立つ場所

文字数 3,711文字

 ネフティスたちが青の間(ブルールーム)に入っていくのを、ジレは見ていた。
 あたりのフォースの状態を乱して邪魔をしないようにと、書記は青の間へと通じる廊下を封鎖し、フォースの自己制御に優れるエルドマンと他の何人かが指名されて見張りに立った。透視者たちにも様子を探ることを禁じた。
 ジレは執務室に座り、手でペンをもてあそびながら時間を過ごしていたが、自分の思考から気をそらせるために、女性たちがよく集まる厨房そばのエリアに向った。
 望んだ通り、女性たちがお茶を飲みながら、たわいないおしゃべりをしていた。そうやって気を散らしているのだ。無意識に青の間の様子をうかがって邪魔になるのを防ぐために。
「やあ 僕も加えてもらっていいかな」
「もちろんよ ガブリエル」
 席が空けられ、ジレがお茶よりコーヒーを好むのを知っている一人が、ポットからコーヒーを注ぐ。
 置かれたカップに手を伸ばそうとして、ふと足もとが揺れるのを感じた。
 地震か……?
 いや……まわりの物は揺れていない。カップの液体の表面にも変化はない。
 ふいに足もとが熱くなり、大地から勢いよく熱が湧き上がってくるのを感じる。
 奇妙だ……これは自分の内的な感覚なのか――
 しかしすぐに、それを感じているのが自分だけではないと気づく。
 女性たちが不安げにカップを手で抑えたり、けげんそうに足下を見たりしている。
 一人が「あっ」と声を上げる。
「水――」
 目で見る限り床には何の変化もない。だが水が湧き上がってきて足を濡らす感覚。それは波のように寄せては引いた。
 何人かが上を見上げる。
「光が……」
 天井を抜けて光の雨が降ってくる。
 みなは呆然とそれを見上げたり、降りかかる輝く雨を手で触ろうとしていた。
 やがて現象はおさまり、あたりに静けさが満ちる。
 今のは何だったのだろう……そう考えかけたが、思考が回らない。
 自分の深いところから何かが湧き上がってくる。
 それに抗おうとして、止めた。
 懐かしく、しかし切ない感情……子供の頃の記憶。
 早くに母を失い、身寄りもなく施設に入れられた。夜中にこっそり庭に出ては、暗い空に浮かぶ星を見た。
 昼間の間のつらい出来事……子供心にも自分の非力さが情けなかった。だが星を見ていると、日常の世界とは違う高い場所へと導かれる。
 「自分はこの世界には属さないかもしれない。それでも理由があってここにいる。ここに自分のいる場所がないなら、それを作ってみせる」。
 自分がこの世界に生まれてきた理由が何なのか、それを見つける。ひたすら答えを求め続けて、このオルドを探しあてた。
 年齢が若すぎるという理由で一度は断られたものの、先代の賢者の裁可で参入を許された。
 そうして手にすることのできた、歴史の裏で守り続けられてきた古い時代からの知識。自分はそれを守り受け継ぐために生まれてきたのだと信じた。
 ふいに幾つもの遠い過去の人生の記憶が、透明な風のように自分の中を通り抜ける。知識を守ろうと努め、身近な者に裏切られ、持てるものを失い、次第に人を信じなくなった。守らなければならないもののために、自分の命を代償にしたこともあった。
 それでも手放しはしない。真理は信じる、だが人間は信じない。自分の忠誠心はただ道に対して……。
 ジレはこの人生も、それ以前の人生も含め、たくさんの自分の過去が、どんなふうに今の自分を作り上げているかを認めた。過去の経験によって作り出された歪みについても見ることができた。
 だが……それでも諦めずにここまで来た。
 風が自分の中に吹き込み、見えない海が自分を洗い流していく。
 もっと違う生き方ができていたら、もっと自分に力があったらという後悔は形を無くし、ただ今ある自分を構成する一部になる。
 まわりを見ると、女性たちもそれぞれに何かを思い出しているようだった。
 一人が口を開く。
「子供の頃のことを思い出してたわ。親からいつも変な子だって言われて、学校でも変わり者って思われてた。魔法や魔術の本ばかり読んで、『そんなの物語かアニメの話でしょ』って言われたけど、私は本当の魔術を学ぶ道を探していた」
「私も……初めてタロット(タロー)カードを手にしたのは7歳の時だった。クリスマスのプレゼントにねだり続けて、『そんなに欲しいなら』って根負けした父が、母に内緒で買ってくれたの。
 でもそれを見つけた母方の両親に『カード占いは悪魔の業だ、そんなことをしていると天国に入れない』って脅かされた。
 それから自分にとって大切なものは、他人の目から隠すようになった」
「小さい頃、異端審問にかけられて火あぶりにされた夢を見たことがあるの。それは自分の本当の記憶だとはっきり感じた。
 でも母に話したら心理カウンセラーの所に連れていかれて……『それは無意識にある不安の表現だ。何を悩んでいるのか話してごらん』て……」
 オルドにたどり着き、白魔術の修業の道を歩む者は、みな同じような過去を経ている。メンバー同士の絆は、道と知識への献身と同時に、遠い過去の記憶と異端者として生きた経験を共有するところから来る。
 オルドの力は、そうやって集まった個々のメンバーの織りなすフォースの流れから引き出される。オルドと言えど、それを構成する個人なしには組織というものは成り立たない。
 だがひとたび組織が大きくなり力を持ち始めると、それを利用しようとする者が現れる。メンバーたちに「自分たちが得た力は組織によって与えられた」と思い込ませ、それを通して支配しようとする。
 だがもっとも大切なものは、組織によって与えられるのではない。
 一人一人が運んできたものが大きな川に流れ込み、川を生かし続ける。雨水が支流となって流れ込むことがなければ、川は涸れる……。
 ――この言葉は自分の考えなのか? そうジレが思った時、声はひときわ明晰に自分の中に響いた。
「思い出し、再び一つにせよ。そして歩み続けよ」
 一人が上を見上げる。他の女性たちも次々に上を見る。
 そこには天井がある。だが天井を通して、はるかな高さの翼のある存在が、建物の中心に立つ姿が見えた。
「若造 ここにいたか」
 背後から書記の声。ジレが上を指さすと、彼は「うむ」とうなずいた。
 

 やる必要のあったことが終わった。セレスティンたちがもと来た道を戻っていこうとした時、背後に静かな足音がした。
 ふり向くと、小柄な老年の男性が杖をつき、わずかに足を引きずるように歩いてくる。古風な眼鏡をかけ、穏やかな表情。
 テロンとルシアス、エステラの目がその姿に釘付けになる。
 男性はテロンとルシアスを手で制し、エステラだけをそばに招いた。
 少し離れたところで二人が話をしている。エステラはこちらに背を向けていて表情は見えない。でも男性の話に納得していないようなのがわかる。
 エステラの言葉が切れると、男性は「もういい」というようにうなずいた。手をさし伸べ、エステラの肩から何かを取りのける。それは宙に舞い、灰が崩れるように消えていった。
 エステラが驚いているのが、その後ろ姿からもわかる。
 男性はゆっくりした仕草で「行くように」と示した。
 ふり向いて戻ってくるエステラの表情には、たくさんの感情が入り交じっていた。
「これで終わりか?」
「ええ……帰りましょう」
 
 目を開ける。こちら側の世界に戻ってきた。
 どれだけの時間、こうして立っていたんだろう。足の筋肉がかちかちだ。
 でも体は疲れていたけれど、気分は最高によかった。
 セレスティンは絨毯の上に転がって体を伸ばした。マリーとエステラも腰を下ろす。
 テロンは疲れを感じさせない動きで 、青の間から内扉でつながっている控の間のドアを開けた。そこにはエステラの指示で、あらかじめ飲み物や軽い食事が準備されてあった。
「椅子はいるか?」
「椅子よりお水が欲しいわ」
 つい立ち上がりかけるマリーに、ルシアスが「座っていてくれ」と声をかける。セレスティンは止められる前に身軽に立ち上がり、控室について入った。
 ルシアスはエステラのために冷たいミネラルウォーターをグラスに注ぎ、マリーにはポットのお湯でお茶を入れてもって行く。
 セレスティンとテロンはテーブルにのっているサンドイッチや果物の皿を運んだ。
 それぞれ好みの水分をとり、食べ物を口に入れる。この世界の食べ物を口に入れることで、離れていた意識がしっかりと肉体に入る。
 テロンがガラスの器を差し出す。小さな赤い宝石のような実がいっぱい入っている。セレスティンは何粒かを口に入れて噛んだ。甘酸っぱい。
 みんなは黙って、向こう側で経験してきたことを咀嚼しているようだった。
 しばらくしてテロンが口を開いた。
「とりあえずやるべきことはやった。これでルシアスと俺はお役ご免だ」
「そうね」
 エステラの返事に、セレスティンははっとした。
 託宣者としての役割を抱える彼女は、義務としてここに残るのだろう。そうしたらハワイに戻る自分たちは、また彼女と別れなければいけない。
「とりあえず書記とガブリエルに話をして、みなの様子を確認したら今晩は終わり。夕食はちょっといいお店にでかけましょ」

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登場人物紹介

セレスティン

ホノルルで大学に通う。

動物、植物、あらゆる生き物と星が好き。ダイビングが趣味。

ルシアスとの出会いをきっかけに、世間で「魔術」と呼ばれているものを学ぶ道に導かれていく。

ルシアス

もと海軍の情報士官で、ニューヨークの白魔術教団のメンバー。

訳があって軍を退役し、教団を去ってホノルルに移り住んできた。

彼のまわりでは風が生き物のように不思議な振舞いをする。

テロン

海軍の特殊部隊出身で、もと白魔術教団のオフィサー。

ルシアスの友人で、アメリカ本土から彼を追いかけてきた。

マリー

山の上に隠棲し、植物を育てながら薬草やアルケミーの研究をしている女性。

以前はニューヨークでユング派の心理療法家をしていた。

鳥の羽に導かれてセレスティンと知りあう。


エステラ

ニューヨークに住む、白魔術教団のオフィサーで占星学者。

ルシアスとテロンと親しいが、強面のテロンに「俺もルシアスも頭が上がらない」と言わせる女性。

ガブリエル・ジレ

ニューヨークにある白魔術教団のメンバー。

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