足もと

文字数 2,462文字

 細い乾いた土の道を進む。
 空は青い。吹く風は気持ちがいい。
 足もとには小さな白い犬が、しっぽを振りながらつくる。
 見たことのない世界をもっと見たい。新しいことを経験したいという思いが胸を満たしている。
 軽い足どりで進み続けると、突然、目の前が開け、自分が崖の上に立っているのに気づく。
 危ない……そう思って足もとの子犬を抱きあげる。
 ふり帰ると、平気で歩いてきた道も、思っていたよりずっと細い。こんな道を足を踏み外さずに歩いてきたんだ。
 大丈夫だろうか……。
 小さな黒い点が胸の中に生まれ、不安が暗い雲のようにわき上がる。
 みるみる空が曇り始めた。風には雨の前触れのような湿気が混じる。雨が降ってきたら、この草も生えていない粘土質の道は滑りそうだ。足もとが崩れそうな気すらする。
 子犬をしっかり抱いて立ちつくす。
 どうしよう……。

 目を開ける。
 床の上にはエステラにもらったカードがあった。
 教えられたメディテーションの練習をしていた。タロット(タロー)の絵のイメージを入り口にして、そこに描かれている世界の中に入っていく。
 何度かルシアスに見ていてもらい、絵の中の世界を自分の中に視覚的に作り出し、それからその世界を体で感じることを練習した。
 そして今朝、初めて一人でやってみたんだった
 気がついた時には、細い道の上に立っていた。そして夢の中のように、その世界の中に完全に入り込んでいて、自分で自分をコントロールできなかった。空の青さも、風の肌触りも、足もとの固い土の感触も、すべて鮮明だった……。
 メディテーションを中断して目を開けた時、胸の中にはまだ崖の上で途方に暮れていた時の不安な感情が残っていた。
 そのまま床に転がって、ふうっと息を吐く。
 これはどういうことなんだろう。
 こういうことをするのは、自分にはまだ早いっていうことなのかな。それとも、もっと足もとを見ろっていう深層意識からのメッセージとかなのかな……。
 一人で悩んでもどうにもならない。誰に相談しようかと考え、テロンに電話する。

 二人分のコーヒーとマラサダを買って、アラモアナ・パークで落ち合う。
 草の上に腰を下ろし、コーヒーを飲みながら話を聞いていたテロンが言った。
「タローを扉にアストラルに足を踏み入れたか。もうそんなことをやらされてるんだな。
 お前みたいなひよっこは言うまでもないが、長年訓練した人間でも、向こう側に足を踏み入れた状態で、自分の深層意識の投影と現実を完全に区別するのは難しい。
 むしろ熟達している人間ほど、アストラルでの経験には、つねに自分の意識の投影が混じっている可能性を心得ている」
「ということは、私が経験したのは、自分の無意識にある不安が形をとったものかもしれないんだよね? じゃあ、とりあえず夢みたいなものだったと思えばいい?」
「そうだな。エステラがお前にそういう練習を与えたなら、それで何かを得られるという算段があるんだろう
 練習を繰り返して、話の筋やイメージに変化があるか見てみろ。準備ができた段階で扉を叩きつづければ、道が開けるなり、別のヒントが示されるもんだ。
 だがな、もし前に進むのが恐いと感じるなら、無理に足を進めず待つのも選択のうちだぞ」
「テロンがそんなこと言っても説得力ない。自分では絶対、ドアが開くまで体当たりするでしょ」

 次の朝、再びカードをとり出した。ちょっと不安もあったけど、だからといってここで止めてしまうのもいやだ。
 基本のメディテーションをして、呼吸を調えて、自分の中を静かにする。自分の中が静かに、透明になったら、カードに目をやる。
 昨日よりももっと素早く、その世界に引き込まれる。
 気がついたら山の中腹らしい道に立っていた。
 風はあまりなくて、日差しが暖かい。季節が違う? それに今日は犬はいない。微妙なところが違ってるのは、時間軸が動いてるからなのかな。それともパラレルワールドみたいなの?
 この間のように崖に行き当たったりしないように注意しながら、乾いた土の道を登っていく。
 やがて岩場に行き当たった。大きな岩が幾つも転がり、道を塞ぐ。植物も生えていない、荒涼とした場所。足がかりのある岩を見つけてその上によじ登り、視界が開けたところであたりを見回す。
 自分はどこに行こうとしているのか、行かなくてはいけないのか。
 遠くの方に、青い霧に包まれた山脈が見える。遠過ぎて高さがよくわからないけれど、多分ものすごく高い。
 なんとなく、自分の行き先はあそこだという気がした。
 どれだけの距離があるのかも想像がつかない。この場所から、あそこまで歩いていくのか……。
 ここには植物も生えていないと思ったけれど、下を見ると、砂利の中から顔を出している白い花に気づく。この痩せた土に根を下ろして、石の間から花を咲かせている。
 もう一度、今立っている場所から山脈までを見渡す。森がずっと広がっている。木が密生した様子は原生林か、黒い森(シュヴァルツヴァルト)みたいな感じ。一度下に降りて森の中に入ってしまったら、コンパスでもないと道を探すのは大変そう。
 でもいつまでもここに留まっているわけにはいかない。
 そう考えた時、鳥が舞い降りてきた。アオカケス(ブルージェイ)のようなきれいな青色だけど、一回り小さくて顔立ちも優しい。
 手を差し伸べると、鳥は口にくわえていた丸い赤い小さな木の実を手のひらに落とした。
 それを握った時、遠くでアラームの音がした。
 目を開ける。アラームの音がはっきりと聞こえ、手を伸ばしてそれを止める。
 そのまま床に転がって、意識がはっきりするのを待つ。
(少しだけ、先に進めたかな……)
 起き上がり、風を入れようと窓を開ける。何かが落ちてきて部屋の床に転がった。拾って手にとる。
 赤い木の実。
(偶然? それともシルフのいたずらかな)
 ふと、向こう側の世界とこちら側の世界は、不思議な形でつながっていると思った。頭が求めるほど分かりやすく真っすぐじゃない。でも確かにつながっていて、予想していなかったやり方でそのつながりが示される。




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登場人物紹介

セレスティン

ホノルルで大学に通う。

動物、植物、あらゆる生き物と星が好き。ダイビングが趣味。

ルシアスとの出会いをきっかけに、世間で「魔術」と呼ばれているものを学ぶ道に導かれていく。

ルシアス

もと海軍の情報士官で、ニューヨークの白魔術教団のメンバー。

訳があって軍を退役し、教団を去ってホノルルに移り住んできた。

彼のまわりでは風が生き物のように不思議な振舞いをする。

テロン

海軍の特殊部隊出身で、もと白魔術教団のオフィサー。

ルシアスの友人で、アメリカ本土から彼を追いかけてきた。

マリー

山の上に隠棲し、植物を育てながら薬草やアルケミーの研究をしている女性。

以前はニューヨークでユング派の心理療法家をしていた。

鳥の羽に導かれてセレスティンと知りあう。


エステラ

ニューヨークに住む、白魔術教団のオフィサーで占星学者。

ルシアスとテロンと親しいが、強面のテロンに「俺もルシアスも頭が上がらない」と言わせる女性。

ガブリエル・ジレ

ニューヨークにある白魔術教団のメンバー。

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