再び

文字数 2,770文字

 ルシアスはセレスティンを見つめ、それから安心したような表情を浮かべて目を閉じた。
 もう心配はしなかった。ここにあるのは、誰もいない空っぽの体じゃない。閉じられた目の向こうには彼がいる。
 その手は自分の意志で私の手を握っている。
 眠りに落ちたように見える彼の中では、魂が自分の体とのつながりをとり戻そうとしていると感じた。
 セレスティンは大きく息をついて、伸びをするように後ろに体を傾けた。その背中をテロンの腕が支える。
「大丈夫か ルシアスも お前も?」
「うん エステラが――」
 セレスティンがその名前を口にするのと同時に、テロンの携帯が鳴った。番号表示を見た彼が、眉を上げながら答える。
「おい 今までどうしてた――なんだと?」
 短い会話の後、あきれた表情で電話を切る。
「エステラでしょ?」
 セレスティンは満面の笑顔で訊いた。
「ああ これからニューヨークを出て、明朝早くホノルルに着くから迎えに来いと」
 うれしくて飛び上がりそうになる。
「エステラは向こうで迎えに来てくれたの――ルシアスを見つけたけど、どうやって戻っていいかわからなくて途方に暮れてた時に。
 コンタクトが遅くなったのは、今まで監禁されてて、体を離れられなかったからだって。でもそれは収拾したって言ってた」
「まったく 危ない橋を渡りやがって……無事ならいいが」
 しばらくして回診の医師がやって来た。ルシアスの意識が戻ったと聞かされて、目を閉じて横たわっている彼の姿をちらりと見た。
「これまでも説明したように、この時点で意識が戻る可能性は低いです。万が一意識が回復するようなことがあったとしても、記憶障害や言語障害が残ります。それにおそらく体のマヒも……」
 そうやって諭すように説明すると出ていった。意識が戻ったというのは、見守る者の必死の願いからの思い込みと考えたようだった。
 意に介しない表情でテロンが言う。
「あんなのは信じる必要はないぞ セレスティン。肉体と魂をセットで見られないやつらには、本当には人間のことなんぞわからん」
「うん」
「意識は戻りつつあるんだから、後は体の回復とリハビリだけだろう。必要な検査だけさせて、早目にルシアスを病院から出す算段をした方がよさそうだな」
「……そう 願いたいところだ」
 ルシアスの声に三人がふり向いた。声は少しかすれているけれど、言葉ははっきりしている。
「この野郎! さんざん手間をかけさせやがって」
 どなりながらのぞき込むテロンにルシアスが笑い、ゆっくりと手をさし出した。その手をテロンが力強く握る。
「具合はどうだ?」
「まだ 全部がつながり切らない感じがある。
 体は ゆっくりなら動かせる部分と、感覚がなくて動かせない部分があるな。
 俺は死んでいたんだな? そしてどこかに放置されていた?」
「ああ。医者は薬物反応が出たと言ってたから、麻薬の過剰摂取で死んだように装ったつもりだったんだろう。
 詳しい事情は後から聞くが、今、俺が知っておくことはあるか? 手を打っとく必要のあることは?」
 ルシアスが記憶をたどる表情をする。
「死んだと判断して体を放置したなら、もう証拠を消して本土に引き返しているはずだ」
「例の秘密プロジェクト関係なんだな?」
「なぜお前が知ってる? 話したことはなかったはずだ」
「俺の情報収集能力をなめるなよ」
 ノックの音がして、看護師が入ってきた。
 ルシアスが目を覚まし会話をしているのに気づいた看護師は、あわてて医師を呼びに出ていった。
 その日の夕方に頭部のMRIやMRA検査が行われ、結果を見た医師はまだ何が起きているのか理解できない様子だった。しかし「できるだけ早く退院したい」という希望には、「数日は様子を見て、あとは自宅で介護の手配ができるなら」と了承した。
 
 翌朝、セレスティンとマリーが病室で待っていると、テロンにドアを開けられエステラが入ってきた。飛びつくセレスティンを抱きしめ、頬にキスをした後、すぐにルシアスに目をやる。
 気配にルシアスは目を覚ましていた。
「気分はどう?」
「悪くない。あとは体が自由に動くようになれば、文句はないな」
 エステラはルシアスの頭に手を当て、時々位置を変えながら、しばらく何かを探っているようだった。それから片手を彼の頭の左側に当て、もう一方の手で彼の右手をつかんだ。
「感じる?」
「……ああ 信号は届く。ただ反応するのに時間がかかるようだ」
 体の反対側でも同じことを繰り返す。左右の反応の差を確かめているのだと思った。
 それからルシアスの足にかかっているシーツをめくり、片手は頭の左側に当てたまま、もう片方の手を右膝の後ろにすべりこませる。
「これは?」
「……足は感覚がない」
「そうみたいね」
 エステラはルシアスの頭に戻り、こめかみを両方の手で包んだ。
 ルシアスが目を閉じる。
 エステラのフィールドがルシアスをおおうほど大きくなり、輝きが強くなって、彼女が何かをしているのがわかる。
 時おり脳が何かの刺激に反応しているように、ルシアスのまぶたが小刻みに瞬く。
 しばらくしてルシアスのこめかみから手を放し、手の位置と角度を変えながら、頭の中の何かを探っては、ほぐしたりつないだりしている。
「右足を動かして」
 ルシアスがゆっくりと足の指を動かし、それから足首を反らせる。
「いいわね。体を起こせるようになるまでに3日ぐらいかしら」
「おい いくら何でも急ぎ過ぎじゃないか、それは。ずっと動いてないから筋肉も落ちてるだろう」
「大丈夫よ。今は神経のつながりをよくしただけだけど、それで動かなかった部分を自分の意志で動かせるんだから。先に脳と神経を回復させて、筋肉をつけ直したり細かな動きをとり戻すのは、あとからリハビリすればいいのよ
 病室ではできない話もあるし」
 ルシアスが思い出したように言う。
「俺のコンドミニアムの部屋は……」
「お前がいなかった間の家賃その他は払ってある」
「お前に借りか 不本意だな」
「死にかけてたやつから金なんぞ取りたてるか」
 相変わらず世間の常識を踏み外す三人の会話に笑いながら、セレスティンの胸は幸せでいっぱいになった。隣にいるマリーも同じ気持ちだろう、顔を見て微笑み、うなずいた。
 まだやらなければならないことはあるようだけれど、でも四人が一緒にいてくれさえすれば、どんなことでも大丈夫。
 
 再度の検査を終えて退院が決まった。ルシアスの回復ぶりに医師は最後まで首をかしげ、「以前の検査では機材が不調だったのでは」とまで言い出していた。
 ルシアスはテロンの肩を借りて自分の足で立てるようになっていた。それで「もう歩けるのだから自分のコンドミニアムへ戻る」と言ったが、マリーとエステラに却下されて、当分マリーの家で療養することになり、セレスティンをほっとさせた。

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登場人物紹介

セレスティン

ホノルルで大学に通う。

動物、植物、あらゆる生き物と星が好き。ダイビングが趣味。

ルシアスとの出会いをきっかけに、世間で「魔術」と呼ばれているものを学ぶ道に導かれていく。

ルシアス

もと海軍の情報士官で、ニューヨークの白魔術教団のメンバー。

訳があって軍を退役し、教団を去ってホノルルに移り住んできた。

彼のまわりでは風が生き物のように不思議な振舞いをする。

テロン

海軍の特殊部隊出身で、もと白魔術教団のオフィサー。

ルシアスの友人で、アメリカ本土から彼を追いかけてきた。

マリー

山の上に隠棲し、植物を育てながら薬草やアルケミーの研究をしている女性。

以前はニューヨークでユング派の心理療法家をしていた。

鳥の羽に導かれてセレスティンと知りあう。


エステラ

ニューヨークに住む、白魔術教団のオフィサーで占星学者。

ルシアスとテロンと親しいが、強面のテロンに「俺もルシアスも頭が上がらない」と言わせる女性。

ガブリエル・ジレ

ニューヨークにある白魔術教団のメンバー。

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