駆ける

文字数 2,672文字

「ルシアス お前も馬には乗れると言ってたな?」
「中東に駐在させられていた間、日帰りできる距離に海がなかったからな。休みにできることといったら、ラクダか馬に乗るぐらいだった」
「砂漠仕込みか、上等だ。なに、小娘をつれて山の中を2、3時間走るだけだ」
「どこに行くの?」
「オアフは走れそうな所がないんで、カウアイ島だ。ハワイ島にもアラビア馬の牧場があるんだが、貸し馬はしないというんでな」

 いつもならカウアイ島にはダイビングをしに来るので、リフエの空港からそのまま南に下る。でも今日は56号線を北に上がっていく。
 クヒオ・ハイウェイと呼ばれる海岸沿いの道路で、右手にはずっと海が見える。
 プランテーション時代の雰囲気が残る小さな町で昼食をとり、それから島の中心に向って車を走らせる。ハワイ諸島の中で最も古いカウアイ島の山々は、しっとりとした奥深い緑でおおわれている。
 いくつかの森をくぐって、起伏のある谷のような場所に牧場はあった。
 カウボーイハットをかぶった愛想のいいオーナーが出迎えてくれる。
 テロンとオーナーが話しながら、白と茶色のペイントホースがセレスティンのために選ばれる。
 ルシアスには白くすらりとしたアラビア馬。雰囲気がちょっと彼に似ている。
 テロンが自分に選んだのは黒葦毛のアンダルシア馬。たくましい筋肉の上に、黒い肌と白い毛の組み合わせが美しい模様を描く。
 白と茶色のぶちが可愛いいペイントホースの手綱を渡され、うれしいのと同時にちょっと緊張する。
 オアフの乗馬クラブの馬とは何か月もつきあってきて、「こういうふうにすれば、こういうふうに動いてくれる」とわかっている。でもこれは初めての馬。
 装備を済ませてまたがる。鐙革(スティアラップ)の長さを調整してもらい、馬場の中を歩く。乗り心地は、いつものクォーターホースより揺れが少なく滑らかだ。
 テロンはセレスティンがしばらく馬を歩かせるのを見てから、馬の腹帯をチェックして締め直した。
 鞍につけられたバッグにミネラルウォーターのボトルを入れて、出発だ。
 テロンとルシアスの馬が並んで歩き出す。
 その後について行こうとしたが、セレスティンの馬はさっそく草を食べようとする。
 この()も食いしん坊なんだ……。
 テロンがふり向く。
「歩いてる間は草を食わすな」
 気持ちを強く持って、手綱をしっかり握る。馬は諦めたように頭を上げ、おとなしく歩き始める。
 牧場の私道から外に出て、木陰の道を歩く。
 テロンとルシアスは馬に揺られながら、言葉を交わしている。
 そうしながらテロンはおそらく、背後から聞こえる(ひづめ)の音で、セレスティンが馬を操れているかどうかを感じとっている。
 赤土の道を半時間ほど歩いて、テロンが声をかけた。
「軽く走るぞ」
 二人の馬が軽やかに速歩(トロット)を始めると、セレスティンの馬もその後について駆けだす。
 馬は何の指示も与えられなくても、気持ちよく走った。
 馬場でのレッスンでは、速歩をさせるにもこまめに指示を与えなければいけない。気を緩めると、馬は楽な歩きに戻ってしまう。
 でも今はセレスティンの馬も、前を行く馬たちの後を追いかけて自分から走る。
 「馬は群れで生活する生き物だから、仲間が走れば後を追う」とテロンが言っていたのは、こういうことなんだ。
 前を行く二人の背中。
 テロンはいつものようにゆったりと馬をコントロールしている。それは自信から来る鷹揚さ。
 軽速歩のリズムをとるルシアスの体は伸びやかで、肩にも力が入っていない。風のように滑らかに駆けるアラビア馬と、彼の意志が一つになっているみたいだ。
 二人の背中には「前に進む」というぶれない意志が感じられ、馬たちはそれに従う。そんな二人が前を行ってくれるから、何もしなくても自分の馬はその後についていく。
 馬に乗るのも、ずっとこんなふうなら楽だな……。

 カウアイの涼やかで気持ちのいい風が道を渡る。この島の風の精は、きっとオアフのより大きくて強い……思わず思い描きそうになる。
 いけない、集中してなくちゃ……そう思って意識を引き戻した時、突然、そばの林から大きなエンジン音が聞こえた。
 馬が驚き、不意に走り出した。たちまち前の馬を追い越す。
 セレスティンは落とされないよう、あわてて馬の首にしがみついた。コントロールもできず、馬は走り続ける。
(どうしよう……暴走する馬を止めるやり方なんて教わってない……このまま止められなかったら……)
 走り続け、それまでの土の道が舗装された道路に変わる。蹄がガッガッとアスファルトを蹴る振動が体に響く。
(あ……車……)
 向こうから一台の自動車が走ってくる。
(危ない お願い、止まって!)
 車に祈っているのか、馬に祈っているのか、自分でもわからない。走ってくる馬に運転手も驚いたようで、急ブレーキを踏む。セレスティンの馬はその横を走り抜けた。
 後ろから蹄の音が聞こえ、近づいてくる。
「セレスティン 自分を落ち着かせろ」
 ルシアスの冷静な声が響いてセレスティンを包んだ。彼の声から伝わる意志の力が、セレスティンの内面のぶれを止める。
「手綱をつかみ直して、体を起こすんだ」
 迷いのないルシアスの指示に、自分の中の不安や恐さが散らされて、ばらばらになりかけた自分の心が一つにまとまる。
 この馬を守らなくちゃ。
 声に出して馬に話しかける。
「大丈夫……恐くないから……何からも逃げなくていいから……」
 自分はどうなっても、この()を守らなきゃ。揺られながら、手を伸ばして手綱をつかみ、体を起こす。
 テロンの声がする。
「よし あぶみを踏みこんで、体重を後ろに移せ。ゆっくりと手綱を引きながら速度を落とさせろ」
 「ゆっくり、ゆっくりね」そう声をかけながら、体重をかけてしっかりと手綱を引く。
 馬の速度が緩む。
 やがて自分をとり戻した馬が足を止め、ぶるるると鼻から息を吐いて首を振る。
(ああ もう大丈夫)
 二人の馬が隣に並ぶ。
 セレスティンは馬の首を抱いて、ねぎらうように優しくたたいた。
「ありがとう」
 でもまだ胸がどきどきしている。
 隣に並んだテロンが言った。
「上出来だぞ」
「うん」
 何事もなかったように二人は歩きだし、その後にセレスティンも従った。
 しばらく歩いて林の中の道に戻る。人気のない道がまっすぐ続く。テロンがふり向いた。
「走るか?」
「うん」
「よし」
 始めは速歩(トロット)。そして駆け足(キャンター)になる。
 波のように揺れるゆったりとした駆け足に、自分の体が馬と一つになる。
 気持ちいい。
 揺られながら、風を受けながら、そして自分の視線はまっすぐに。
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登場人物紹介

セレスティン

ホノルルで大学に通う。

動物、植物、あらゆる生き物と星が好き。ダイビングが趣味。

ルシアスとの出会いをきっかけに、世間で「魔術」と呼ばれているものを学ぶ道に導かれていく。

ルシアス

もと海軍の情報士官で、ニューヨークの白魔術教団のメンバー。

訳があって軍を退役し、教団を去ってホノルルに移り住んできた。

彼のまわりでは風が生き物のように不思議な振舞いをする。

テロン

海軍の特殊部隊出身で、もと白魔術教団のオフィサー。

ルシアスの友人で、アメリカ本土から彼を追いかけてきた。

マリー

山の上に隠棲し、植物を育てながら薬草やアルケミーの研究をしている女性。

以前はニューヨークでユング派の心理療法家をしていた。

鳥の羽に導かれてセレスティンと知りあう。


エステラ

ニューヨークに住む、白魔術教団のオフィサーで占星学者。

ルシアスとテロンと親しいが、強面のテロンに「俺もルシアスも頭が上がらない」と言わせる女性。

ガブリエル・ジレ

ニューヨークにある白魔術教団のメンバー。

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