異る道

文字数 2,322文字

 セレスティンはお茶を前に、テーブルに頬杖をついていた。ここしばらく二つ目の世界へ戻ることができず、禁足を食っている気分だった。
 海辺の公園でおかしな夢を見たことは、三人には話していない。
 しかしそれでもルシアスは、セレスティンがエステラと対面でレッスンを再開できる時まで、訓練は違うやり方をするべきだと言った。そしてセレスティンがどうしても向こう側を歩きたいなら、サラマンダーだけでなく、テロンが付き添うべきだと。
 それに対してテロンの態度も、彼には珍しく煮え切らなかった。予想のつかないできごとを警戒しているのが半分。そしてルシアスをさしおいて自分が付き添いを務めることへのためらいが半分、あるように見えた。
 ルシアスは空を見るともなく見上げ、テロンは本を片手に、黙ってそれぞれの考えに沈んでいるようだ。
 三人を庭のテーブルに残して、マリーは家の中に入ったまま出てこない。こんなことは珍しい。
 しばらくしてセレスティンがキッチンに行くと、マリーはリビングで誰かと電話をしていた。
 セレスティンは邪魔をしないよう、黙って庭のテーブルに戻った。
 しばらくの気詰まりな雰囲気。
 やがてマリーが顔を見せた。
「お茶が冷めてしまったわね。入れ替えましょう。でもその前に話があるの」
 彼女の珍しく改まった口調に、三人はマリーを見た。
「セレスティンは二つ目の世界での経験を続けて、そこでもっといろいろなことを学ぶ必要がある。だから私が手を引くわ」
 ルシアスとテロンは意外そうな顔をした。
 テロンがあごに手を当てながら訊ねる。
「それは……大丈夫のか?」
「心理療法の仕事を始めて、直接的な形で二つ目の世界に足を踏み入れることはしなくなっていたけれど、歩き方は覚えている。それに向こう側で待っていて、付き添ってくれる人がいるから」
「……それはどういう人間だ? 魔術師なのか?」
「いいえ 私の昔の知り合いで、西洋魔術とは関係ない。でも部族のやり方で地下の世界(アンダーワールド)を動くことに長けている。
 これはエステラがいる間に話していたことなのだけれど、二つ目の世界、あるいは西洋の伝統でアストラルと呼ばれる領域は、文化圏によって区分されている。
 もちろん二つ目の世界自体は、すべてつながっているけれど、それは物質の世界よりも遥かに広くて、そして特定の文化や信仰に属する人間は、その領域に足を踏み入れる。
 西洋文化に属する人間は、西洋文化圏の領域に。
 そして部族につながる者は、部族の領域に」
「部族というのは、アメリカ先住部族のことか?」
 ルシアスが興味深そうに訊く。
「ええ。でも先住部族の間では、互いの領域につながりがあるの。
 例えば北アメリカと南アメリカ、アラスカ、シベリアの先住部族と言えば、文化人類学的には別のものということになるけれど、二つ目の世界ではつながりあっているの。
 それに比べると、一神教の宗教はその領域のまわりに厚い壁を作っているし、西洋魔術の伝統も他の伝統から比較的孤立している。
 そして西洋魔術の伝統に属する者は、その枠組みの中で機能する。
 だから部族の者が使う道を通って、西洋魔術から隔たった領域内で訓練を続ければいいと思うの。
 西洋魔術の枠組みで動く人間は、部族につながる者の手引きなしには、その領域に降りてくることはできない。
 そこなら少なくとも、教団の関係者と出くわす心配はない。そ れに西洋魔術とは違う形で、二つ目の世界の環境や存在と関わることを学べる。
 同伴者の人柄と危険に対処する能力は私が保証するわ」
 マリーは四人の仲で最も堅実なタイプだ。その彼女に言われて、二人は反論できなかった。

 マリーのやり方は、エステラに教わったのとまったく違っていた。それでも目的は同じ。二つ目の世界へ足を踏み入れること。
 意識を集中しながら、同時に緩めていく感覚。
 体からもう一人の自分が離れ、マリーに手を引かれて、庭の裏手のノーフォークパインの幹を通って、地面の下へと降りていく。
 降りていく途中でモグラやミミズの精たちと出くわし、セレスティンは喜びの声をあげた。
 そして暗い洞窟のような場所へと出る。
 それは、これまでセレスティンがタロット(タロー)カードを入り口にして入り込み、歩いてきたのとは別の世界のように見えた。
 でも肌に感じる空間の質が同じであることはわかった。物質の世界ではない、でも確実に存在するもう一つの世界。
 森の影が見え、その背後に月がある。森の上縁からぼんやりとした光が暗い空を照らす。夜空を暗い雲が流れていく。
 森の前に大きな動物がいた。
 狼。黒っぽい毛並みで、それも普通の狼よりずっと大きい。
「ありがとう、ウルフ 無理を聞いてくれて」
 狼の姿がかげろうのように揺らぎ、人間の男性の姿が重なって見えた。それはマリーのコテージのそばで熊に遭った時の……。
 男性の姿が再び狼に戻る。
 姿を変える人(シェイプシフター)……。
 狼の、あるいは男性の輪郭は、まわりの空間とつながっている感じがした。その存在自体がまわりの環境と切れ目がないような。
「セレスティン あなたはこれまで西洋型のやり方で、自分の輪郭を固めて、はっきりさせることを学んできた。
 それはここまで来るために必要だったこと。
 今度は、もう一度、自分の意志でその輪郭を緩めて、まわりのものと一つになることを学ぶの。
 自己の中心を失わずに、自分の輪郭が明確な状態と、まわりと一つになった状態の間を自由に行き来することが、あなたの才能で、そして力だと思うから。
 このことについては前にエステラとも話していたの。
 男性たちは、あなたを守ろうとするあまり、今は手助けができない。だから私が代わりにあなたの手を引くわ」
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登場人物紹介

セレスティン

ホノルルで大学に通う。

動物、植物、あらゆる生き物と星が好き。ダイビングが趣味。

ルシアスとの出会いをきっかけに、世間で「魔術」と呼ばれているものを学ぶ道に導かれていく。

ルシアス

もと海軍の情報士官で、ニューヨークの白魔術教団のメンバー。

訳があって軍を退役し、教団を去ってホノルルに移り住んできた。

彼のまわりでは風が生き物のように不思議な振舞いをする。

テロン

海軍の特殊部隊出身で、もと白魔術教団のオフィサー。

ルシアスの友人で、アメリカ本土から彼を追いかけてきた。

マリー

山の上に隠棲し、植物を育てながら薬草やアルケミーの研究をしている女性。

以前はニューヨークでユング派の心理療法家をしていた。

鳥の羽に導かれてセレスティンと知りあう。


エステラ

ニューヨークに住む、白魔術教団のオフィサーで占星学者。

ルシアスとテロンと親しいが、強面のテロンに「俺もルシアスも頭が上がらない」と言わせる女性。

ガブリエル・ジレ

ニューヨークにある白魔術教団のメンバー。

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