射手は獲物を見据え

文字数 1,981文字

  ルシアスと大学生らしい娘の関係は、テロンの興味を引いた。
 やつが明らかな愛着をもって人と接するのを見るのは、長いつきあいの中でも初めてだ。
 教団でのルシアスを思い出す。
 徹底した理性思考の持ち主。人並みはずれた頭の切れと、ものごとに縛られない性格で、つねにあらゆるものを俯瞰し、淡々と分析し、そして理解が済むやいなや対象を手放す。
 鍛えられた意志の力は軍士官出身者に共通するもので、教団では珍しくはない。
 だが、刃物のように研がれた意志力と一体になった彼の卓抜したエネルギーの制御力は、教団の熟達者の目をも見張らせ、一度「内側の輪」に門を開かれてからは、ルシアスは教団の段階(グレード)を確実に登っていった。
 魔術の道で多くの人間が直面し、しばしば自滅を招く感情面での問題も、ルシアスには無縁だった。
 だがその際立った風の個性は、彼をあらゆる長期的な関係から遠ざけた。
 今の教団が本来の機能の数十分の一も果たしていないことは、自分もルシアスもわかっていた。それはかつて存在した、そして本来あるべき「秩序を司る場所(オルド)」の影のようなものだ。
 理想は謳われ、それは今も多くの若い志願者を引き寄せた。だが「理想」さえも自己目的のための足場と考える人間が幹部の中にも混じっていた以上、オルドの理念(イデア)を現実に変える力は損なわれていた。
 そこに先代の賢者(マグス)の急逝だ。地味ながらこつこつと改革を進め、教団の世代交代を促し、多くの真摯なメンバーから希望を託されていた人物だった。
 「あの賢者がいなくなった後、オルドを建て直すにはお前が必要だ」。どう説得しようとルシアスは「教団にいるのは自分の好奇心を満たすためだけだ。長く腰を落ち着けるつもりはない」そう受け流した。「お前は俺を買いかぶり過ぎている。俺は組織を支えたり、まとめるような(うつわ)じゃない」。
 術師としての群を抜く才能と、見間違いのない「道の(しるし)」を刻みながら、厭世主義者の仮面の後ろに身を隠し、自分が誰であるか認めるのを拒み続ける。
 それがテロンには歯がゆく、苛立たしくもあった。
 テロンはルシアスより数年早く教団に足を踏み入れ、さらに先代の賢者にとり立てられて、異例の若さで南のオフィサーの座を務めてきた。その場所から教団内を見渡していたテロンには、ルシアスの隠している力を感じることができた。
 自分と同じ輪の上に立てるのは、この男以外にいない。
 だがルシアスはその力の存在自体を認めるのを拒み、妥協を知らぬ知性と冷ややかな意志の力でそれに封印をしていた。
 感情だ。
 魔術の世界に足を踏み入れる大方の人間は、自分の感情を制御できずに墓穴を掘る。だがルシアスの場合は逆に、知性と意志の力が感情を完全に押さえ込み、それが彼の力を鎖につないでいる。
 ルシアスの引き金を引く方法を、テロンはずっと探していた。
 議論をふっかけたことも数えきれずあり、ルシアスを怒らせようと仕組んでみたのも一度ではないが、成功した試しはなかった。すべてを一瞥し、顔色一つ変えずにそのまま通り過ぎてしまう。何もこの男を内側から熱することはできないかのようだった。
 そのルシアスが、あの小娘といっしょにいる。そして娘に向けるやつの気持ちは本物だ。だがもちろん、あいつらしい自制心をもって、娘にはそのことを感じさせないようにしている。
(まったく、どこまでもじれったいやつだ)
 何がルシアスをこの娘に惹きつけているのかにも興味はあったが、それよりも、これをどう使えるか――そのことの方が、実用主義者をもって任ずるテロンには重要だった。
 ルシアスの閉じこもっている殻をたたき壊し、やつをその外に引きずり出すためなら、この際、手段は問わない。
 退役までは海軍の特殊部隊に所属し、中東での泥沼のようなオペレーションに加わってきたテロンにとって、手段には「きれい」と「汚い」の区別はない。あるのは「役に立つか」と「立たないか」だけだ。
 確実に、できるだけ強い揺さぶりをかける方法――テロンは用心深く遠くから二人の行動を観察し、二人の関わりや行動を調べながらプランを練った。
 娘には何も普通と違うことはない。だが娘といる時、ルシアスのエネルギーの質には明らかな変化がある。それは単なる恋愛感情の表現か――?
 大学のキャンパスで、気づかれないよう遠くから娘を観察する。教室に向う娘にクラスメートが声をかけ、娘が明るい笑顔を返す。
 その手放しの笑顔を見た時、自分の意識の中で何かがひっぱられた。まるで忘れていたことを思い出しかける時のような、もどかしさ。
 目前の仕事に夢中になっていたテロンは、それを意識の外に追いやった。必要なことなら後から時間を割けばいい。だが、今はやるべきことが目の前にある。設定された標的と自分の間にあるものは、それが何であれ取り除く。それが射手(テロン)のやり方だった。
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登場人物紹介

セレスティン

ホノルルで大学に通う。

動物、植物、あらゆる生き物と星が好き。ダイビングが趣味。

ルシアスとの出会いをきっかけに、世間で「魔術」と呼ばれているものを学ぶ道に導かれていく。

ルシアス

もと海軍の情報士官で、ニューヨークの白魔術教団のメンバー。

訳があって軍を退役し、教団を去ってホノルルに移り住んできた。

彼のまわりでは風が生き物のように不思議な振舞いをする。

テロン

海軍の特殊部隊出身で、もと白魔術教団のオフィサー。

ルシアスの友人で、アメリカ本土から彼を追いかけてきた。

マリー

山の上に隠棲し、植物を育てながら薬草やアルケミーの研究をしている女性。

以前はニューヨークでユング派の心理療法家をしていた。

鳥の羽に導かれてセレスティンと知りあう。


エステラ

ニューヨークに住む、白魔術教団のオフィサーで占星学者。

ルシアスとテロンと親しいが、強面のテロンに「俺もルシアスも頭が上がらない」と言わせる女性。

ガブリエル・ジレ

ニューヨークにある白魔術教団のメンバー。

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