その三十七 暴食型の腹口
文字数 6,374文字
待ち合わせ場所は、小さなバーだ。ここには窓ガラスがないので、外の風景はわからない。それにネットで調べたらこの飲み屋、あまり有名じゃないらしい。
何でこんな場所を指定したんだろうか? それは聞いてみないとわからないな。
そんなことを思っていたら、サングラスをかけてマスクもしている一人の女性が静かに入店してきて、俺の隣に座った。
「天ヶ崎さんですよね?」
俺は頷いた。すると周りを見回してから、
「ここなら大丈夫……なはず! だからここを選びました」
と言って、彼女は自分の顔を覆って隠しているグッズを取った。
「どういうこと?」
「それを今から言います……」
これは今から二年前、会社の同期たちと一緒に秋旅行に行った時の出来事だ。
「紅葉狩りも釣りもいいし、どうしようかな?」
仲間たちは紅葉が綺麗な山の中にある保養所で、計画を考えていた。バーベキューも良さそうと、私は一番仲の良い加納と話をしていた。
「明るいうちにキノコ狩りに行こうぜ!」
誰かがそう言った。私は、
「クマが出てきたらどうするの? 危ないかもしれないよ?」
と言ったが、その発言は仲間たちに流されてしまう。結局、グループを組んで行くことになった。
「人数多い方が、クマとも遭遇しないで済むんじゃない?」
加納 はそう言い、私も結局ついて行くことになった。
でも、初心者にキノコが採れるわけがない。スマートフォンで確認しながら回ったけど、食べられるかどうかも怪しいキノコしか生えてないのだ。
「失敗だわね…」
私はそう思った。その時、足元のあるキノコに目が行った。
おいしそうな、そして地味な外見のキノコが一つだけ生えている。
「おい波岸 ! 発見じゃないか! これは食えそうだ!」
私を押しのけて、男子社員がそのキノコを採った。
「でも、本当に食べれるかどうかは…?」
「派手じゃないキノコは食えるんだよ!」
どういう原理か知らないけれど、その男子はキノコを籠に入れた。後は目ぼしいキノコがなかったので、栗を拾って保養所に戻る。
この日の夜は、バーベキューだ。釣りに行っていたグループは大漁だったらしく、おいしそうな魚がクーラーボックスにつめられている。
「ようし! 今日は宴だ! 無礼講!」
「おいおい、同期しかいないんだから遠慮なんていらないだろう!」
仲間たちの内、中心となっている下出 と東堂 の二人がビールの缶で乾杯すると、みんなお酒を飲んだ。私はアルコールに強いので日本酒だ。
バーベキューは盛り上がる。この日のために用意した肉も、安い野菜も、釣ったばかりの魚も、ほっぺが落ちそうなぐらい良い味だった。
「お二人さん、ちょっといい?」
私と加納の間に入ってきたのは、男子社員の及川 。右手にビール瓶、左手に魚の目刺しを持って私に話しかけてきた。
「あ、あら? どうしたの?」
実は加納は、この及川のことを気に入っている。だから私に目で合図を送った。
(仕方ないな…)
私は席を外して、他の人の会話に混じった。
「上司がさー! エクセルも使えねえ癖に偉そうに!」
「そうそう、あのハゲだろ? 無能なのに上から目線なんだよなアイツ!」
「全く、給料泥棒だぜー!」
お酒が入っているからか、みんな陰口のオンパレードだ。相当ストレスが溜まっているらしい。まあそれを吐き出すための旅行なんだけど。
途中、栗ご飯も登場した。私はお腹に余裕があったので食べた。
「あれ? キノコはどうしたの?」
私は疑問に思った。そう言えばあのキノコは、出されていない。一つしかないからみんなが食べられない、だから出していないのかもしれなかった。けど、入れたはずの籠を漁ってもどこにもないのだ。
「え、ない? 波岸さんが見つけたキノコだよね?」
「そうそう、それがどこにもないんだけど…?」
まさか、誰か食べたのだろうか? 毒かもそうでないかもわかっていないあのキノコを?
私はみんなのことを見た。でも誰も、苦しんでいる様子はない。安堵のため息を吐いたが、まだ安心はできない。後から毒がじわじわくる毒キノコもあるだろうから。
バーベキューは無事に終わった。男子たちが、女子は片付けに参加しなくていい、と言うのでお言葉に甘えさせてもらった。私は加納と一緒に風呂場に行き、脱衣所で少し雑談した。
「ねえ、どうだった?」
聞きたい話はもちろん、及川との発展だ。
「良かったわ! 結構仲良くなれたの!」
嬉しそうに彼女は報告した。その後湯船に肩まで浸かって、シャワーで体も洗った。サウナで我慢比べもして負けたりも。でも水風呂での勝負には勝った。
夜も誰かしらは集まって騒いでいるのだろう。でも私たちを睡魔が襲ってきたので、私加納と寝ることにした。
事態が急変するのは、その翌日のことだ。朝食の会場に来ると、
「おい、山里 を見なかったか?」
下出がそう言うのだ。
「どうしたの?」
聞いてみると、山里の姿が朝から見えないとのこと。一緒の部屋にいた及川も、知らないの一点張りだ。
「帰ったのか?」
「そんなはずない。山里は免許を持っていないんだ。ここから帰るには車しかない」
不自然にいなくなった山里。部屋を見たけど荷物が残っていた。財布やスマートフォンまでもあったので、いよいよ帰宅したとは考えられなくなる。
「とにかく、探そう!」
東堂がそう言い出したので、私たちは沢登りの予定をキャンセルして捜索することにした。この保養所はそこまで大きいわけではない。だからすぐに見つかる。そう思っていた。
けれど、見つからないのだ。
「おかしいぞ? 痕跡一つ残さず消えるなんてあり得ない!」
午前中を潰して探し回ったものの、誰にも見つけられなかった。
それ以上にヤバい事件が起きる。
「き、来てくれ!」
東堂がそう言うので、みんなが保養所の裏口に集まる。
「うげっ!」
そこには、長池 の上半身だけが転がっていたのだ。もちろん彼女は死んでいる。
「クマじゃないか…?」
誰かがそう呟いた。
「いや、待て!」
下出が切り出す。
「長池はさっきまでピンピンしていたじゃないか? クマが来たらわかるだろう? これはクマの仕業じゃない!」
「じ、じゃあ…?」
殺人鬼が潜んでいるのではないか。彼はそう結論付けた。
「で、でも! 誰にも気づかれず怪しまれずに長池をこんな目に遭わせるなんて、できるかよ?」
「だよな…。ということは、俺たちの中に犯人がいる………?」
その言葉に、みんなが凍りついた。
「誰だよ、ソイツは!」
「わからん! だが、誰かがしないことにはこんなことは起きない…」
私たちはすぐに保養所内部に戻って、受話器を取った。ここは電波が入らないので、この電話でしか外部と連絡を取れないのだ。
「駄目だ、繋がらない…」
どうやらどこかのケーブルが切られているらしく、連絡手段は絶たれてしまった。
絶望しながら私たちは部屋に戻った。
「どうしよう、波岸?」
加納が不安そうに言うので、私は彼女を安心させるために及川を部屋に呼んだ。
「ちょっと準備したら行くよ。待っててくれ」
及川は五分したら部屋に来てくれた。護身用の物を探したらしいが、何も見つからなかったらしい。
「及川君!」
加納は及川に抱き着くと、わんわん泣いた。
「大丈夫、心配するな! 俺が守ってやるさ!」
頼もしい彼がいたので、私も安心して部屋のベッドに腰かけた。
「今すぐに逃げるべきじゃない?」
「いや、それは難しいだろう」
及川はそう言う。曰く、誰かが犯人である以上、今逃げれば野放しになってしまうとのこと。
「きっと下出と東堂は、この保養所で犯人を見つけるつもりだぜ。あの二人は正義感が強いからな。それに連絡が途絶えてるんだから、不審に思った本社が救助隊を寄越してくれるかもしれない!」
彼がそう言った時、ノックの音がした。
「誰?」
「僕だ、東堂だ」
彼は更なる絶望の事実を知らせに来たのだ。
「乗ってきたバスが、破壊されているんだ…。エンジンが完全にゴッソリ削り取られて消えている!」
「ま、まさかそんなこと…?」
バスの運転は、仲間の中に免許を持っている人がいたので彼にやってもらった。だがそのバスが壊されたのだ。
「犯人は完全に、俺たちをここに閉じ込める気だぜ…」
東堂の言葉に私たちはゾッとした。
「死にたくないよ、私!」
加納が頭を抱えて怯えると、
「俺がいるんだ、大丈夫! 加納さんには手を出させないぜ!」
及川が手を差し伸べる。
この日の夜も、風呂に入ることになった。及川に部屋で待機してもらうことにし、加納と二人で体だけ洗ってすぐに上がった。
「じゃあ及川君、入って来て」
「おう。でも一人で行動するのは怖いな…」
そう言って、隣の部屋の関原 を誘った。
数分後、
「大変だ!」
今度は下出が慌ててドアを叩く。私と加納は部屋から出ると、
「あ、あ…あっちに、長谷川 の死体が!」
聞くと、長谷川の足だけ転がっていたらしい。他の部分はどこに行ったのかは不明とのこと。
「絶対に一人になるなよ! 次に殺されるかもしれない!」
私は実際に確かめたわけではないけれど、彼が嘘を言っているとも思えない。
その後及川は関原と共に戻ってきた。
「関原君も、ここに残ってよ!」
私は強引に彼を引き留めた。及川に比べて、関原もいるのでこの部屋は大丈夫だろう。そう思って寝た。
地獄は次の日だった。
「……誰も何も、知らせに来ないね?」
関原が怪しそうにそう言った。私は勇気を出して部屋を出た。
「う、うう…!」
吐きそうになった。廊下は血まみれで、そして仲間の死体が転がっているのだ。死体は体のパーツがほとんどなく、全てがバラバラ。
「下出君と東堂君を探そう!」
私たちは部屋を出た。そして彼らの部屋を尋ねたが、無人。他の場所を少し探すと、東堂がいた。息も絶え絶えで、今にも死に絶えそうな姿だった。
「に、逃げろ………」
それだけ言うと、彼は永遠に目を閉じた。
「下出君はどこに?」
探そうとしたが、加納が今すぐに逃げようと提案したので、私たちは保養所を出た。
「どうやら、生き残っているのは僕らだけみたいだね……」
関原が呟いた。
森の中を歩いた。朝から何も食べていないので、力も出ない。
「どこまで逃げるの…。私、もう疲れた…」
加納がしゃがんだ。関原はそれを見て、
「どこまでもだ! 殺人鬼から逃げるんだ。僕らがここまで来ていることは多分、知らないだろう」
と言い、さらに森の中を進もうとした時だ。木と木の間から、下出が現れたのだ。
「あ、下出君!」
私たちは彼の姿を見て喜んだが、彼の顔は逆に負に染まっていくのだ。どうしたの、と聞く前に向こうから、
「及川から離れろ!」
と叫んできた。
「どういうこと?」
「アイツは人間じゃない、化け物だ!」
何を言っているのかわからないが、必死なことはわかる。私たちは及川の方を見ると、彼は不気味に微笑んで、
「………ちゃんと殺しておけば良かったかな? 逃げられた時は焦って他の全員を食べちゃったんだが、失敗したなあ。三人は下山用の食料にしておきたかったんだが、今食うしかないね」
唐突に彼は上着を脱ぎ捨てた。
「な、何よそれは!」
及川の腹には、大きな口があった。拳ほどの大きさの歯がズラリと並んで、でっかい舌まである。
「お、お……」
次の瞬間関原のことを掴んで、その口で彼を噛み砕いた。
「うぎゃあああああああああああ!」
歯は鋭い切れ味で、関原のことを腕から食べ始めた。食われた体はどこに消えていくのか不明だが、腹の口がちゃんと彼の体を咀嚼しているのだ。
「畜生ぉぉー!」
あっという間に関原は食われた。腹は血で汚れ、それを大きな舌が拭き取った。
「お、お、及川く……ん…?」
そして加納に襲い掛かろうとした。
「逃げるわよ、加納!」
私は彼女の腕を掴んで引っ張った。だが、全く重くない。振り向くと、肘から先がなかった。既に食われていたのだ。
「こっちに来い!」
下出に言われ、私はそっちの方向に逃げた。
「おい待てよ? 俺は腹ペコなんだぞ?」
及川はもちろん追いかけて来る。
「一体どうして…?」
「夏の旅行では、及川の腹にあんな口はなかった。俺的には、あのキノコが怪しい」
私が見つけたキノコ。それを及川が食べてしまい、そして化け物になったと彼は推理した。
「本当にそんなことが?」
「でも、そうとしか思えない!」
乱暴な考えだが、今はそんな議論ができる状態ではない。とにかく逃げることだ。しかし私は腹ペコだし。下出は怪我をしている。みるみるうちに化け物と化した及川に距離を縮められる。
「腹減ったよぉ、早く食わせてくれないかぁ?」
迫る及川の声。後ろは振り向けない。
「あ、あそこ!」
私の視界に、小屋が入った。そこに向かって逃げ、ギリギリのところで下出も小屋の中に逃げ込むと、ドアを閉める。
「開けろよ?」
ドンドンと、及川がドアを叩く。この小屋には誰もいない。
「波岸! 何か武器になるものを探せ!」
私は棚を手当たり次第に探った。ノコギリやオノはあるのだが。近づいて及川と戦える気はしない。
「こ、これなんかどう?」
驚いたことにボウガンがその小屋にはあった。狩りにでも使うのだろうか?
「もう、もたな…」
凄まじい音とともに、ドアが倒される。下出は下敷きになり、とても逃げれそうではないが、逆に及川の視界から逃れることができている。
でもそれは、及川のターゲットは私になったということでもある。
「女子は下半身が美味いんだよな~。さ、食べよっと!」
迫ってくる及川に向けて、私はボウガンを彼に向けた。
「おいおい、仲間に向かって撃つのか?」
「あなたはもう、仲間じゃない!」
私は躊躇わなかった。解き放たれた矢は、狙った頭ではなく及川の左胸に刺さった。
「…っぐ! こ、こんな…」
そして及川は背中から倒れる。
(倒した…?)
私は下出を起こすとすぐにその場から逃走した。
保養所の方に戻ると、連絡が途絶えたのを不審に思った本社の仲間が助けに来てくれた。
私と下出だけ、助かった。本社の人には何を言っても信じてもらえず、獣害事件として処理された。
「にわかには信じがたい話だな、それは…」
俺は恐怖した。波岸の話が本当なら、人を化け物に変えるキノコが存在しているということか?
「私は、目の前で起こった出来事をあなたに教えただけですよ?」
でも、彼女が嘘を言っているわけでもないのだ。
「その後は、どうなったんだい? 及川の死体が発見されたら、流石にみんな認めただろう?」
「それが、アイツの死体はどこにもなくて…。警察も発見できませんでした。小屋も捜索をしてくれたみたいですけど、崩れていて何もわからないって…。でも、先端が血で濡れた矢が一本見つかったって聞きました」
ということは、及川は絶命せずに生きていると?
「でも、人里に降りてはこないよね?」
「……いいえ、先月下出君のバラバラになった遺体が発見されたんです。アイツはこの町に戻って来て、それで下出君を食べたんです!」
そうか。だから彼女はこんなバーを指定して、しかも素顔を隠しているのか。
何でこんな場所を指定したんだろうか? それは聞いてみないとわからないな。
そんなことを思っていたら、サングラスをかけてマスクもしている一人の女性が静かに入店してきて、俺の隣に座った。
「天ヶ崎さんですよね?」
俺は頷いた。すると周りを見回してから、
「ここなら大丈夫……なはず! だからここを選びました」
と言って、彼女は自分の顔を覆って隠しているグッズを取った。
「どういうこと?」
「それを今から言います……」
これは今から二年前、会社の同期たちと一緒に秋旅行に行った時の出来事だ。
「紅葉狩りも釣りもいいし、どうしようかな?」
仲間たちは紅葉が綺麗な山の中にある保養所で、計画を考えていた。バーベキューも良さそうと、私は一番仲の良い加納と話をしていた。
「明るいうちにキノコ狩りに行こうぜ!」
誰かがそう言った。私は、
「クマが出てきたらどうするの? 危ないかもしれないよ?」
と言ったが、その発言は仲間たちに流されてしまう。結局、グループを組んで行くことになった。
「人数多い方が、クマとも遭遇しないで済むんじゃない?」
でも、初心者にキノコが採れるわけがない。スマートフォンで確認しながら回ったけど、食べられるかどうかも怪しいキノコしか生えてないのだ。
「失敗だわね…」
私はそう思った。その時、足元のあるキノコに目が行った。
おいしそうな、そして地味な外見のキノコが一つだけ生えている。
「おい
私を押しのけて、男子社員がそのキノコを採った。
「でも、本当に食べれるかどうかは…?」
「派手じゃないキノコは食えるんだよ!」
どういう原理か知らないけれど、その男子はキノコを籠に入れた。後は目ぼしいキノコがなかったので、栗を拾って保養所に戻る。
この日の夜は、バーベキューだ。釣りに行っていたグループは大漁だったらしく、おいしそうな魚がクーラーボックスにつめられている。
「ようし! 今日は宴だ! 無礼講!」
「おいおい、同期しかいないんだから遠慮なんていらないだろう!」
仲間たちの内、中心となっている
バーベキューは盛り上がる。この日のために用意した肉も、安い野菜も、釣ったばかりの魚も、ほっぺが落ちそうなぐらい良い味だった。
「お二人さん、ちょっといい?」
私と加納の間に入ってきたのは、男子社員の
「あ、あら? どうしたの?」
実は加納は、この及川のことを気に入っている。だから私に目で合図を送った。
(仕方ないな…)
私は席を外して、他の人の会話に混じった。
「上司がさー! エクセルも使えねえ癖に偉そうに!」
「そうそう、あのハゲだろ? 無能なのに上から目線なんだよなアイツ!」
「全く、給料泥棒だぜー!」
お酒が入っているからか、みんな陰口のオンパレードだ。相当ストレスが溜まっているらしい。まあそれを吐き出すための旅行なんだけど。
途中、栗ご飯も登場した。私はお腹に余裕があったので食べた。
「あれ? キノコはどうしたの?」
私は疑問に思った。そう言えばあのキノコは、出されていない。一つしかないからみんなが食べられない、だから出していないのかもしれなかった。けど、入れたはずの籠を漁ってもどこにもないのだ。
「え、ない? 波岸さんが見つけたキノコだよね?」
「そうそう、それがどこにもないんだけど…?」
まさか、誰か食べたのだろうか? 毒かもそうでないかもわかっていないあのキノコを?
私はみんなのことを見た。でも誰も、苦しんでいる様子はない。安堵のため息を吐いたが、まだ安心はできない。後から毒がじわじわくる毒キノコもあるだろうから。
バーベキューは無事に終わった。男子たちが、女子は片付けに参加しなくていい、と言うのでお言葉に甘えさせてもらった。私は加納と一緒に風呂場に行き、脱衣所で少し雑談した。
「ねえ、どうだった?」
聞きたい話はもちろん、及川との発展だ。
「良かったわ! 結構仲良くなれたの!」
嬉しそうに彼女は報告した。その後湯船に肩まで浸かって、シャワーで体も洗った。サウナで我慢比べもして負けたりも。でも水風呂での勝負には勝った。
夜も誰かしらは集まって騒いでいるのだろう。でも私たちを睡魔が襲ってきたので、私加納と寝ることにした。
事態が急変するのは、その翌日のことだ。朝食の会場に来ると、
「おい、
下出がそう言うのだ。
「どうしたの?」
聞いてみると、山里の姿が朝から見えないとのこと。一緒の部屋にいた及川も、知らないの一点張りだ。
「帰ったのか?」
「そんなはずない。山里は免許を持っていないんだ。ここから帰るには車しかない」
不自然にいなくなった山里。部屋を見たけど荷物が残っていた。財布やスマートフォンまでもあったので、いよいよ帰宅したとは考えられなくなる。
「とにかく、探そう!」
東堂がそう言い出したので、私たちは沢登りの予定をキャンセルして捜索することにした。この保養所はそこまで大きいわけではない。だからすぐに見つかる。そう思っていた。
けれど、見つからないのだ。
「おかしいぞ? 痕跡一つ残さず消えるなんてあり得ない!」
午前中を潰して探し回ったものの、誰にも見つけられなかった。
それ以上にヤバい事件が起きる。
「き、来てくれ!」
東堂がそう言うので、みんなが保養所の裏口に集まる。
「うげっ!」
そこには、
「クマじゃないか…?」
誰かがそう呟いた。
「いや、待て!」
下出が切り出す。
「長池はさっきまでピンピンしていたじゃないか? クマが来たらわかるだろう? これはクマの仕業じゃない!」
「じ、じゃあ…?」
殺人鬼が潜んでいるのではないか。彼はそう結論付けた。
「で、でも! 誰にも気づかれず怪しまれずに長池をこんな目に遭わせるなんて、できるかよ?」
「だよな…。ということは、俺たちの中に犯人がいる………?」
その言葉に、みんなが凍りついた。
「誰だよ、ソイツは!」
「わからん! だが、誰かがしないことにはこんなことは起きない…」
私たちはすぐに保養所内部に戻って、受話器を取った。ここは電波が入らないので、この電話でしか外部と連絡を取れないのだ。
「駄目だ、繋がらない…」
どうやらどこかのケーブルが切られているらしく、連絡手段は絶たれてしまった。
絶望しながら私たちは部屋に戻った。
「どうしよう、波岸?」
加納が不安そうに言うので、私は彼女を安心させるために及川を部屋に呼んだ。
「ちょっと準備したら行くよ。待っててくれ」
及川は五分したら部屋に来てくれた。護身用の物を探したらしいが、何も見つからなかったらしい。
「及川君!」
加納は及川に抱き着くと、わんわん泣いた。
「大丈夫、心配するな! 俺が守ってやるさ!」
頼もしい彼がいたので、私も安心して部屋のベッドに腰かけた。
「今すぐに逃げるべきじゃない?」
「いや、それは難しいだろう」
及川はそう言う。曰く、誰かが犯人である以上、今逃げれば野放しになってしまうとのこと。
「きっと下出と東堂は、この保養所で犯人を見つけるつもりだぜ。あの二人は正義感が強いからな。それに連絡が途絶えてるんだから、不審に思った本社が救助隊を寄越してくれるかもしれない!」
彼がそう言った時、ノックの音がした。
「誰?」
「僕だ、東堂だ」
彼は更なる絶望の事実を知らせに来たのだ。
「乗ってきたバスが、破壊されているんだ…。エンジンが完全にゴッソリ削り取られて消えている!」
「ま、まさかそんなこと…?」
バスの運転は、仲間の中に免許を持っている人がいたので彼にやってもらった。だがそのバスが壊されたのだ。
「犯人は完全に、俺たちをここに閉じ込める気だぜ…」
東堂の言葉に私たちはゾッとした。
「死にたくないよ、私!」
加納が頭を抱えて怯えると、
「俺がいるんだ、大丈夫! 加納さんには手を出させないぜ!」
及川が手を差し伸べる。
この日の夜も、風呂に入ることになった。及川に部屋で待機してもらうことにし、加納と二人で体だけ洗ってすぐに上がった。
「じゃあ及川君、入って来て」
「おう。でも一人で行動するのは怖いな…」
そう言って、隣の部屋の
数分後、
「大変だ!」
今度は下出が慌ててドアを叩く。私と加納は部屋から出ると、
「あ、あ…あっちに、
聞くと、長谷川の足だけ転がっていたらしい。他の部分はどこに行ったのかは不明とのこと。
「絶対に一人になるなよ! 次に殺されるかもしれない!」
私は実際に確かめたわけではないけれど、彼が嘘を言っているとも思えない。
その後及川は関原と共に戻ってきた。
「関原君も、ここに残ってよ!」
私は強引に彼を引き留めた。及川に比べて、関原もいるのでこの部屋は大丈夫だろう。そう思って寝た。
地獄は次の日だった。
「……誰も何も、知らせに来ないね?」
関原が怪しそうにそう言った。私は勇気を出して部屋を出た。
「う、うう…!」
吐きそうになった。廊下は血まみれで、そして仲間の死体が転がっているのだ。死体は体のパーツがほとんどなく、全てがバラバラ。
「下出君と東堂君を探そう!」
私たちは部屋を出た。そして彼らの部屋を尋ねたが、無人。他の場所を少し探すと、東堂がいた。息も絶え絶えで、今にも死に絶えそうな姿だった。
「に、逃げろ………」
それだけ言うと、彼は永遠に目を閉じた。
「下出君はどこに?」
探そうとしたが、加納が今すぐに逃げようと提案したので、私たちは保養所を出た。
「どうやら、生き残っているのは僕らだけみたいだね……」
関原が呟いた。
森の中を歩いた。朝から何も食べていないので、力も出ない。
「どこまで逃げるの…。私、もう疲れた…」
加納がしゃがんだ。関原はそれを見て、
「どこまでもだ! 殺人鬼から逃げるんだ。僕らがここまで来ていることは多分、知らないだろう」
と言い、さらに森の中を進もうとした時だ。木と木の間から、下出が現れたのだ。
「あ、下出君!」
私たちは彼の姿を見て喜んだが、彼の顔は逆に負に染まっていくのだ。どうしたの、と聞く前に向こうから、
「及川から離れろ!」
と叫んできた。
「どういうこと?」
「アイツは人間じゃない、化け物だ!」
何を言っているのかわからないが、必死なことはわかる。私たちは及川の方を見ると、彼は不気味に微笑んで、
「………ちゃんと殺しておけば良かったかな? 逃げられた時は焦って他の全員を食べちゃったんだが、失敗したなあ。三人は下山用の食料にしておきたかったんだが、今食うしかないね」
唐突に彼は上着を脱ぎ捨てた。
「な、何よそれは!」
及川の腹には、大きな口があった。拳ほどの大きさの歯がズラリと並んで、でっかい舌まである。
「お、お……」
次の瞬間関原のことを掴んで、その口で彼を噛み砕いた。
「うぎゃあああああああああああ!」
歯は鋭い切れ味で、関原のことを腕から食べ始めた。食われた体はどこに消えていくのか不明だが、腹の口がちゃんと彼の体を咀嚼しているのだ。
「畜生ぉぉー!」
あっという間に関原は食われた。腹は血で汚れ、それを大きな舌が拭き取った。
「お、お、及川く……ん…?」
そして加納に襲い掛かろうとした。
「逃げるわよ、加納!」
私は彼女の腕を掴んで引っ張った。だが、全く重くない。振り向くと、肘から先がなかった。既に食われていたのだ。
「こっちに来い!」
下出に言われ、私はそっちの方向に逃げた。
「おい待てよ? 俺は腹ペコなんだぞ?」
及川はもちろん追いかけて来る。
「一体どうして…?」
「夏の旅行では、及川の腹にあんな口はなかった。俺的には、あのキノコが怪しい」
私が見つけたキノコ。それを及川が食べてしまい、そして化け物になったと彼は推理した。
「本当にそんなことが?」
「でも、そうとしか思えない!」
乱暴な考えだが、今はそんな議論ができる状態ではない。とにかく逃げることだ。しかし私は腹ペコだし。下出は怪我をしている。みるみるうちに化け物と化した及川に距離を縮められる。
「腹減ったよぉ、早く食わせてくれないかぁ?」
迫る及川の声。後ろは振り向けない。
「あ、あそこ!」
私の視界に、小屋が入った。そこに向かって逃げ、ギリギリのところで下出も小屋の中に逃げ込むと、ドアを閉める。
「開けろよ?」
ドンドンと、及川がドアを叩く。この小屋には誰もいない。
「波岸! 何か武器になるものを探せ!」
私は棚を手当たり次第に探った。ノコギリやオノはあるのだが。近づいて及川と戦える気はしない。
「こ、これなんかどう?」
驚いたことにボウガンがその小屋にはあった。狩りにでも使うのだろうか?
「もう、もたな…」
凄まじい音とともに、ドアが倒される。下出は下敷きになり、とても逃げれそうではないが、逆に及川の視界から逃れることができている。
でもそれは、及川のターゲットは私になったということでもある。
「女子は下半身が美味いんだよな~。さ、食べよっと!」
迫ってくる及川に向けて、私はボウガンを彼に向けた。
「おいおい、仲間に向かって撃つのか?」
「あなたはもう、仲間じゃない!」
私は躊躇わなかった。解き放たれた矢は、狙った頭ではなく及川の左胸に刺さった。
「…っぐ! こ、こんな…」
そして及川は背中から倒れる。
(倒した…?)
私は下出を起こすとすぐにその場から逃走した。
保養所の方に戻ると、連絡が途絶えたのを不審に思った本社の仲間が助けに来てくれた。
私と下出だけ、助かった。本社の人には何を言っても信じてもらえず、獣害事件として処理された。
「にわかには信じがたい話だな、それは…」
俺は恐怖した。波岸の話が本当なら、人を化け物に変えるキノコが存在しているということか?
「私は、目の前で起こった出来事をあなたに教えただけですよ?」
でも、彼女が嘘を言っているわけでもないのだ。
「その後は、どうなったんだい? 及川の死体が発見されたら、流石にみんな認めただろう?」
「それが、アイツの死体はどこにもなくて…。警察も発見できませんでした。小屋も捜索をしてくれたみたいですけど、崩れていて何もわからないって…。でも、先端が血で濡れた矢が一本見つかったって聞きました」
ということは、及川は絶命せずに生きていると?
「でも、人里に降りてはこないよね?」
「……いいえ、先月下出君のバラバラになった遺体が発見されたんです。アイツはこの町に戻って来て、それで下出君を食べたんです!」
そうか。だから彼女はこんなバーを指定して、しかも素顔を隠しているのか。