夢は入り口

文字数 2,788文字

 それから毎朝、メディテーションの練習をした。
 エステラもルシアスも「これは次のステップのための準備」だと言った。
 エステラはハワイにいて、ただ長いヴァケーションを楽しんでいるのだと思っていた。そうではなく、セレスティンを教えるために滞在を伸ばしているのだと知った時、複雑な気持ちになった。
 彼女がここにいてくれるのはうれしい。正直、ずっといて欲しい。でも、自分のために彼女自身の時間や生活を犠牲にさせるのはいやだ……。
 確かなのは、テロンの時とおんなじで、準備ができないと次には進ませてもらえない。だから前に進まなくては。そう決めて、がんばって早起きをして練習をする。
 メディテーションはわりとうまくいく日も、そうでない日もある。2日か3日、いい感じに続けられて少し進歩したかなと思うと、その翌日には全然集中できなかったり。
 その話を聞いてルシアスは言った。
「波があるのは普通だ。自然の中のものは周期をもってつねに変化している。精神集中のやりやすさも、その影響を受ける。
 例えば満月や新月といった月の相にも、人間の感情の波は影響を受け、それが精神の状態に反映される。
 それに女性は、男にはできない形で月と深い関係を持っている。女性の感情の波には、より強く月の力が反映される。
 これは俺が話しても自分で経験のないことを説明するだけになるから、エステラから聞いた方がいいだろう」
「感情の上がり下がりで精神の集中が難しくなるなら、感情は邪魔なものということ?」
「すべてを手放して人間であることから解脱でもしようとするなら、そういうことになるな。だが魔術師にとってはそうではない。魔術師は、この世界と関わり続けることを選ぶものだからだ。そこでは感情の力は、意志の力、理性の力と等しく重要だ」
 そう言ってからルシアスは何かを思い出し、苦笑した。
「これは俺がテロンから受けた説教だな。
 ……君にとっては感情を制御することが課題だろう。
 俺にとっては、自分の感情を押さえ込んでしまわないことが課題だ。そして君はそれを助けてくれる。
 いずれ重要なのは、波をかぶって浮き沈みしながらでも、続けていくことだ。それによって感情の波や外部の影響に関わらず、自分が望むことにまっすぐ集中する力がついてくる」

 朝早く起きてメディテーションを練習(プラクティス)するようになってから、あることに気がついた。
 睡眠の質が変化している。
 以前は眠りに落ちたら、意識が途絶えて真っ暗で、その合間に夢を見ていた。それが今は眠っている間も、なんだかずっと自分が続いている感じがある。眠っているんだけど、自分の意識の一部は覚めているような。
 そして夢がすごく明るくなった。色もそれまで以上にあざやかだ。
 セレスティンの夢にはいつも色がついていた。ただ起きている時の世界と比べると、少し暗いなとは思っていた。
 それは夜は電気を消して寝るからかなと考えたこともある。でも電気をつけて眠ってみても、全体のなんとない暗さは変わらなかった。
 ところがメディテーションを始めてからしばらくして、突然、夢の世界が昼間になったみたいに明るくなった。そして色もすごくきれいではっきりとしている。
 そして以前は夢の中で、昔の悲しかったことや腹の立った経験なんかを繰り返すことがあった。同じ気持ちを状況だけ変えて何度も繰り返したり。
 そういう夢が減って、そして自分に語りかけてくるような夢や、今の自分に何か意味があるような気がする夢が増えた。
 物語の断片のような夢は、マリーの家で眠る時に見ることがあったけれど、自分のアパートで眠っている時にも、そういう夢を見る回数が増えた。

 夕暮れの砂浜をエステラと散歩しながらそのことを話すと、彼女はうなずいた。
「夢は人間の無意識にもつながっているけれど、二つ目の世界ともつながっているの。
 夢の中には、あなたも気づいているように、自分の過去の経験や、目が覚めている時の経験で消化し切れていないものを、追体験して消化するための心理的な夢もある。心の中を掃除するための夢ね。
 でも夢と思われているものの中には、二つ目の世界の経験が混じっていることもあるわ。
 例えば夢の中で、どこか具体的な場所に行ったり、知っている人に会ったりしたことがあるでしょう。時にはすでに死んでいる人に会ったり。
 それも心理的な夢によくある、とりとめのない感じじゃなくて、鮮明ではっきりとした経験」
「それは二つ目の世界で起きていることなの?」
「そう。ただ心理的な夢と二つ目の世界の経験はつながっていて、訓練されていない心の中では入り交じってしまうから、普通の人間はそれをただの夢と思うけれど。
 夢は、二つ目の世界に足を踏み入れるための入り口なの。それだけが入り口ではないけれど、精神的な修業をしない人でも、誰でも入っていける入り口ね。
 魔術師やシャーマンたちは、目が覚めた状態で、意図的に意識的にそこへ踏み込んでいく。
 メディテーションのような心の作業は、そのための通路を築いて広げるのを助ける。
 メディテーションをしていると、いろんなことが頭に浮かんでくるでしょ? その日に経験したこととか、昔のことで忘れていたこととか、心に残っていたイメージとか。
 それに気づいては手放すことで、自分の心を掃除しているの。そして寝ている間に掃除する必要のある心理的なゴミの量が減るから、眠ってる時間をもっとずっと効率的に使えるようになるわけ。
 それだけがメディテーションをする理由じゃないけれど、重要な理由の一つではあるわ。
 自分の中の雑音を静めることを覚えれば、聞こえないほど小さな声に耳を傾けることができるようになる。自分が見たものを、そのまま意識に届かせることもできるようになる。
 私たちの心には、社会や教育、生い立ちによってはめられたたくさんのフィルターがある。それは現実の経験の大きな部分をより分けてしてしまい、意識に届かせないようにする。
 ゆっくり自分を開いていきなさい。
 最初は二つ目の世界に気づき、感じとることから始めて、やがて自分の意志で、そう選んだ時に、見たり聞いたりすることを身につけるのよ」
 そういうと波際に近づき、何かを招くように手をさし伸べた。シルクのドレスの袖が風になびく。ぱしゃりと音ではない音がして、何かが水の中から跳ね上がった。
 透明な水と光の線で編まれたような……。
 見つめるセレスティンに、エステラが微笑む。
「それからやがて二つ目の世界に足を踏み入れて、仕事をすることを学ぶの。
 前に渡したカードを持っているわね? 
 最初の1枚は今のあなた。そして2枚目はあなたがいつか行き着くところ。1枚目のカードのイメージを見つめながら、メディテーションをすることを始めるといいわ。最初のうちはルシアスについていてもらいなさい」
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登場人物紹介

セレスティン

ホノルルで大学に通う。

動物、植物、あらゆる生き物と星が好き。ダイビングが趣味。

ルシアスとの出会いをきっかけに、世間で「魔術」と呼ばれているものを学ぶ道に導かれていく。

ルシアス

もと海軍の情報士官で、ニューヨークの白魔術教団のメンバー。

訳があって軍を退役し、教団を去ってホノルルに移り住んできた。

彼のまわりでは風が生き物のように不思議な振舞いをする。

テロン

海軍の特殊部隊出身で、もと白魔術教団のオフィサー。

ルシアスの友人で、アメリカ本土から彼を追いかけてきた。

マリー

山の上に隠棲し、植物を育てながら薬草やアルケミーの研究をしている女性。

以前はニューヨークでユング派の心理療法家をしていた。

鳥の羽に導かれてセレスティンと知りあう。


エステラ

ニューヨークに住む、白魔術教団のオフィサーで占星学者。

ルシアスとテロンと親しいが、強面のテロンに「俺もルシアスも頭が上がらない」と言わせる女性。

ガブリエル・ジレ

ニューヨークにある白魔術教団のメンバー。

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