落ちる

文字数 2,025文字

 スローンは苛立ちながら状況を見回していた。フレイは血の気のない顔で床に転がっている。救命処置のできるスタッフがその体にまたがり、胸の中央を繰り返し圧迫している。
「どうなんだ?」
「心停止状態です」
 研究員の一人が答える。
「それは死んでるということか?」
「呼吸も心臓も停止していますので、それを死んでいるというなら……でもまだ蘇生の可能性は……おい、除細動器(AED)はまだか」
「備えがなくて外にとりに行かせています。ただここは孤立した施設なので……」
「とにかく死なせるな。何でもいいから、とりあえず息を吹き返させろ」
 スローンは憮然と言った。
 15分ほどしてようやくAEDが持ち込まれる。はだけられた裸の胸に電極をとりつけ、電気ショックが与えられる。フレイの体が衝撃で反り返る。
 反応を確認し、スタッフが再びフレイの胸を圧迫し始める。
「とりあえず心臓は動き出しました。ただ……」
「何だ?」
「心臓が停止していた時間が長かったので、脳にダメージが出ている可能性があります」
 フレイに反応はなく、意識をとり戻す様子もない。
「すぐに医療施設に搬送しなければ、脳死か植物状態になる可能性が高まります」
 スローンはため息をついた。ここまで計画を練って実行し、すべてがうまくいっていたというのに。
 仮にフレイに手当てを受けさせ、意識をとり戻したとしても、この先の協力は望めないだろう。
 医療施設に入院させれば事故の状況を問われるだろうが、説明などできない。それに入院させれば、フレイは自分の手元から離され、第三者の保護下に置かれることになる。そこで「誘拐され実験台にされた」などと余計なことを言わないとは限らない。
 どんなことがあっても、プロジェクトの存続を脅かすようなことは許してはならないし、自分の立場は完全に守られなければならない。
 フレイを失うのは惜しい。しかし脳にダメージが出たとすれば、遠隔透視の能力にも影響が出ている可能性もある。
 戦略的に考えて、切り捨ててるしかない。
 スローンが決断するのをよそに、交代で胸の圧迫を行っていたスタッフの一人が懇願するように言う。
「大佐 すぐに病院に搬送すれば、まだなんとかなるかもしれません……パールハーバーに海軍病院があります。ヘリコプターで運べば……」
「それはできん。私の率いるプロジェクトは合衆国にとって最重要なものであり、かつロシアや他の敵性国家の目から完全に守られなければならない。
 ここで起きたことは、何があっても外部には漏れてはならない。
 お前らは全員、機密保持の同意書にサインしていることを忘れるな。ここで起きたことを外部に漏らすようなことがあれば、残りの人生は破滅だと思え」
 スタッフや動揺する研究員らを睨みながら、スローンは怒鳴った。
「とりあえず心臓は動いとるんだな?」
「はい しかし このままではどれだけもつか……」
「脳脳がだめになっている可能性はどれくらいだ」
「この時点でもきわめて高いですが……すぐに手当てが受けられなければ確実に」
「とりあえずアドレナリンでもステロイドでも何でも打って生かしておけ。まだ死なせるな」
 スローンは本土から伴ってきた処理班のチーフを呼んだ。どんな状況にも動じない男だ。スローン自身は大佐としての立場があり、汚れ仕事に関わるわけにはいかない。
 フレイを連れて来る際にも同伴したチーフは、スローンから考えを問われると、ためらわずに答えた。
「麻薬の過剰摂取で中毒死したように装って、オアフのそれらしい場所に放り出しくるのが、隠ぺい工作としては妥当ですね」
「なるほど」
「多めのヘロインでも打っておけば、検死でも中毒死ということで通るでしょう」
「よし。それはお前が考えて実行することで、私はそれに一切関係ない。いいな」
 スタッフは無言で敬礼をした。頼りになる男だ。この男の100分の1でも軍人らしい忠誠心がフレイにあればよかったのだが。
 チーフらがフレイの体を運び出すのを見ながら、スローンは思い出していた。
 フレイを脅して縛るための情報を提供してきたソースは、もう一つ追加の情報を送ってよこしていた。それはフレイの能力が魔術教団で使われている特定の薬によるものだということで、手紙にその試料が同封されていた。
 スローンはそれを分析させ、それに近い作用を作り出す薬剤を調合させた。それがフレイに打たれたものだ。
 しかしそれがこんな結果につながるとは、いまいましい。フレイはすでに中毒状態で、体が薬物に対する限界に達していたということなのか。
 だが起きたことに拘泥はしてはいられない。とりあえず手についた汚れを払い、ここを撤収してすべての足跡を消し去る。
 幸いここは一時的に借り受けていた場所だ。ハワイなどというのは外国同様の僻地。本土の東部にあるプロジェクトと結びつけられる恐れはない。
 すぐにでもフレイの代わりになる有望な候補を選び、薬剤の使用も含め実験を続けることにしよう。

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登場人物紹介

セレスティン

ホノルルで大学に通う。

動物、植物、あらゆる生き物と星が好き。ダイビングが趣味。

ルシアスとの出会いをきっかけに、世間で「魔術」と呼ばれているものを学ぶ道に導かれていく。

ルシアス

もと海軍の情報士官で、ニューヨークの白魔術教団のメンバー。

訳があって軍を退役し、教団を去ってホノルルに移り住んできた。

彼のまわりでは風が生き物のように不思議な振舞いをする。

テロン

海軍の特殊部隊出身で、もと白魔術教団のオフィサー。

ルシアスの友人で、アメリカ本土から彼を追いかけてきた。

マリー

山の上に隠棲し、植物を育てながら薬草やアルケミーの研究をしている女性。

以前はニューヨークでユング派の心理療法家をしていた。

鳥の羽に導かれてセレスティンと知りあう。


エステラ

ニューヨークに住む、白魔術教団のオフィサーで占星学者。

ルシアスとテロンと親しいが、強面のテロンに「俺もルシアスも頭が上がらない」と言わせる女性。

ガブリエル・ジレ

ニューヨークにある白魔術教団のメンバー。

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