味方

文字数 2,065文字

 ストーキング・ウルフがつきあってくれるのは週に1度だけだったので、セレスティンはその度に長い時間を地下の世界(アンダーワールド)と呼ばれる領域で過ごした。
 ウルフは少し距離を置いて見ているだけで、何も言わず、セレスティンは自由に行動することができた。黙って静かにセレスティンを追跡するようについてくる彼は、人間ではなく、本当の狼の仲間のように思えることもあった。
 この場所は、タロット(タロー)を入り口にして入っていく領域に比べて、少し暗いようにも感じられた。そのかわり、色に不思議なあざやかさと、しっとりとした生命感がある。
 それは、あの自分の個人的な意識の領域だと教えられた森の中の感じにも似ていた。
 ある時は薄曇りのような空の下、ある時は夜空の下で月や星明りに照らされながら、森や平原を歩き回った。
 そして小さな生き物たちの精に出会った。
 クマムシの精に会うことができた時には、セレスティンは歓声を上げた。緩歩類と呼ばれる目には見えないほどの小さな生物だが、そのスピリットはセレスティンを軽く見下ろすほど大きかった。
 大きいのは、土の中に住む線虫の仲間も同じで、巨大な線虫の姿をしたスピリットを見上げ、セレスティンは臆さず話しかけた。線虫たちが地球についてどんなことを知っているか、どんなふうに世界を見ているか、知りたかった。
 そんな時には、ウルフは少しあきれながら見ている気がした。
 
「おい 小娘」
 道を歩きながら、後ろからついてくるウルフに呼ばれ、セレスティンはつぶやいた。
「やっとテロンから小娘呼ばわりされなくなったのに、またかあ」
「お前はまだふり返るほどの過去もない。だから小娘だ。
 マリーはお前のことをずいぶん可愛がっている」
「あ……うん。いくら感謝してもしきれない。時々、どうしてこんなにしてくれるんだろうって思う」
「賢い教師は、動物が人間の本性を見分けるのと同じように人を見分ける。マリーの人を見る目は確かだ」
 思いがけない言葉に、ウルフの方をふり返る。
「お前が手を引かれているのは、無数の賢明な先達が歩いて固めてきた道だ。
 道の先を行く者は、後から来る者の手引きをする。そうやって道はつながれてきた。
 そして賢明な先達は、後に続くものを注意深く選ぶ」
 それだけ言うと、ウルフは姿を消し、彼の気配だけが後をついてきた。

 この領域を歩くのに慣れたところで、やりたいことがあった。
 ハエトリグモ(ジャンピングスパイダー)(スピリット)に呼びかけると、すぐに姿を現してくれる。体は大きいがとても身軽だ。
「水の精を探したいんだけど。西洋の伝統でウンディーネって呼ばれているような」
 スピリットは、8つの黒いぴかぴかした目のある頭をかしげた。
「ウンディーネというものは知らない。水は、水に住む生き物たちの領分だ」
 そう言えば、西洋の伝統で言うフェアリーみたいなものは、ここでは見かけてない。生き物の精たちは、その生き物の姿をしている。
「じゃあ、水のある場所に行くにはどうしたらいい?」
「水というのは雨のことか?」
「川とか、海とか、湖とか。雨で降った水がたくさん集まって川になって、海や湖はそれが流れ込む、うんと大きな水の集まり」
 スピリットが考えるようにする。
 そうか。ハエトリグモには川も海も多分、あまり縁がない。
「お前の言う大きな水というのは、体で感じると、どんなだ? 体全体で思い浮かべてみろ」
 言われて、全身に海を思い起こす。潮の匂い、波の音、肌に触れる水の感触。ダイビングで冷たい水に体がぴったり包まれ、潮の流れにゆっくりと揺られる感覚……。
 突然、感じる潮の匂いが強く鮮明になった。
 気がつくと自分は一人で浜辺に立っていた。波が打ち寄せ、砕ける音がする。
 別の場所に移動してしまった?
 見回すと、スピリットもいないし、ウルフの姿もない。置いてきてしまった?
 でも、海だ。
 目の前に広がる青い水。近づいて足をつけると冷たい。
 水の精(ウンディーネ)が見つかれば、エステラに言づけを託したいと思っていた。
 誰か、それを頼める生き物は……。
 浅い水の中を、何かがゆったりと流されていく。波の動きにつれて、幾つもの半透明の丸い体がゆらゆらと動く。
「クラゲ……」
 お椀のようなかさの真ん中に4つの生殖腺があって、それが上から見ると4枚の花びらのように見える。ミズクラゲだ。
「ミズクラゲのスピリット……そこにいる?」
 呼びかけると同時に、大きなものの存在を感じた。単に大きいというより、遥かに広がる……。個々のミズクラゲはその神経細胞で、それを通じてミズクラゲのスピリットの体は、海全体に広がっている。
 自分はその存在の中に足を踏み入れている。そのことに気づき、思わずよろこびの声を上げる。
「わあ……」
 その声を聞いて、水が微笑んだ。
「あなたのことは、知っているよ。太平洋の真ん中にある島々の、そのまわりの海で、何度も見ている」
 澄んだ声が響く。
 セレスティンは満面の笑顔になるのを止められなかった。
 海は、人間が想像できる以上に、ひしめく生命で満たされている。そしてその生命には「知性」がある……。




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登場人物紹介

セレスティン

ホノルルで大学に通う。

動物、植物、あらゆる生き物と星が好き。ダイビングが趣味。

ルシアスとの出会いをきっかけに、世間で「魔術」と呼ばれているものを学ぶ道に導かれていく。

ルシアス

もと海軍の情報士官で、ニューヨークの白魔術教団のメンバー。

訳があって軍を退役し、教団を去ってホノルルに移り住んできた。

彼のまわりでは風が生き物のように不思議な振舞いをする。

テロン

海軍の特殊部隊出身で、もと白魔術教団のオフィサー。

ルシアスの友人で、アメリカ本土から彼を追いかけてきた。

マリー

山の上に隠棲し、植物を育てながら薬草やアルケミーの研究をしている女性。

以前はニューヨークでユング派の心理療法家をしていた。

鳥の羽に導かれてセレスティンと知りあう。


エステラ

ニューヨークに住む、白魔術教団のオフィサーで占星学者。

ルシアスとテロンと親しいが、強面のテロンに「俺もルシアスも頭が上がらない」と言わせる女性。

ガブリエル・ジレ

ニューヨークにある白魔術教団のメンバー。

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