杯[ハート]

文字数 2,087文字

 エステラに連れられてワイキキのホテルに行く。
 吹き抜けの天井の広いラウンジで、ゆったりとした奥のソファ席に案内される。
 そう言えば、テロンやエステラとレストランに入る時は、いつも奥や窓際の一番いいテーブルに案内される。二人は自分が欲しいものを知っていて、それを手にする。
 ルシアスは、そういうことにこだわりがない。重要でもないことで思い通りの環境をわざわざ求めるのは、面倒くさいか無意味と思っているみたいなところもある。
 四人とつきあっていると、自分の価値観がいろんな方向に引っぱられる。そしてそれはきっと、いいことなんだと思う。
 エステラは二人分のアフタヌーンティーを頼み、それからシャンパンのリストを持ってこさせ、気に入ったものを選んだ。
 二つのグラスに淡いピンクの液体が注がれる。
「21になったでしょ」
「あ……うん」
 エステラのまねをして細長いグラスに口をつける。
 色から想像するような甘さはない。でも泡のはじける感触と、いい香りが口の中に広がる。
「ゆっくりね。酔っぱらわれたりしたら、迎えを呼ばなくちゃいけなくなるから」
 そう言って笑う。
 ティーポットに入ったお茶がテーブルに置かれ、かすかに薔薇の香りが漏れる。オードヴルやサンドイッチをつまみ、きれいに飾られた小さなケーキやチョコレートを楽しむ。
「セレスティン ルシアスとはどれぐらい一緒にいるの?」
「ええと……2年くらいかな」
「彼と、もう愛を交わ(ラヴ メイキング)した?」
 ふいの質問にセレスティンは答えに口ごもった。頬が赤くなるのを感じる。
「まだってことね」
 エステラの推量にセレスティンはとまどいつつ、お茶を一口飲んだ。
 クラスメートの女の子たちとよく会っていた頃は、そんな話もいろいろ聞いたけれど……。
 ちょっと考えてから、エステラを見る。
「……手を握ったり、肩を抱いたり、優しくキスしてくれたりはするけど……どうしてだと思う? 私のこと、まだ子供だと思ってるのかな?」
「あなたがまだ大人じゃないのは確かだわ。でもそれは、あなたが思っているのとは意味が違う。
 ねえ セレスティン ルシアスと喧嘩したことある?」
「……ない」
「口喧嘩も?」
「だって 彼を困らせたり、傷つけるのは嫌だし……」
「もし自分が望んでいないことをルシアスに求められたら、『ノー』って言える?」
「……」
「言えないなら、あなたは感情的にまだ彼と対等じゃないっていうこと。
 あなたは彼のことを愛していて、彼のためならどんなことでもしたいって思ってる。
 並みの男なら多分、それを利用して、あなたを自分のものにしようとするでしょうね。でもそれは、感情を盾にとって利用するのと同じ。
 彼はそういう形であなたを所有したいとは思ってないのよ。
 あなたが彼に対して『ノー』と言えない時、あなたが口にする『イエス』は、100パーセントの『イエス』じゃない。そこにはそれ以外のものが混じってる。
 彼は、あなたが自分では望まないことを求められたら、ちゃんと『ノー』って言えるようになるのを待ってるんだと思うわ。
 あなたが感情的に完全に自由で、自分の意志でどうしたいかを決められるようになるのを。
 あの男は、自分の哲学や理想を押し通すことに関しては、本当に融通が利かない。でもだから私もテロンも彼を信頼する。
 もし『自分が求められないのは魅力がないから』と不安に思っているなら、そんなのは忘れなさい。
 あなたは今のアメリカ社会の中で、その文化を吸収して育ってる。マスメディアもエンターテインメントも、「ロマンチックで情熱的な恋人」の作られたイメージで一杯。
 でもそんなイメージの多くは、刹那的な世界にだけ生きる人間の視点で作られたもの。それは時に美しくもあり、楽しめるものでもあるけれど、それを手本に自分の愛を測ることには意味はないの。
 彼は彼のやり方であなたを愛している――偏屈なやり方ではあるけれどもね。
 だからあなたは、自分のやり方で彼を愛すればいい。
 そしてあなたが本当に望むことがあるなら、目をそらさずにそれを話すのよ。
 時には喧嘩をしてもいい。あなたが彼と口喧嘩もできないのは、自分の考えを押し通したら、彼を遠ざけてしまうかもって不安だからでしょ。
 女性が自分の考えを持つことに耐えられない男も、世間には多い。でもルシアスはそうじゃない。それは信じていいのよ」
 黙ってエステラの言葉を聞きながら、今まで自分が見ないできたことに気がついた。
 彼は自分を大切にしてくれる。そしてきっと愛してくれてるはずって思いながら、少し不安に思っていたこと……。
「大人として愛するということは、自分という個人があって、相手という個人がいて、等しい足場で向かい合うことなの。
 彼は、あなたがそういう場所から見つめ返すことができるようになるのを待ってる。
 あなたを単なる子供だと思っていたら、そもそも相手にすらしてない。それはわかるでしょ。
 あなたがいつか自分と同じところに立てると感じたから、あなたといることを選んだのよ。
 だから強く、賢くなりなさい。彼はそれを受けとめられる男だから」

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

セレスティン

ホノルルで大学に通う。

動物、植物、あらゆる生き物と星が好き。ダイビングが趣味。

ルシアスとの出会いをきっかけに、世間で「魔術」と呼ばれているものを学ぶ道に導かれていく。

ルシアス

もと海軍の情報士官で、ニューヨークの白魔術教団のメンバー。

訳があって軍を退役し、教団を去ってホノルルに移り住んできた。

彼のまわりでは風が生き物のように不思議な振舞いをする。

テロン

海軍の特殊部隊出身で、もと白魔術教団のオフィサー。

ルシアスの友人で、アメリカ本土から彼を追いかけてきた。

マリー

山の上に隠棲し、植物を育てながら薬草やアルケミーの研究をしている女性。

以前はニューヨークでユング派の心理療法家をしていた。

鳥の羽に導かれてセレスティンと知りあう。


エステラ

ニューヨークに住む、白魔術教団のオフィサーで占星学者。

ルシアスとテロンと親しいが、強面のテロンに「俺もルシアスも頭が上がらない」と言わせる女性。

ガブリエル・ジレ

ニューヨークにある白魔術教団のメンバー。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み