花と小鳥

文字数 1,259文字

 マリーはリビングのガラス戸を開け、早朝の庭に出た。たくさんの緑の葉の吐き出す香気が、ひんやりと瑞々しい空気を彩る。
 馴染みのはずの庭が、普段と微妙に違って見えた。
 植物の色がいつもより鮮やかに感じられる。だが降り注ぐ陽光はむしろ穏やかで、日差しの強さが色の鮮やかさを増しているわけではない。
 まるで植物自身の内側から発せられる光で、茎や葉や花の色が、ほんのり照らし出されるように見えた……。
 ムクゲが優しい桃色や薄紫色の花をたくさんつけて、風に揺れている。そばに寄って花を見ていると、一羽の小鳥が舞い降り、ムクゲの枝にとまった。小鳥のわずかな重さで細い枝が軽くしなり、リズミカルに揺れる。
 枝にとまった小鳥が、親しげにこちらを見る。
 そっと手を近づけてみると、飛び降りるように手の上に乗ってきた。宝石のように輝く青瑠璃色の羽。
 野生の鳥がわざわざ人間に近づいてくるなんて、病気か怪我でもしているのではないかと案じ、小さな体をそっと指で包んで、生命エネルギーを感じとる。
 健康な弾力性のあるエネルギーの手触り。どこにも弱っている箇所、ほつれや破れ目はない。
 手を開くと、小鳥はムクゲの枝に飛び戻り、それからまたマリーの手に乗った。
 これほど慣れているのは、どこかで飼われていたのかもしれない。鳥カゴから逃げ出したものの、空腹でさまよっていたのかも。
 庭に来る鳥は一通り知っているが、見たことのない種類だ。何の仲間なのかも想像がつかない。
 よく見ると、青瑠璃色の羽根の下にふわふわした産毛が少しはみ出し、くちばしの両端に黄色が残っている。巣立ったばかりか、練習飛行の間に母鳥からはぐれてしまったのか。
 小さな鳥は代謝が高く空腹に弱い。くちばしの形からして、果物や草の種子などを食べる雑食性だろう。とりあえず何か与えてみて、その後どうするか考えよう……。
 思案するマリーの顔を、小鳥が首をかしげながら見上げる。
 自分を見つめ返す愛くるしい瞳に思わず微笑む。見ていると、何かが思い出されるようだ。
 不思議な懐かしさで胸がかすかに痛む。 

 あなたは誰なのかしら……。

 そこで目を覚ました。
 ちょうど朝の五時。いつも起きる時間だ。
 マリーはベッドの端に腰かけ、軽く髪を整えた。
 独りで寝起きする静かな寝室。
 息子を幼いうちに亡くし、夫と離婚してから、オアフ島の山上に静かな土地を手に入れ移り住んだ。それから、まるで隠棲するように独り暮らしてきた。
 とりわけて人を避けようとしたわけでもない。
 だがニューヨークでの生活を手放して、この遠い島に移ってきたのは、自分の選んだ道を歩くためだった。
 寝室の窓から、まだほの暗い庭を見る。この庭は、マリーにとっての「道」だった。
 肌寒い早朝の空気を感じながら、ガウンをはおって階段を下りる。
 キッチンでお湯を沸かし、お茶を入れるのにブレンドするハーブを選びながら、思い出した。
 マウイ島から取り寄せさせていた薔薇(ロケラニ)の苗木が届いたと、昨夕、業者から連絡があった。それを受けとりに行かなくては――
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登場人物紹介

セレスティン

ホノルルで大学に通う。

動物、植物、あらゆる生き物と星が好き。ダイビングが趣味。

ルシアスとの出会いをきっかけに、世間で「魔術」と呼ばれているものを学ぶ道に導かれていく。

ルシアス

もと海軍の情報士官で、ニューヨークの白魔術教団のメンバー。

訳があって軍を退役し、教団を去ってホノルルに移り住んできた。

彼のまわりでは風が生き物のように不思議な振舞いをする。

テロン

海軍の特殊部隊出身で、もと白魔術教団のオフィサー。

ルシアスの友人で、アメリカ本土から彼を追いかけてきた。

マリー

山の上に隠棲し、植物を育てながら薬草やアルケミーの研究をしている女性。

以前はニューヨークでユング派の心理療法家をしていた。

鳥の羽に導かれてセレスティンと知りあう。


エステラ

ニューヨークに住む、白魔術教団のオフィサーで占星学者。

ルシアスとテロンと親しいが、強面のテロンに「俺もルシアスも頭が上がらない」と言わせる女性。

ガブリエル・ジレ

ニューヨークにある白魔術教団のメンバー。

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