その六十四 タクシーは大丈夫?

文字数 5,323文字

「お客さん。こんな夜中に一人でタクシーかい?」
「仕方がないんですよ。事情がありまして、ね」
 俺は夜の十一時半に割増だがタクシーに乗った。というのもホテルに着いた途端に急に、パソコンの調子がおかしくなってしまったのだ。祈裡の腕でもすぐには直せず、パーツが必要に。スマートフォンで店を検索すると、結構遠くの店しか開いてなかった。そのため、こんな時間帯に帰ることになってしまった。終電を逃したので、笑うしかない。
「そうか。どんな仕事をしているのかな? 教えてくれる?」
「お安い御用さ! 怪談話を集めているんだ」
 タクシー運転手、溝口(みぞぐち)(しるべ)は俺に、
「私も何か……怖い話、知っているよ。目的地のホテルに着くまでに、聞いていく? どうだい?」
「本当ですか? 内容によっては買いますよ!」
 カバンからメモ帳とシャーペンを取り出し俺は、
「運転に支障がない程度……あなたのテンポでいいですよ」
「そうだな。アレは私が初めて夜間の運転をした時のこと……」

 あの日は人気の少ない夜道を走っていた。
「今日はこの辺で引き揚げようかな、お客さんもいないみたいだし……」
 営業所に向かっていた時だ、歩道で誰かが手を挙げた。道路には私のタクシー以外に車はない。
「……とすると、お客さんか!」
 業務となれば行かないわけにはいかない。私はその人を乗せるために減速し、車を停めて後部座席のドアを開けた。
「どちらまで?」
 お客さんは髪が長く色白の若い女性だった。ボソボソと行きたい場所を教えてくれた。
(住宅街か。ということは帰り道?)
 しかしそこで違和感が。時計を見ると、もう十二時を回って日付が変わっている。こんな夜中に帰宅するのか? もういっそのこと、会社に泊った方が時間とお金の無駄遣いを抑えられるのではないか、と。
「もう夜だね、お客さん。夜でも夏は暑い。けど、この車はクーラーガンガン効いてるから、十分に涼んでいってくれ!」
「…………」
 私は最初の信号に差し掛かる前に、いつも話しかけると決めている。そうやって、お客さんが会話が好きかどうかを判断するのだ。今回は嫌いなようで、返事が暗かった。
(盛り上がらんな……)
 何か音が欲しかったので私は、
「お客さん、音楽でも聞くかい? ビートルズのカセットテープがあるよ?」
「…………」
 これにも無言の返事。
(相当疲れているんだな、これはそっとしておこう)
 きっと、激務で疲労しているのだろう。私はそれ以上声をかけるのをやめた。当然、カーステレオもオフのまま。
「着きま……」
 十数分でその目的地である一軒家に到着した。そこで私は後ろを向いたのだが、
「し、しいいいい? え? な、何……?」
 後部座席に乗っていたはずの女性が、どこにもいないのだ。
「お、落とした? んな馬鹿な?」
 ニュートラルにギアを入れ、一旦タクシーから出た。しかし周辺には誰もいない。当然車内にも。
 混乱していると、その一軒家から夫婦が出てきた。
「お疲れ様です」
 と言いながら、運賃を差し出すのだ。
「どういうことですか?」
 私がワケを聞くと、
「娘なんです、私たちの。でももう、十年前に亡くなって…………」
 その亡くなられた直後頃から、こういうことがよく起きるらしい。娘さんは家に帰りたいから、タクシーを拾うのだそうだ。そして運転手にこの夫婦は料金を払う。
「いいですよ」
 私は拒んだ。死人からお金を取るわけにはいかない。それにその娘さんは家に着く前に消えてしまった。送り届けられていないのだから、運賃は無効だ。

「ちょっと待ってください。車止めて。俺、降ります」
 俺はそう言ったが、標はアクセルから足を離さない。
「その話、あなたの体験談ではないですよね?」
「な、何を言う? 疑っているのかい?」
「消えるヒッチハイカーの起源はアメリカですよ?」
 この話はかなりありふれている都市伝説だ。それを見抜かれた標は、
「……バレてしまったか、あちゃ~」
 と、笑いながら言う。
「その話には金は払えません。あと、俺は消えませんから!」
「わかっているよ」
 ちょっと空気が悪くなった。そこで彼は、
「ならさ……こんな話はどうだい? 怪談話とは違うんだけど」
「どんなのです?」

 ちょっとした心理テストだ。質問は簡単で、
「あなたは人を殺すことを考えている。しかしあなたは女性でしかも小柄なので、ターゲットから返り討ちに遭うかもしれない。そこで、あなたが選んだ仕事は?」
 というもの。物騒なことを尋ねているが気にしないでくれ。
 ここで、
「安全に首を撥ねることができるから、処刑人!」
「毒で殺せばいい! 薬剤師!」
 とか答えた人は、犯罪者の心理ではないらしいのだ。その、暗黒の素質を持つ者は、
「タクシー運転手」
 と答えるという。
「相手を選べる。何故なら勝手に乗り込んでくれるから。殺せると思った相手だけに的を絞れる。そうしたら目的地に向かうフリをして、人気のない場所に行く。そこで殺す」
 タクシーは客を選べないのだが、逆に言えば大多数の中から、自分よりも弱そうで一人だけの客が罠にかかるのを待てる。そして車の行き先も自分で決めれる。だから犯罪者の素質がある者……サイコパスは、そう答えるらしいんだ。

「やっぱり止めてくれませんかね?」
「おいおいお客さん! 私がそう見えるのかね? カーナビ通りに進んでいるだろう?」
「そうですけど、おちょくられているようで不機嫌になりそうです…!」
 標が殺人鬼なわけがない。俺も違う。
「さて前座はこのくらいにしようか」
「は?」
 実は標、とっておきの話があるのだそうだ。
「これは本当に、私が体験した話だからね? 同僚は誰も信じてくれなかったが、嘘はない!」
 声のトーンが先ほどまでとは明らかに違う。それに首筋に汗が流れているのも見える。
「どんな話でしょうか?」
 俺はシャーペンを握り直した。

 私がタクシー運転手になりたての頃だ。初めての休暇を消化するために一人で旅行をした。県外の居酒屋でうまい酒が飲めるらしい。でも難点が一つあって、私の町内から行くには遠すぎるので、近くのホテルに泊まらなければいけないのだ。
「ま、いいっしょ!」
 夕方ごろに電車で移動した。ホテルからも遠かった。
「ごめんくださーい!」
 いつもは車の運転という仕事上、酒はほとんど飲まない。でもその夜は別だ。
「今日は電車で帰りますので! まずは生ビールをください!」
 私は飲み始めた。
 あまりにも美味い酒だったので、私は長い間その居酒屋に留まっていた。
「くにゃ~」
 完全に酔っ払っている。時計を見ると、もう十時。
「ああ、しまってしまった……」
 終電は九時半だ。つまりは酒の飲み過ぎで逃してしまったのである。
「でもお客さん。タクシーがありますよ!」
 と、居酒屋の店主は言う。
「じゃ、もう少し飲むかぁ!」
 お言葉に甘えて私は、日本酒をもう一杯頼んだ。
 夜中の一時になった。流石にこれ以上長居はできないので、
「勘定してくださいな!」
 帰ることに。
「タクシー、拾えますかねぁ?」
「大丈夫だと思いますよ? この時間帯でも結構走っていますので」
 確かに道路を走る車の中にタクシーが何台かある。ちょうど私視線に一台入ったので手を挙げて、
「おーい!」
 そのタクシーを呼んだ。
「駅前のホテルまで!」
「はい」
 こんな酔っ払いを相手にしても態度を崩さない運転手で、好感が持てた。
 タクシーは淡々と進む。
「お客さんさぁ、病院には行ったかい?」
「ああ? いや、行ってないよ?」
「そうかい」
 どうしたんだと聞いてみると、
「知っているかいお客さん。病院で死ぬとその魂は、永遠にその建物から出られないんだって。たとえ廃墟になったとしても、ね。だから霊安室というのがあって、出られない死者を弔ってやるらしいんだ」
「は、はあ……」
 なんて暗い話をするヤツだと私は思った。運転手は知らないのだろうが、私は同業者なのだ。もうちょっと明るい話題をしてくれと感じる。
 急にブレーキがかかった。
「どうしました?」
「ああ、死んだ。かわいそうに、まだ幼いのにね」
「はい?」
 意味不明なことを呟く運転手。私は周囲を見ると、
「び、病院……?」
 その道の横には病院があった。
「でも仕方ないか。あんな火傷を負っては、もう手遅れだ。どんなに頑張っても無理だったんだよ」
「な、何を言っているんです?」
 言葉の意味がわからない。
「ああ、すまないね……。お客さんとは関係、なかったか。では、ホテルに向かおう」
「……では?」
 まるで今までの道のりは、別の場所に向かっていたかのような発言だ。
 タクシーはまた淡々と進む。
「お墓ってね、冷たいんだよ。金がないと入れないし、知人が生きてないと手入れもされない。ある日突然、墓石ごと消えることだってあるんだ。その時は遺骨は、掘り返されるのかなぁ?」
「し、知りませんよ……」
 不気味な話をしてくるので、段々と酔いがさめてきてしまう。
「おっと失礼。またお客さんとは関係ない話だったね。どこまでしたかな?」
「早く、ホテルに!」
「わかってますよ」
 私が促すと運転手は黙り込んだ。
(もう早く着いてくれ…! 嫌な雰囲気だ)
 そう思いながら後部座席に座っていた。そこで、あることに気づいた。
(また、左に曲がった?)
 さっきからずっと、左に曲がっている。あるブロックの周辺を回っているかのようだ。そしてその道路の左には、
(ぼ、墓地だ……!)
 霊園があった。
「あ、気づきました?」
「さっきから何をやっているんだ! こっちは金を払うんだ、ふざけないでくれ! 真面目に仕事してくれよ!」
「してますよ」
 と、返事をされた。今度はちゃんと交差点を右に曲がったり直進したりしてくれている。
(やっと帰れるのか! もうここの会社のタクシーには乗らないぞ! 文句も言ってやる!)
 タクシーには番号が割り振られており、しかも運転手の名前も公開されているのだ。私はそれを見て記憶した。
「んん?」
 その直後くらいだろうか。異変に気づいた。さっきから運転手の体が、動いていないのだ。
「おい、どうし……」
 運転席の方に首を突っ込んでみると、
「う、うわああああああああああああ!」
 信じられないものを見た。
 運転手の目には、五寸釘が打ち付けられていた。それだけではない。口には包丁が突っ込まれており、首は縄で絞められている。おびただしい量の血が、彼の服を赤く染め上げているのだ。
「し、し、し、死んでる! ひえええええええええ!」
 もはや私は酔っているのを忘れるくらいに驚いた。よく見ると腕や指があり得ない方向に曲がっているのだ。足も片方は潰れている。
「え?」
 この時に気づいたことがある。それはこのタクシーがまだ、走っていること。運転手の足はアクセルを踏んでおり、タクシーは加速し続けているのだ。
「おい、止めてくれ!」
 もう反応しない運転手。こうしている間にも、ドンドン速度が上がっていく。
(も、もしかして! 私のことをあの世に連れて行こうとしているのか! だとしたらこの車は……)
 あの世に向かっている。ここで止まらなければ、私は助からない。直感した私は、
「うおおおおい!」
 運転手のハンドルを握って、思いっ切り手前に、左に回した。すると、ドーンという音と衝撃がする。
「あ、が……」
 この時の私の記憶はここで止まっている。多分、電信柱か建物に突っ込んで止まったのだろう。
 しかし、目覚めると私は病院のベッドの上にいたのだ。
「大丈夫ですか?」
「ここは……?」
 医師の隣には、同僚もいる。
「溝口、災難だったな……。まさかひき逃げに遭うだなんて」
「ひ、ひき逃げ? 私が?」
 同僚によれば私は怪我をし一人で道路に倒れていたらしい。
「そ、そんな馬鹿な! タクシーに乗っていたんだ!」
「どの?」
 ここでその会社名と番号、運転手の名前を同僚に教える。
「調べてみるよ。明日また来る」
 次の日に同僚は、
「件の会社に問い合わせたんだけど、その運転手? 三十年前に、あ、うん……。タクシー強盗に襲われて、その、亡くなられているらしいんだ」
「嘘だ! 私は確かに乗ったんだ、あのタクシーに!」
 しかし事故現場には車が残されていなかった。私も番号や運転手のことを調べたが、確かに三十年前で記録は止まっていた。

 標が急にブレーキをかけた。
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ……」
 さっきよりも首筋の汗がびっしょりだ。多分言い表せられない恐怖を思い出したのだろう。
「あのタクシーは一体なんだったのか……。私にはわからない。でも自分なりに考察して納得することにしてみたんだ」
「と言うと?」
「多分、あの運転手は自分を殺した犯人を捜しているんだよ。病院の話や墓石の話は、その犯人に関連している手掛かりなんじゃないかな?」
「なるほど、です」
 無念と未練が、成仏できずにこの世を彷徨っている。標はそう語った。
「でも犯人とそうでない人を判断することができないのか……。お客さんも気をつけてよ? タクシードライバーとしてはお客さんの中に怪しそうな人はいるけど、運転手が大丈夫とは限らないからね」
 彼の言葉には説得力があり、とても重かった。
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