花の露

文字数 1,938文字

 次々に訪れる色あざやかな夢……夢の中で出会う人……交わす言葉……思い出すたくさんのこと……。
 ……いくらあっても足りない眠りの中で、そっと声をかけられたように感じ、目が覚める。
 外はまだ暗いけど、鳥たちの声が聞こえ始めている。
 毛布の中で待っていると、あの声が聞こえた。
 遠くから響く、お祈りのよう……。
 ベッドから出て、音を立てないように窓を開けて庭を見る。声は家の北側から聞こえてくるみたいだ。
 やがて声が止む。
 いつも朝の同じ時間。そう、きっとお祈りなのだろう。それなら邪魔をしてはいけない。
 やがて階下からドアが開いてしまる静かな音がして、それからキッチンでマリーが一日の支度を始める気配が感じられた。
 シャワーを浴びて、階段を降りて行く。
 キッチンから明るい声がする。
「ずいぶん早いのね」
「うん 目が覚めたから」
「まだ眠たそうだわ」
 マリーは笑い、手元のやかんから透明な液体をカップに注いで手渡した。口をつけると、温かな白湯。朝の涼しい空気の中で、ほっと体があたたまる。
「上に何かはおってらっしゃい」
 外はわずかに明るくなり始めているけれど、早朝の庭の気温はまだ低い。緯度でいえば赤道からそれほど離れていないのに、なぜこの島の朝はこんなにも涼やかなのだろう。
 セレスティンと庭に出たマリーは、植物たちの間をゆっくりと歩き、時々足を止める。ブルーの長いスカートが静かに揺れる。
 ローズマリーの薮の前に立ち、優しい仕草で、なでるように枝の上の空気に触れる。
「ここに朝露があるわ」
 一本の枝先の小さな薄紫色の花を指さした。
 まだ明けない朝の光のなかで、丸い露は、小さな花びらを包むようにしてゆらめいている。
「指でとって、なめてごらんなさい」
 透明な露を、こぼさないようにそっと指でひろう。
「意識は露と植物の両方に集中して。そして自分のからだの感覚を開いて
 ゆっくりと注意深く露を口にもっていく。
 露が舌先に触れた時、ふわりとからだが温まった。眠気が抜けずにぼんやりしていた視点のピントが合って、まわりの様子がはっきりと感覚に入ってくる。
 目が覚めた、と思った。
 セレスティンは薄紫の花をのぞき込んだ。
 不思議。花についた露をなめただけなのに、はっきりと感覚が変化した。
 ローズマリーに顔を近づけて、花の露を探す。見つけた露を指でひろって口に入れる。
 今度はからだの温かさよりも、重さを感じた。少し浮いていたような「自分」がしっかりとからだにはまり、地面に足が着いた感じ。
 セレスティンの言葉にマリーはうなずいた。
「覚えてる? ローズマリーの花について話したこと」
「うん」
「植物としてのローズマリーの性質と、今感じたことの間の関係は探れる?」
「……神経を刺激する化学成分があって、それで目の焦点が合ったり、手足をはっきり感じるってこと? でも、なめたのは花についてた朝露だけで、精油の成分をかいだり、葉っぱを食べたりしたわけじゃないのに……?」
 それに化学成分の働きなら、ローズマリーのハーブを使った料理を食べても同じ効果がありそうだけど、こんな経験はしたことがない。
 セレスティンは首をかしげた。
 リンゴの時のように、ローズマリーに聞いてみたらいいのかな……。
 花と視線を合わせて、小さな声で話しかけてから、もう一度、そっと露をふくむ。
 どうしてこんな不思議なことが起きるのか、教えて……
 露が舌に触れた瞬間、きらきらと光るものが自分の中に広がる。肌の透過性が変化して、肌の表面から光がいっぱい入ってきたような感覚。
 まぶしくて思わず目を閉じるが、目は関係ないことに気づく。閉じても閉じなくても同じだ。
 薄紫は薄められた紫じゃなくて、紫の後ろに光……。
 しばらくして自分の中の反応が落ち着く。それでも露をなめる前より、ずっとはっきり目が覚めて、自分が「全体な」感じがする。
 化学成分のさらに奥にある何か。化学成分の働きも、その表現の一部であるような何か……。
 思ったことを話すと、マリーはにっこり微笑んだ。
「でもどんな仕組みで、肌で光を感じたって感じるのかな……?」
「こう考えたらどうかしら。見るという機能は、今の科学で定義されているよりももっと大きなもので、いろいろな形があって、目で見ることはその機能の一部だって。そして肌で見ることもその一部」
 「見る」ということは、目で可視光線やその反射を捉えるよりももっと大きな働き……網膜や視神経を通さなくても、「見る」という感覚が引き起こされる?  そう、夢みたいに……?
「……花の露にはみんなこんな働きがあるの? それともこれはローズマリーだから? 違う花だと、違う感じがするの?」
「それを確かめるのが、明日からの課題ね」
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登場人物紹介

セレスティン

ホノルルで大学に通う。

動物、植物、あらゆる生き物と星が好き。ダイビングが趣味。

ルシアスとの出会いをきっかけに、世間で「魔術」と呼ばれているものを学ぶ道に導かれていく。

ルシアス

もと海軍の情報士官で、ニューヨークの白魔術教団のメンバー。

訳があって軍を退役し、教団を去ってホノルルに移り住んできた。

彼のまわりでは風が生き物のように不思議な振舞いをする。

テロン

海軍の特殊部隊出身で、もと白魔術教団のオフィサー。

ルシアスの友人で、アメリカ本土から彼を追いかけてきた。

マリー

山の上に隠棲し、植物を育てながら薬草やアルケミーの研究をしている女性。

以前はニューヨークでユング派の心理療法家をしていた。

鳥の羽に導かれてセレスティンと知りあう。


エステラ

ニューヨークに住む、白魔術教団のオフィサーで占星学者。

ルシアスとテロンと親しいが、強面のテロンに「俺もルシアスも頭が上がらない」と言わせる女性。

ガブリエル・ジレ

ニューヨークにある白魔術教団のメンバー。

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