オルド

文字数 2,663文字

 ガレンは執務室の椅子にもたれ、考えに耽っていた。
 この白魔術教団の代々の指導者たちにより占められてきた椅子。
 その椅子に自分が座ることは、最初のゴールが達成された証であり、それは自分にもいくばくかの喜びを与えていいはずだった。
 しかしそのような気持ちにはならない。
 この教団に参入して以来、ガレンは自分自身を律し、注意深く行動してきた。
 最初に組織の構成について内側から時間をかけて学んだ。急いで上に登ろうとはせず、他の参入者と同じペースで歩みながら、教団の構造、機能、そしてそれを構成する人間たちについて学んだ。
 この教団は政界や軍部に影響力を持つ、自らを秩序を司る場所(オルド)と称する、今は数少ない組織の一つだ。
 魔術の能力を身につけるための修業や、精神的な奉仕や活動の機会を求めて参入する者は多かった。しかしこの教団を、政界や経済界で力を手に入れるための足場にしようとする者も少なくなかった。
 能力の優れた者は修行者のタイプに多く、しかし教団の決定権を伴う多くの立場は、政治的な能力に優れる者で占められていた。
 幹部たちの人となりや動機について観察しながら、慎重に歩を進めた。そして今は「秩序を司る場所」であるはずのこの白魔術教団も、人の世の欲やしがらみから自由ではないことを確認した。
 ガレンは頭脳の明晰さ、意志の堅固さ、行動と判断の確かさで支持者や協力者を集めていった。ゆっくりと確実に教団の階段を登り詰めることが、一つ目のゴールだった。
 オディナが先代の後ろ盾と幹部の支持で早々とオフィサーに任じられた時にも、焦りはなかった。自分が目指しているのは、教団全体を掌握する立場だ。
 賢者と呼ばれた先代の指導者が急逝した時も、まだだと思った。順当に年輩の幹部に後を継がせ、自分が動くのはその後だ。
 だが、いったい何が起きたのか?
 自分に把握できない、予想のつかない部分から教団内部に混乱が起き、分裂の兆しが広がった。支持者たちから「オディナが教団を掌握し、ガレンを追放しようとしている」と警告された。
 あれは勘の鋭い男だ。もしかしたら、直感的に自分の密かな意図に感づいた可能性がないとは言えなかった。
 内部の勢力争いによるものだったとしても、教団から追放されるようなことがあれば、長い間の苦労は水の泡となる。そして次の機会はない。
 だから支持者たちの忠告を容れ、自分の立場を守るために動いた。分裂は避けられず、対立する者どうしの反目は目に見えるものとなり、幹部たちが背後で動き回った。
 黒魔術教団であれば起きただろう、互いを精神攻撃するようなことが表立って起きなかったのは、まだしもだった。
 一方に自分が立ち、そしてルシアス・フレイがもう一方に担ぎ上げられた。
 その頃、フレイは指導者の座にふさわしいのかと考えてみたことがある。教団の尺度からすればまだ新参者ではあったが、彼の際立った才能は誰もが認めるところだった。
 彼は自分の目には、野心のない求道者に映った。教団の指導者の座など本人が望んでないのも明らかだった。
 言い換えれば、指導者の座に固執せず、仮にその立場に立っても、権勢欲や自己顕示欲から大きく失敗する可能性も低い。
 フレイが後継の座につくことに絶対的に反対しなければならない理由はなかった。自分の目的は長期的なものだったからだ。
 今こそ指導者の座を抑えるべきだという強い声は、むしろ支持者たちから上がった。
 だが……その渦中にフレイが失踪した。それが意図的なものだったことは、注意深く自分の足跡を消していったことでわかった。
 それによって事態は幕を引かれ、椅子は残った自分のものになった。その後に分裂した教団をまとめ直すのは、泥沼の中を足を引きずるような作業だった。
 ようやくすべてがまとまりかけた時に、オディナの退団。扱いにくい男だったが、幹部としての指導力も、南のオフィサーとしての能力も群を抜いていた。彼がその力を教団から引き抜くことは大きな損失だったが、慰留を受けつけるような相手でもない。
 後継のオフィサーを幹部の中から選びはしたが、その能力は彼の足下にも及ばない。
 西のオフィサーであるエステラ・ネフティスも、しばらく休暇をとると言ったまま、もう長い間、姿を消している。
 ……先代の予期せぬ死までは、すべてが計画に沿っていた。確実に歩を進めながら、先を見通すことができた。
 それが今は霧の中に包まれているようだ。
 ふいに自分の足下が崩れていくような感覚を覚える。
 深く息を吐き、自分をとり戻すようにガレンは気を引き締めた。
 自分はすでにこの教団の指導者なのだ。迷いや感情のぶれは、幹部や感応力の優れた者たちに伝わる……。
 ドアをノックする音に、思考が中断された。
「入れ」
 補佐役のジレが入ってくる。いつもの人好きのする笑顔は、すぐに心配そうな表情に変わった。
「お疲れのようです。少し休まれては?」
「その必要はない」
 ジレはまだ若い。教団の扉を叩いたのは通常なら入団を許されない年齢で、しかし例外的に参入を許された。その後はとくに能力を目立たせるでもなく、早くも遅くもないペースでグレードを進んでいた。
 しかし社交性があって多くのメンバーに顔が利き、情報収集能力に優れ、いつの間にかガレンの補佐役になっていた。連絡や折衝役としてはきわめて有能だった。
「コーヒーをお持ちしましょうか」
「そうだな」
 出て行く前にジレがふり向いた。
「そう言えば、ミス・ネフティスがニューヨークに戻られました」
「会ったのか?」
「いえ 僕もそこまでは親しくありませんので。彼女に近いメンバーから、数日中に顔を出す予定だと聞きました」
 それだけ言って扉を閉める。
 エステラ・ネフティス――彼女が協力してくれていたら、教団をまとめる仕事はずっと速やかに運んでいただろう。
 だが中立にして独立という託宣者(オラクル)の立場を盾に、決して誰の思い通りにもならない存在。教団の指導者すら彼女に命令することはできない。
 事実、ジレを介して協力を求めた時にも、あっさりとはねつけられた。「これぐらいの事を収められないのであれば、教団の上に立つ器ではない」と。
 託宣者としてのずば抜けた能力で、先代の信頼が厚かったことは知られていた。一部の幹部は、彼女が託宣によらずとも人の心を見抜けると信じていた。
 それもあってガレンは意図的に彼女から距離を置いていた。
 いつかのジレの言葉が思い浮かぶ。
「あれほど鋭い女性には、あまり近寄らない方がいいかもしれませんね」
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登場人物紹介

セレスティン

ホノルルで大学に通う。

動物、植物、あらゆる生き物と星が好き。ダイビングが趣味。

ルシアスとの出会いをきっかけに、世間で「魔術」と呼ばれているものを学ぶ道に導かれていく。

ルシアス

もと海軍の情報士官で、ニューヨークの白魔術教団のメンバー。

訳があって軍を退役し、教団を去ってホノルルに移り住んできた。

彼のまわりでは風が生き物のように不思議な振舞いをする。

テロン

海軍の特殊部隊出身で、もと白魔術教団のオフィサー。

ルシアスの友人で、アメリカ本土から彼を追いかけてきた。

マリー

山の上に隠棲し、植物を育てながら薬草やアルケミーの研究をしている女性。

以前はニューヨークでユング派の心理療法家をしていた。

鳥の羽に導かれてセレスティンと知りあう。


エステラ

ニューヨークに住む、白魔術教団のオフィサーで占星学者。

ルシアスとテロンと親しいが、強面のテロンに「俺もルシアスも頭が上がらない」と言わせる女性。

ガブリエル・ジレ

ニューヨークにある白魔術教団のメンバー。

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