その二十四 人喰いの村

文字数 6,703文字

「かにばりずむ?」
 祈裡が聞きなれないことを言うから、俺の頭は疑問符で埋め尽くされた。そんな言葉、俺の辞書にはないのだ。
「近代史ばかり調べてるから、わからないんだよ。氷威、目を海の向こうに向けてみ? 歴史があるのはは日本だけじゃないんだよ?」
「でも外人の名前は難しくて、良くわからん…。プラトンの本名は、アリストテレス? アリストクレス?」
 俺の世界史の出来具合は、このレベルである…。
 ところで、なぜこんな会話をしているかというと、今日話を聞かせてくれる人が、カニバリズム……人が人を食べること……に遭遇したらしいからだ。
「君が氷威か。少し待ったよ」
 太占(ふとまに)軍平(ぐんぺい)と言った。彼は会うや否や、いきなり襟をずらして肩を見せつけた。
「うっわ…」
 俺が言葉を失ったのは、何も軍平が変態的趣向を持っていたからじゃない。彼の肩には、人間の歯形がくっきりと古傷として存在したのだ。
「あれは忘れもしない、五年前の話だ…」
 では、その古傷が語る物語に耳を傾けてみよう。

 俺は俺が二十歳の夏だ。友人六人とキャンプに行った。ワンボックスカーに乗って気ままにドライブした後、目的地を目指していたんだ。
「今からすごいことをいうぜ」
 代わり番こに運転していて、その時のドライバーは木倉(きくら)
「何々?」
 興味津々に返事をしたのは、助手席に座る佐藤(さとう)
「道に迷った…」
「おいおい! それじゃあ今どこを走っているのかすら、わからねえってことか? ハハハ、とんだ運ちゃんだぜ!」
 真島(ましま)は冗談を聞いていると思ったらしく、そう言った。
「カーナビを見ろよ、レンタカーでもついてるだろう?」
 俺は木倉にそう言ったが、
「それが、さっきから地図にない道を走っているみたいなんだ…。だから迷った」
「もっと前もって、それ言えよ!」
「それが、一時間前にガソリンスタンドに立ち寄った時にはちゃんと表示されててよ。だから気がつかなかった。それに道路もちゃんとあるんだぜ?」
 木倉は本当に困った感じの顔をしていたのだろう。何度もカーナビを操作しては、地図を見る。
「大丈夫なの…?」
 峰内(みねうち)が心配そうな声を出した。
「平気よ。ここが日本であることには、変わりないわ!」
 川本(かわもと)が言った。だが、何の気休めにもならない。実際に迷子になっているのだから。
「県境は越えた? 近くに川があって…」
「それが、暗くて看板が良く見えなかったんだ」
「おぉい! それじゃあマジもんの迷子ってか? 勘弁してくれだぜ。これからテントを二つも貼って、飯食ったら星空を眺めて、スヤァしたいと思ってたのによ!」
 だが、誰にも木倉を攻める権利はない。何故なら他のみんなは、誰もが会話に夢中で看板やナビに注目していない。誰か一人でも注意していれば気がつけたミスだ。
 そして車は、怪しい山道に差し掛かる。そこから先はコンクリートで舗装すらされていない。デコボコな道だ。
「ストーップ!」
 佐藤叫んだ。同時に木倉は急ブレーキを踏んだ。
「どうした、一体?」
「今、人影が見えたの」
「おいおいおい、怖いことを言うなよ。俺たちゃ、心霊スポットに来てるんじゃないんだぜ? 幽霊でも見たのか? ちびっちまう!」
 だが、それは幽霊でも幻覚でもなかった。左を見ると、確かに女性が一人、ポツンと立っているのだ。その女性はこちらに首を向け、ブレーキの音にびっくりした様子。
「ちょうどいいや。道を聞こう」
 木倉は車から降りると、その女性と少し話をした。すると頭を下げてから車に戻って来た。
「近くに、村があるらしい」
「村?」
「ああ。あの女性もその村の人で、困っているなら来いってよ。急な客人をもてなすことぐらい、ワケないみたいだ」
 その提案は、言わば妥協。キャンプ場にはこの日の内にたどり着けないから、近くにあるという村に行って、そこに泊まる。
「ここら辺でテントよりはいいんじゃない? 野生動物が突然やって来て襲われる、よりはマシだわ」
「そうだな。行こうぜ」
 誰も反対しなかった。だから道なりに車を進めた。

 二十分ほど経っただろうか。林の中にその村は存在していた。まあ、言ってしまえば絵にかいたような田舎。でも、この際安全に泊まれるなら、どこでも良かった。それが、現地住民がいる場所ならなお安心だ。
 村人一号が車を誘導し、入り口近くの空き地に止めた。一応借主は俺なので、車のカギは俺が預かった。
「こんばんは」
 優しそうなばあさんだ。事情を説明すると、心地よく受け入れてくれた。
 その村には大きな特徴があった。民家の他に、村役場のような建物もあった。そこに、ちょっとした宿泊設備が整っているらしい。その時俺たちは、きっと役人がこの村に赴いた時に使用する施設なんだと思っていた。だから何の疑いもなく、その施設に足を踏み入れた。
(おや…?)
 どうやら、俺だけが気付いていたらしかった。その建物の玄関、ガラス扉の鍵が、外側についていることに。今考えれば不自然過ぎるが、その時はそこまで頭を働かせる余裕はなかった。
「男三、女三の六人かい? じゃあ、二部屋使っていいよ」
 綺麗な部屋に案内された。しかも、
「実は温泉があるんだよ。いい湯だよ、是非入りなさい」
 とも言うのだ。
「いいんですか?」
「もちろん」
 ばあさんは即答した。だが俺ら男三人は、その前に飯が食いたかった。
「それもこっちで準備するよ」
 ここまでくると、至れり尽くせりだ。準備ができたら呼ぶといい、ばあさんは部屋から出て行った。
 俺たちはちょっと熱かったために、窓を開けようとした。だが、二十センチほどしか開かない。だから入って来る風も、それほど涼しくなかった。
「エアコンが欲しいぜ!」
 数分後、若い男が部屋のドアをノックした。
「夕食の準備ができましたよ」
 俺たちは女子と合流し、食堂に向かった。
「あれ、川本は?」
「先に温泉に入るって」
「じゃあ川本の分も食っちまおうぜ!」
「よせよ真島。湯船から出たらすぐにこっちに来るだろう」
 食堂で出された料理は、それほど豪華ではなかった。しかしだからと言って、田舎でよくある得体の知れない一品というわけでもない。口に運んだが、普通に美味かった。
「さっき裁いた鶏です」
「畑で採れた野菜です」
「山で採れた山菜です」
 どれも、俺たちの空になった腹を満たしてくれた。
「ふう…もう食えないぜ…」
 ものの数分で満杯だ。でも俺たちはすぐに部屋には戻らなかった。一人で食べないといけないなんて、川本が可哀そうだ。だから待ったのだ。
 しかし、姿を見せる気配がない。十分、二十分と時計の針は進むが、川本が現れることはなく、仕方なく部屋に戻った。

「風呂、行こうぜ」
「おうよ!」
 だが、真島は後で一人で行くと言った。だから俺は木倉と一緒に温泉に入った。露天風呂だ。
「気持ちいいなあ~」
「効能が気になるな。どんなのだろう?」
「馬鹿頭には効かないだろうな」
 そんな会話をしていると、湯船の端っこに目が行った。水溜りのようになっているところがあったのだ。
「何だこれは…?」
 俺は気になって、注意深く観察した。
「ぎょえええ!」
 そして、すっぽんぽんでひっくり返った。その水溜りの中に沈んでいたのは、骨だった。
「おいどうした太占?」
 だが木倉は、冷静だった。
「動物の骨じゃないの? 頭蓋骨とかあれば特定できそうだけど…人の骨のはずがないだろう?」
「だな…」
 そして体をボディソープで、頭をシャンプーで洗うと風呂から出た。入れ替わるように真島が部屋から出て風呂場に向かった。

「今、どの辺なのかを聞こう。そして明日の午前中には予定の道に戻って、キャンプ場に向かう。じゃないとバーベキューセットと釣り具が無駄になる」
「だな。電波も通じないんじゃ、村人に聞くしかない。優しいし、教えてくれるだろう。まあ、地図に載ってない村ですって言われたらちょっとヤバいけど…」
 俺と木倉は、予定を立て直していた。女性陣は帰りたいと言うかもしれないので、その場合は帰して、男だけで楽しむ。そんな感じだ。
「……にしても、真島のヤツ、遅くないか?」
 気づけば、もう一時間は経っている。もうとっくに体も頭も洗い終わってていいはずだ。ゆっくりにしては、遅すぎる。
 コンコン、と誰かがドアをノックした。峰内だった。
「川本ちゃん、そっちにいない?」
「いないけど?」
「そう? さっきから待ってても部屋に戻って来ないし、食堂にもいないの?」
「風呂場は? 確か先に温泉に浸かるって言ってたんでしょ?」
 峰内曰く、先ほど佐藤と二人で行った時、脱衣所に服すらなかったという。
「変だな。真島も風呂に行ったっきりで戻って来ないんだよ」
「ねえ、変じゃない? 偶然にしては出来過ぎてるよ」
 峰内が言うと、雲行きが怪しいことに今ハッキリと気がついた。
 俺たちは役場の別の廊下沿いの一室を見つけた。さっきの若い男のいる部屋だ。川本と真島の捜索をお願いした。だが、この時点でもう夜の十一時頃。夜が遅すぎると言われて拒否された。ならば電話で警察に通報してくれとも言ったが、電話は通じないらしい。しかも、その男はこの村から出たことがないために、村の所在が地図のどの辺であるかも答えられないという。
「怪しいな」
 だが、俺たちも何もできなかった。こんなに遅くなってしまうと、野生動物が出て危険だと言われたために、外に出て探しに行けなかった。役場の中を探そうにも、今夜の作業に就いている人の邪魔になると言われてできない。

 結局、部屋で夜を明かした。二人が戻って来ることはなかった。
 そして朝起きると、あの男が信じられないことを言うのだ。
「今日も泊っていきなさい」
「何でだよ!」
 こんな場所に長居はしたくない。だから怒鳴った。しかし男はビビることもなく、
「友達が行方不明なんだ、別行動するのは危険だろう? 朝から村の者たちが探してくれている。発見するのを待とう」
 確かにもっともらしい言い草。俺たちは部屋に留まるしかなかった。
 数分後、峰内が切り出した。
「ねえ、おかしくない?」
「何が?」
「私、マスコミ志望だからわかるんだけど…。行方不明者が見つかった時、保護と発見に分けられるの」
「同じじゃない?」
「いいえ。保護はその人が生きていた場合」
「じゃあ、発見は?」
「死んでいた場合よ…」
 峰内の言葉で、俺たちはハッとなった。川本も真島も、どこかに消えたことはわかっているが、それが死んだってことには繋がらないはず。なのにさっきの男は、『発見』とハッキリ言った。まるで二人が、既に死んでいるのがわかっているかのような言い方だ。
「ねえ、マズいんじゃないの?」
「だな」
 俺が佐藤に返事をすると、俺たちは立ち上がった。
 ここから逃げるのだ。
 だが、窓は大きく開かない。そこから出ることは不可能だ。だから玄関から堂々と逃げる。しかし、
「おい、変だ! 鍵が外からかかっている!」
 だから、外に出ることすらできない。
「そんなに出たいのか…?」
 後ろで声がした。振り向くと、あの男がいた。村人を大勢連れて。気配が全くしなかった。
「出してやるよ」
 俺たちは、村人に腕を掴まれた。そして外の広場に連れ出された。

 そして、この村人たちの正体がわかった。
「今から、踊り食いを始める! これは普通、最後の一人の時しかしない。故にありつける人数は少ない。しかし! 今は! 四人! 諸事情故に今味わうことになるが、それでもいいな!」
「異議なし!」
 村人たちは一斉に答える。その中には、男、女、大人、子供が。あの親切なばあさんや、村を教えてくれた女性の姿も見える。
「では、この筋肉質な男から!」
 そう言うと、あの若い男は何と、木倉の腕に噛みついた。
「あぎゃあああああああああ!」
 そして、肉を食いちぎる。くちゃくちゃと口を動かし、涎と一緒に血を口から垂らしながら、
「おお、美味…! 焼いても生でも人間の肉は、我らの舌に合う…!」
 と言うと、他の村人も噛みついた。
「うわああああ! 助けてくれええええ!」
 まるで肉食獣が、獲物にかぶりついているかのようだった。俺も峰内も佐藤も、無言だった。目の前の光景が信じられない様子だった。
「いやっ………!」
 急に佐藤が叫んだ。彼女は首に噛みつかれた。どうやら腕を掴んで押さえている奴が、我慢できなくなったらしい。そのまま村人は佐藤の首を食い破った。そして体が地面に落ちると、村人が四つん這いで群がって肉を漁り始める。
「早く食べたいぜ」
 俺を押さえつける男が、そう俺に耳打ちした。もう既に、木倉は内臓まで腹から取り出されて食われている。子供が、千切れた足を引きずりながら、むしゃむしゃと口を動かしている。あの女性は、腕を掴むと、流れ出る血をゴクゴクと飲んでいる。ばあさんも腸を喉の奥に送り込んでいた。
 もはや、この世の光景とは思えない。地獄がそこには存在していた。
「男ばかりでは、飽きるな! 次は、この女にしよう!」
 あの男が、峰内の前にやって来た。
「お願い、助けて!」
 涙ながらの願いは聞き入れられず、峰内は服を破かれると、胸に噛みつかれた。
「やだやだやだやだああああああ! 痛い、痛いいいいいい! やめてえええええ!」
 男の噛みつきが合図となったのか、拘束役の村人も峰内を食べ始めた。肉や脂肪を食いちぎる音だけではない、骨を顎で砕く音すら聞こえた。
「もう我慢できねえ!」
 後ろでそう言う声が聞こえると、俺の腕を掴んでいる男が、俺の肩に噛みついた。
「うおおお、おおおおおおおお!」
 これが、人が人に食われる感触か。俺はその時、火事場の馬鹿力と言わんばかりの力が出た。本能が、このままでは死ぬと判断したんだろう。リミッターの外れた機械のような力を出し、押さえつける村人を振り払った。そして車まで一目散に逃げる。車のカギは俺が持っていたことが幸いした。言い換えれば、カギがなかったら俺も食い殺されていた。
 運転席に座り、エンジンをかけようとしていると、いきなり窓ガラスが割られた。
「食わせろ!」
 執念深いことに若い男が追ってきた。運転席の俺の顔を、血で赤く染まった手で掴んだ。
「おおお、おおおおおお、おおおおお!」
 だが俺は、エンジンをかけると思いっ切りアクセルペダルを踏んだ。そしてそのまま、村から脱出した。

 後のことは、よく覚えていない。それぐらい無我夢中だった。気がつくと、ガソリンスタンドについていた。そこのスタッフに事情を説明しても、「そんな村があるわけない。話も聞かない」と言われ、警察も信じてくれなかった。誰もが、悪夢にうなされたんだと言った。
 ただ、夏休みが終わっても峰内たちは大学に姿を見せなかった。彼女らの保護者も、行方不明届を出したと風の噂で聞いた。
だからこれは、俺が寝ている間に見た夢でもない、現実の出来事なのだ。

「思えばあの村役場は、俺たちのように迷い込んでしまった者を逃がさない檻だったんだ。体を洗った人物から、食べることになっていたのだろう。だからまず川本が、そして真島が、その日の内に食われた。そして本当なら、一人、また一人と食べる予定だったんだろう。俺たちが違和感に気がつかなければ、当然食われて腹の中…村人たちの栄養分にされてしまうところだったよ。峰内たちはそうなってしまったんだが…………」
 軍平はそう言った。
「捜索は本当にされていないのか?」
 俺が聞くと、
「みんな、嘘だって俺のことを否定するんだ。だから俺も、峰内たちの親御さんにも話していない。もう嘘吐き呼ばわりされるのはごめんだから。証拠があればまた違うかもしれない。けれど、あの村に取りに戻りたくもない。事情を知っている俺は、すぐに食われてしまうだろうからな」
「その肩の怪我は?」
「これも駄目だ。不良に絡まれて、喧嘩した時の傷だろうと言われてね。全くどんな因縁つけられたら、こんなにくっきり歯形を残されるんだか…」
 軍平の話は、それで終いだ。俺は、この旅を続けていても、その村には絶対に立ち入らないと誓った。
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