戻り

文字数 2,784文字

 ジレは指導者の執務室にたたずんでいた。今は座る者がいない空の椅子が目の前にある。
 ガレンが初めてこの椅子に座った時、何を感じ、また考えただろう。
 あの男にとって、白魔術の実践者たちは「異端」だったのか「異教徒」だったのか、それも今となってはわからない。
 その異端あるいは異教の者が集まる場所に身を置き、完璧なメンバーを装い続けた。その行為を通して、あの男が自己の信じるものに奉仕し続けたことは確かだ。
 教団からの除名が決まり、交換条件が結ばれて、この部屋を明け渡して出て行く時、ガレンが「Ad Maiorem Dei Gloriam(神のより大いなる栄光のために)」、そう小さくつぶやいたのをジレは聞きとめた。
 窓のそばに立って中庭を見下し、ここしばらくの目まぐるしい出来事を思い返す。
 エステラ・ネフティスは、めったに用いられたことのない託宣者としての権限を使い、指導者の座にあるガレンを問いただした。隠された意図を見抜いてその顔に突きつけ、教団からの除名を匂わせて追いつめた。
 後がないまでに追いつめられたガレンが性急な行動をとることを、彼女は予期していた。その上であらかじめエルドマンに指示を与えていた。
 彼女の失踪後、エルドマンは指示通りにガレンの行動を監視し、ネフティスを連れ去った男らとガレンの関係を洗い出した。その過程で通話記録や写真といった証拠を綿密に集めながら。
 自分に与えられた役割は、その間、ガレンの手を縛っておくことだった。たとえささいなことに見えても、教団の規則を変えさせてはならない。書記が管理している文書を持ち出すこともさせてはならない。
 「彼女が監禁されている場所がわかったなら、早く動いた方がいいのではないか」そう言った自分に、エルドマンはストイックな表情で「十分な証拠が集まるまで動くなと指示されている」と答えた。
 ひとたびすべてが揃うとエルドマンは素早く動き、すでに選ばれていた腕に覚えのある者たちをつれてネフティスを解放しに向った。
 その後に招集された幹部会議では、ガレンの背景や何を意図しているかというようなことは一切議論されなかった。幹部たちが「除名」という結論に到ったのは、ネフティスの誘拐をガレンが指示したという証拠のみをもってだ。それが整然と目の前に並べられた時、ガレンに自己弁護の余地はなかった。
 ネフティスは、自分とエルドマンが与えられた役割をこなし、ガレンの背任と実質的な犯罪行為の動かぬ証拠を集めた上で彼女を助け出すことを当然のように信じて行動した。それも自らの身を危険にさらして。
 今もなお教団は事件の影響を消化し終えてはいない。
 何より多くのメンバーたちを揺すぶったのは、一般の人間をはるかに超える直感力や洞察力を持つはずの自分たちが、教団の理念に反する意図を隠し持った人間が指導者の地位に就くのを許したという事実だった。
 世界の秩序を維持するための拠点(オルド)であるはずのこの場所で、なぜそんなことが可能だったのか。自分たちの目は、なぜそんなにも大きな問題を見ることができなかったのかと。
 「秩序を望む白魔術者の集まりだったからこそ、そこにつけ込むことができた」とネフティスは指摘した。黒魔術の組織のように力ですべてが支配される場所であれば、かえってガレンのような人間がそこに食い込むことはできなかった。
 「教団は変化を必要としている。この出来事もその必要性の現れ」と。
 そしてジレを臨時の指導者代理につけ、彼女はしばらく出かけてくると言った。「念のため護衛をつけるべきでは」と示唆した自分に見せた、彼女の表情が忘れられない……。
 開いたままの執務室のドアから書記が入ってくる。
託宣者(オラクル)がお戻りだ。前もって知らせてくだされば迎えに行くものを」そういって口のはじに笑いを浮かべる。
 ジレはこの古参の書記をずっと、気難しくとりつくしまのない男だと思っていた。彼の協力を得て留守を守るようにとネフティスに言われた時には正直、閉口した。しかしここしばらくの間に、その筋を曲げない頑固さが彼を信頼に値するものにしていることを知った。
「託宣者から、青の間(ブルールーム)に来るようにと」
「……他に誰か同伴者が?」
「まったく あの方は託宣者にしては行動的過ぎる。今度は地球を半周して、我々が必要としているものを連れて戻られた」
 それが何を意味するのかをジレはすぐに悟った。
 あの太平洋のまっただ中の島に、彼女は信頼する者たちを呼び戻しに行ってきたのだ。
 では、フレイを指導者の座につけようというのだろう。おそらくは最初からそうであるべきだったように。
 そしてその後、自分の立場はどうなるだろうか。なんだかんだと言って、自分はガレンが教団で力を握ることを可能にした主犯でもあるのだ。
 少し緊張しながら、青の間と名づけられたミーティングルームに向う。
 大きな扉には大天使の像のレリーフが施され、白と青に塗り分けられて、ロッビアの彫刻を思わせる仕上げになっている。ドアは大きく開かれたままになっていた。
 椅子の一つに座っているフレイと、そのそばに立つオディナの長身が目に入る。
 オディナがこちらを見る。相変わらず鋭い視線。そして飛びかかる寸前の動物のように意図的にフィールドを引き絞った立ち姿は、ジレを威圧した。
 それに対してフレイの表情は静かだった。以前のような、明晰過ぎて人を遠ざける雰囲気はない。こちらを見る彼の視線は穏やかで、それはむしろジレを居心地悪くさせた。
 フレイの隣には見たことのない女性。地に足のついた存在感から深い落ち着きが醸し出されている。
 だがジレの目はすぐに部屋の奥に向いた。
 壁にかけられた絵を興味深そうに見ながら、ネフティスに話しかけている――あの娘。
 なぜ彼女がここに……。
 ネフティスが娘を伴ってこちらに来る。
「ガブリエル 紹介するわ。もっとも、セレスティンとは会ったことがあるわね?」
「……はい」
 セレスティン——彼女の名はセレスティン(空の娘)と言うのか。
 二つ目の世界での彼女との件は、すでにオディナに知られている。彼女を追って自分がホノルルまで訪ねてきたことも、おそらく彼女は話しているだろう。それは自分の立場を悪くはしても助けにはならない……。
 しかし彼女はただ興味深そうな目で自分を見つめている。その視線からもフォースの色形からも、否定的な感情は感じられなかった。 
「こちらはマリー・ケストレル。オフィサー・フレイとオフィサー・オディナと私がしなければならないことの手伝いに来てもらったわ。
 これから何日かの間、ここで作業をします。誰も近寄らせず、中にも入れないように」
 隣に立っていた書記がうなずく。
「では、ご要りようなものはお知らせください。ただちに準備させますので」
「ありがとう」
 ネフティスは微笑んだ。

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登場人物紹介

セレスティン

ホノルルで大学に通う。

動物、植物、あらゆる生き物と星が好き。ダイビングが趣味。

ルシアスとの出会いをきっかけに、世間で「魔術」と呼ばれているものを学ぶ道に導かれていく。

ルシアス

もと海軍の情報士官で、ニューヨークの白魔術教団のメンバー。

訳があって軍を退役し、教団を去ってホノルルに移り住んできた。

彼のまわりでは風が生き物のように不思議な振舞いをする。

テロン

海軍の特殊部隊出身で、もと白魔術教団のオフィサー。

ルシアスの友人で、アメリカ本土から彼を追いかけてきた。

マリー

山の上に隠棲し、植物を育てながら薬草やアルケミーの研究をしている女性。

以前はニューヨークでユング派の心理療法家をしていた。

鳥の羽に導かれてセレスティンと知りあう。


エステラ

ニューヨークに住む、白魔術教団のオフィサーで占星学者。

ルシアスとテロンと親しいが、強面のテロンに「俺もルシアスも頭が上がらない」と言わせる女性。

ガブリエル・ジレ

ニューヨークにある白魔術教団のメンバー。

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