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文字数 2,996文字

 マリーの家のリビングに、遅い朝の光が差し込む。ルシアスは長椅子に横になり、そのそばにエステラが座っている。彼女がルシアスの頭や体に手を当てるのを、セレスティンは魅入られたように見つめていた。
 病院で見た時と同じように、エステラのフィールドがルシアスを包むぐらいに大きく広がって、彼女が意識を集中している間、まばゆく輝く。
 エステラはルシアスのこめかみに手を当てながら、彼の顔をのぞき込んでいる。その視線はまるで頭蓋骨の中を見通すみたいに、肌の表面ではなくもっと深いところに焦点している。
 長くきれいな指が何かを探り、切れているものをつないだり、絡まったものをほぐしたりするように動く。その動きはなめらかで、曲線的で、とても美しかった。
 その後はルシアスを座らせて、マリーが精油や花の滴を混ぜたオイルで手足をマッサージする。その仕草は、頭から手足に向けて何かを引き下ろしているように見えた。エステラがつないだ流れを、さらにしっかりと手足の先にまで引き降ろすみたいに。
 午後はテロンに助けられながら、少しずつ筋肉に負荷をかけるトレーニングをした。最初はゆっくりで少しおぼつかなかったルシアスの体の動きが、じわじわと強さと精度を増していく。
 記憶や言語機能に障害が残っていないのは、以前とまったく同じようにテロンやエステラと鋭いやりとりを応酬をしているのでわかる。

 リビングのテーブルにコーヒーが準備される。重要な話し合いがされる雰囲気を察して、セレスティンは自分はいない方がいいかなと思った。
「セレスティン あなたも来て座りなさい」
 エステラが声をかけ、ルシアスとテロンの顔を見る。
「いいわね? 彼女はまだ若いし経験も少ないけれど、もう、ただ守られるだけの存在じゃない。私たちの話を聞く権利があるし、望むように発言する権利がある」
 ルシアスは黙ってうなずき、ソファにもたれていたテロンはOKだというように手を振った。
 セレスティンはマリーの隣に座った。
 皆は最初にルシアスから事情を聞きたがったが、ルシアスは「軍と秘密プロジェクトの機密保持義務に反することには触れられない」と、最初にまず断った。
「軍と秘密プロジェクトの機密保持義務に反することには触れられない」と、最初にまず断った。
「殺されかけても義理だてかよ」
「それとこれとは別だ。俺を殺しかけたやつに義理はないが、過去にサインした正規の合意自体はまだ有効だ」
 その上で「誘拐に関わった人間は俺が死んだと判断して体を放置したのだから、もうすべての証拠を消して本土に戻っているはずだ」と説明した。
「首謀者は、裏工作はするが思考や分析力はそれほど高くない男だ。それでいて自分の判断力には絶対の自信を持っている。
 麻薬の過剰摂取で死んだと見せかける細工も、成功したと信じているだろう。だから再び探りを入れてくるようなことはないと思う。
 何しろ、国家のために壮大な計画を立てて実現するのに忙しい男だ。おそらくもう次のことに目を向けている」
 それを聞きながら、テロンとエステラはそれぞれに何かを考えている。テロンは多分、それでルシアスの安全が確保されるのかどうかを考えている。
 エステラはしばらく遠くに視線を向けていたが、やがて言った。
「とりあえずはそれでいいと思うわ。その男の存在はすでに私たちの意識に入っている。次に何かルシアスに向けて行動を起こしたなら、気づけるでしょう」
 それからテロンが、エステラの方では何があったのかを訊ね、彼女は大筋を説明した。
 テロンがうなる。
「——ガレンがイエズス会のスパイだったとは――それを教団の誰も、今まで気づかなかったということか」
「想像なんてできなかったでしょ 外部の組織が白魔術教団を乗っとろうと考えるなんて。そのために完璧な能力を持った人間を送り込んで、10年もかけて工作させるなんて。
 その意味では、私たちを騙し切ったガレンの忍耐と自己制御力は、見事だったと思うわよ」
「なぜやつが怪しいと気づいた?」
「彼が指導者の座についてから、教団のエグレゴールに微妙な歪みが表れ始めていた。
 教団がもうずっと大きな改革を必要としていたのは、あなたもルシアスも知っているわね。エグレゴールの中にも、自らを生まれ変わらせようとする衝動があった。でも、その求める表現の形に歪みが生じていた」
「歪みとは?」
「救世主と供犠を求める衝動。それが外部から播かれた種みたいに、エグレゴールの中に芽を出しつつあった」
 セレスティンは思わず大学のクラスでのように手を上げた。
「それはどういうことか、訊いていい?」
 エステラがうなずく。
「救世主を求めるというのは、人間が自分の力で自分を救うのではなく、常人を超える力を持った他の人間に救って欲しいと願うこと。供犠は、大きな力を持った存在に犠牲を捧げて助力を求めることね。
 それらはこの白魔術教団(オルド)の存在理念とは、本質的に相容れないものなの」
 マリーがはっとしたように言う。
「そこにルシアスを巻き込む布置が存在した」
「ええ ガレンが意識的にルシアスを『供犠の犠牲』に当てはめようとしたのかどうかは、わからないけれど。無意識の衝動が彼の行動を方向づけた可能性はある」
「ルシアスの誘拐にガレンのやつが一枚かんでたということか?」
「本人が白状したわけじゃないから、そこは確認できないわ。
 でもガレンの存在がエグレゴールの歪みを引き起こしていたことは間違いない。そしてそれが、ルシアスを巻き込む形で顕現するかもしれないと感じたの。だから私も急いで行動せざるを得なかった」
「それで正面からガレンを問い詰めたわけか。そして追いつめられたやつは、焦ってお前を監禁する行動に出たと」
「イエズス会とのつながりを指摘されて、とにかくそれを幹部に暴露されることだけは止めなければと思ったんでしょ。ようやく指導者の座を手に入れて、これから教団を改革をすると意気込んでたみたいだったから」
「監禁からはどうやって脱出した?」
「リチャード・エルドマン。そう言えば、彼はあなたとルシアスのことを慕ってたわね。
 私に問い詰められた後にガレンが何か行動をとるのはわかっていたから、私に何かあったらと頼んでおいたの。
 彼は私の姿が消えてからずっとガレンの行動を監視して、監禁されている場所をつきとめた。あとは頼りになる人手を集めて迎えに来てくれた。ただ予想外に時間がかかってしまったけれど」
「それで教団の方は今、どうなってるんだ?」
「非常招集の会議でガレンを除名したから、代わりをとりあえず置いてきたわ。この先どうするかがはっきりするまで」
「代わりって誰だ」
「ガブリエルの坊や」
「おい 本気か よりによって……」
「書記をお目付け役につけてるし。あの坊やはなかなか有能よ。
 私の身に何かあったらと指示を与えておいたけれど、その通りに幹部たちを説得して会議を招集させ、私が戻るまでガレンの動きを封じてくれた」
「それで……」
 ずっと黙って訊いていたルシアスが口を開いた。
「君は何を画策してるんだ?」
「あなたとテロンに一度、ニューヨークに戻ってきて欲しい」
「一度、か」
「ええ、とりあえず一度。
 教団の混乱を完全に収拾させて、エグレゴールの状態バランスさせないといけない。
 そしてどちらの方向に向うにしろ、新しい礎を固め直す必要がある」

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登場人物紹介

セレスティン

ホノルルで大学に通う。

動物、植物、あらゆる生き物と星が好き。ダイビングが趣味。

ルシアスとの出会いをきっかけに、世間で「魔術」と呼ばれているものを学ぶ道に導かれていく。

ルシアス

もと海軍の情報士官で、ニューヨークの白魔術教団のメンバー。

訳があって軍を退役し、教団を去ってホノルルに移り住んできた。

彼のまわりでは風が生き物のように不思議な振舞いをする。

テロン

海軍の特殊部隊出身で、もと白魔術教団のオフィサー。

ルシアスの友人で、アメリカ本土から彼を追いかけてきた。

マリー

山の上に隠棲し、植物を育てながら薬草やアルケミーの研究をしている女性。

以前はニューヨークでユング派の心理療法家をしていた。

鳥の羽に導かれてセレスティンと知りあう。


エステラ

ニューヨークに住む、白魔術教団のオフィサーで占星学者。

ルシアスとテロンと親しいが、強面のテロンに「俺もルシアスも頭が上がらない」と言わせる女性。

ガブリエル・ジレ

ニューヨークにある白魔術教団のメンバー。

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