流れ星[シューティングスター]

文字数 2,591文字

 エステラが行ってしまったことを、セレスティンは考えないようにしていた。まだ彼女は近くにいると思うように努め、毎朝、決まった時間に起きて、いつものように意識を透明にする準備をして、向こう側の世界に踏み込んだ。
 森はまだ続いていた。
 毎朝同じ時間にメディテーションを始めても、向こう側では太陽の角度が違い、昼だったり、朝だったり、午後だったりする。ただ夜や夕方であることはなかった。
 エステラが行ってしまってから1週間。いつものように向こう側に踏み込んだ時、初めて日が暮れかけていた。
 夕暮れの森の中を気をつけながら歩いていくと、少し開けた場所に花が群生していた。丸みのある葉は地面に近く、細く長い茎がすらりと伸びる。その先端に咲く花は少し紫のかかったピンク。マジェンタ色というのかな。
 花びらが後ろに反り返り、藍色に染まった雄しべが前に突き出るような形を作って、小さなロケットみたいだ。ただロケットは空にではなく、地面に向おうとしている。
 これ、植物図鑑で見たことがある。サクラソウ科の流れ星(シューティングスター)
 ロケットじゃなくて、地面に落ちる星(シューティングスター)なんだ。
 セレスティンは花たちの間に座る場所を見つけ、腰を下ろした。
 ふいに強い孤独を感じる。
 自分は決して一人じゃない。それはわかっているのに、胸の中に寂しさが湧き出る。ルシアスと出会ってから感じたことのなかった、切ない痛み。
 もう自分は独りじゃない、そう思っていたのに、また自分が独りになってしまったみたいに。
 エステラが行ってしまったことが、まだこたえているのかな。
 彼女は自分を見捨てて行ってしまったような気がする。そんなはずはないのに。
 「もっと自分のできがよければ、歩みが速ければ、才能があれば、彼女はいてくれたかもしれない」という声が、自分の中にある。
 そんなのは本当じゃない。でも頭で理解していることと、自分の中の感情が一致しない。
 何となく、自分の好きな人たちはいつもずっと一緒にいてくれると思い込んでいた。
 そんなの現実的じゃないのに。
 離れ離れになっても、また会うことだってできるのに。
 自分の中の小さな子供が、「大切な人が行ってしまったら、もう会えない」と恐がっている。「もういい もう何もかも止める」そう駄々をこねている幼い自分がいる。
 膝を抱え、自分の中の哀しさをセレスティンは受け入れた。
 いつしか日が沈んで、木々の間から黒い空と星が見える。
「流れ星の花……ということは、あなたたちも、空からやって来たんだよね」
 そう話しかける。妖精の姿は見えない。でも花たちがそっと頭を揺らす、その向こうに気配を感じる。



 
 セレスティンから話がしたいと言われ、海に面したホテルのレストランに連れて行く。レモン色の大きな花の咲く木がテーブルに日陰を作る。前に来た時、オオハマボウ(ハウ)と呼んでいたな。
 テロン自身、まだ幾つも整理しなければならないことがあったが、ここしばらくのセレスティンの様子に、とりあえず話だけでも聞いてやらねばなるまいと思った。
 セレスティンがテロンの顔を見る。その表情は予想外にしっかりしていた。
「……テロンが私をエステラに預けられて、ほっとしてたのは知ってるの。でも、エステラが私に教えてくれようとしたこと。それが身につくまで、もう少し手を引っぱって欲しい」
「……」
 テロンは返事をせず、考えを巡らせた。
 セレスティンに続きの手引きをしろというのは、エステラからも言われたことだ。ただ何をどう進めるかについては、プランを練らなければならないと思っていた。
 エステラがここに留まってセレスティンを引き受けくれれば、それが一番よかった。彼女がニューヨークに戻るとしても、物事が穏やかに進み続けるなら、セレスティンはマリーに任せて自分は距離をとるつもりだった。
 だが状況は変わりつつある。
 エステラがこのタイミングで戻ることにしたのには理由があった。
 一つは、彼女が警戒している何者かをセレスティンから遠ざけておく——少なくともその注意を引くのを避けるため。エステラがセレスティンに電話やメールをするなと指示したのも、そのためだ。
 そしてもう一つは、教団の側に何か動きがあり、それを注視するため。介入はよほどのことがない限りしないだろう。託宣者としての中立の姿勢が、教団での彼女の立場を安定したものにしてきた。
 ——布置(コンステレーション)に動きが出始めている。少しずつ、網が引き絞られるように。
 うだうだと足を引きずってる暇はない。
 自分はルシアスが閉じこもっていた殻をたたき割るのに、セレスティンを利用した。賭けをして、対価は払ったが賭けには勝った。もう一度、次のもっと大きな賭けをする、そういうことだ。
 そこまで考え、髪をかき上げる。
 教団であれば、新参者は訓練され、試され、失敗した者は先に進むことを許されない。場合によっては放り出される、それだけのことだ。
 だがセレスティンに関してはそうはいかない。
 エステラがセレスティンの能力をどこまで伸ばそうとしたのかを推して、許されるリスクと許されないリスクの境目を判断しなけりゃならん。
 面倒だな……。
 セレスティンの視線を感じながら、テロンはつぶやいた。
「知れ、意志せよ、敢然と為し、沈黙を保て」
 それからセレスティンに向って口を開いた。

 魔術師たる者(マギ)の知識と力に達するには、欠かすことのできない4つの条件がある。
 学びにより照らされる知性
 何ものにも止められぬ大胆さ
 砕かれることない意志
 何ものも堕落させ酔わせることのできぬ賢明さ。
 知り、敢然と為し、意志し、沈黙を保て。

「……エリファス・レヴィという爺さんの言葉だ。
 お前は前に進みたい。強くなり、エステラが自分を連れて行こうとした場所に近づきたい。そうだな?」
「うん」
「その渇望(デザイア)で胸を満たしておけ。それが力のソースだ。
 一つ目標をやる。
 向こう側で水の精(ウンディーネ)を見つけて、頼みを聞かせるやり方を覚えろ。そうすればエステラへの言づけを安全に運んでくれる」
 セレスティンの目が輝く。
「ただそのためには、お前は森を出て水を見つける必要がある。
 森はお前自身の深層意識の領域だ。その境界の外に出るのは、その完全な保護から足を踏みだすということだぞ」
「うん やる」
 この同じ場所で前に彼女と交わした会話を思い出した。
 結局、俺は火遊びの共犯か。
 
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登場人物紹介

セレスティン

ホノルルで大学に通う。

動物、植物、あらゆる生き物と星が好き。ダイビングが趣味。

ルシアスとの出会いをきっかけに、世間で「魔術」と呼ばれているものを学ぶ道に導かれていく。

ルシアス

もと海軍の情報士官で、ニューヨークの白魔術教団のメンバー。

訳があって軍を退役し、教団を去ってホノルルに移り住んできた。

彼のまわりでは風が生き物のように不思議な振舞いをする。

テロン

海軍の特殊部隊出身で、もと白魔術教団のオフィサー。

ルシアスの友人で、アメリカ本土から彼を追いかけてきた。

マリー

山の上に隠棲し、植物を育てながら薬草やアルケミーの研究をしている女性。

以前はニューヨークでユング派の心理療法家をしていた。

鳥の羽に導かれてセレスティンと知りあう。


エステラ

ニューヨークに住む、白魔術教団のオフィサーで占星学者。

ルシアスとテロンと親しいが、強面のテロンに「俺もルシアスも頭が上がらない」と言わせる女性。

ガブリエル・ジレ

ニューヨークにある白魔術教団のメンバー。

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