その六十七 過去鎖

文字数 5,852文字

 俺には幼馴染というのがいない。
「いるでしょうが!」
 語弊があった。いるにはいるんだ。祈裡がそうだ。ただし、小中高大とエスカレーター式の学校だったせいで、ありがたみを感じない。
「漫画とかで見るとさ、もっと尊い感じがあって欲しいな。しばらく会ってないとか、久しぶりに再会して……とか? ずっとみんなと一緒だから、同窓会すらできないじゃないか」
 大学時代に知り合った知人は、高校卒業後既に二回も同窓会をしていたらしい。そういう、再会の感動があるのが非常に羨ましい。
「僕は、あまりそうは思わない。過去に囚われることは好ましくないよ」
 と言うのが、城戸(きど)(ひろし)である。彼が今回話を持って来てくれた。
「一児の父でしたっけ? 立派ですね。俺たちには子供の子の字の気配すらありませんよ」
「だいぶ、大変だったんだけどね。それを君に話したい」
 大まかな話の流れはメールで聞いている。浩には幼馴染がいた。家族ぐるみの付き合いもあって、かなり親しい仲だったようだ。
「でも、その幼馴染とは結婚しなかったんですよね? メールに書いてありましたが、亡くなられたんですよね……。お気の毒です」
「いいんだ、それはもう過去のこと」
 しかし、その過去が尾を引いていたと言う。
「まるで鎖に繋がれているかのように、過去は現在に絡まって来る……」

 僕は生まれてから高校時代まで、この町でずっと過ごしてきた。引っ越しとかは無縁で、旅行と祖父母の家への帰省以外では本当に町から出たことがなかった。
「浩!」
 幼馴染の、山神(やまかみ)真広(まひろ)。黒く長い髪の少女。彼女は僕と同い年で、家も近所にあったので、放課後はいつものように遊んでいた。時には公園、また時には僕の家だったり真広の家だったり。
 真広とは、幼稚園以前からの付き合いがあった。それも家族ぐるみで、だ。よく休日は一緒に動物園や水族館に行った。僕が真広の祖父母の家に一緒に行ったり、その逆もあった。
 とにかく距離が近かった幼馴染だ。幼稚園も小学生も中学校も高校も一緒だった。クラスが違った時もあったけど、そんなの全然関係なく、いつも一緒に登下校していた。
 中学時代にクラスメイトから、
「浩は真広と付き合っているのか?」
 と聞かれたことがある。僕は返事に困った。
「うーむ。そういう仲ではないけど……。でも、付き合うとしたら真広しかいないね」
 何とか言葉を濁してそう返事した。でもこの頃から、僕は真広のことを意識し始めることになる。
(真広は僕のこと、どう思ってるんだろう……)
 もし、
「ただの幼馴染としか考えてない」
 と言われたら、かなり悲しい。でも僕は勇気を振り絞って真広に、
「真広は僕のこと、どう思ってる?」
 聞いてみた。すると、
「とても大切な人だよ!」
 僕の不安をかき消す言葉を、真広は言ってくれた。そしてその日から、僕は真広と一緒に登下校する時、よく手を繋ぐことになる。
 真広と手を繋いでいると、とても心がドキドキした。ずっとこうしていたいと思った。それは真広も同じで、中々手を離そうとしないのだ。まだ中学生だったのに、僕は将来のことを考えていた。
(きっと僕は将来、真広と結婚するんだ。そういう運命なんだ)
 真広がどう考えていたかはわからないけど、同じようなことを思っていたと思う。実際、喧嘩なんてしなかったし、毎週末にはどこかに出かけたり一緒に勉強したりして、かなり相性が良かったと痛感できた。

 真広とは高校も同じだった。理由は簡単で、僕も真広も同じような学力だったからだ。最寄り駅も同じなので、中学時代と変わらず一緒に登下校する。だから学校でも僕と真広の関係はすぐに噂になった。
「いいなあ浩は。彼女いるなんて!」
「幼馴染の腐れ縁みたいなものだけどね」
 でも、その距離感がとても良い。お互いに嫌なこと好きなことは熟知しているし、一方が困ればもう一方がすぐに助け舟を出せる。僕と真広の関係はより強固な物になった。
(プロポーズの言葉も考えないとね……)
 まだ早すぎるのだが、格好つけた僕はそんなことを勉強中に考えていたりした。

 しかし、あの日がやって来る。
 その日、僕と真広は一緒じゃなかった。僕は男友達と遊ぶ予定があって、真広の方も家族で買い物に出かけていた。
 プルルルルと、僕の携帯が鳴った。相手は真広の母。
「何ですか?」
「あ、浩君? 大変なの! すぐに病院に来て!」
 その言葉に僕は、嫌な予感がした。心がギュッと締め付けられる感覚を味わった。
 病院に着くと、真広の父と母が僕に事情を話してくれた。
「ひかれた? 真広が……?」
 事故だった。横断歩道で転んだ子供を庇って、真広は車にはねられてしまったのだと言う。
「真広は、無事なんですか?」
 その問いかけに、真広の父と母は首を振らなかったし何も答えなかった。僕の全身から、血の気が引いた。
 庇った子供は無事だったらしい。でも真広は意識を取り戻すことなく、そのまま亡くなってしまった。

 僕は世界に拒まれた感覚を味わっていた。ずっと描いていた、真広との幸せな家庭。それが実現する前に崩壊した。
「浩君、大丈夫?」
「大丈夫です」
 葬儀で見た真広の顔は綺麗だった。ここで息を吹き返して欲しいと何度も願った。でもそんな非現実的なことは起きるわけがなく、葬儀は進んだ。
 僕は真広を失った。
 周囲の人たちは僕と真広の関係を知っていたから、かなり気遣ってくれた。しかしそれがかえって僕の心をえぐる。
(真広とは、もう会えない)
 その事実が全く頭から離れないのだ。勉強も手に付かない状態で、精神的に僕はふさぎ込んでいた。でも、周囲の人に気を遣わせたくないから、元気を取り繕っていた。
 そんな状態が長引けば、気は病む。結果僕は気づいたら、踏切の前に立っていたのだ。
(ここを電車が来た時にくぐれば、真広に会えるんだ)
 今考えれば、間違った発想である。でも僕は真実と信じ、踏み出そうとした。
 だが、足が震えて前に進めない。そりゃそうだ。真広は子供を庇って死んだ。でも僕は、そういう犠牲じゃなくただ無意味に命を捨てようとしている。
(駄目だ! こんなことをしても真広は喜ばない! 僕は真広の分まで、生きないといけないんだ!)
 何とか思い直し、踏切から離れた。
(真広の死は、僕の人生の試練! これを越えなければいけないという、神の啓示なんだ! だから僕は、これからも生き続けなければいけない!)
 そう考えることで、僕は真広の死を割り切ることにした。

 時は流れた。十年後、僕はある女性と出会う。その人の名前は谷岡(たにおか)三枝(みえ)。真広とは違ってショートヘアで、茶色い地毛の人だ。職場で知り合い、すぐに意気投合した。
「浩さん、今度食事に行きましょう」
 交際は順調だ。僕も三枝も結婚をそろそろ考えたい年齢で、その話し合いをすることに。
「式場は三枝さんが選んでいいよ。僕は特に希望はな……」
 口を動かしていると、違和感があった。何だと思って吐き出してみると、
「ぶえ!」
 女性の長い髪の毛だ。しかも一本や二本ではなく、束になるくらい大量に。食べる前に気づくレベルのものが、何故か僕の口の中から出てきたのである。
「ど、どうしたんですそれ……?」
「し、知らないよ……。この料理に入ってたとは思えない……」
 かなり不気味な雰囲気になってしまい、この日の話し合いは中断することに。
(真広が、こんな髪だったっけ……)
 そんなことを思い出していた。
 そして週末、僕は真広の家に向かった。真広の父と母に、結婚の報告をするためだ。
「おめでとう、浩君!」
「ありがとうございます。是非、式に来てください」
「真広もきっと喜んでいるわ」
 母は仏壇の方を向いてそう言った。しかし父の方は言葉とは裏腹に、不満そうな顔だった。当たり前だ、事故さえなければ僕と結婚するのは、真広だったはずなのだから。

 ちょうどその時期のことである。
 僕は結婚式の話を進めるために、三枝に会おうとした。しかし電話すると、
「ごめんなさい。今日は会えません……」
 と断られた。体調が悪いらしいのは声でわかったので、僕はそれ以上追求しなかった。
 しかし様子がおかしいことがすぐにわかる。三枝が会社に来ないのである。体調不良にしては長期間過ぎる欠席だ。その間、僕が会おうとしてもあってくれなかった。
「顔が腫れているらしい」
 会社ではそういう噂が流れた。実際に見た人によると、別人レベルにまで腫れ上がっているらしいのだ。僕はそんな三枝のことが気がかりで、何度も、
「三枝さん、今日会えない?」
 と連絡をしたが、
「ごめんなさい。今日は……」
 全て断られてしまう。いつまでも避けられるのは流石に僕にも堪えるので、
「三枝さん、顔が腫れているって本当なの?」
「そうです……」
「僕はそんなことは気にしないよ。だから一度、会わせて」
 何とか三枝を説得し、会いに行くことにした。三枝の家に行くと、僕は驚いた。
「………」
 声は押し殺したが、心の中では絶叫している。
 三枝の顔は、確かに腫れていた。でも、その腫れ具合がおかしいのだ。別人の顔になっている、と言った方が伝わるくらい。そしてその顔は、
(真広の顔だ……)
 三枝の髪は短めの茶髪のはずが、黒くそして長くもなっていた。曰く、
「切っても切っても次の日には、伸びてしまうんです……」
 らしい。顔も髪も、真広に似ている。
(どうして今頃、真広が? まさか……)
 まさか、真広は僕と三枝の結婚を心地よく思っておらず、三枝の顔を変形させてしまっているのではないだろうか? 僕は三枝に、高校時代に恋人が亡くなったことは話したことはあるけど、それが真広とは一言も言ってないし写真も見せたことがない。なのに、三枝の顔は真広の顔に近づくかのように腫れている。

 非科学的な話だが、僕は、
(真広は成仏してなくて、僕に結婚して欲しくないのかもしれない。僕だけが幸せになることが、腑に落ちないのかもしれない。三枝ことが気に食わないのかもしれない)
 近くの神社に電話をして事情を説明した。
「わかりました。今日この神社には、それに対応できる人がいません。すぐに呼びますので、明日、その恋人を連れてきてください」
 次の日に僕は三枝を連れて、その神社に行った。セーラー服を着た女子高生がスタンバイしていた。
「こんな女の子に何ができるんだ?」
「汝にはわからぬ――」
 名前は、神威(かむい)刹那(せつな)といった。カードゲームにありがちなフレーバーテキストのような話し方をする子で、いまいち内容をよく覚えていない。
「刹那、この人の恋人が、電話で連絡していた人だ。霊視はどう?」
「見える――」
 刹那は、真広の魂が未だに現世を彷徨っており、今は三枝に取り憑いていると言った。しかもこのまま三枝の魂と入れ替わってしまおうともしているらしい。
「その理由は、やっぱり…」
 僕が予想した通りだ。真広は僕の結婚……幸せになることが気に入らないのだ。
「僕は、真広には成仏して欲しい! 事故は悲しいものだったけど、それは運命として受け入れる! だから真広は、もう安らかに眠って……」
 それを言った途端、三枝の口が勝手に動いた。
「ふざけるな! 浩は私と結ばれるべきであって、この女じゃない! 死んだ私のことはもういらないとでも言いたいのか!」
 真広の声だ。怒ったトーンではあるものの、三枝の声ではない。
「そうじゃないよ! 真広が亡くなったのは、僕も悲しかったんだ! でも、僕と真広じゃもう世界が違う……。一緒には、もうなれないんだ……」
「だからこの女を選んだと? じゃあ、浩の望み通りあの世に逝ってやる! この女の魂ごと!」
「ま、待ってくれ!」
 僕は、真広の魂を説得できなかった。
(どうすればいいんだ……)
 頭を抱えようとした時、刹那が動いた。三枝の顔に手を当てて、三枝を大人しく座らせた。
「汝、我と会話せよ――」
 そのまま、刹那は三枝のおでこに額を当てる。何が起きているのか、僕にはよくわからない。神社の神主によれば、
「除霊が始まったぞ」
 らしい。
 数分後、急に三枝が背中から床に倒れた。
「み、三枝!」
 僕は咄嗟に三枝に駆け寄った。その時、
「顔が!」
 三枝の顔の腫れが引いていた。髪も元の茶髪に戻っていたのだ。
「除霊は成功だな、刹那! やはり呼んでよかった!」
「いや、まだ――」
 刹那によれば、三枝の体から引き剥がせはしたものの、このままではまた同じことが起きてしまうという。それを防ぐために刹那が真広の魂に、念仏と共に語り掛ける。
「ん、浩さん……?」
 三枝も気が付いた。自分の顔を触って、腫れがなくなったことを確認して驚いている。
「大丈夫?」
「うん……」
 除霊の方も、すぐに終了したらしい。僕は刹那に聞いた。
「真広の魂は、どうなったの? あの世に送られたの?」
「いいや。少々手こずった――」
「と言うと?」
 刹那は除霊を完遂できていなかった。真広の魂に、とある条件を飲ませて成仏させたのだ。
 それは、
「これから、浩と三枝の子供として生まれ変わる権利を与えた。記憶は消えるし、生前とは何の因果や因縁も持たないが、確かに真広の生まれ変わりだ。同じ名前をつけ、大切に育てよ。それこそが、彼女に対する本当の成仏となる――」
 僕は頷いた。元々、真広のことを大切にできなかった僕にも責任があることだ。三枝も、顔が腫れる悪夢から解放されるならと頷いた。

 二年後、生まれてきた女の子は本当に真広とそっくりだった。普通に考えれば、僕と三枝の娘が両親である僕たちに似ていないのは不気味に感じるだろう。でも僕は、
「ああ、約束通り生まれてきてくれたんだ」
 喜んだ。あの日、事故で失った幼馴染である真広とこうして再会できたことを僕は喜んだ。
 その頃までには三枝にも真広のことを話してあり、三枝も、
「今度こそ、幸せな人生を歩ませてあげよう」
 と誓った。

「……そんなことがあって、生まれてきた子がね。真広!」
「はぁい、お父さん!」
 浩はこの時、娘……生まれ変わった真広を連れてきていた。同時に幼馴染の写真を見せてくれた。
「なるほど。確かにあなたと奥さんには似てないですけど、写真の子とはそっくりですね」
 浩は、過去が鎖のように絡まって来ると言った。結果だけ見れば、真広から逃れること自体はできなかったように見える。
 しかし、浩と三枝は、真広のことを幸せにすると誓った。その決意が過去の因縁を鎖を砕くごとく断ち切り、不幸を切断してくれることを願いたい。
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