前へ
文字数 2,080文字
三度目の土曜日、言われたように午後に訪れた。
いつもの場所に座るよう指し示され、エステラと向かい合う。
これまでは開け放されていることが多かった海側のガラス戸は閉められて、部屋の中は静かだ。その静けさに耳を傾けていると、しっとりとした空間の密度がほとんど圧力のようにも感じられる。
エステラが何も言わないので、しばらくそうやって座っていた。普段ならこんな時には想像の世界に心が飛んでいく。それを抑えて目の前のことに意識を向ける。
「ぼやっとするな、自分の体を感じてろ」とテロンによく叱られたのを思いだし、椅子に座っている自分の体や、床についている足を感じるように努める。
どれくらい時間が経ったかわからなくなった頃、エステラが口を開いた。
「最後にもう一度、訊くわ。あなたがこれまで学んできたことの先にある道。それを歩きたい?」
セレスティンはためらわず「はい」答えた。
「なぜ?」
「学べるだけのことを学んで、自分に何ができるかを知りたい。そしで自分にできることを身につけて、役に立ちたい」
「誰の役に?」
答えは、セレスティンが考える前に口をついてでてきた。
「すべての生き物たち」
エステラが何かを思うように目を細める。
「特定の個人のためではなく、人々というのでもなく、すべての生き物なのね」
セレスティンはうなずいた。
「私の言葉を繰り返しなさい。『奉仕せんがため、我は知らんと欲す』」
エステラの後についてその言葉を繰り返した時、何かが自分の手に触れ、そしてそれが開かれたと思った。
エステラはゆっくりと立ち上がって、ガラス戸を開けた。波の音とともに湿った海風が流れ込んでくる。風に乗って生き物の気配が部屋を満たした。
夕方、エステラはセレスティンをつれて出た。少し離れたところにあるフランス料理の店。案内係はエステラの顔を認め、すぐに奥の席に案内された。
「ワイン飲む?」
「あ まだ21歳になってないから」
エステラが笑った。
「若いとは思ったけど、建前の歳はまだそんななのね」
フランス料理に馴染みのないセレスティンのために、エステラが料理を選んでくれた。デザートに出た熱々のスフレは初めて口に入れるもので、ふわふわでとろけるようなチョコレートの味がセレスティンをうっとりさせた。
食事の後、二人は人気のない砂浜を歩いた。夜の海風にエステラの薄紫のショールがなびく。
「私はあなたの道を広げて、もう少し先までつれていってあげる。でもそれは自己規律と、与えられた約束を守ることと引きかえよ。
あなたがこれまで歩いてきたのは、世間で『魔術』と呼ばれるものに続く道。でもそれは、あなたがこれまで『魔術』というものについて、見たり聞いたりしてきたのとは別のもの。
呪文を唱えただけで望みをかなえる方法なんてないし、地面に円を描いて悪魔ととり引きするなんて馬鹿げたこと」
「……悪魔ってほんとにいるの?」
「映画や小説に出てくるような悪魔はいないわ。そのもとになっている悪魔の概念とイメージは、そもそも『絶対的な唯一神に対する敵対者』として作り上げられたものだから。
そうやって人間の心から生み出され、『神の敵対者』としての力を与えられた存在は、それを信じ、必要とする人間がいる限り、人類の集合意識の中に存在する。
だから儀式や呪文を使って悪魔と契約できると自分に信じ込ませることができれば、自分の心をそれに預けることはできるわ。
人間は全能の人格神を作り出し、その敵対者としての悪魔を作り出し、そして今も多くの人間は自分の心をそういった存在に預けたがる。
一神教の支配する文化圏では、その神と悪魔の図式を踏み越えようとする者は、異端と見なされ迫害されてきた。
でもこの世界には、人間の心が作り出したのではない、自然の力[フォース]の表現である生命もある。
あなたが『普通の世界より大きい二つ目の世界』と気づいたのは、人間の心と自然の力が重なる場所なの。そしてその世界への扉は、自分自身の内側にある。
これだけは覚えておきなさい。
魔術 というのは、自己の内面を変容させることで、まわりの世界に変化をもたらす術。すべては自己の内側から始まる」
その言葉で、たくさんのことがつながった。
マリーが、テロンが自分に手引きしてくれたこと。そしてルシアスが会話を通して教えてくれたこと。
自分自身が変わっていくことで、まわりの世界が変わっていく。内面を広げることで自分の世界が広がり、目に見えないはずの世界が少しずつ自分の目に入ってきたように。
自分がルシアスの後を追って歩き始めた道は、ずっとつながっていた。そしてその道を、もっと進んでいくことができる。
自分にとって姉のようにも感じられるこの女性が、道を指し示してくれる。
セレスティンの表情が明るく輝くのを見ていたエステラが言った。
「信頼する力……そしてすべての可能性」
彼女はバッグの中からトランプのカードのようなものを2枚とり出し、セレスティンに渡した。
「THE FOOL(愚者)」……そして「THE WORLD(世界)」。
いつもの場所に座るよう指し示され、エステラと向かい合う。
これまでは開け放されていることが多かった海側のガラス戸は閉められて、部屋の中は静かだ。その静けさに耳を傾けていると、しっとりとした空間の密度がほとんど圧力のようにも感じられる。
エステラが何も言わないので、しばらくそうやって座っていた。普段ならこんな時には想像の世界に心が飛んでいく。それを抑えて目の前のことに意識を向ける。
「ぼやっとするな、自分の体を感じてろ」とテロンによく叱られたのを思いだし、椅子に座っている自分の体や、床についている足を感じるように努める。
どれくらい時間が経ったかわからなくなった頃、エステラが口を開いた。
「最後にもう一度、訊くわ。あなたがこれまで学んできたことの先にある道。それを歩きたい?」
セレスティンはためらわず「はい」答えた。
「なぜ?」
「学べるだけのことを学んで、自分に何ができるかを知りたい。そしで自分にできることを身につけて、役に立ちたい」
「誰の役に?」
答えは、セレスティンが考える前に口をついてでてきた。
「すべての生き物たち」
エステラが何かを思うように目を細める。
「特定の個人のためではなく、人々というのでもなく、すべての生き物なのね」
セレスティンはうなずいた。
「私の言葉を繰り返しなさい。『奉仕せんがため、我は知らんと欲す』」
エステラの後についてその言葉を繰り返した時、何かが自分の手に触れ、そしてそれが開かれたと思った。
エステラはゆっくりと立ち上がって、ガラス戸を開けた。波の音とともに湿った海風が流れ込んでくる。風に乗って生き物の気配が部屋を満たした。
夕方、エステラはセレスティンをつれて出た。少し離れたところにあるフランス料理の店。案内係はエステラの顔を認め、すぐに奥の席に案内された。
「ワイン飲む?」
「あ まだ21歳になってないから」
エステラが笑った。
「若いとは思ったけど、建前の歳はまだそんななのね」
フランス料理に馴染みのないセレスティンのために、エステラが料理を選んでくれた。デザートに出た熱々のスフレは初めて口に入れるもので、ふわふわでとろけるようなチョコレートの味がセレスティンをうっとりさせた。
食事の後、二人は人気のない砂浜を歩いた。夜の海風にエステラの薄紫のショールがなびく。
「私はあなたの道を広げて、もう少し先までつれていってあげる。でもそれは自己規律と、与えられた約束を守ることと引きかえよ。
あなたがこれまで歩いてきたのは、世間で『魔術』と呼ばれるものに続く道。でもそれは、あなたがこれまで『魔術』というものについて、見たり聞いたりしてきたのとは別のもの。
呪文を唱えただけで望みをかなえる方法なんてないし、地面に円を描いて悪魔ととり引きするなんて馬鹿げたこと」
「……悪魔ってほんとにいるの?」
「映画や小説に出てくるような悪魔はいないわ。そのもとになっている悪魔の概念とイメージは、そもそも『絶対的な唯一神に対する敵対者』として作り上げられたものだから。
そうやって人間の心から生み出され、『神の敵対者』としての力を与えられた存在は、それを信じ、必要とする人間がいる限り、人類の集合意識の中に存在する。
だから儀式や呪文を使って悪魔と契約できると自分に信じ込ませることができれば、自分の心をそれに預けることはできるわ。
人間は全能の人格神を作り出し、その敵対者としての悪魔を作り出し、そして今も多くの人間は自分の心をそういった存在に預けたがる。
一神教の支配する文化圏では、その神と悪魔の図式を踏み越えようとする者は、異端と見なされ迫害されてきた。
でもこの世界には、人間の心が作り出したのではない、自然の力[フォース]の表現である生命もある。
あなたが『普通の世界より大きい二つ目の世界』と気づいたのは、人間の心と自然の力が重なる場所なの。そしてその世界への扉は、自分自身の内側にある。
これだけは覚えておきなさい。
その言葉で、たくさんのことがつながった。
マリーが、テロンが自分に手引きしてくれたこと。そしてルシアスが会話を通して教えてくれたこと。
自分自身が変わっていくことで、まわりの世界が変わっていく。内面を広げることで自分の世界が広がり、目に見えないはずの世界が少しずつ自分の目に入ってきたように。
自分がルシアスの後を追って歩き始めた道は、ずっとつながっていた。そしてその道を、もっと進んでいくことができる。
自分にとって姉のようにも感じられるこの女性が、道を指し示してくれる。
セレスティンの表情が明るく輝くのを見ていたエステラが言った。
「信頼する力……そしてすべての可能性」
彼女はバッグの中からトランプのカードのようなものを2枚とり出し、セレスティンに渡した。
「THE FOOL(愚者)」……そして「THE WORLD(世界)」。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)
(ログインが必要です)