その四十一 ホテルに何かいる

文字数 5,735文字

 やあ随分と豪華なホテル。そんな場所に似合わない俺。でもここで話を聞かせてくれるって言うから遠慮なく入らせてもらう。そしてロビーの前のソファーに腰を掛けると、
「お待ちしてました」
 と声をかけられた。今日の話相手は、このホテルの元従業員らしい。名前を(おか)文子(ふみこ)という。俺と同じぐらいと若く、退職理由がまるで見えない。このホテル、ブラックなのだろうか?
「過酷な労働環境なの?」
 祈裡が失礼極まりないことを言ったので、俺は周りをキョロキョロ見た。どうやら従業員は周りにいないので聞こえていない。ふう、とため息を吐いた。
「ここはいいところですよ」
 そうではないとのこと。これで安心してここに泊まれる。
「でもそれじゃあ、あなたは何故辞めたんです?」
 俺は視線を彼女の左手に向けた。その薬指には何もはめられていない。つまりは独身…結婚するから退職したというわけではないのだ。
「それを話しますよ。ところで天ヶ崎さん、本日はこのホテルに泊まるんでしたっけ?」
「え…ああ、そうだけど。何か?」
「何でもないですよ…。あなたでしたら多分大丈夫でしょう…」
 何か引っかかるようなことを文子は言った。
「ねえ、私は?」
 祈裡が聞くと、
「そうですね……。ちょっと覚悟がいるかもしれません……」
 これは何か、曰くがありそうだ。しかし、ここで逃げては俺の名が廃る。聞くと決めたら潔く聞こうではないか!

 このホテルは、私が中学生の時に建てられました。しかし工事は順調ではなく、完成予定日が何度も延期されたほどです。
「きっと、ペースがゆっくりなのだろう」
 周りの人はみんなそう言っていました。私もそれを鵜呑みにしていました。

 完成後、私は家族でこのホテルに泊まりに行きました。
「わあ、随分と豪華…」
 決して高級ホテルというわけではないのですが、私のような庶民が入っていいのかどうか迷うくらいには豪華なのです。大きなシャンデリアに目を向けると、中々地上に視線を戻せません。
 当時は私も子供でした。売店にいち早く駆けこむと、物色を始めました。この地方のお土産がズラリと並んでおり、遠くから来られた旅行客も困らないでしょう。もっとも私は地元のホテルに行ったのにクラスメイトにお土産が必要かどうかを考え財布と相談し、何も買いませんでしたが。
 部屋も綺麗な和室です。割ったらいくら取られるんだかわかったものではないお皿が飾られていました。掛け軸もありました。
 こういう時、無駄な詮索をしてしまうのが人間なのでしょうか? 私は掛け軸をめくって壁を確認しました。が、お札とかそういうものは何もありませんでした。それで安心し、その日は床に就くことになりました。

 布団の中で中々眠れないでいると、
「……………」
 何かが聞こえました。最初は両親のいびきかと思いましたが、どうやらそうではない模様。私はこの音が気になって、もっとよく耳を傾けてみました。
「…………くれ、お……い…」
 どうやら、廊下から聞こえているらしいのです。私は鍵を持ってドアを開け、廊下に出ました。
「誰?」
 声を出しましたが、誰も返事をしません。この時刻は確か、夜中の一時です。誰かがいる方がおかしいのです。
 ですが、声は聞こえます。それもハッキリと、
「たすけてくれ、おねがいだ」
 と。
 私は辺りを見回しましたが、困っていそうな人は誰もいません。
「何なの? 変だなあ……」
 階段かエレベーターを使えば他の階に行けるのですが、私は不審者と遭遇したら嫌だと思って部屋に戻りました。
 次の日に両親に、夜の出来事を聞いたら、
「そんな声、したか?」
 どうやら聞こえていなかったようです。

 家に戻った後もこの疑問は私の頭から離れません。気になって気になって、仕方がないのです。
 私はパソコンを開いて、このホテルについて調べました。
「変なところは何もない……。あれ?」
 そして、とある掲示板にたどり着いたのです。怪しさプンプンのオカルトサイトでしたが、少しでも情報が欲しかった私はそのページを開きました。
「××山ホテル、曰く付き! 工事中の事故がヤバい…」
 そんなタイトルだった気がします。
 その掲示板を読んでいると、
「俺はあのホテルの工事に携わった」
 と自称する人物の書き込みを発見しました。
「いいかお前ら。あのホテルには行っちゃ駄目だ。屍の上に建てられたホテルなんだ」
 スレッドには、たったそれだけ書き込まれていました。私はその意味が気になって、ホテルが立つ前には何があったのかを図書館で調べました。
「ぼ、墓地……」
 とてもありがちな話ですが、そこはかつて墓地でした。驚くと同時に、
「墓を潰して建てたのなら、幽霊が出てもおかしくはない」
 と、納得していました。

 時は流れます。私が大学生になってそして卒業の時、旅行先がこのホテルとなりました。
「文子の職場って豪華だね。羨ましい!」
 一緒に泊まる友人たちは口を揃えてそんなことを言います。
「まあ、ね…」
 しかし私にはあまり喜べない事情が。それでも無理矢理笑顔を取り繕って、何とか誤魔化しました。

 お酒が入ると、私は一変してしまいました。
「怖い話をしようか?」
 と言うと、みんな食いつきます。そして私は中学時代に調べたことを友人に教えました。
「このホテルは、墓地を潰して建てられている…。そんな罰当たりなことをしでかした人間に怨みを持つのか、今もこの世を彷徨う亡霊が………」
 ここで、私の口が思考と共に止まりました。
(あれ…? 墓地だったのは本当だったけど、でもあの日に聞いた幽霊の声は…?)
 たすけてくれ、おねがいだ。
 一時も頭から離れたことはありません。だからこそおかしな点に私は気づいたのです。
(墓に埋葬された人が、未練がましく助けを求める? それって変じゃない?)
 とりあえずこの場は、友人たちを上手く誤魔化してちゃちな怪談話としました。

(おかしい……。これって絶対、変だ…!)
 私は確信しました。あの日私に聞こえるように声を放った幽霊は、墓にいた者ではない。
 では、何者なのだろうか…。今度はそれを考えていました。
 しかし友人たちと一緒にいるのに勝手な行動はできません。
(どうせここに就職するのだし、春になったら探ってみるか…)
 私はそうやって自分の感情を抑え込み、そして夜になって話題が尽きた頃に寝ました。
「……………………………………?」
 気がつくと、目が覚めていました。時刻は午前三時。友人たちは夢の中なのか、笑顔で寝ています。
「あ…………こ…………………う?」
 また、声が聞こえました。中学生だったあの時と、同じ声です。ですが違うことを言っているように感じました。
 私は鍵を持って部屋を一人で出ました。廊下はかなり暗く、スマートフォンで足元を照らさないと転びそうでした。
「あんたはきこえているんだろう?」
 ハッキリと、階段の方からそう聞こえました。
(こっちだ!)
 恐怖よりも興味が勝ったので、私は階段を降りました。
「こっちだ…」
 今度はそう聞こえ、私は階段を降りると温泉の方に向かいました。深夜の風呂場は開いてはいるのですが、誰もいません。
「もっと…」
 声が段々大きく、そしてハッキリしてきました。
(近い…)
 私は風呂場の戸を開け、その中を進みました。活気も湯気も全然立っていません。そしてそのままガラスドアを開いて露天風呂まで行きました。
「ここに幽霊の正体が?」
 キョロキョロしましたが、墓標があったりはしません。かと言って近くに心霊スポットがあるわけでもありません。この付近で死亡事故が起きていないことは既に調査済みです。
 突然、湯船がブクブクと泡立ちました。
「きゃ!」
 その泡の中から、手が出現しました。露天風呂の湯は透明なのですが、中に人が潜っているようには見えません。まるで水面から出現したようなのです。
 よく見ると、生身ではありません。でも、骨でもないのです。何と不思議なことに、それは手袋をしているのです。そして段々と腕も出てきますが、作業着を着ているような感じでした。
「たすけてくれ、おねがいだ……。まだしにたくない…」
 上半身が出てくると、口をハッキリと動かしそう呟きました。
 それは、ヘルメットを被った男性作業員の幽霊でした。顔は肉が若干溶けているかのようなおぞましい雰囲気で、見ていると鳥肌が立ってしまいます。ゆっくりと体を動かして湯船の中を進み、私の方へとやって来るのです。
「たのむ…。たすけてくれ…!」
 それが手を伸ばしてきましたが、その手を取ってはいけないことは当時の私にも十分わかっています。
「む、無理!」
 私は反転し、一目散に逃げだしました。大慌てで部屋に戻ると布団の中に潜り、朝を待ちました。

 卒業旅行では私は、あの夜のことを口にしませんでした。言っても信じてもらえるはずがないだろうと思ったからです。
 ですが、ここまで来たらあの幽霊の正体を暴いてやろうと思いました。

 春になりました。私はホテルの従業員として働きつつ、探りを入れました。ですが中々手掛かりがつかめません。同僚が泊まりで作業をする時、手伝うことを申し出て夜のホテルに何度もいたことはありましたが、二度とその声は聞けなかったのです。
 何故、あの幽霊の声がしなくなったのだろうと考えたことは何度もあります。勝手に成仏したとは思えません。私は何度か露天風呂の掃除をしたことがありましたが、そこでも何も見つけられませんでした。

 しかし、気になる人物がいました。
 その人は十個ぐらい上の先輩で、いつも決まった時刻にホテルの裏庭にやって来ては手を合わせます。
「先輩が何かを知っている!」
 私の本能はそう告げました。そして先輩を捕まえて、
「さっき裏庭で何をしていたんですか?」
 と聞きましたが、
「さあ? 何も?」
 と、とぼけられました。私は何度も先輩に尋ねたし、それに現場に居合わせたこともあったのですが、彼は何も答えてくれません。
「先輩が絶対に知っているはずなのに…!」
 悔しくて仕方がなかったです。

 ですが、真実を知る時が来ました。それは私がホテルの作業中に、事故に遭って入院した時です。
「丘さん、きっと知りたいと思うんだ。だから教えてあげるよ。特別だ、誰にも話しちゃいけない。わかったね?」
 病院のベッドの上で横たわる私に、彼はまずそう断って私が頷いたのを確認すると、
「あれはね…もう九年ぐらい前になるのかな?」

 先輩は、何とこのホテルの工事に居合わせていたと言うのです。当時はただのアルバイトであり、ホテルの従業員には絶対になれないであろう学歴で、実家で暮らしながらのほほんと暮らしていたそうです。
 ある日のことでした。
「うう…!」
 過労からか、突然パッタリと倒れた従業員がいたそうです。先輩はその人を必死に介抱しましたが、目を開けてくれません。
「おい、埋めておけ」
 現場監督からの指示は、信じられないものでした。その倒れた人を、コンクリートで埋めてしまおうという発想だったのです。
「そんなことできるか!」
 先輩は反論しましたが、
「でもな、君も物分かりが悪い…。こんなホームレス一人にかける金などないんだ。労災がどれだけ面倒か知っているかね? コイツのためにそんな手間はかけられない」
 と言われ、そして強引に土台に埋められてしまったのです。
「このことを、上に報告します!」
 首にされるかもしれない恐怖よりも正義感が勝った先輩は、ホテルのオーナーとなる人物に連絡を入れました。
 しかし、
「お前をホテルの正社員にしてやろう。だからこのことは誰にも話すな。もし誰かに言ったら、その時は君もコンクリートの中に入るかもしれないな…」
 オーナーも現場監督と全く同じ発想でした。それどころか、どこか脅しているように聞こえてしまい、結局先輩は誰にも言えず、このことはうやむやにされてしまったのでした。

「恐ろしいことにね、丘さん。一人や二人じゃないんだ。何人このホテルの壁に埋められただろうか……」
 周囲の人は何も反発しなかったらしいです。
「周りも周りだ。こういう現場ってことを理解している。俺が訴えてもホームレスがその場で働いていたってことは、証明できない。書類なんて簡単に偽装できるからね…」
 先輩は彼らの無念を思うと心が痛み、今も毎日手を合わせ続けているとのことでした。

「おいおい、そんな曰く付きかよこのホテル…」
 俺は普通に腰を抜かしそうだった。だってちょっと首を動かせば視界に入る壁に、人が埋められてしまっているのだと言うのだ…。
「でも、あなたはどうして彼らの声を聞けたんですか?」
 ここで祈裡が中々有能な質問を飛ばす。それについては俺も気になっていた。
「きっと、波長が合ったのでしょうね。思えば私、中学時代のあの時から、このホテルのことばかり考えていましたよ。それこそ、取り憑かれたみたいに。だからここに就職したのかもしれません」
 文子はそう答えた。
 でも、彼女はその霊を救うことはできなかった。しかし幽霊とはその後遭遇していない。これについてどう考えているかを聞くと、
「より、波長の合う人物を見つけたのか…。それとも私では助けてくれないと判断したのか…。卒業旅行の時に既に、お役御免になったんですね、私…」
 そう自説を述べた。
「今日、俺らはこのホテルに泊まるんだけど……その幽霊と出会うかな?」
 俺はそう呟いた。それは文子の耳にも入っており、
「無理じゃないでしょうかね? 天ヶ崎さんも和島さんも、私と同じって感じがしません」
 そう言われた。
 だが俺はこの夜、何とか粘って夜中の四時まで祈裡と共に起きていた。が、文子の言う通りであったことを一応、ここに書いておく。
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