その三十二 墓地の下

文字数 5,564文字

「おっとぉ…? モデルさんか何かかい?」
 俺は身長は、低くない方だという自負があったが、そんなものは常盤(ときわ)美華子(みかこ)に出会って一瞬にして水平線の彼方に吹き飛んだ。相手は見事な八頭身美人である。
「百八十はあるから…」
 控えめに言われても、その数字は動かない。俺の方がチビなのだ…。
「でも氷威さん、人生は身長で決まらないよ? 私は背が低くても社会で活躍している人をいっぱい知ってる」
 慰めの言葉なのだが、嫌味にしか聞こえないぐらいには、俺の心にヒビが入っているようで…。
「でもさあ、美人の方が人生得じゃない? それは偏見?」
「そうだよ。そんなのは妄想に過ぎないこと! もうこの話は終わり!」
 と言われ、容姿の話は強引に打ち切られた。まあ、俺もこれ以上続けたくなかったから良しとしよう。
「ところで本題なんだが、どんな話なんだい? 確か、冬に墓参りに行ったとかなんとか…?」
「そうそれ。あの時は忙しくて、夏に行けなかったから…」
 美華子の口は、その暗い体験を語り始めた。

 私の家族の墓は、その寺にあった。高校時代までは毎夏、墓参りをして先祖の霊を供養した。私も嫌いじゃなかったから毎年参加した。
 けれど、困ったことが一つ。
「美華子ちゃ~ん。今年も来たんだね!」
「は、はい…」
 その男は、名前を広気(ひろき)という。寺の子供で、すぐ隣の家に住んでいるのだ。私は彼のことが非常に苦手だ。
「今年は、どこに行こうか?」
「あの、すみません…。墓参りしたらすぐに帰るので…」
「そんな固いこと言わずにさあ!」
 付き合ってもないのに、知り合いとして深い交流があるわけでもないのに、コイツは一々誘ってくるのだ。
「ねえ、行こうよ! 夏は遊んでなんぼだろ!」
「今年は大学受験があるので…」
 勉強を理由に断ろうにも、
「夏休みが終わったら本気出せばいいんだよ! 俺もそうやって乗り切ったんだから!」
 ちなみにこれは嘘である。私は中学の時、住職から「息子は大学受験に失敗して、進学を諦めた」と聞いたことがあった。
「いいじゃんいいじゃん! どこ行く?」
 大学は簡単に諦めた割には、しつこく私に聞いてくる。
「行きません!」
 ハッキリ言っても、
「そんなこと言っちゃって。本当は行きたいんでしょ?」
 と言うのだ。だから毎年、無視することに決めている。こういう輩とは口を利かないのが一番いい対処法。
 そのお寺は、お墓の管理はちゃんと行き届いているし、管理料も高くない。住職も優しい人だった。でもその息子が典型的な女たらしだったから、評判が非常に悪いのだ。
「あの息子さえいなければ…」
 ということを、何度も聞いた。また噂によると、相手が若い女なら片っ端から手を出していて、人妻にもアタックして、旦那さんに殴られたこともあったとか。正直、どこまで噂かは知らない…。

 私は大学に行った。首都圏だったからこの地方から離れてしまい、おまけにお盆にも帰らなかったから、墓参りとは疎遠になっていた。
「久しぶりに、行こうかな」
 年月で言えば、七年ぐらい経っていただろうか。気づけばもう社会人で、東京の一企業で働いている。故郷の空気をもう随分吸っていない。だから夏ぐらいは戻ろうと考えた。
 しかし、その年の夏は休みが取れなかった。
「常盤さん、本当に申し訳ないのだが……冬なら休みを与えられるんだ…」
「そうですか…」
 私の帰省は冬になった。新幹線を降りると、かつて過ごした町は雪景色に包まれていた。
 父も母も、こんな寒い時期に墓参りには行きたくない、夏に行ったんだからいいだろう、と言った。事実そうなので私は、両親を誘うことができなかった。
「また広気さんに遭遇するのかな? 嫌だなあ」
 時期はクリスマス前だ。絶対に食いついて来るに違いない。私の帰省は突然のことではなかったが、かつての友人たちも仕事で忙しいらしく、遊べなかった。予定のないままあのお寺に行ったら…と思うと本当に最悪な気分になりながら喪服に着替えた。

 けれど私の予想もしなかったことが起きていた。
「え、亡くなったんですか?」
 年を取り、白髪の増えた住職は、私に飲み物を出しながら報告した。
「ああ…。息子は図々しい奴だったが、死ぬときはポックリと。呆れるぐらいに静かに死んだ。常盤さんのご両親には伝えたんだが、生前の行いが全てだ。悲しむ素振りも見せなかったよ」
「そう……ですか…」
 私は飲みながら、何故死んだのかを聞いていた。
「仕方ない。小さい頃から世話してきたからわかるが、人様に迷惑かけ過ぎだ。自業自得、因果応報とでも言おうか、墓参りにすら誰も来ないからな」
 聞いていると、かわいそうに思えてくる。でもだからと言って、誘いに乗っていれば、とは思わない。
「常盤のお嬢ちゃんが一番お気に入りだったらしくてな、死ぬ間際にも言っていた。もう一度でいいから会いたいって。気分が悪いかもしれないが、仏壇に線香をあげてくれないかい?」
 不本意だったけど、しつこく誘われるよりははるかにマシだ。だから線香ぐらい、いいかって思った。仏壇の蝋燭で線香に火をつけ、鐘を鳴らして合掌し、拝む。
「この季節に花を買えるところって近くにありますか?」
 かつて墓参りの時に花束を調達していた店は、冬には開いていない。だから私は住職に、お寺の付近にいい店がないか聞いてみた。
「あるよ。確か通りに出てそれから……。ちょっと待ってなさい」
 ご丁寧にも地図を描いてくれた。
「ありがとうございます。ではこれで…」
 そして私は靴を履いて本殿から出ようとした、まさにその時。
「ううぅ……」
 突然、強烈な眠気が私を襲った。抗えずに私は、眠ってしまった。

「うう、ん……? ここは?」
 意識がハッキリした時、私は全く知らないところに横たわっていた。周りは暗い。燭台からわずかな光が漏れているだけで、その光の範囲の外は無限に暗闇。
「え、どこ?」
 空気も何だか悪く、じめじめしている。
「住職さん? いるんですか? ここ、どこなんですか?」
 私は声を大きくして叫んだが、返事はどこからも返って来ない。スマートフォンを取り出してみると、なんと圏外だった。
「何なの一体? ここはお寺の一部? にしては、気色悪い空間だし…」
 私の口は、急に止まった。足に違和感を抱いたから。
「なに……」
 目線を下ろして確認すると、なんと地面の下から手が伸びており、私のふくらはぎを両手で掴んでいるのだ。
「きゃあ!」
 乱暴に足を動かしたが、振りほどけない。それほどに強い力で何かが、掴まっている。徐々に腕が伸びてきて、ふくらはぎから膝、太ももと上がっていく。すると上半身も地面の上に現れる。
 それはまるで、ゾンビのような人型だ。
「何なの! 離して!」
 言葉が通じるとはとても思えないが、私は叫んだ。しかし空しくその空間に響くだけだ。
「やめて!」
 そのゾンビは、私の片足に抱き着いた。厚手のタイツ越しでもその気持ち悪い感覚が伝わってくるのだ。私は気持ち悪くて吐きそうになったが、何とか堪えた。
「やめてって言ってるでしょ! 離してったら!」
 自由な方の足で蹴ってみても、状況は何も変わらない。寧ろそっちの足も捕まってしまい、悪くなった。
「だ、誰か! 助けて!」
 いもしない誰かに助けを求めるぐらい、私は必死だった。ゾンビはそれを嘲笑うかのように、力を強めてくる。
「や…めて…!」
 私も諦めずに、足に力を入れた。するとゾンビはあっけなく手を離した。でも私は力を入れ過ぎていて、尻餅をついて転んだ。
「な、何なのあなた…?」
 明らかにこの世のものとは思えないそれは、俊敏にジャンプすると私に馬乗りしてきた。そして伸びてくる手が、私の首と片方の乳房を鷲掴みにした。
「ああ、うっ……くう…!」
 首を握りしめられ、苦しい。体を横に振って逃げようとしたけれど、コイツはそれに反応して体を動かしてくるのだ。
「い………あ…っ!」
 でも、私も必死だ。ここで抵抗できなければ、間違いなくコイツに殺されるのだ。そう考えると、動かずにはいられない。
「え…いっ!」
 逆に体を持ち上げて、相手の額に頭突きをした。するとゾンビも怯んで、体が地面に倒れた。それでやっと、私は立ち上がれた。
「はあ、はあ、はあ…」
 呼吸を整えようとしたが、それがまずかった。ゾンビは立ち上がると同時に、私の体に抱き着いてきた。
「イヤあっ!」
 凄まじい力で締め上げられた。
(こ、このままじゃ、コイツに絞め殺される……)
 ゾンビの方は、顔を私の顔に近づけようとしてくる。臭い匂いが迫って、私は首を振って逃げた。その時に、目に入ったものがある。
(あれは、何…?)
 白骨した遺体だった。一体だけではない。何体か、結構ある。しかもそれらの頭蓋骨全てから、長い髪の毛が伸びている。女性の遺体だ。しかも服まである。
 そして、思いつくのだ。
(このゾンビ、もしかして広気さん? だとしたらあの白骨遺体は、コイツに殺された女性たち?)
 もしそうだとしたら、墓の下に空間でもあって、そこにゾンビが野放しにされているということだろうか? 女性の温もりを求めて、未だにこの世にしがみついているのだろうか?
「離れて!」
 なんとかゾンビを突き飛ばした。すぐに反転し、逃げ道を探した。
(ここに入ってしまったのなら、そこから逃げることができるはず! 出口はどこ?)
 手探りで探していると、やはりここはどこか狭い空間であることがわかった。
(なら…!)
 空気の流れがヒントになるはず。そう思った瞬間、ゾンビの腕が私の首に巻き付いた。
「ああっ!」
 しかももう片方の手で、口と鼻を覆って塞いでくる。あっという間に呼吸を封じられた。
「…………………………………………っ!」
 ゾンビの方も、私を逃がすまいと必死なのだろう。私を殺したくて仕方がないのだ。
(こ、ここで…死んだら……コイツ…の、遊び、道具に……っ)
 それだけは死んでもごめんだ。まず腰を前に出し、勢いよく後ろに戻す。
「……あ!」
 振りほどくことに成功した私は、逃げ道を探した。
(もしもまた、捕まったら…今度は逃げられない! 必ず殺される!)
 焦る思いを抑えられず、転んでしまった。その直後、私の体の上をゾンビがジャンプして通った。もし転んでいなかったら、捕まっていた。
「え、これは…!」
 そして足元だけ、空気の流れが違うことに気がついた。それを目で追うと、人一人が通れそうな穴がある。
(ここだ!)
 私はそこに入った。ここしかないはず、間違いない。
 入ると同時に、私の足を何者かが掴んだ。反射的に振り向いてしまったがでもそれは、ゾンビではなかった。
「おいていかないで…」
「私も連れて行って…」
「こんなところにいたくない…」
「助けて…」
「もうイヤ…」
 それは大量の、女性の幽霊だ。きっとここであのゾンビに殺された人たちは、ここから出れずにいるのだろう。
「ごめんなさい…。ごめんなさい…。私にはどうすることも…」
 幽霊を救う術なんて知らないので、無情にも見捨てるしかなかった。
 その穴を通ると、もう随分の間使われていない墓地の井戸の中に出た。時刻はもう夜中。
 そしてそこから這い出ると、私は一目散に実家に逃げた。

「…それで、助かったから今もこうして暮らしているの。もしあそこでゾンビに殺されてたら、今頃あの墓地の下で、死ぬまで…というより死んでもあのゾンビの相手をしないといけないのでしょうね…。本当に危なかった」
 俺は聞いていて、
「そんなゾンビがいるのか? 性欲だけ旺盛って…」
 と疑問に思ったのだが美華子は、
「広気さんならそういうゾンビになりかねない。生前からそういう人だったから」
 なるほどな。じゃあ俺も死んでゾンビになったら、生者を追い回して怪談話を聞きたがるのだろうか。その冗談は場を和ませた。
「よくよく考えてみると、そのお寺…ヤバいのでは?」
「そうなるね」
 美華子は彼女の推測を聞かせてくれた。
「住職の息子は死んでも未練がましくて、それでゾンビに。それを見かねた住職があの墓地の下にゾンビを匿って、お寺に立ち寄った若い女性を生け贄にするんだよ…。息子は、私のことがお気に入りだったらしいから、住職は何としても私のことを殺したかったでしょうね」
「え? ちょっと待てよ?」
 その言い方には、引っかかるものがある。
「じゃあ、住職もグルってことかい?」
「そうじゃないと、私があんなところに行くわけないじゃん? 思い返せば私、住職から飲み物をもらって飲んだ。その中に睡眠薬が仕込まれていたとしたら?」
 あり得ない話ではない。そう思うと、ゾッとする。住職って、呪いとかから救ってくれるイメージがあるから、味方だと思っていたが…そうではないケースもあると言うのだ。
「もし生きてることがバレたら、一体何をされるか…。ゾンビのことは両親に言えなかったけど、一応墓を移す提案はした。その後は戻ってないから知らない………」
 美華子は無事なようだが、こう付け加えるのだ。
「今もあの住職が健在なら、きっと生け贄を捧げ続けているのでしょうね。自分の息子を満足させるために」
 彼女はそれで話を締めくくった。
 その後俺は気分を晴らすために美華子と軽く雑談をしたが、その間にも新しい犠牲者が出ているかもしれないと思うと、足の震えが止まらなかった。
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