星空

文字数 2,158文字

 マリーの家の二階には部屋が三つあって、セレスティンはしばらく前からその一つに住み込んでいる。ルシアスが泊められているのはセレスティンの隣の部屋だ。
 まだ少し疲れやすいようで、彼は夕食の後は自分の部屋に戻っていた。
 ドアをノックしてみると「入れ」と返事がある。
 ルシアスはすでにベッドに横になっていて、手にしていた本をサイドテーブルに置いた。
「少しだけ、話をしてもいい?」
「病人扱いしなくてもいい」
 ルシアスは笑うと、招くように腕を伸ばした。
 ベッドに腰を下したセレスティンを抱き寄せ、腕を枕に貸す。
「ニューヨークに行くの?」
「俺もテロンも、面倒なことを全部エステラに押しつけて出てきてしまった。その後片づけぐらいは手伝いたい。
 組織に戻りたいとは思わない。だが、白魔術教団のの存在自体は意味のあるもので、そして必要なものだ。
 魔術あるいは秘教という形で古い知恵の伝統を受け継ぎ、離散しているものを集め、蓄え、受け渡す。そういう機能を持つ組織は存続を続けなければならない。
 そのことは俺もテロンもわかっている。あいつが最初、俺を連れ戻すためにホノルルに来たのも、そのためだ。
 だからせめて教団の混乱を収めて、建て直しを始めるぐらいのことは手を貸そうと思う。
 それがどういう形をとるのか、詳しいことはまだ話してないが」
 彼は言葉を切り、何かを思い出す表情をした。
「テロンと俺は教団を辞めて、自分たちが歩く道を探していた。この人生が自分に何を求めているのかと——そうしてマリーに出会った。彼女は、自分たちが探している形の一部だと思った。
 だが……君やマリーやテロンと普通に過ごす時間があまりに心地よくて、自分が道の途中にいることを忘れていた気がする」
「でも、その間にルシアスはずいぶん変わったもの。それはきっと必要な時間だったんだと思う」
「……そうだな その時間がなければ、俺はこんな形でここにはいなかった」
 彼は少し黙っていたが、言葉を継いだ。
「君は 俺の心の深いところに降りて来て、あの光景を見た。あれは単なる悪夢じゃなくて、実際の記憶なんだ。
 遠隔透視の作業中に見た実際の光景。
 戦争のさなかに、それを操る人間たちの都合で中東の小さな都市に戦術核が打ち込まれた。
 どんなふうに都市が破壊され、どれだけの数の人々が死に傷ついたか――すべて後からの調査で確認され、俺にも知らされた。俺の見たものがどれほど正確だったかの確認として。
 あの記憶は今もまだ自分の中にある。理由なく命を奪われた人々のことを——母親や子供たちのことを——忘れたくはない。
 俺は 眠る時、またあの夢を見るかもしれない」
「私はそばにいる ルシアスを独りにはしない」

 夜中に目が覚める。ルシアスが目を覚まして、天井を見つめている。
 またあの夢を見たのかな……そう思いながら上を見た時、そこにあるのは天井じゃなかった。
 夜の空。ところどころ雲がかかっているけれど、その合間から星が見える。
 彼の目は天井を通り抜けて、ずっと高い場所を見ていた。
「星を見てるの?」
「ああ――俺が見ていものが 君にも見えるのか」
「うん 少し雲がかかってるけど 星」
 ルシアスがセレスティンの手を握る。
「出てみるか」
「え?」
「目を閉じて、握られた手の感覚に意識を集中して」
 言われた通りにする。
 ルシアスの手を感じていると、やがて体がひっぱられ、何かを通り抜ける感覚があった。まるで厚くて重たいコートを脱いで床に落としたみたいに、体が軽くなる。
 冷気を感じて目を開けると、まわりは夜空だった。マリーの家のある山の尾根が下の方に見えて、目を上げると、遠くにホノルルの街並みとその向こうの夜の海。
「ここは……二つ目の世界じゃないみたい……私たち、ホノルルの空にいるの?」
「これは、少し古い言葉ではアストラル・プロジェクションと呼ぶ」
 ルシアスが手を上げると、強く大きな生き物のように、風が二人のまわりを吹き抜ける。風がルシアスがここにいるのを――戻ってきたのを喜んでる。
 一陣の小さな風がくるくると二人の回りを踊り、あの若いシルフだと分かった。その流れるような姿も宝石のような青い目も、二つ目の世界にいる時と同じようにはっきり見える。
 二人は暗い空のもっと高いところに昇った。下を見るとオアフの島の全体が目に入る。島のところどころに光の点が見え、ホノルルにはたくさんの光が集中している。
 もっと昇っていくと、オアフもそれ以外の島も海の一部になる。向こうの方に、わずかに煙るような白と青の光の層で縁どられた地平線が、緩やかなカーブを描く。
 そしてこんな高さでも風はまだ吹いている。
 そのまま宇宙に続いていく暗い空は、マウナケアで見た星空を思い出させた。
「ここはどのくらいの高さ?」
「まだ大気圏の内側だ。西風が吹いているから、成層圏の下あたりだな。もうずっと……こんな高さに上がってくることはしてなかった」
 ふたりは黙って下に見える世界を見つめていた。
「美しいな」
「うん」
「地上では人間たちが多くのことを行っている——愚かなことも賢明なことも。
 だが、こうやって見下ろしていると、この惑星を愛おしいと思う。あれは俺たちの故郷なんだと」
「うん」
 セレスティンはルシアスの手を強く握った。




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登場人物紹介

セレスティン

ホノルルで大学に通う。

動物、植物、あらゆる生き物と星が好き。ダイビングが趣味。

ルシアスとの出会いをきっかけに、世間で「魔術」と呼ばれているものを学ぶ道に導かれていく。

ルシアス

もと海軍の情報士官で、ニューヨークの白魔術教団のメンバー。

訳があって軍を退役し、教団を去ってホノルルに移り住んできた。

彼のまわりでは風が生き物のように不思議な振舞いをする。

テロン

海軍の特殊部隊出身で、もと白魔術教団のオフィサー。

ルシアスの友人で、アメリカ本土から彼を追いかけてきた。

マリー

山の上に隠棲し、植物を育てながら薬草やアルケミーの研究をしている女性。

以前はニューヨークでユング派の心理療法家をしていた。

鳥の羽に導かれてセレスティンと知りあう。


エステラ

ニューヨークに住む、白魔術教団のオフィサーで占星学者。

ルシアスとテロンと親しいが、強面のテロンに「俺もルシアスも頭が上がらない」と言わせる女性。

ガブリエル・ジレ

ニューヨークにある白魔術教団のメンバー。

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