過去の手

文字数 2,247文字

 グスタフ・スローンは、目を通していた報告書を机に放りだし、苛立たしげに手のひらで叩いた。自分がトップを務める軍事遠隔透視(MRV)プロジェクトの研究者らによる定期報告。
 プロジェクトのトライアルで透視者がもたらす結果は、ターゲットについてのさまざまな手がかりは含みつつ、しかしターゲットを特定するための確実で具体的な情報を欠いていた。
 ターゲットが何かを知っている監視者には、透視者の得た個々の断片が全体のどこにはまるかがわかる。
 MRVの手順では、透視者はターゲットが何かを知らされずに透視を行うことを考えれば、それ自体、驚くべきことではある。
  しかし得られた断片的なイメージや手がかりを、確実で実用性のある情報[インテリジェンス]に組み立てるのは、当たり外れのある作業だった。
 こういった問題からスローンは、自分が率いるプロジェクトの軍事における実用性を、はっきりと裏付けることができないでいた。
 陸軍とスタンフォードの研究者による前プロジェクトで得られた知識をもとに、改めて兵士や士官の中から適性のある者を抜擢し、訓練を与え、遠隔透視能力者のチームを作り上げる。
 ロシアではすでに実用的な結果を出せる能力者たちを一定の数、有しているとされる。戦術面と諜報の分野で、それに匹敵する、いやそれを上回るチームを我が合衆国のために作り上げることが、スローンの野望であり念願だった。
 うすのろのロシアの熊どもにできることが、合衆国の軍人にできないわけがない。
 そしてそれは手の届く範囲にあると思われた――ルシアス・フレイが辞めるまで。
 フレイの能力は、同じ時期に訓練を始めた者の中で突出していた。いや、まったく別レベルのものだった。
  MRVの手順では、ターゲットとなる場所や建物の写真、または緯度と経度、あるいは無作為にふられた英数字のコードにして封筒に閉じ、隔離ブースに入った透視者に渡す。
 透視者は閉じられたままの封筒を手に、自らの意識に流れ込んでくるイメージや単語、感覚などを書きだしていく。
 透視者自身は書きだす内容には解釈を加えず、ひたすら流れ込んでくるものを紙に落とす。解釈のために知性が働いた途端、流れが止まったり、解釈のオーバーレイによって誤った方向にもっていかれることが、しばしばあるからだ。
 こうして得られた生の結果を評価したり、総合して解釈をするのは監督者(ハンドラー)の仕事だ。
 しかしフレイは、閉じられた封筒だけから、ターゲットについての詳細で具体的な情報を記述することができた。そしてそれはほとんど100パーセントの精度を持っていた。
 「やつはまるで実際にターゲットを訪れて、それを記述しているようだ」と同僚たちは言った。それはフレイの当時の監督者であったスローンも同感だった。
 隔離ブースに入って透視作業にあたっている間も、ターゲットについて質問されれば、まるであたりを見回すように答えることができた。
 それはまさにスローンが望んでいた通りの能力だ。フレイのようなレベルの透視者を多数、育てることが、プロジェクトの目標になった。
 そうすればさらに大きな予算を確保して、実際の作戦での運用を行っていくことができる。
 前の中東戦争時に、砂漠の中の町に核ミサイルを撃ち込む案件があったが、その状況をフレイに透視させた。フレイが口述した内容は、現場の破壊状況や死傷者の見積もりなどを見事な精度でとらえており、プロジェクトへの予算配分に関わる議員たちを満足させるのに十分なものだった。
 しかしそれからいくらも経たず、フレイは軍からの退役を申し出、プロジェクトを去った。
 「軍を退役するなら、民間人としてでいいからプロジェクトに残れ」という説得にも頑なに応じなかった。
 当時のプロジェクト長でスローンの上司だった人間は、フレイの辞意を受け入れた。「本人が望まない以上、心理的な要素の影響が大きいこのプロジェクトで続けていくのは無理だ」という判断だった。
 スローンはそれに反対し、フレイに翻意させるための手だてをいろいろ提案したが、それらはプロジェクト長によって却下された。
 あの時の感情は今もスローンの中でくすぶっていた。部下に配慮しすぎる軟弱な上司に対する腹立ち。そして合衆国軍人としての義務をわきまえない、わがままな海軍少佐への憤り。
 今はあの無能な上司に代わり、自分がプロジェクト長だ。
 そしてあの時と同じように、プロジェクトは窮地にある。「結果を出せない無駄飯食いのプロジェクトには予算は出せない」という議会の脅しが再び迫っていた。
 この前はフレイの出した結果によって状況を乗り越えることができた。しかしあれ以降やつに匹敵する、いやその足下に及びそうな能力を持った透視者さえ得ることができないでいた。
 スローンはレポートをつかみ、握りしめた。
 もう一度、フレイを呼び戻さなければならない。
 説得の方法はいくらでもある。まずはやつの所在だ。
 記録に残っていた住所にはすでに住んでおらず、携帯電話の番号も解約されていた。
 探しださなければならない。しかし説得が完了するまで、これはプロジェクトの表だった活動からは切り離しておきたい案件だ。外部の者に探させよう。
 それから、フレイのしばらく後にDIAを辞めたリチャード・エルドマンのことを思い出した。
  エルドマンと親しかったスタッフは残っているし、まだ連絡をとっているだろう。エルドマンなら人間を探しだす作業に必要な知識と経験もある。適任だ。

 



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登場人物紹介

セレスティン

ホノルルで大学に通う。

動物、植物、あらゆる生き物と星が好き。ダイビングが趣味。

ルシアスとの出会いをきっかけに、世間で「魔術」と呼ばれているものを学ぶ道に導かれていく。

ルシアス

もと海軍の情報士官で、ニューヨークの白魔術教団のメンバー。

訳があって軍を退役し、教団を去ってホノルルに移り住んできた。

彼のまわりでは風が生き物のように不思議な振舞いをする。

テロン

海軍の特殊部隊出身で、もと白魔術教団のオフィサー。

ルシアスの友人で、アメリカ本土から彼を追いかけてきた。

マリー

山の上に隠棲し、植物を育てながら薬草やアルケミーの研究をしている女性。

以前はニューヨークでユング派の心理療法家をしていた。

鳥の羽に導かれてセレスティンと知りあう。


エステラ

ニューヨークに住む、白魔術教団のオフィサーで占星学者。

ルシアスとテロンと親しいが、強面のテロンに「俺もルシアスも頭が上がらない」と言わせる女性。

ガブリエル・ジレ

ニューヨークにある白魔術教団のメンバー。

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