖怪が現実にいるわけがない。けれどもほっぺたをいくらつねっても目が覚めない。
 最後に、これが現実であるということ。
「本当に僕は、妖怪の町に来てしまったのか?」
「だからそうだって!」
 詳しい話を聞かせてもらうために、僕は店内に戻った。

「ここは妖怪の町だ」
「それはわかりました」
 三つ目の店長を見れば十分理解できる。
「君には、空が暗く見えただろう? この町の空は、見る人によって違う。心が暗い人には夜に、元気な人には昼間に見えるのだ」
「なるほど…」
「そして…! この町は現実にはない。だから時の流れがない。ここでいくら過ごしても時計の針は進まない」
「不思議ですね」
 誰かがそう決めたのか、それとも最初からそういう世界なのか。僕にとっては夜中だけど、店長にとっては一度も夜が訪れたことはないらしい。
 一通り聞いた後、店長は、
「最後に! これだけは守ってくれ!」
 と、あることを強調した。
「何です?」
「空が明け方になってきたら、速やかに私に教えるんだ!」
「帰れる、ってことですか!」
「そうだ。だがそれを逃すと、二度と戻れなくなってしまう!」
 なにかファンタジーの世界にありそうな制約を課された。でも当時の僕は不気味さを拭えない町からは速く出たかったので、
「わかりました!」
 と返事をした。

 この世界の妖怪たちはフレンドリーなので、人間に金は要求しない。気に入った妖の家に上げてもらえ、もし誰にも気を許せないのならここに戻って来てくれ。店長は僕にそう言い、町に出歩いてみることを勧めた。
「とは言われてもな…」
 危害を加えてこないことはわかったけど、知らない場所でしかも夜。何か寂しい気分になってしまう。
「私の家はどうですか?」
 猫又に話しかけられたが、
「ごめん。僕は犬派なんだ……」
 断った。すると猫又は残念そうに立ち去る。他にも妖怪が話しかけて来たのだが、何か適当な言い訳をして断った。
(どうせ時間が流れないんなら、一人で過ごしたいな。寂しいけど、妖怪と一緒だと心が休まれないよ)
 そう思ったためだ。だから目立たなそうな場所を求めて歩いたが、全然見当たらない。
「くっそ~! 安らげる場所はないのか!」
 僕が悔しそうにしていると、
「あの、すみません…」
 声をかけてくるものが一人いた。
「え、人間……?」
 見た目は完全にそうだ。僕より少し大人っぽい女性がそこにいた。
「あなたもそうですか?」
「あ、はい…」
 僕は安心した。
(なんだよ、人もいるんじゃないか! しかも綺麗だし!)
 ちょうどいい。そう思った僕は彼女に名を名乗ると、休むための場所を探している旨を伝え、
「なら、私の家に来てください!」
 そう言われたのでついて行くことに。

 彼女は、名前をヤナギと言った。
「どうしてこの町で暮らしているの?」
 聞いてみると、
「雰囲気が気に入ってるんです」
 と答えた。あの時の僕にはそれがわかる気がした。何故なら僕は受験失敗という受け入れがたい現実に直面していたためだ。そのことを感じさせないこの町に光を見い出せたんだろう。
「あなたはどうして?」
「僕は、店長に招かれたんだ」
「そうでしたか。あの人はそういう癖がありますから」
 どうやら珍しいことではないようだ。
 ヤナギの家は二階建てで、一階は他の妖怪が商いをしている。
「儲かるの?」
「それが意外と、なんですよ! 旅の妖怪もいて、いつも繁盛してます」
 窓から下の様子を覗くと、確かに客足は良さそうだ。
「………」
 僕は話題に困った。何を話せばいいんだろう? 同じ人間なのだから、自分の現状を相談してみるのはどうか? でもヤナギは、そういう実社会のしがらみを嫌ってここにいるのだから、聞きたくないかもしれない。
 そう思っていると彼女の方から、
「弓雄さんは、何か解決したい問題でもありますか?」
 聞かれたので、
「大学受験に失敗したんだ…。もう最悪だよ、大学が僕のことをいらない、って言ってる気がしてね…」
「そんなことが…! でも、大丈夫ですよ。ここでゆっくりしていれば、気分も晴れます」
 その他、僕は悩んでいることについて色々とヤナギに相談した。中には返事に困るようなこともあったが、それでも彼女は明るく、
「そうでしたら、こうしてみてはどうでしょう?」
 と、助言をくれるのだ。
 一通り話したら、喉が渇いた。それに疲れた。
「ごめん、ちょっと休みたい」
 言うとヤナギは布団を用意してくれ、
「どうぞごゆっくり!」
 僕を客間に寝かせてくれた。

 眠っている間、僕はあることを考えた。
(合格できなかったことには、意味があるのかもしれない)
 ただ単に実力が足りなかったからなはずだが、それ以上の理由を探していた。
 あの大学は、僕が本来行くべき場所ではないのだ。
 この一年間もっと頑張れば、より偏差値の高い学部に行ける。
 いいや、もっと自分のしたいことを模索するべきだ。
 だとしたら僕の将来像は……。
 そうこう考えている間に、本当に眠りについてしまった。

「弓雄さん、起きてください!」
 僕はヤナギに起こされた。
「むにゃ…」
 時間は止まっているのでわからないのだが、結構寝ていたらしい。
「寝ている間に、ミサンガを腕につけてみました!」
 僕の左手首にそれがある。薄い緑色の綺麗なヤツだ。
「では、お腹も空いたでしょう? ご飯でも食べましょう!」
 食事を運んできてくれた。ヤナギの手料理であるらしく、とても美味しかった。
 食べている時、僕は彼女に、
「もう一年、頑張ってみるよ」
 と告げた。
「それがいいと思います! 頑張ってください!」
 ヤナギは応援してくれるようだ。
「そしたらさ、ヤナギさんも人間の世界に戻らない? 一緒にいろんなところに行ってみたいな!」
 だから僕は、彼女に希望を伝えた。ヤナギの外見が整っているから誘っているのではない。僕には転換期が訪れていたのだ。そして舵を切るキッカケになったヤナギに感謝したくて、言ったのである。
 だが、
「それは、できません…」
 彼女はそう言い、部屋から出た。それどころか家から飛び出した。
「あ、待ってよ!」
 飯を食っている場合じゃないので、僕は追いかけることを選んだ。
 妖怪の町は結構複雑に入り込んでいて、初めて来たために迷子になりそうだった。
「くっそー! こっちに行ったと思ったけど……。割と明るいんだし、見つけるのはそう難しくな……」
 空を見て、あることに気づいた。
 夜が、明けようとしている。
「店長が言っていた、時刻? いや、この町には時間がないんだから……。僕の心境が変化したってことか?」
 そうだ。店長はこの町の空は、見る者の心に依存すると答えた。
 暗い心の場合は夜に、明るい心の場合は昼に。
 そして、明け方になったら帰るチャンス。
「……ヤナギを放っておいて、帰れるか!」
 帰ることよりも彼女を見つけ出すことを選んだ。だから夢中で町中を走り回った。
(ヤナギだってこの町にいる人間だ。彼女と一緒に帰るんだ!)
 一旦曲がり角で止まって、どっちに行けばよいかを考える。そしてその時、体の異変に気が付いた。
「うわ、なんだこれ!」
 僕の左手の指が、木の枝のようになっているのだ。そうなってしまった指は動かせない。
「まさか……! 店長が言っていた、帰れなくなるって、そういうことなのか!」
 明け方になれば帰るタイミング、というのは間違った解釈だ。
 おそらく人間がこの町にいると、夜明けと共に木に変わってしまうのだろう。心が元気になった途端に、いれなくなってしまうのだ。
「で、でも! ヤナギを見つけないと!」
 気持ちが焦ったために、走り出そうとした。しかし、足が木になってしまい、その場から一歩も動けない。
「そ、そんな……!」

「危ないところだった!」
 僕の前に現れたのは、あの三つ目の店長だった。
「た、助けて!」
「大丈夫だ。私が駆け付けたから」
 店長はそういう風に受け取ったが、僕は、
「ヤナギさんを探してくれ!」
 とも叫んだ。
 しかし、
「ああ、お前さん……。あの女に化かされたな?」
 という返事が返って来る。
「え、どういう意味……?」
 店長曰く、
「この世界に人間はいない。今、君を除けば誰も」
「は、はあああ? ヤナギさんは……」
「あれの正式な名前は、柳女(やなぎおんな)だ。妖怪だ」
 それが残酷な真実。
 実はヤナギ…もとい柳女は、僕のことを騙していたらしい。
「どうしてそんなことを?」
「柳女は優しい。だから善意だろうな。しかし彼女は、この町の夜明けに起きることを理解していない」
 店長が指で示した先には、林があった。
「あ、この木々は…!」
 僕の世界にあった、奇妙な形の木だ。
「この町で人間が夜明けを迎えると……木に変わってしまうんだ」
 そしてその木々は、僕のように心が晴れたのに妖怪の町に留まろうとしたなれの果てだと言う。
「今まで私は何度も忠告した。空が明け始めたら、私に言え、と。しかし……気分を良くした人間はほとんど、それを私に教えてくれなかった。妖怪は現実世界の怪異だ、そしてそれを認識できるのは、心がドンヨリと曇った人間だけ。元気な人は、妖と交わることができないんだ…」
 店長が話している最中だというのに、僕の意識は遠退いた。

 気が付くと、僕はあの駄菓子屋の前の道路に大の字で寝ていた。
「ゆ、夢、か……?」
 時計を確認したが、時間はそんなに経っていない。
「おや?」
 その左腕には、ヤナギに結んでもらったミサンガがあった。
「夢ではないらしい」
 にわかには信じられないが、確かに僕はあの妖怪の町に行ったのだ。その証拠が、腕につけられたミサンガなのだ。

「…その後僕は勉強に励んだよ。志望校のレベルを上げて再挑戦したら、見事に受かった!」
 どうやら弓雄のミサンガはその時に切れてしまったらしい。ただ、大切なものとして自宅の引き出しにしまってあるそうな。
「もう一度行けないかって思ってね、何度かあの駄菓子屋に足を運んだ。でも、駄目さ。あそこの店長はそもそもおばちゃんで、男の人は勤めてないって」
 俺も行ってみたいと思ったが、彼のように思い詰めてないので無理だろう。
「柳女は、結構ひどい事を君にしたんだね。騙して木にしてしまおうだなんて…」
「僕はそうは思ってないよ?」
 そうらしく、
「ヤナギがいなかったら、僕は立ち直れてなかったと思う。最後の別れの言葉を伝えられなかったのは残念だけど、それでも僕は彼女に救われたんだ」
 そして、ヤナギは妖の町に訪れた人間を救いたかったのだと言う。
「だってそうだろう? もしも本当に化かすのが目的なら、僕の将来を案じてミサンガなんてくれるかい?」
「なるほど……」
 俺は思った。きっと弓雄は、二度と件の町には行けないだろう、と。
 それは、彼から心の曇りが感じられないからだ。その点においては確かに、柳女は彼のことを救ったのは間違いない。
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