地は動かず

文字数 3,891文字

 ろうそくの光が柔らかに瞬き、木の穏やかな色合いの調度を照らす。リビングの家具はどれもバリ島から取りよせたもので、木の魂を感じさせる風合いと暖かな手触りが、マリーの気に入っていた。
 ソファに腰を下ろし、訪れる二人の客のことを考える。
 家に客を招くなどというのは絶えてなかったこと。
 とりたてて人を避けようと思ってきたわけではない。長い夜を一人で過ごす時など、話し相手がいればと思ったこともある。
 だが夫と別れ、ニューヨークでの生活を手放してこの遠い土地に移ってきたのは、自分の選んだ道を歩くため。そして社交や人付き合いに時間やエネルギーを割くことと、それを自分にとって大切な仕事に注ぐことを秤にかけて、いつも後者を選んできた。
 そんな習慣を破らせる要素を、この二人の客は持っていた。
 二人の「普通でない」質に、好奇心をそそられなかったと言えば嘘になる。だが、単なる好奇心から自分の生活の流れが乱されるのを受け入れるほど若くもなかった。
 むしろ自分の静かな生活を守るため、彼らが自分のもとを訪ねてきた理由を知っておく必要があると感じたのだ。
 そして同じくらい、セレスティンのことが気になっていた。まだ無邪気な年頃から抜け出てもいない若い娘が、なぜあの二振りの剣のような男たちと一緒にいるのか。
 あの二人が、まさか黒魔術かそれに類する系統の実践者ではないだろうが……。その可能性がまったくないとは言い切れなかった。
 表ではすばらしい慈善家や家庭人としてふる舞いながら、誰にも話すことのできない闇の顔を裏に秘めた人間たちを、ニューヨークシティで心理療法家として働いていたマリーは数知れず見てきた。
 二人と話をすることで、セレスティンがどんな場所に立たされているのかを確かめたいと思った。
 約束の九時ちょうど、家の外に気配を感じる。このあたりの街灯のない暗闇の中を迷いもしなかったようだ。ドアがノックされる前にマリーは扉を開けた。
 二人をリビングに招き入れる。それぞれの好みを聞いて、テロンのためにワインを開け、ルシアスと自分にはセージの香りのハーブティーをいれた。
 テロンはグラスの赤い液体をゆっくり空気に触れさせてから口に含み、それが東海岸のメルロー、多分ヴァージニア産だと言った。
「ずいぶんワインに詳しいのね」
「自分が生まれた場所のワインも見分けられないようじゃ、酒の神の罰が当たる」
 そう言って満足げに笑う。それは昨日は見なかったくだけた表情で、意外さとも相まってマリーを惹きつけた。
 そもそも「射手(テロン)」という名は本名ではないだろう。
「お二人が何かを探しているのはわかっています。どんなものをお探しなの?」
「あなたは単独の実践者(ソリタリー・プラクティショナー)ですか?」
 ルシアスが迷いのない声で訊ねる。
「何の実践者と?」
(ジ・アート)。それとも魔術(アルス・マギカ)と言った方がよいですか。あなたがそういう語で自分を定義するのかどうかわからないが」
 予想以上の単刀直入さ。自分が「実践者」であると見てとり、その判断に疑いを挟んでいない。それは彼ら自身、抜き差しならず『術』の道に関っている人間だということ。
 マリーは改めて目の前のルシアスを観察した。
 理知的で澄んだ存在感。リラックスしているように見えて、よく発達した神経は覚め、ぴんと張っている。風の個性を感じるが、風の質に伴う落ち着きのなさのようなものはみじんもない。それは人格がよく制御されている証拠だ。
単独(ソリタリー)というのは事実だわ。集団に属することには興味がなかったから」
「それはなぜ?」
「性格と言ってもいいでしょうし、私の興味は自然と関わる錬金術(アルケミー)にあるから、と言ってもいいでしょうね。
 儀式魔術や典礼魔術のような形で自然の力を制御しようとするのでなく、母なる自然の力を借りて、自分自身の内面に向かいあうことが私の道筋です。
 今の私にとっての教師であり協力者であるのは、人間ではなく、母なる自然そのものです」
「それで、魔術教団のようなものの中で道を歩むことに興味はないと」
「ええ、そういうことになるわね。お二人はどこかの教団に属しているのかしら?」
 ルシアスが言葉を探すように視線を落とす。
 それまでグラスを手にソファにもたれていたテロンが、屈託なく返事をした。
「二人とも、組織のかったるさに嫌気がさして足を洗ってきたところさ」
 二人は術の道にある者で、属していた教団を去ってきた。では、探しているのは新しい足場を築くための手助けか、実践の仲間か。
 とすれば、自分はそれに応えることはできない。
「新しい教団を作ろうと望んでいるのですか?」
「教団であろうがなかろうが、組織を作ることにも属することにも興味はない」
 ルシアスは即座にそう言った後、間を置いてゆっくりと言葉を継いだ。
「ただ、そうでないとすれば、自分らがどこへ向かうのかが知りたい。それを探すために、内的な手応えに従って動いているだけです。そして手がかりを求めた先に、あなたがいた」
 彼の言葉の響きを吟味する。
 ユング派の分析家として数えきれない人々の人生を見てきたマリーは瞬時、ルシアスが置かれている状況を悟った。
 彼ら自身の力を超えた何かに呼ばれているのだ。
 そして自分に求められているのは、彼らがそれに応えるための手助けをすること……。
 あえて孤独な実践者としての道を選んできたマリーには、それは熟考を要することだった。
 単なる友人として迎えることができるなら、この二人は好ましいと思った。自己の深い部分から響く好感と信頼感を感じることができた。
 だが、布置に応えて二人に関わりだせば、自分の人生の道筋は変化を余儀なくされるだろう。一度動き始めた流れは、止めることは難しい。
 運命の女神の気まぐれで自分は彼らの前に配されたのかもしれないが、それに応じずに済ませることも、今ならまだできる。
「おっしゃりたいことはわかったように思います。でも、今の私は答えを持ち合わせていません。もう少し時間をかけて、お互いに知り合いたいと思うのですが、いかがですか」
「もっともです」
 マリーの顔を見ながらルシアスが答える。
 ここで彼が即座に同意を求めるか説得しようとしたなら、自分は「ノー」と言っただろう。
 それから、セレスティンに考えを向ける。
 この二人が術の道に属するなら、彼女もそれに関わっているか、あるいは巻き込まれているのか? 若い彼女は、自分の置かれている立場をどれほど理解しているのか?
 マリーは自分の中に、おかしなほど強い保護欲が動くのを感じた。
 話を切り替えるようにテロンのグラスにワインを足し、キッチンに戻ってティーポットにお湯を入れる。ルシアスと自分のカップに新しいお茶を注いだ。
「一つ、聞きたいわ。セレスティン――あの()はどんな位置にいるの? お二人から術の手ほどきを受けているのかしら?」
 思いもしない質問だったのだろう、ルシアスの顔に明らかなとまどいが浮かんだ。
「……彼女は まだ子供です――何の手引きをするにも若すぎるし、そもそも道に引き入れるべきなのかどうかも――」
「お前、いつからあいつの保護者になった」
 テロンが口をはさむ。
「歳勘定からいやあ少しばかり若過ぎる、そいつは確かだ。だが、どこでどういうふうに道を選ぶかはあいつの決めることだ。
 ルシアス、お前があいつを不要なリスクから守りたがっているのはわかってる。だが誰も、魂を自分自身の道から守ることなんぞできん」
 その通りだ。魂は自分の歩むべき道を知っている。そしてそれを歩むのを止めることは、誰にもできない。
 運命(さだめ)というものがあったとしたら、それは外から与えられるものではない。それは魂の本質そのものから生じる必然性の網だ。そしてだからこそ、人は運命から自由にはなり得ない。
 だが、それまで冷ややかなほどに落ち着いていたルシアスに、わずかにしろ感情のぶれが見られたことにマリーは好意を抱いた。それは彼が真剣にセレスティンを思っている証拠だったからだ。
 そしてテロンとセレスティンの関係――それも目に映るだけのものではないとマリーは直感した。
「まあ、あの小娘は当面『魔法使いの見習い』ってことにしとけ」
 冗談めかしたテロンの言葉に思わず微笑む。そういうタイトルのディズニーのアニメーションがある。ゲーテの詩をもとに作曲されたスケルツォをベースに、魔法使いの弟子が師の留守中に見よう見まねで魔法を使って失敗する話だ。
 子供向けのように見えるたくさんの物語には、多くの真実が隠されている。己を知らぬ者が見よう見まねで大きな力を扱おうとすることの危険を、アニメーションはユーモラスに、しかし的確に語っていた。
 テロンはまったくの冗談のつもりだったかもしれないが、マリーは自分の役割を見たような気がした。
 セレスティンがルシアスに惹かれ一緒にいるのには、彼女にとって内的な理由がある。だが、いずれどのように道を選ぶにしろ、選択のためには足場が必要だ。
 そのためにまずしなければならないのは、肉体と人格の安定性を高めること。若いセレスティンについても、そこから始めなければならない。
 ルシアスにはセレスティンが見えない。恋愛感情は互いの関係から客観性を奪い、時に明らかな魂の(しるし)さえ見落とさせる。
 セレスティンに、道を選ぶための足場を与えてやるのが自分の役割ではないか。
 その考えはマリーの中に落ちて、受け入れられた。
 手の中の青い小鳥――。
「お二人を友人として迎えられて、うれしいわ。私はこの庭に隠棲しているようなものですから、いつでも好きな時に訪ねてくださいな」
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登場人物紹介

セレスティン

ホノルルで大学に通う。

動物、植物、あらゆる生き物と星が好き。ダイビングが趣味。

ルシアスとの出会いをきっかけに、世間で「魔術」と呼ばれているものを学ぶ道に導かれていく。

ルシアス

もと海軍の情報士官で、ニューヨークの白魔術教団のメンバー。

訳があって軍を退役し、教団を去ってホノルルに移り住んできた。

彼のまわりでは風が生き物のように不思議な振舞いをする。

テロン

海軍の特殊部隊出身で、もと白魔術教団のオフィサー。

ルシアスの友人で、アメリカ本土から彼を追いかけてきた。

マリー

山の上に隠棲し、植物を育てながら薬草やアルケミーの研究をしている女性。

以前はニューヨークでユング派の心理療法家をしていた。

鳥の羽に導かれてセレスティンと知りあう。


エステラ

ニューヨークに住む、白魔術教団のオフィサーで占星学者。

ルシアスとテロンと親しいが、強面のテロンに「俺もルシアスも頭が上がらない」と言わせる女性。

ガブリエル・ジレ

ニューヨークにある白魔術教団のメンバー。

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