その三十八 寿命売り

文字数 5,455文字

 本当は待ち合わせ場所を決めたかったのだが、相手が、それはできない、と言った。というのも今回の相手は病院に入院しているのだ。それは仕方がないことなので、俺は祈裡と共にお見舞いの花束と果物を持って行く。
「よく来てくれた。私はもう長くないんだ…。君は旅をしているらしいが、その間に死ぬかもしれない…」
 六十は越えているであろうご老体の男性だ。喋れる程度には元気な様子だが…?
「おじさん、マッサージしましょう」
 祈裡が彼の肩をもみほぐす。
「本題に入る前に、何の病気なんですか?」
「癌だ…」
 彼は静かにそう答えた。
「それなら治療すれば…。それとも、末期癌…?」
 祈裡がそう聞くと、男性は首を横に振る。
「わかったのは最近なんだ。でもなんとなく、近いうちに自分が死ぬという実感だけはあるんだよ」
 なんてネガティブな発言だろうか?
「そう簡単に諦めないでくださいよ。末期じゃないんなら、手の施しようなんていくらでもあるでしょう?」
「別にいいんだ」
 やけに悟った風な発言をするのだ。何故かを聞いたら答えてくれた。
「最初にあの少女に出会ったのは、いつのことだっただろう…?」

 その少女は、名前を門倉(かどくら)ハンナという。年齢は二十歳前後だ。でも、本名ではないし歳も嘘。飲酒をほのめかす発言をした後に、まだ飲めないということを言っていたことがある。
 出会いは突然だった。
「ねえねえ、おじさん! 二十五万くれない?」
 初対面でそんな要求をしてくるのだ。私はもちろん無視した。それはお金がないからではない。私はある企業の会長で、現金なら腐るほど持っている。だからその金額も、ポンと出せる。
「一体誰だね、そんな無礼なことを私に言うのか?」
 この時に軽く自己紹介を受けたが、当初は礼儀をわきまえないガキだと思って相手にしようとしなかった。
「えっえ~。もう一度よく考えてよ! じゃあ後でまた来るからね!」
 その日は健康診断で、私は病院に向かった。
「大変申し上げにくいのですが……悪性腫瘍を発見しました」
 診断結果は最悪。何回やり直しても変わらない。私は人生で初めて絶望した。この私が、癌? 人生を自分の会社に捧げて、地域貢献までしているこの私が? どうして病に倒れないといけないんだ?
 頭を抱えて病院から出ると、またその少女と出会うのだ。
「おじさん、まだ癌で死にたくないでしょ?」
「……当たり前だ。どうして私が癌を患わないといけないんだ、納得がいかない!」
 すると少女は、
「でもさ…二十五万で助かるって聞いたらどうする? 払う? 払わない?」
 再び言うことになるが、私にとって二十五万程度の出費は痛くも痒くもない。
「君は医者かい? いいや、そういう風には見えないな」
「当たり前じゃん。医療従事者に見える?」
「では、どうして君に金を払うと病気が治ると言うのかね?」
「ふっふーん! それはやってみてからのお楽しみ! でも、後悔はさせないよ? どうする?」
 ここで金を渡しても、この少女と変な関係に発展するわけではない。それにスキャンダルに私は敏感だったので、こういう少女と話しているところを誰かに見られたくもない。
 そう思ったから、私は彼女が要求する二十五万をその場で渡して、
「すぐにどっかに行け。変な目で見られるのはごめんなんだ!」
 と怒鳴った。そうしたら、
「毎度あり! では、売った!」
 意味のわからないことを言い残して彼女は去った。

 次に出会ったのは、一、二週間後のことだろうか。会社の若い者の葬儀に参列した時、ご丁寧に喪服に身を包んだあの少女がそこにいたのだ。
「き、君は!」
 私は驚いた。実はこの時、何度も検査して発覚した癌が、どういうわけか消えた後だったのだ。
「改めまして、門倉ハンナでーす! 好きなお酒はハイボール!」
 そんな自己紹介はどうでもいい。私は彼女に聞きたいことがあったのだ。
「どうやった? 何をしたんだ?」
 私の癌が消滅したことがわかったのは、健康診断から四日後の入院のための再検査の時だ。その間、治療などは一切行っていない。もちろん手術もだ。だから医療的な要因で消えることはまずありえないのだ。
 心に引っかかっていることがあるとすれば、この少女との出会いだけだ。だから彼女が何かをした、そうとしか考えられないのだ。
「それは言えないよ。規約違反だから!」
 教えてはくれなかったが、
「でも! おじさんのこと、お得意様にしてあげるね! これからもよろしく!」
 そう言って、彼女は葬儀場から姿を消した。

 次にあったのは、変な話なのだが、夢の中なのだ。
「ここは…?」
 私は横断歩道を歩いていたはずなのに、気がつくと見知らぬ河川敷にいて、川を渡るための船を待っているのだ。
「次の人…」
 渡り船の乗務員は、やる気のない表情で仕事をこなしている。
「おじさん、こんなところにいたんだね! 探しちゃったよ?」
 また私の前に現れたのだ。
「君か。ここがどこだかわかるかい?」
「やだねえおじさん、三途の川の一歩手前に決まってるじゃん!」
「はあ?」
 驚いたというよりも呆れて、何も言えなかった。だが彼女は、
「普通は前払いなんだけど、おじさんなら後払いでもいいよ。三十二万払ってくれるなら、ここから連れ出せるよ!」
 と言う。
 私は船の方を見た。私の番が来るまでまだまだ時間がかかりそうだ。
「仕方ない。払うから私を会社に戻してくれ」
「オッケー! じゃあ、行っくよー!」
 次の瞬間、目が覚めた。私は事故に遭って生死の間を彷徨っていたらしい。けれどもその死の淵から舞い戻った。私のベッドを囲うように家族が立っており、私の生還に涙して喜んでいた。
(とすると、あれは本当に三途の川……だったのか? でも私は戻って来れた。彼女がいたからか…)
 夜になって病院であれこれ考えていると、静かに病室のドアが開く。またあの少女が、私の元にやって来たのだ。
「おじさん、約束のお金! 私は年齢的にお酒飲めないから、ゲームセンターで使うの!」
 私は、病院にいるから手持ちがない、退院したら払う、と返した。それに納得してくれて彼女は黙って部屋から立ち去った。

 ここまで来ると、私でもわかるようになった。
「あの少女が現れると、私は死の危機に瀕する…?」
 ちょっと違う。逆なのだ。
 私が死にそうになると、彼女が現れるのだ。そして要求された金額を払うと、助かるのだ。
「まるで、寿命を買っているみたいだな…」
 そんな気持ちになった。

 そういうことが頭に入っていたから、私は次に彼女が目の前に現れた時、直感した。もし彼女から寿命を買わなかったら、死ぬと。
 私は数年にわたって、彼女から寿命を買い続けた。

 しかし、それも終わる時が来る。
「おじさん、私に十二万払わないと飛行機は多分、空港に着陸しないよ? どうする?」
 それは海外出張の直前だった。私が飛行機に乗ることは、会社の上層部も知らないことだ。極秘の取引だったから当然。しかし、彼女は把握していた。
「安いな…。まあ、買った!」
 すぐに払ってやった。
「安い? ちょっと違うよおじさん!」
「どういう意味だ? 君は私に、寿命を売ってくれているんだろう? 私は死神にでも取り憑かれでもしたのか、不運が続くが、君が死なない程度の寿命を私に売ってくれるのでないのか?」
 私はそう解釈していたのだ。でも彼女は、
「うーん、まあそう思ってるならそういうことにしよう! では、料金はいただきまーす!」
 渡した十二万を手に取って彼女は帰っていった。
「違う…? 何が違うんだ?」
 私は混乱した。ただ単に延命しているのではないのだろうか? そうでないなら、違う点はどこにあるのだろうか?
 そもそも寿命に安いも高いもあるのだろうか? こういうのは、段々金額が上がっていく印象がある。が、今回の彼女の要求金額は前回よりも少ない。そこも引っかかるのだ。

 そして、私は寿命の売り買いの真実を海外出張から帰って来て知る。
「死んだ…?」
 私の孫が一人、事故で亡くなったのだ。まだ十二歳のかわいい子供だったのだが、その若い命を散らしてしまった。
 もちろん私は息子夫婦や親戚らと同様に、悲しんだ。何故自分の寿命は買えるのに孫の寿命は売ってくれないのだ、と思った。
「待てよ…?」
 この時、私は閃いた。
 孫は十二歳だった。そして今回要求された金額は十二万。同じ数字がそこにはあるのだ。
「もしや!」
 その閃きは、悪魔じみた発想だった。
 私は彼女から、寿命を買っているわけではないのだ。私が寿命を延ばす代わりに、誰かの命が終わるのだ。
 そう考えた後の行動は早かった。というのも最初の人物、つまり二十五歳で死んだ人物に心当たりがあったのだ。
 間違いない。彼は会社の人間だ。私も葬儀に参列したから顔も名前も覚えている。
「私の周りの人が死ぬ代わりに、私の命が伸びるのか…?」
 会長室で資料を漁りながらそう呟いた。すると後ろから、
「おじさん、鋭いね!」
 と声がした。振り向くと彼女がいた。
「おい、君はどうやってここに入った? 会社はIDカードがないと入れないんだぞ? それに会長室の前にはガードマンがいて…」
「そんなの私には関係ないよ! 意味がないから!」
 彼女は笑いながらそう答えた。そして続けて、
「寿命の売り買いはね、特殊なんだよ。死期が迫っている人間にしか売れないし、その人が顔と名前を知っている人物の命を頂戴することになるの。ちょっと漫画みたいでしょ? でも、選ばれるのは完全にランダム。もちろん金額もね」
 やはり、私が思っていた仕様で間違いがなかった。
 彼女は、私の知っている人の命を、私の寿命に変えているのだ。どうやって死を突きつけているのかは知らないが、きっとそういうことができる、いわゆる見える人なのだろう。
「……ということは、門倉ハンナというのは偽名だろう?」
「せいかーい!」
 パチパチと手を叩きながら、彼女はそう言った。もし門倉ハンナというのが彼女の本名だとしたら、金と命の錬金術に自分が選ばれてしまうかもしれない。そんなリスクを冒してまで私に近づくとは思えないのだ。年齢を誤魔化していたのも、自分が選ばれるリスクを少しでも避けるためと考えれば納得できる。要求される金額で誰が死ぬのか、私が予想できてしまえるから。仮に彼女が二十歳だとしたら、二十万を請求された時点で彼女は自分が危ないことに気づけるのだろう。
「ねえおじさん、まだ……買・い・ま・す・か?」
 その言葉は、まるで死神の呟きだ。
「買うとしたら、いくらなんだ?」
「うーんと、三十九万かな?」
 私は首を横に振った。その年齢で真っ先に思いつくのは、私の息子だ。もっと探せば該当する人物が他にもいるかもしれないが、いたとしても息子に死が迫る可能性がゼロになるわけではない。
(今息子は、孫を失って絶望しているんだ。いつ自殺してもおかしくないくらいに! ここで寿命を買ってもし、息子が死んだら…)
 私の返事を聞くと彼女は、
「いいの? 本当に? おじさん、死んじゃうよ?」
 と言うが、私は別にそれでも構わないのだ。息子は社長第一候補だし、私がいなくても十分にやっていけるだろう。若い人に後は任せる。年老いた自分は、もう舞台の上から降りてもいいだろう。
「そっかー。じゃあもうおじさんには用はないや! ああ、せっかく前の人より稼げると思ったんだけどなあ!」
「その前の人は、どうだったんだ?」
 気になったので聞いてみると、
「おじさんよりはるかに馬鹿だね! カラクリに気づかないで、全財産を使い果たしちゃったんだ。それでもう寿命を買えるお金も、命を頂戴できる人も、何も残らなかった!」
 子供のように思い出して彼女は笑った。そして一通り笑い終わると会長室から出て行き、二度と私の目の前に現れることはなかった。

「……そして二週間後、私の癌が見つかる。彼女はもう現れない。だから私はもうすぐ死ぬんだ」
 寿命を売買できる人間が、この世にいると? だが彼の体験はそれを物語っている。
「おじさん、そんなこと言わないでよ! お願いだから最後まで生きて!」
 祈裡の願いも空しく彼は、
「いいんだ。会社は大丈夫だし、それに誰かの命を犠牲にしてまで生きたいとは思わんよ。そもそも私の命は最初に癌が見つかった時に終わっていたはずなのだから…」
 彼はそう言った。何もしてやれない自分の無力感を俺は味わった。
「せめて、俺の旅が終わって本ができるまでは生きていてくださいよ!」
 彼が諦めているからとはいって、素直に死ねとは言えない。だから励ますことしかできない。
「運が良ければ、生きているかもだな。もし君が彼女……門倉ハンナと出会ったのなら、聞いてみてくれないか」
 何を、と尋ねると、
「彼女の素顔だ。本当は何ていう名前で、何歳なのか。私には教えてくれなかったけど、君には言うかもしれないから…」
 確かに気になることではある。でも俺はその頼み、首を横に振った。
「多分、彼女は俺の前には現れないと思いますよ。だって俺、当分の間は死ぬ予定がないから、です」
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