文字数 2,552文字

 大学の春の学期(セメスター)が終わり、夏の間のクラスはどうしようかと迷ったけれども、お休みにすることにした。
 エステラが帰ってしまう前に、彼女と過ごすせる自由な時間を増やしたかった。
 「メディテーションは1日1回、時間も長過ぎないように」と言われているので、相変わらずゆっくり、森のどこかから別のどこかへ移動している。
 でもセレスティンの話を聞きながら、エステラは「それでいい」というようにうなずく。
 
 ぼんやりと目が覚めて、遠くに聞こえる波の音がとても気持ちいい。目を開けると、リビングの白い天井。
 それから人の気配がしないのに気づく。
 セレスティンを泊めている時でも、エステラは時々、一人で海岸に出ていく。
 それはマリーが朝早くに起きて一人で庭でお祈りを上げるのと同じで、邪魔をしてはいけないものだとセレスティンは心得ていた。
 「一人で過ごす時間を大切にしなさい」とエステラは言った。
 その言葉通り、彼女自身も、そして考えてみれば他の三人も、自分自身の時間やペースを守ることについては言い訳をしない。そしてそれが、自分にも求められていることだとセレスティンは思った。
 セレスティンへの接し方も、教えることを教えたら、後は自分で考え、試し、練習するようにと言われる。自分で新しいことを経験したり、発見するようにさせて、セレスティンが頼めば確認や説明を与えてくれる。
 知識や理解の確認はされるけれど、それはテストではなくて、足りないところを補ったり、次のことを教える準備ができているかを確かめるため。
 誰かから何かを教わるというのは、本当はこういうことなんだろうな。でもそれは学校のシステムでは可能ではない。
 起き上がってガラス戸を開け、テラスから外を見ていると、海岸の向こうの方からエステラが戻って来る。
 歩きながら彼女は、ふと何かに呼ばれたように立ち止まって海の方を見た。
 サンダルを脱いで、波が届くところまで足を踏み入れる。波に足を洗わせながら、遠くを見つめる。
 彼女の意識が、どこか、ここではない場所に向くのがわかる。 
 セレスティン自身メディテーションの練習をしてきて、自分の意識の焦点が、目の前の世界から別の場所にシフトする感覚を体感的に学んでいた。だからそれがわかったのだろう。
 エステラをとり巻くフィールドが大きく広がり、湿った海風との境界がわからなくなる。
 しばらくの間、彼女はそうして遠くを見ていた。
 やがてフィールドが人間としての彼女をとり巻き直し、彼女の意識と体が一つにまとまるのがわかる。輪郭が再びはっきりする。
 自分の意志で自由に自分の輪郭を広げ、そして戻すことができるんだ……。
 エステラは手にサンダルを持ち、再び砂の上を歩き出す。
 テラスにセレスティンの姿を見ると、笑顔を見せた。
「朝ご飯を食べに出る準備はできてる?」

 暗くなったテラスに椅子を並べ、部屋の灯りを消して、二人で夜の海を見る。ラニカイはホノルルと違って人工の光が少なく、星もよく見える。でも今日は満月だから、星は月の光に少しかすんでいる。
「セレスティン 月について、どんなことを知っている?」
「月は潮の満ち干を引き起こす。あと新月と満月の日は大潮で、上弦や下弦の時には小潮」
 これは海岸から海に入るショア・ダイビングの時に注意を払うことだ。
 新月と満月の時には、地球と月と太陽が一直線に並ぶ。そうすると月の引っぱる力と太陽の引っぱる力が重なり、海は大潮で、満ち干の高低差が大きくなる。上弦や下弦の時は月と太陽が地球に対して直角で、そうすると月と太陽の影響が打ち消しあって小潮になる。
 それから月と海の動物たちの関係。とくに海の生き物の生殖サイクルは、月の相と関係する。
「魚が卵を産むのは満月が多い。カブトガニや、サンゴや、カニやエビの産卵も満月の前後。アオウミガメも満月の夜、浜に上がって卵を産むね。
 いちおう『満月は大潮で、それが産卵に都合がいい』っていう説明もあるけど、でも淡水性の魚でも満月に産卵をするのがいる」
 水に近い生き物たちが満月に産卵するというのは、本を読みながら不思議に思っていたこと。
「昆虫でも、ホルモンの変化と月の相が関係するという研究があるっていうのも読んだ。ミツバチの体重は新月の時に最大になるとか」
「人間もね。女性の体の周期を月の周期(ムーン サイクル)と呼ぶでしょ」
「あ そうか。でも人間の女性の周期は、月の相と一致はしていないよ?」
「現代人は、女性の周期が月の相とずれていることが当たり前と思っているけれど、大昔には一致していた時代があったわ。満月に排卵して新月に生理を迎えるのが自然なリズムというのは、わかるでしょ。
 でも体と月の周期が一致しているかいないかに関わらず、感情は月の影響を受けて、精神状態の波を作り出す。
 メディテーションをしやすい日や気が散る日を記録しておけば、月の相との相関に気づくはず。感覚が冴えている時、まとまりなく広がる時、過敏な時、そして乱れる時。
 男性でも感情の波はあるけれど、女性のように体とホルモンの影響が加わって、大きく上下するわけではないから、訓練で抑えてしまうこともできる。
 でも女性の場合、押さえてしまうのは非効率的。むしろその波を生かした方がいい。女性としての自分の体の特質を知れば、それはハンディではなく強さになる」
 エステラが手にしていたお茶に口をつけ、セレスティンもそれにならって、しばらく沈黙が降りる。波の音だけが聞こえる。
 エステラが空に目を上げる。
「月を感じてみて」
 言われて、メディテーションの時のように意識を澄ませる。
 肌に降り注ぐ月の光。
 その光といっしょに自分に届く、微細な、でも確かな影響。
 月の引力が海に影響を与えるように、自分の中の水にも影響を与える。
 自分の中の水が月に反応する。
 だから体の水の満ち干に合わせて、内面の流れも満ちたり引いたりする……。
「水は感情と関係している?」
「そうよ 四大元素の分類では、水は感情の媒体。だから月と水と感情の間にはつながりがあるの。
 単に物理的な水だけじゃなくて、四大元素の水は、目に見える世界の背後にあって、流れる性質を持ったもの。
 流れ、形を変え、含み、運び、つなぐ。あらゆる現象の媒体……」
 


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登場人物紹介

セレスティン

ホノルルで大学に通う。

動物、植物、あらゆる生き物と星が好き。ダイビングが趣味。

ルシアスとの出会いをきっかけに、世間で「魔術」と呼ばれているものを学ぶ道に導かれていく。

ルシアス

もと海軍の情報士官で、ニューヨークの白魔術教団のメンバー。

訳があって軍を退役し、教団を去ってホノルルに移り住んできた。

彼のまわりでは風が生き物のように不思議な振舞いをする。

テロン

海軍の特殊部隊出身で、もと白魔術教団のオフィサー。

ルシアスの友人で、アメリカ本土から彼を追いかけてきた。

マリー

山の上に隠棲し、植物を育てながら薬草やアルケミーの研究をしている女性。

以前はニューヨークでユング派の心理療法家をしていた。

鳥の羽に導かれてセレスティンと知りあう。


エステラ

ニューヨークに住む、白魔術教団のオフィサーで占星学者。

ルシアスとテロンと親しいが、強面のテロンに「俺もルシアスも頭が上がらない」と言わせる女性。

ガブリエル・ジレ

ニューヨークにある白魔術教団のメンバー。

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