四方向

文字数 3,710文字

 マリーの家に行くと、庭にエステラとルシアスがいた。
 二人はお茶を前に向いあっているが、ルシアスがエステラに何か抗議しているふうだ。エステラが毅然と言う。
「この件に関してはあなたの意見は不要。本人がそう決めたんだから、そういうことよ」
「しかし彼女はまだ……」
「いいかげん、あの娘を子供扱いするのを止めなさい。生まれてからの歳だけ数えることに意味はないというのを、あなたもよく知ってるでしょ。
 あの娘に『自分はただ守られるだけの存在』という刷り込みを与えるのは止めて。実際に守る必要がある時には、もちろん手を出せばいい。でもこれはそういう問題じゃないわ」
 ルシアスが眉をしかめて額に手を当てる。彼のそんな表情はこれまで見たことがなかった。
 近づくと、ふり向いたルシアスの目がセレスティンの上に止まった。彼の灰青色の目がセレスティンの表情を見つめる。ルシアスは諦めたように空を見上げてから、区切りをつけるようにカップのお茶を飲んだ。
 エステラが笑う。
「ふふ ほんとにこの()にハートをつかまれてるのね。教団(オルド)一のクールな男にこんな面があったなんて、悪くないわ」
 からかうように言って、それから真顔になる。
「ルシアス この娘は教団に参入はさせない。させるべきでもない。でもその範囲で、できるだけのことは学ばせておきたい。だから私が教えるのよ」
 その言葉にようやくルシアスが愁眉を開く。
 いつの間にかセレスティンの後ろにテロンが立っていた。腕組みをしながら笑っている。
「他人がエステラにやり込められるのは面白いな。自分がやられるのはごめんだが」
「テロン もしかして画策した?」
「俺が画策しようがするまいが、エステラは自分で決めなけりゃ指1本動かしはしない。俺の手に負える相手じゃない。
 おい ルシアス お前も彼女にはかなわないというのを、いいかげん学べ」
「黙れ」
 応酬を始めるルシアスとテロンを残し、エステラはセレスティンをつれて家の中に入った。

 リビングで、マリーの蔵書の中から読むべき本を指し示す。アルケミーの歴史。アルケミーに関するユングの著作やヘルメティカという文献の抜粋集。パラケルススというのは中世の医者だか哲学者だったかな。
 それから「これも自分で探して読むように」と、何冊かの本のタイトルをメモさせた。
「フランツ・バードンは、手に入らなければルシアスが持っているはず」
 そう言ってリビングのソファにゆったりと腰かける。
「じゃあまず、これまであなたが経験的に学んで、なんとなく気づいていることを整理しましょ。
 最初のステップは、いろいろな現象を四つの元素(エレメント)の組み合わせとして見ること」
 元素説は、大学の哲学史の教科書にも出てきた。
 四大元素説は古代ギリシャから19世紀の頃まで信じられていた。四体液説や中世の医学、そのほか今では迷信的と見なされる、いろいろな考えの元になったと書いてあった。
「現代の科学では、物質は原子からできていると考えるでしょ。どうして古い元素説を学ぶの?」
「現代科学には現代科学の考え方があって、それはある領域までは有効。でも現代科学のやり方では理解したり操作できない領域もある。
 目に見える世界の背後にある二つ目の世界——星の世界(アストラル)という呼び方もされるけれど——そこでは原因と結果を、直線的な因果関係や時系列で結びつけることができない。直線的な思考や論理は通用しないの。
 そこでは、さまざまなカテゴリの存在が、象徴性によってつながる。そしてその関係は、時間と空間にまたがって、相関的なの」
「象徴性っていうのは?」
「シンプルな例としては、形や構造が相似しているとか、同じ幾何学図形のパターンを持っているとか、まわりの環境との関わり方のパターンとか。
 これは今は抽象的な表現に聞こえると思うけれど、経験を重ねていけば、感覚的にもわかってくるわ。
 伝統的なシャーマンたちは、その知識を古い世代から受け継いだり、経験則でそれを知って用いている。
 それは目に見える領域の原因と結果だけで考える人間の目には、馬鹿馬鹿しく見えさえするでしょう。そしてだから、そういう手法によって引き起こされる現象自体を否定しようとする。
 あなたはまず、四大元素説に基づいた世界の見方を知って、そして自然や、人間や、いろいろな現象を観察して、それに当てはめて理解することを学ぶの。
 伝統的な元素説が、科学の原子説と相いれないことは問題じゃないのよ。それは宇宙論(コスモロジー)と言ってもいいし、形而上学(メタフィジックス)の問題という言い方もできる。
 形而上学(メタフィジックス)というのは、目に見える世界の背後にある秩序や法則性についての学問。宇宙論(コスモロジー)は宇宙の仕組みについての哲学ね。
 宇宙論や形而上学は、肉体の目に見えず手で触れない領域のことを扱うから、現代科学の手は及ばない。
 でも科学が認めようが認めまいが、特定の体系に基づいて、実際に役に立つ結果が生み出せるなら、それは役に立てればいい。最初のうちは、そう考えてもいいのよ。
 経験を通して、それが自分にどんな変化を引き起こすかに気づいたら、言い訳のような説明はいらなくなる。
 有能な科学者たちが機材での測定にこだわって、自分たちの感覚を二つ目の世界に開こうとしないのは、もったいないわね。アメリカではその点、軍の方がはるかに実用主義的だわ。
 幸いあなたはまだ若い。『馬鹿馬鹿しい、ありえない』と決めつけて押しのける前に、そこに自分で足を踏み入れてみる勇気と柔軟さがある」
 開け放されたガラス戸から庭を見る。ルシアスとテロンがテーブルに落ち着き、マリーから受けとった飲み物を手に話をしている。
「あの二人のことは、まあまあ知ってるわね。火、水、風、大地の四つの元素のうち、あの二人には何があてはまる?」
「テロンは絶対、火」
「どうして?」
「性格が熱い感じ」
「じゃあ太陽について記述して。太陽は自然界の中の大きな火」
「熱くてまぶしい。適度に距離をとれば、生命の生存に必要な光と温度を与えてくれる」
「ろうそくの火は? ろうそくは人の手で管理できる小さな火ね」
「まわりを穏やかに照らす。風に揺らぐ」
「山火事」
「素早く広がって手に負えない。今あるものを燃やし尽くして、その後に新しい植物が芽を出す空間を作る」
「それ いいわね」
「私が育ったカリフォルニアの環境がそんななの」
「山火事が多いの?」
「うん 植物の中には、地面に落ちた種子はそのまま休眠して、山火事が起きた後でないと芽吹かないのが結構あるの」
「面白いわ。じゃあ 今、記述したことと、テロンの性格や行動のパターンを比べて、共通するところを挙げて」
「熱い。どんどん動くし、まわりのものを動かす。他の生命を育てる。時々激しくて過激」
エステラが笑った。
「いいわね。じゃあルシアスは?」
「んー クールで冷静沈着で、考え事をするのが好き。
 まわりによく風の精がいるし、彼も風が好きだし。強い風を浴びて、それと一体になっている時には、彼の存在が一回り大きくなる感じがする」
「自然の中の風の性質を記述して」
「縛られない。動きが早い。自由気まま。いろいろなものを運んだり、空間に広げる。縛られるのが嫌いなとことか、自由を必要とするのはルシアスみたい」
「細かなことまでそっくり当てはまるわけじゃないけど、風の象徴的な性質と、ルシアスの『らしさ』が重なるのはわかるわね。あと知性の働きや理想主義も、風の質と考えるの。
 人間の人格の表現は、普通は複数の元素が組み合わさっているものなの。
 ヘレニズム時代のエジプトで書かれた『Kore Kosmou』にはこう書いてあるわ。
 『生きているもののうち、あるものは火と親しく、あるものは水と、あるものは風と、あるものは大地と親しい。あるものはこれらの二つ、または三つ、またあるものはすべてと。……すべての魂は、肉体のうちにある間は、これら四つの元素によって偏りを与えられ、制限される』と。
 複数の元素が組み合わされるにしても、その組み合わせの配分は人それぞれ。
 最近のゲームなんかでは『属性』として単純化されているけれど、実際の生きた人間は一つだけの属性で成り立つほど単純なものじゃない。自然界の現象にしても同じ。
 そしてね、あの二人を見て」
 二人はいつものように話をしている。テロンといる時のルシアスはリラックスしていて、いつもより言葉が多く、あまり顔には出さないけれど楽しそう。
 そしてテロンも、ルシアスといると強面ふうの力が肩から抜けて、いっそう陽気。お互いの性質をバランスさせて、いいところを引き出しあっている、そんな感じ。
 そう言えば、マリーといる時のルシアスはまた違うし、テロンもそう。
「それぞれの元素の性質を理解することも必要だけど、同じくらい重要なのは、それが互いにどう関わり合うかなの。
 実際の現象が生み出されるのは、四大元素の動的な関わり、関係性によってだから。自然現象でも、人間の人格でも、そして人間同士の関係でも」
 話が一段落立つのを待っていたように、キッチンからマリーが出てきて、「庭にお茶とおやつを準備したからおいでなさい」と声をかけた。





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登場人物紹介

セレスティン

ホノルルで大学に通う。

動物、植物、あらゆる生き物と星が好き。ダイビングが趣味。

ルシアスとの出会いをきっかけに、世間で「魔術」と呼ばれているものを学ぶ道に導かれていく。

ルシアス

もと海軍の情報士官で、ニューヨークの白魔術教団のメンバー。

訳があって軍を退役し、教団を去ってホノルルに移り住んできた。

彼のまわりでは風が生き物のように不思議な振舞いをする。

テロン

海軍の特殊部隊出身で、もと白魔術教団のオフィサー。

ルシアスの友人で、アメリカ本土から彼を追いかけてきた。

マリー

山の上に隠棲し、植物を育てながら薬草やアルケミーの研究をしている女性。

以前はニューヨークでユング派の心理療法家をしていた。

鳥の羽に導かれてセレスティンと知りあう。


エステラ

ニューヨークに住む、白魔術教団のオフィサーで占星学者。

ルシアスとテロンと親しいが、強面のテロンに「俺もルシアスも頭が上がらない」と言わせる女性。

ガブリエル・ジレ

ニューヨークにある白魔術教団のメンバー。

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