海
文字数 1,911文字
セレスティンとマリーはリチャードに連れられ、ホールから出ていく人々に交じってそのまま外に出た。いつの間にか屈強そうな若者が二人、ボディガードのように付き添った。
少し歩くとパーキングメーターの並ぶ通りがあり、そこに止めてあったリチャードの車で、そのままホテルまで送られた。ロビーに足を踏み入れたところで、ルシアスから「少し遅れて戻る」と電話があった。
マリーと一緒に泊まっている部屋の窓から、ビルで埋められたシティの街並みと冬の空を眺めて待つ。
ホールで経験したことは、もうすでに夢の中のことのようだった。
ニューヨークは緯度が高く、しかも冬至が近い時期なので、日が暮れるのが早い。あたりが暗くなりかけた頃、三人が戻ってきた。
ルシアスとテロンが泊まっている大きな部屋にはリビングエリアがあるので、そこに集まる。食事に出るのはおっくうだが、ルームサービスのメニューにも食べたいものがないとエステラが言い、ルシアスも同意して、デリバリーをとることになった。
ワインはテロンが準備してあって、グラスとアイスバケツだけをルームサービスで届けてもらう。
三人とも、壇上で見せていた雰囲気はどこかにいってしまって、ごく普通にリラックスしている。力を制御しなければならない時に見せる圧倒的な強さと、そうでない時の落差が最高にすてきだ。
目に見えないところで、人間の心はさまざまな、時には目にしたくないような形をとる。それを必要な時にはねじ伏せ、必要な時にはそれが広がり、変化していくプロセスを通過するのを許す。それは本当の意味での強さだと思った。
「おとなしいな 疲れたか?」
ワインを注ぎながら、テロンが声をかける。
「ううん。ただ、あんまりたくさんのことがあって、一つ一つ思い出して考えてみるだけでも、自分がいっぱい。言いたいことも訊きたいこともたくさんあるけど、もう少し寝かせてからにする。
でも、魔術って呼ばれているものが本当には何を意味するのか、少しだけわかった気がする」
エステラがワインのグラスを渡してくれる。赤い液体を一口含むと、今まで感じたことのない花の香りがした。
電話が鳴る。デリバリーが届いたらしい。じきにドアがノックされ、ホテルのベルスタッフが大きな袋を三つとお皿を届けてくれた。
テーブルにセレスティンが見たことのないいろいろな料理が広げられ、それぞれ欲しいものをとる。セレスティンはルシアスに教えられ、ブドウの葉に包まれたお米の料理、ターメイヤという空豆のコロッケ、白いチーズ、それにトマトやタマネギやピクルスを皿に乗せた。
床にあぐらをかくルシアスの隣に座る。
「エステラは仕事はもう終わり?」
「一応ね。処理されなければならないことはまだあるけれど、それはもうガブリエルたちに任せてある。
私は明日、ロングアイランドに戻るから、一緒に来て海を見ていくといいわ。今は人がいなくて静かよ」
翌日はエステラの住んでいる所に向かった。車を走らせてマンハッタンを抜け、州道27号に入る。途中、サウスハンプトンの町で降りてランチをとる。それからもう少し東に走り、ひと気のないビーチに着いた。
車から降りると、強い海風が吹きつける。空気が凍えるほどに冷たくて、思わずコートのポケットに手をつっこむ。
いつかルシアスとマウナケアに登って星を見た時、「寒くないか」とセレスティンに訊かれ、「ニューヨーク育ちだ」と彼が答えたのを思い出した。
目の前には白い砂のビーチがずっと続く。海は深く沈んだ青色で、その表情は少し荒い。これが大西洋。
「ここ、雪が降る?」
「ええ たまに白く覆われることもあるわ」
雪におおわれた海岸をセレスティンは想像した。それは美しいけれど厳しい光景だろうと思った。
「夏の終わりに、ミズクラゲ を通して私にメッセージを送ったでしょ?」
「あ うん」
「それを受けとったのがここ」
「え――」
セレスティンは海に近寄って、波に指を触れた。さすがに今の水温はミズクラゲには低すぎる。
でもミズクラゲのスピリットは、太平洋からパナマ運河を通って、ここにセレスティンのメッセージを運んでくれたんだ。
ルシアスがエステラに声をかける。
「向こう側で、賢者が君に話しかけていたな。その時、君の気持ちを変えさせるために言った言葉があるんだろう」
エステラがふり向く。
「……一つの行き先には、そこにつながる千の道がある。自分が誰であるかを覚えている限り、どこに行っても役割は果たせる」
テロンがニヤリと笑う。
「来るんだろう 俺たちと?」
エステラが微笑む。
それが何を意味するのかがわかり、セレスティンはうれしくて彼女に抱きついた。
少し歩くとパーキングメーターの並ぶ通りがあり、そこに止めてあったリチャードの車で、そのままホテルまで送られた。ロビーに足を踏み入れたところで、ルシアスから「少し遅れて戻る」と電話があった。
マリーと一緒に泊まっている部屋の窓から、ビルで埋められたシティの街並みと冬の空を眺めて待つ。
ホールで経験したことは、もうすでに夢の中のことのようだった。
ニューヨークは緯度が高く、しかも冬至が近い時期なので、日が暮れるのが早い。あたりが暗くなりかけた頃、三人が戻ってきた。
ルシアスとテロンが泊まっている大きな部屋にはリビングエリアがあるので、そこに集まる。食事に出るのはおっくうだが、ルームサービスのメニューにも食べたいものがないとエステラが言い、ルシアスも同意して、デリバリーをとることになった。
ワインはテロンが準備してあって、グラスとアイスバケツだけをルームサービスで届けてもらう。
三人とも、壇上で見せていた雰囲気はどこかにいってしまって、ごく普通にリラックスしている。力を制御しなければならない時に見せる圧倒的な強さと、そうでない時の落差が最高にすてきだ。
目に見えないところで、人間の心はさまざまな、時には目にしたくないような形をとる。それを必要な時にはねじ伏せ、必要な時にはそれが広がり、変化していくプロセスを通過するのを許す。それは本当の意味での強さだと思った。
「おとなしいな 疲れたか?」
ワインを注ぎながら、テロンが声をかける。
「ううん。ただ、あんまりたくさんのことがあって、一つ一つ思い出して考えてみるだけでも、自分がいっぱい。言いたいことも訊きたいこともたくさんあるけど、もう少し寝かせてからにする。
でも、魔術って呼ばれているものが本当には何を意味するのか、少しだけわかった気がする」
エステラがワインのグラスを渡してくれる。赤い液体を一口含むと、今まで感じたことのない花の香りがした。
電話が鳴る。デリバリーが届いたらしい。じきにドアがノックされ、ホテルのベルスタッフが大きな袋を三つとお皿を届けてくれた。
テーブルにセレスティンが見たことのないいろいろな料理が広げられ、それぞれ欲しいものをとる。セレスティンはルシアスに教えられ、ブドウの葉に包まれたお米の料理、ターメイヤという空豆のコロッケ、白いチーズ、それにトマトやタマネギやピクルスを皿に乗せた。
床にあぐらをかくルシアスの隣に座る。
「エステラは仕事はもう終わり?」
「一応ね。処理されなければならないことはまだあるけれど、それはもうガブリエルたちに任せてある。
私は明日、ロングアイランドに戻るから、一緒に来て海を見ていくといいわ。今は人がいなくて静かよ」
翌日はエステラの住んでいる所に向かった。車を走らせてマンハッタンを抜け、州道27号に入る。途中、サウスハンプトンの町で降りてランチをとる。それからもう少し東に走り、ひと気のないビーチに着いた。
車から降りると、強い海風が吹きつける。空気が凍えるほどに冷たくて、思わずコートのポケットに手をつっこむ。
いつかルシアスとマウナケアに登って星を見た時、「寒くないか」とセレスティンに訊かれ、「ニューヨーク育ちだ」と彼が答えたのを思い出した。
目の前には白い砂のビーチがずっと続く。海は深く沈んだ青色で、その表情は少し荒い。これが大西洋。
「ここ、雪が降る?」
「ええ たまに白く覆われることもあるわ」
雪におおわれた海岸をセレスティンは想像した。それは美しいけれど厳しい光景だろうと思った。
「夏の終わりに、
「あ うん」
「それを受けとったのがここ」
「え――」
セレスティンは海に近寄って、波に指を触れた。さすがに今の水温はミズクラゲには低すぎる。
でもミズクラゲのスピリットは、太平洋からパナマ運河を通って、ここにセレスティンのメッセージを運んでくれたんだ。
ルシアスがエステラに声をかける。
「向こう側で、賢者が君に話しかけていたな。その時、君の気持ちを変えさせるために言った言葉があるんだろう」
エステラがふり向く。
「……一つの行き先には、そこにつながる千の道がある。自分が誰であるかを覚えている限り、どこに行っても役割は果たせる」
テロンがニヤリと笑う。
「来るんだろう 俺たちと?」
エステラが微笑む。
それが何を意味するのかがわかり、セレスティンはうれしくて彼女に抱きついた。
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