離す

文字数 1,159文字

 キッチンでコーヒーをいれながら、マリーは窓から庭を見た。テロンは珍しくテーブルに頬杖をつき、何かを考えているようだった。
 彼はつがれたコーヒーをしばらく黙って飲んでいたが、やがてカップを置くと言った。
「俺にできるのはここまでだ。ここから先、それほど長くセレスティンを預かることはできん」
 マリーは意外さに首をかしげた。
「必要なことを教え終わったわけではないでしょう?」
「それにはほど遠い」
「あの()は、あなたと同じように火の質が強いと考えたのではなかった?」
「水でもなく、大地ではないのは確かだし、風の質にしても手応えが違う。火との親近性は確かにあると思ったが、今となってはよくわからん」
「不思議ね。私も最初、あの娘は大地との結びつきが強いと思っていたのだけれど、教えるうちにどうも違うような気がしてきたの。
 それにしても、これ以上教えることができないというのは――」
「理由はあいつじゃない。俺の側だ」
 マリーはいつになく抑えられたテロンの表情から何かを察し、それ以上問わなかった。

 彼が帰った後、マリーは一人ソファに腰かけて考えた。
 彼は普段たたき上げの軍人らしい、いかにも強面のタイプとしてふるまうのを好むが、その後ろには違う顔がある。
 マリーに対しては彼はそれをとくに隠すでもなく、表れるものは表れるままに気楽にふるまっていた。
 例えば彼の生活ぶりについての質問にも、相続した多額の資産で気ままに暮すだけの余裕があるとあけすけに答え、マリーが以前から彼の中に感じていた育ちの良さの印象を裏づけた。
 軍人の顔の背後にあるのは、優しい者(テレンス)という本名の通り、人を内側からあたためる芯の通った優しさと愛情深さだ。
 マリーはテロンとセレスティンの関係について思い返した。改めて考えてみれば、セレスティンに対する彼の接し方には不自然な硬さがあった。
 子供とそれを教える大人。そんなふうな枠組みに彼女と自分を当てはめ、時に必要以上に彼女を子供扱いして、関係がその枠の外に広がるのを避けようとしているかのよう。
 確かに、この道において教師の役割を担う者は、学び手に対して一線を引くことが必要だ。
 少なくとも自分の個人的感情で、見なければならない欠点を見落としたり、逆に度の過ぎた思い入れから、才能や能力を過大評価するようなことをしてはならない。
 ルシアスがセレスティンを教えることに関わらないと選んだのも、その認識あってのことだ。「自分には彼女を客観的に見ることはできない」そう認めて、ルシアスは彼女をマリーに、そしてテロンに委ねた。
 マリーは、セレスティンとテロンの距離は、彼の教え役としての役割を邪魔しない程度に離れたものだと思っていた。それがここにきて、彼の側でその距離を維持するのが難しいと感じているということなのか……。

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登場人物紹介

セレスティン

ホノルルで大学に通う。

動物、植物、あらゆる生き物と星が好き。ダイビングが趣味。

ルシアスとの出会いをきっかけに、世間で「魔術」と呼ばれているものを学ぶ道に導かれていく。

ルシアス

もと海軍の情報士官で、ニューヨークの白魔術教団のメンバー。

訳があって軍を退役し、教団を去ってホノルルに移り住んできた。

彼のまわりでは風が生き物のように不思議な振舞いをする。

テロン

海軍の特殊部隊出身で、もと白魔術教団のオフィサー。

ルシアスの友人で、アメリカ本土から彼を追いかけてきた。

マリー

山の上に隠棲し、植物を育てながら薬草やアルケミーの研究をしている女性。

以前はニューヨークでユング派の心理療法家をしていた。

鳥の羽に導かれてセレスティンと知りあう。


エステラ

ニューヨークに住む、白魔術教団のオフィサーで占星学者。

ルシアスとテロンと親しいが、強面のテロンに「俺もルシアスも頭が上がらない」と言わせる女性。

ガブリエル・ジレ

ニューヨークにある白魔術教団のメンバー。

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