その四十九 四十九日

文字数 7,522文字

 人は死んだ後、四十九日の間あの世とこの世を彷徨って、その間に閻魔大王の裁きを受け、そして極楽浄土に行けるかどうかが決まるという。ただし、死んだことはないので本当かどうかは知らない。
「でも漫画やアニメのキャラクターって、死んだらすぐあの世に行くじゃん。それはどうなんだ?」
「そっちの世界観とは宗教が違うんだろ。向こうの世界にキリストがいるとは限らないし」
 俺とそんな暗い話をしているのは、嶋原(しまはら)欄樹(らんき)。葬儀場に勤めているガチのおくりびと。
「そういう場所に働いてるんだしさ、何かしらの話を聞いたり見たりはしてないのかい?」
「ない、な。俺も最初の内は覚悟してたが、不思議と……。無縁らしい。あ、でも同期のヤツはある日突然発狂して、次の日から来なくなったが……アイツ、どうなったんだろう?」
 今、ちょっと怖いことを聞いたぞ。
「でもそれはよ、仕事場での話。俺のプライベートは完全にヤバいぜ?」
「と言うと?」
「見たこと、あるんだ。それも一回や二回じゃない。何回も!」
 その話を聞くためにここまで来たんだ。
「いいぜ、別に。話して減るもんでもないし」
 では彼がつい最近体験したという、とある霊の話を紹介しよう。

 それは昼休憩で近くのコンビニに行こうとした時、目の前で起こった。鈍い金属音がしたかと思うと、悲鳴も聞こえる。
「事故だ!」
 誰かがそう叫んだ。そしてすぐに救急車がやって来た。
(これは大変だな……)
 俺は事故の全貌を見たわけではない。だから車と何がぶつかったのか、怪我人は何人いるのか、は知らない。
 でも一つ確かなことがある。
 それは、犠牲者は助からないこと、だ。
 別に霊感が鋭いわけではない。だがこの仕事に就いてからというもの、少しずつ見えるようになってしまった。けれども不完全なようで、特別な条件があるのだ。
(あの女性は助からないぞ。即死だ。もう、カウントダウンが始まった…)
 俺の視線の先には、生気のない女性が一人立っている。後頭部は完全に潰れ、右の目玉が飛び出ている。
 死んだ直後、それも事故死の場合は結構惨い外見になるらしい。
(はあ……。毎日使うコンビニの、目と鼻の先に突っ立ってるよ…。嫌でも見ないといけないヤツじゃないか、これは…)
 その条件っていうのは、死んでから四十九日の間の幽霊に限られる、というもの。
 俺の目に映っている女性は、死んだ直後の状態だ。ゆっくりと周りを見、状況を理解しようとしている。
(受け入れるかな…? それとも死んだことに気づかないか?)
 パターンとしては、その二つだ。自分が死んだことに気づき、うなだれる。そして行くあてもなく、どっかに行く。もしくはまるで生きているかのようにふるまう。
 その女性の霊はというと、後者だった。多分即死で、何が起きたかわかっていないんだろう。自分がどうして死んだかさえも、理解できていないのだ。
 して、俺は意図せずこの幽霊を観察することになった。

 事故から数日後、葬儀が行われた。俺の職場でだ。
 死化粧という言葉がある。これは遺体の外見を、生前の姿に近づけることだ。女性の場合は損傷が激しかったために、納棺師が相当頑張ったに違いない。
 女性の霊は吸い寄せられるかのように式場に移動した。きっと、生前の知人が来ているから、何事だ、って思っているんだろう。
 俺は棺桶を覗き込むようなことはしない。だが、会場から出て来たその霊は、頭を抱えていた。
(気がついたみたいだな、自分が死んだことに、ようやく…)
 死化粧を受けたためか、惨い外見は回復していた。結構綺麗な女性で、その命がもったいないと思った。でも、死は平等。拒めないし望むこともできないものだ。
 女性は既にこの世の存在ではないが、あの世に行くまでまだ時間がある。その間、この世を彷徨うのだ。

 どうやら、死ぬと倫理観が壊れるらしい。生きている間に貯めていた鬱憤が弾けるとそうなるみたいだ。
(笑ってやがる。完全に狂っちまったみたいだな…)
 どういう状況か説明すると、この日はあの女性の葬儀の次の日のこと。そして今日はとある老人の式があって、棺桶を囲んで遺族が泣いているのだ。その光景がどういうわけか面白おかしいらしく、腹を抱えて笑っているのだ。
 迷惑なことにあの女性の幽霊は、この葬儀場に居ついてしまった。
 それから何回か、棺桶が運び込まれた。その度に女性の霊は笑った。
 でもお経は苦手らしく、坊さんが唱える時は会場からスッと姿を消す。そのままこの世から消えればいいのに、それはできない様子。
 でも、こうしていられるのは最初の内だけだ。

 二週間が経過した。
 女性の霊はまた、式場に来る人に中指を立てている。生者に対する振る舞いは、失礼極まりない。見えないからって好き放題しやがるのだ。
 だが、ちょっと様子が変だ。
(薄くなっているぜ。あと五週間だもんな、七分の二が経っちまったんだ、そりゃ薄くもなるだろう)
 そしてそれに気づかない女性の霊。死後に死を自覚できるかどうかで変わるのだろうが、この霊は割と駄目な個体。
(ああ見えて、いざ四十九日が過ぎる時は絶対に暴れるんだ。『あの世に行きたくない!』ってな。見苦しいこと、甚だしい!)
 俺はその、四十九日にあたる日に有給を取った。最後の瞬間を見ないで済むからだ。

 さらに一週間が過ぎる。この辺で女性の霊も気づく。自分の体が、最初よりも薄くなっていることに。
 慌てふためき、葬儀場内を行ったり来たり。もがいている。必死にこの世にしがみつこうとしている。けど、無駄だ。
(今更かしこまってお客に頭下げても、生き返れるわけでもない。潔く逝こうとは思わないのか? ああ、思えないから気づけなかったんだな、自分が死んだことに)
 結局、何をしても無駄と悟った女性の霊は、黙り込んで入り口の花壇に寝そべった。生者への冒涜も、やる気をなくしたらしい。

 面白いのが、四週間目である。
(あれぇえ! 今日は立ってるぞ!)
 女性の霊は律儀に、従業員やお客さんとすれ違うと頭を下げるのだ。当然相手には見えてないのだから、返されることはない。でも健気に、深々とお辞儀をする。
 多分だが、幽霊として考えたのだろう。
 生きていることは何か。死ぬことは何か。
 哲学的な発想を抱けるかどうかは、俺も知らん。でもそうとしか言いようがない。最初の態度からは想像できない変貌ぶりなのだ。
 俺も見えないフリをして、すれ違ってみる。
「お疲れ様です」
 と、言っていた。従業員にはそう声をかけているようで、お客さんには、
「ご愁傷様です」
 と呟いていた。
(……結構できる幽霊じゃないか)
 見直した。だから俺は最後の日の有給を取り消し、女性の霊の最後の瞬間を見届けようと思った。

 五週間目。今度は情でも芽生えたのか、式中に棺に抱き着き、泣く。知りもしない人の死に、悲しんでいる。
 お経も、会場の隅の方に逃げてはいるが、ちゃんと聞いている。
(かなり真面目になったな……)
 死んだことを理解すると、幽霊はこうも変わるのか。驚きだ。
 そして式が終わると、最後まで会場に残っているのだ。
 この時点で女性の霊の体は相当薄くなっている。だが、その表情からは焦りが見えない。寧ろ落ち着いているのだ。

 六週目。この世にいられるのも、あと一週間。女性の霊はこの日の態度も真面目であり、幼い子供が葬儀場の中で迷子にならないように見守っていた。
(知っているよな? もうあと一週間しか残っていないことぐらい?)
 もし俺が幽霊だったら、最後の一週間ぐらいは好きな場所に行く。しかしこの女性の霊はそれをしない。今日も式に混ざっては、お焼香を上げるフリをしたり、棺桶に向かって合掌したり。そして火葬場に向けて棺桶が運び出されると、見送る。まるでここの従業員のようだ。俺は週に二日休んでいるから、もしかしたら俺よりも勤務しているかもしれん。
(もしや……)
 俺は思った。女性の霊の一連の行動は、ある目的があっての行為なのではないかと。
 それは、四十九日が過ぎた後のこと。閻魔大王が本当にいるかどうかはわからないが、天に召された後の処遇をよくしてもらおうと、現世にいる内に徳を積んでいるのではないだろうか? 死にたくはなかったけど、死んでしまった。天国か地獄に行くとしたら、天国を選びたい。でも、自分に選ぶ権利はないので、善人アピールをして選んでもらうつもりなのか。
 生まれ変わることが目的かもしれない。この世にいる間に良い行いをして、もう一度人としてやり直させてもらおうって魂胆かもだ。
 俺の考えが間違っている可能性だってある。本物の善意で動いているかもしれない。
(ま、最後に全てわかるだろう………。四十九日目、この女性の霊がどうなるか!)

 そして最後の週。
 その態度はいつもと変わらない。いつも通り頭を下げ、合掌し、見送る。それを一日に何度も繰り返すだけだ。
 さらに時間は過ぎ、四十九日目が来る。泣いても笑っても、この日に全てが終わる。だが、特別なことは何もしない。
(今日が最後って、わかってるのか? それとも、それにすら気づいてないのか?)
 見ているこっちがハラハラする。
 俺は腕時計を見た。もうそろそろ、事故があった時刻だ。
 その時、天から一筋の光が差し込んだ。その光は女性の霊を包み込んだ。そして光と共に、白い翼の生えた何かが降り立った。
 それは女性の霊に話しかける。
「その方。今日が最後。わかっているか?」
「はい」
「生前の行いを吟味した結果、その方は天国には行けないという判断が下された」
「構いません」
「では、行こう。いつまでもこの世に留まることはできない」
 光は天に昇る。女性の霊も上へと上がっていく。やがて雲と判別できなくなった。

「あの幽霊、結局地獄行きだったわけだが…」
 欄樹はそれでも天に召されたことが重要だと俺に語る。
「だってそうだろ? いつまでもこっちにいられたら迷惑だぜ」
「女性の霊の行為は、やっぱり偽善だったのか?」
 俺が聞いてみると、
「どうかな? 最後の審判の瞬間、あの霊は暴れることがなかった。つーことはよ、本心からの行動だったんじゃないか? 自分の最後はどうでもいい、行き着く先が地獄でも構わない。だからこの世にいられる内に、誰かのためになることをしたい。そういう思いだったんだろうな」
 欄樹曰く、その女性の霊は地獄にいても後悔はしていないだろうとのこと。
「だといいけどな……。あの世がどうなってるのかは、生きてる間はわかりゃしないし…」
 ところで、欄樹はもう一ケース紹介してくれると言う。そっちも書いておこう。

 あの女性の霊とは、真逆。俺が病院に、健康診断に行った時のこと。
(おるわ……)
 昼間は賑やかでも夜になると人気がなくなる場所には、幽霊が集まりやすいと聞く。学校や病院がそうらしい。入院している患者は、カウントしないのだろうか? とにかく学校よりは死者が出る可能性が格段に高い。
 この日、まず俺が病院に入る前に大慌てで救急車が入っていった。病気か事故かは不明だが、気の毒な結果になったことは確か。俺が病院から出た時、それは真っ白い顔を建物に向けていた。
「死んだ死んだ死んだ死んだ……」
 そう何度も呟いているそれは、男性の幽霊だ。顔が崩れていなかったために、パッと見では判別しづらかったが、他のお客がこぞって無視しているので魂だけの存在で間違いないだろう。
「あっ」
 観察していたのが仇となり、俺はソイツと目を合わせてしまった。俺のことに気がついた幽霊は、こっちにフワッと移動してくる。
「あの……私、死んだみたいなのですが」
 みたいなのですが、じゃねえよ。実際に死んでんだ。ナチュラルに声かけてくるな。
 怒鳴りたかったが、反応すると良くないので無視する。
「すみません、どうすればいいんですか……?」
 幽霊の方は頼るアテが他にないためか、しつこく俺に付きまとってくる。
(どうするって、俺が知ってると思うか? 死後にやるべきことなんて一つも知らないぞ? 愛する家族のところにでも行けばいいじゃないか…)
 この幽霊は、俺の自宅まで付いてこなかったものの、次の日職場に現れた。
「行くべきところが思いつかないので……」
 多分、身内に霊感の強い人がいなかったから、家族と会っても反応がなかったんだろう。
「しばらくここにいます。声かけてくださいよ……」
 最初の週は、大人しかった。

 二週目。
「私は生きていた時には…………」
 ウザったるいことにこの幽霊、生前の自慢を始めた。何でも、ボランティアに尽力した打の、住んでいた町では誰よりも税金を納めただの、二人の子供を立派に育てただの……。ここで誠心誠意働く俺を無意識のうちに見下している気がして腹が立つ。
「そんな私でも、癌にはなってしまうのですね」
 死因は病死らしい。少なくとも癌の特効薬に、徳はないぞ?
「私は、どうするべきなんでしょうかね……?」
 まだ、決めかねているらしい。
 俺が思うに、天に召されるか、地獄に落ちるか。それとも、この世を彷徨うか。生前の行いで全て決まると思うのだが。
「でも私がこの世に残っているのには、理由があるはずなんです! それを果たさずには、いられませんよ!」
 やる気だけはある様子。
 この時、俺はあることに気がついた。
(生前は、やりたいことが多かった? だとしたらやり残したこともある?)

 三週間が過ぎた。
「おはようございます」
 すれ違う従業員に挨拶をする。それは最初の週から変わらない行動だが、俺には焦っているように見えた。
 既に七分の三が経過している。
(自分の行き着く先が見えて来なくて、内心では苛立ってんな……)
 証拠に、目を離すと物陰に隠れて何やらブツブツと呟いている。誰かへの文句に違いない。

 顕著になったのは、四週間目。
「あの、私はこれからどうなるんですか?」
 また、俺に尋ねてくる。当然俺は無視するのだが。
「お願いです、答えてくださいよ! 不安で夜も眠れません!」
 本当に気の毒で申し訳ないのだが、それでも俺は何も答えない。取り憑かれでもしたら、迷惑だから。

 五週間目。何を呟いていたのかが、ハッキリとわかった。
「…何で俺が死なないといけないんだよ。死んでも誰も困ったり悲しんだりしない奴なんて、他にいくらでもいるじゃねえかよ…」
 それは、自分が死んだことへの不満だった。他人に自慢ができるぐらいの人生を歩んできたんだ、夢の途中で亡くなるのは納得がいかないのだろう。
(死んだことには気づけても、死は平等ってことには気づけないらしいな……)
 この辺りから、態度も目に見えて変わる。まず、挨拶が乱暴になった。下げる頭も、浅くなった。時より挨拶すらしないこともあるし、声も小さい。

 六週目。あと一週間ということを自覚したのか、この週は姿を見せなかった。
(どっか行ったな? まあきっと、家族が恋しくなったか。それとも生前に仲が良かった人を、最後に一目見ようとかかな?)
 俺としては、視界に入らないことはそれだけでかなり助かるのだが。

 そして、最後の週。生への執着、生前の希望が千切れたのか、明るかった最初の頃の態度はもうそこにはなかった。この葬儀場を離れどこかに行ったのが、完全に悪手だったようだ。
(奥さんの不倫現場でも見たか? 仕事の部下が悪口言ってるのを聞いたり、嫌な奴が自分の代わりにポストに就いたのを見たりとか? それとも誰も、既に悲しんでなかったりとかか。それは哀れだろう)
 だが、どんな理由があっても愚痴は正当化できない。
「死ね! 全員死ね! 死ね死ね! 死ねぇ!」
 今の男性の霊は、惨めな姿だ。生者に対し中指を立て、暴言を連発する。
「どうせ死んだら何も起きやしないんだ、みんな死ね! お前も死ね!」
 俺に対してもそう叫んだ。俺は、
(例え死んでも、こんな形で怒りをぶつけたくはないな……。そもそも死んだ後に怒りたくはない)
 と思った。
 そして四十九日目。天から一筋の光が差し込み、男性の霊を包み込む。
 が、
「ふざけんな! 俺はあの世には逝かねえぞ! 納得いかねえ! 何で俺が死ななきゃなんねんだよ! クソがぁっ!」
 なんと男性の霊は、自らを包んだ光の外に出て行った。
「俺はここに残る! 生きているヤツを全員、呪ってやる!」
 そう宣言した時、幽霊の見た目が変わった。それまでは薄いがある程度人間の形だったのに、顔の肉が溶け落ちて、髑髏が露わになった。色もどす黒い色に変わった。
「殺す! アイツら、全員! 絶対殺す!」
 そう怒鳴った後、どこかにフワッと飛んで行った。行き先は少なくともあの世ではないことだけは確かだ。

「あの男性の霊は、悪霊か死神にでもなったんじゃないかな?」
 欄樹の見解は、そうらしい。
「怨霊ってこともあり得るのでは?」
「だな。未練がいっぱいだったから、まともに成仏することもできなかったんだろう。中途半端にやりたいことを残した場合、そうなる。よく覚えておこう」
 欄樹は話の中で、やり残したことがあった、ことに気がついていた。あの幽霊の未練が何かは知らないが、その未練が男性の霊を変えたとも思える。
「俺が思うに、死をすぐに認識してしまうからよくないんだよ」
「と言うと?」
「最初の女性の霊……。自分が死んだことに気づいてなかっただろう? その後死を自覚したわけだが、それだとその時に、死んだことへの不満を爆発させる。その後は反動で、諦めがつくんだろうな。でも次の男性の霊の場合だ……。死んだことに気づいてしまったが故に、心残りが大爆発! 最初の内は納得できても、やり場のない不満は消せない。んで結局、この世を彷徨い続けることになるんだ」
 彼の語った理論が正しいかどうかは、それこそ死んでみないとわからない。
 だが一つだけ言えることがあるとしたら、と欄樹は、
「まあ、死とどう向き合うか。それを生きている内に考えておいた方がいいんだぜ。死は平等、誰しも生きているからいずれ時が来る。それは四十九日先のことじゃないかもしれないんだからさ」
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