接点

文字数 2,423文字

 セレスティンはアラモアナ・パークの草の上にバックパックを下ろし、そのまま転がった。ルシアスと待ち合わせているけれど、少し早い。
 昨日マリーの話してくれたことは、とても興味深かった。
 確かに、この人生で生まれる前にも、違う人間として別の場所で生きていたなら、なぜそれを覚えていないのだろうと思ったことはある。
 テロンに教えられてプラトンの『国家』を読んでから、人の魂が生まれ変わるという考えに興味を持って、エリザベス・キュブラー=ロスやアーサー・ガーダムといった精神科の医師の人たちの書いた本も読んでみた。
 でも、自分も含めてほとんどの人間は、この人生以前のことなんて覚えていない。
 だからその記憶は無意識の領域にしまわれているとういのは、納得がいった。
 そして人によっては何かのきっかけで、その扉が開いて、記憶が浮いてくることがある。でもそのきっかけにはいろんな状況や条件があって、はっきりしたルールはないように思えた。
 それにしても、この人生で集めた自分の無意識の中身と、この人生の前の記憶が同じ領域に存在しているとしたら、それはずいぶんややこしい。
 記憶がこの人生のものなのか、それ以前のものなのか、それを区別する方法があればいいのに。
 やっぱり自分が見ている夢も、現実かもしれない、想像かもしれないっていう、そういう中間地帯にあるのかな。
 エステラだったら、どう答えてくれただろう。彼女なら、また違う見方を教えてくれそうな気がした。
 前にルシアスにも、この人生よりもっと前の、別の人生のことを覚えているか訊いてみたことがある。彼は「それは今ここにいる自分の中に含まれているのだから、重要なのは、具体的な記憶を思い出すことではなく、過去に身につけた能力をこの人生でさらに伸ばすことだけだ」と言った。
 ううん……いいや。あの夢は、自分だけのものにしておこう。
 あの夢を見ている間は、すごく幸せな気分。
 目が覚めていてももちろん幸せなんだけど、夢の中では、この人生では感じたことがないような、懐かしく、甘い感情を感じる。
 別の自分が生きていたかもしれない人生……多分、ずっと昔の過去のことなのに……それとも過去のことだから、よけいにそう感じるのかな……。
 そんなことを思いながら、遠くに波の音を聞いているうちに、眠くなってくる。
 目を閉じ、波の音に聴き入る。


 ガブリエル・ジレは、ルシアス・フレイの居所を探すことに執心していた。他にやるべき、もっと重要なことは山のようにあると自分でも思いながら。
 クラリスのリーディングで、それはほぼ間違いなくハワイのホノルル周辺だということはわかっていた。それをさらに複数の透視者を使って確認し、探索する区域を狭めていく。
 エステラ・ネフティスには、そういった瑣末なことを飛ばし、矢のようにターゲットを射る能力があると訊いていたが、彼女には相談できない。
 自分の依頼など一笑に付されるだろう。教団の指導者であるガレンの名前を持ち出せば、あるいは可能かも知れない。しかしこれはガレンには伏せておきたい案件だ。
 それ以上に、ネフティスには近寄らない方がいいと本能的に感じていた。彼女は何か危険な匂いがする。近づけば自分の深い意図についても探られるだろう。
 教団には多くの透視者がいる。
 ケイティのように血統で能力を受け継いでいる者は、能力的には優れているが、性格が気まぐれでむらのあることが多い。
 次に役立つのは、教団の訓練と平衡して自分で透視の訓練を重ねてきた者だ。
 その能力はいずれもネフティスの足下に及ばない。しかし複数の透視者にリーディングをさせ、得られた情報を重ねることで、偏りを修正し、精度を上げることができる。
 これは確かスターゲートとかいう陸軍の遠隔透視プロジェクトのやり方でもあったはずだ。
 都市がホノルルだというのは間違いない。あとはもっと区域を狭められれば……。
 それからふと、なぜ自分はここまでの興味をあの娘に持っているのかと考えた。
 とるにたりない新参者。おそらく特定の教団には属さず、参入儀礼も受けていない。
 それをあのオディナが教え、自分の使い魔(ファミリア)を護衛につけるほど大切にし、彼女に危険がせまっていると知れば介入しに現れる。
 その理由が知りたかった。
 単にやつの恋人か愛人ということか?
 しかしそれだけなら、二つ目の世界への手引きを与えてはいないだろう。新参とは言ってもあそこまで育てるには、才能も必要だし、それなりの時間も手間もかかる。
 黒魔術の儀式の犠牲用に彼女を手元に置いている可能性はあるか? 魔術の手引きという餌を与えて、必要になるまで育てているということは。
 だが、オディナは黒魔術に手を出すような男ではない。
 黒魔術は人間としての制限を超え、社会の枠組みを踏み越えて、自分の望むものを手に入れることを可能にする。だがそのために支払う対価が大きすぎるのだ。
 人間としての制限を超えるためには、人格の一部を破壊しなければならない。
 ジレ自身、どれほど大きな目的があっても黒魔術に手を出さないのは、人としての倫理という以前に、対価の大きさを理解しているからだ。
 何よりオディナの性格は、弱いものを犠牲にすることを嫌う。それが教団における一貫したあの男の行動パターンだ。
 ……あの娘は、愚直なほどに素直だ。
 自分に名前を教えることを拒んだのも、教えられた指示に従っていたに過ぎない。
 オディナに邪魔されず、もう少し時間があったら、自分の言うことを聞くように仕向けられたはずだ。
 苦労などしたことがなく、守られ、必要なものを与えられてきた、幸運な子供のような存在感。
 それが今はハイキング気分で二つ目の世界を歩いている。
 それが自分の気に触るのだと思った。しかし同時にあの娘ともっと話がしてみたいとも思った。
 自分とさらに関わった時に、彼女がどんな反応をするのかを見たいと思った。

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登場人物紹介

セレスティン

ホノルルで大学に通う。

動物、植物、あらゆる生き物と星が好き。ダイビングが趣味。

ルシアスとの出会いをきっかけに、世間で「魔術」と呼ばれているものを学ぶ道に導かれていく。

ルシアス

もと海軍の情報士官で、ニューヨークの白魔術教団のメンバー。

訳があって軍を退役し、教団を去ってホノルルに移り住んできた。

彼のまわりでは風が生き物のように不思議な振舞いをする。

テロン

海軍の特殊部隊出身で、もと白魔術教団のオフィサー。

ルシアスの友人で、アメリカ本土から彼を追いかけてきた。

マリー

山の上に隠棲し、植物を育てながら薬草やアルケミーの研究をしている女性。

以前はニューヨークでユング派の心理療法家をしていた。

鳥の羽に導かれてセレスティンと知りあう。


エステラ

ニューヨークに住む、白魔術教団のオフィサーで占星学者。

ルシアスとテロンと親しいが、強面のテロンに「俺もルシアスも頭が上がらない」と言わせる女性。

ガブリエル・ジレ

ニューヨークにある白魔術教団のメンバー。

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