意識の下

文字数 2,489文字

 またあの夢だと、夢を見ている自分がどこかで思う。
 でもそう感じている自分はすぐに消えて、夢が自分の肌を包み始め、それが自分とっての世界に変わる……。


 朝の光に目を覚ます。日差しはまだ穏やかで、時間が早いのがわかる。
 大切な(ひと)はまだ眠っている。その優しく満ち足りた寝顔を、しばらく見つめる。
 じきに閉じられたまぶたの向こうに意識が動き始める。強い腕が自分の頭の下からそっと引き抜かれ、背中に回された。
 褐色の瞳が見つめる。
「何か珍しいものでも見ている顔だ」
「うん お前の寝顔はあまり見たことがない。いつも私の方が遅くまで寝ているから」
「ああ そう言えばそうだな」
 二人の間に幸せな笑いこぼれる。
「ずっとこうしていたいが、今日は親父の代わりに出かけねばならぬ」
「……長老たちのところか」
「そうだ。と言っても、交渉の相手はもっぱらお前の父なのだが。
 あの人は頑固だ。しかも頭がよく、弁も立つときている。
 こう言ってはなんだが、気持ちよりも理屈を先に立たせる人だな」
「うん それは母も言う。でもそれだから、私とお前が一緒になることも、気には入らないが反対はしなかったと」
 快活な笑い声。
「そうか それは感謝しなければ」
 日に焼けた長身が半身を起こし、階下の召使いに声をかける。
 お茶が運ばれてきて、スパイスの甘い香りが漂う。口をつけると、上等な蜂蜜の甘さとともに、ぴりりとした生姜の味が舌を刺激し目を覚まさせる。
 押しのけられた掛け布に朝の光が当たって輝く。東方の都からとり寄せた真珠色の布。いつかそれは「絹」というものだと教わった。
 「虫の吐く糸から織られる布だ。虫といっただけで他の女たちはいやな顔をするが、お前は気にするまい」彼はそう笑った。
 体を起こして敷布の上に座る。まだ涼しい朝の空気の中で、陽の光が心地よく肌を暖める。
 大河のほとりの伝統ある都市。周辺地域の古い都市が衰退し、かつての栄光が色あせていく中で、なお古代の知識と文化を保っていることが、住む人々の自慢だった。
 自分の家は旧家で代々、治政者と学者の家。彼の家は商家で、手広い交易で富を築いて影響力を強めた。治政に関わり始めたのは、それほど昔のことではない。
 対照的な二つの家の当主同士の折り合いは、必ずしもよくはなかった。
 しかし彼の方では早くから自分を見初め、しきりに遠くの都市から持ち帰った珍しい贈り物を届けに訪れ、その意図を感じとった母を微笑ませた。
 彼は早い時期から父親の交易の旅に伴われ、たくさんの異国の都市を回っていた。そこで見聞きしたことを聞くのが楽しみだった。
 父は、商家の息子から自分の娘への求婚を気に入らなかったが、家の決めごとは母に委ねていた。家同士の取り決めで結ばれる婚姻も多い中、娘が気に入った男と一緒になれることを、母は喜んだ。
 その結果として二つの家が結びつくのであれば、それも悪いことではないでしょうと、母は父に言った。
 二人の婚姻の正式な日取りも決められた。でもそれは自分にはどうでもよく、二つの家を自由に行き来して過ごした。
 愛する(ひと)と夢を見て過ごす夜は、ジャスミンの花のように甘い……。


 大学の教室の後ろの方に座り、講義を聴くふりをしながら、セレスティンはぼんやり考え事をしていた。
 また、あの夢を見た。
 どこか遠い国を背景にした映画みたいな夢。
 最初にそれを見たのは、ルシアスと出会った頃だったと思う。それから時々、同じ夢の続きのようなものを見ている。
 見るたびに少しずつ細部が埋まって、具体的になっている。
 あの女性を、夢の中では「自分」と思っているけれど……それは感情移入しているだけなのかな。
 確かなことは、夢の中では深い幸せに自分の胸が満たされている……そこから覚めてしまいたくないぐらい……。
 
 セレスティンが大学から戻ると、マリーがお茶を用意してくれていた。
 シナモンの香りの紅茶に、温かいレーズンのスコーン。
 シナモンの香りが、なんとなく夢の中で飲んだお茶を思い出させる。
 スコーンにたっぷりのクリームと、甘酸っぱいマンゴーのジャムをつけて頬張りながら、ふと思う。
 あの夢のことは、これまではマリーにも話したことはない。自分だけのものにしておきたいような気がして。
「夢を見るんだけど……ずっと同じ物語を、時間を追って見ているみたいに。
 それで……昔、知っていて、忘れてしまった映画や物語を、自分の心が夢の中で再生することってある?」
「目が覚めている間に見たイメージが夢にとり込まれたり、形を変えて再生されることは、よくあるわね。
 それは印象に残ったイメージを再生しているだけのこともあるけれど、でも同じ場所や人物が繰り返し表れる時には、心にとっての必然性があるものよ。
 そしてそこに出てくるのは、実際の場所や人物であるかもしれないし、自分の無意識が、場所や人物や物語を借りて、何かを語っているのかもしれない」
「それは自分が生まれる前の、過去の人生っていう可能性もある?」
 マリーはうなずき、それから少し考え深い表情をした。
「でも、この人生の前の人生の記憶と、無意識の中の要素を、厳密に区別することはできないと思うの。
 この人生での昔の経験も、それ以前の人生での経験も、それが今のあなたを作っている。それは確か。
 でもこの人生以前の経験は、普通は意識的に思い出せないでしょ? だとしたらそれも、個人の無意識の領域に存在している。
 そしてこの人生の過去の経験でも、意識に統合され切らないものは、個人の無意識に加えられる」
「それはどちらも個人の無意識の領域にある——同じ場所にあるということ?」
「私はそう思っているわ。少なくとも、それらはつながっていて、厳密に区別することは難しい。
 でも、だからそれが重要ではないということじゃないのよ。
 この人生での昔の経験はあなたを形作っているし、この人生以前の過去の経験もあなたを形作っている。それはどちらも自分というものの背景。
 でも、それに重きを置きすぎてはいけないの。この人生を生きるのは、今ここにいる自分だから」
 

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登場人物紹介

セレスティン

ホノルルで大学に通う。

動物、植物、あらゆる生き物と星が好き。ダイビングが趣味。

ルシアスとの出会いをきっかけに、世間で「魔術」と呼ばれているものを学ぶ道に導かれていく。

ルシアス

もと海軍の情報士官で、ニューヨークの白魔術教団のメンバー。

訳があって軍を退役し、教団を去ってホノルルに移り住んできた。

彼のまわりでは風が生き物のように不思議な振舞いをする。

テロン

海軍の特殊部隊出身で、もと白魔術教団のオフィサー。

ルシアスの友人で、アメリカ本土から彼を追いかけてきた。

マリー

山の上に隠棲し、植物を育てながら薬草やアルケミーの研究をしている女性。

以前はニューヨークでユング派の心理療法家をしていた。

鳥の羽に導かれてセレスティンと知りあう。


エステラ

ニューヨークに住む、白魔術教団のオフィサーで占星学者。

ルシアスとテロンと親しいが、強面のテロンに「俺もルシアスも頭が上がらない」と言わせる女性。

ガブリエル・ジレ

ニューヨークにある白魔術教団のメンバー。

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