祈り

文字数 1,440文字

 温かい空間に戻り、後ろでドアが閉められたとたん、涙が出てきた。
 後から後からこぼれる涙をぬぐうセレスティンを、マリーはソファに座らせ、自分も隣に座った。
 セレスティンは、熊の命が奪われたのは自分のせいだと思った。自分が注意していたら、熊を避けることができたはず。自分にもっと知識があったら、熊を遠ざけるか、逃がすことができたはず。
 そして自分の不注意と失敗で、マリーを危い目に遭わせてしまったことへの後悔……もしマリーに何かあったりしたら……。
「セレスティン あの熊が死んだことには、理由があったかもしれないし、あって欲しくない偶然が重なっただけだったかもしれない。
 でもそれは起きてしまったこと。そしてあなたも、熊も、誰も悪くないの。
 必要なのは悔いることじゃない。ただ起きてしまったことを、無駄にしないこと」
 それだけ言うと、マリーはセレスティンを抱きよせた。
「でもね それは後のこと。今は何も考えなくていい。泣きたい涙は泣けばいいのよ」


 その夜、セレスティンは夢を見た。
 自分は冬眠する熊だった。暗く静かな穴の中で丸くなり、春が来るのを待って眠り続ける。
 水が氷に変わり、生き物が動きを止め、風さえもが凍りつく寒さの中で、静かに自分自身の内側に降りていく。
 春から夏、そして秋にかけて経験したさまざまな出来事、自分の中にとり入れたたくさんの要素が、暗闇の中の眠りを通して自分の中で溶かされ、血になり、肉になっていく。
 眠りの中で刻一刻と生まれ変わりながら、再び春が訪れるのを夢見る――。

 秋の間に十分な準備ができず、必要なだけの脂肪を身につけられなかった熊は、冬眠中に飢え死にすることもある。
 生きて再び春の日差しを浴びられるかどうかは、どれほどよく自分を準備するかにかかっている。
 自分は優しい手で、春の土にまかれた種子。優しく温められて芽を出し、光を求め始めたばかりの植物……穴から出て、初めて外の世界に足をつけた子熊。
 大きくならなければいけない、もっとずっと。そしていつか訪れる難しい季節を乗り越えることができるように、強くならなければ……。


 朝起きた時、マリーはいなかった。
 外は久しぶりに太陽が出ていた。日差しが雪に照り返されて眩しい。
 少しして、マリーが外から戻った音。
 セレスティンが起きているのを見ると、苺のジャムの入った熱い紅茶を飲ませ、それから二人で外に出た。
 昨日、熊のいた場所に戻る。体はすでになく、血の跡も新しい雪でおおわれていた。
 林の外の少し高くなった場所に登る。雪でおおわれた周囲の山並みが見える。
 セレスティンを横に立たせ、マリーは四方向を見渡してから、両腕を前に差し延べた。
 すうっと深い呼吸をしてから、強く朗々とした声が響いた。

大いなる祖母(グランドマザー)
大いなる祖父(グランドファーザー)
四方向を統べる力たちよ
すべての生けるスピリット、死せるスピリットたち
この山を統べる熊族の人々(ベアー ピープル)
昨日、熊族のひとりが狩人の手で葬られた
そこに到るすじ道は、導きであったかもしれず
また偶然の折り重なりであったかもしれない
起きたことにおいて
関わった者の誰にも(とが)はない
ただその邂逅を通し
あなたがたは命をもって
私たちの魂と関わった
それは確かに受けとられ
捧げられたものは
私たちの生を織りあげる糸の一本となった
私たちの深い場所からの感謝が
あなた方のもとに運ばれるように
大いなるスピリットの恵みあらんことを

 祈りは、響く音としてセレスティンの体を揺すり、イメージとしてセレスティンの心に染みこんだ。

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登場人物紹介

セレスティン

ホノルルで大学に通う。

動物、植物、あらゆる生き物と星が好き。ダイビングが趣味。

ルシアスとの出会いをきっかけに、世間で「魔術」と呼ばれているものを学ぶ道に導かれていく。

ルシアス

もと海軍の情報士官で、ニューヨークの白魔術教団のメンバー。

訳があって軍を退役し、教団を去ってホノルルに移り住んできた。

彼のまわりでは風が生き物のように不思議な振舞いをする。

テロン

海軍の特殊部隊出身で、もと白魔術教団のオフィサー。

ルシアスの友人で、アメリカ本土から彼を追いかけてきた。

マリー

山の上に隠棲し、植物を育てながら薬草やアルケミーの研究をしている女性。

以前はニューヨークでユング派の心理療法家をしていた。

鳥の羽に導かれてセレスティンと知りあう。


エステラ

ニューヨークに住む、白魔術教団のオフィサーで占星学者。

ルシアスとテロンと親しいが、強面のテロンに「俺もルシアスも頭が上がらない」と言わせる女性。

ガブリエル・ジレ

ニューヨークにある白魔術教団のメンバー。

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