思い出す

文字数 2,227文字

 腕の中から地面に下ろされ、助け上げてくれた相手の顔を見る。ルシアス――でも自分が初めて会った時よりも若い。そしてその表情には、セレスティンを認めたふうがなかった。
「君は……?」
「――ルシアス?」
 彼の顔に迷うような表情が浮かぶ。
「どうして こんなところに……」
 そう繰り返した彼が後ろをふり向くと、都市も人々も消えていた。あたりは暗闇になっている。
「君は 俺のことを知っているのか?」
 その言葉をセレスティンは呆然と聞いた。
「……覚えてない?」
 彼が何かを思い出そうとするように眉をしかめる。
「どこかで知っているような気もするんだが……」
 セレスティンは泣き出したくなるのを、下を向いてこらえた。
 こんな時にエステラがいてくれたら、きっとどうしたらいいか教えてくれたのに……。
 ラニカイの透明な海と白い砂の間を彼女と歩いていた時のことを思い出す。何気ない会話の中で彼女は言った「……魂が自分が誰かを思いだせなくなっていたら、他の人間が思い出してあげるの。ばらばらになったものを再び集めるのが思い出す(リ メンバー)ということだから」……。
 セレスティンは顔を上げた。
「座って。思い出すのを手伝ってあげる」
 青年が砂の上に腰を下ろす。セレスティンは横に座り、彼の背中に腕を回して抱き寄せた。青年はされるままに体を預ける。
 心は覚えていないかもしれなけれど、「彼」は深いところで私を信じてくれてる。
 体を少し後ろにずらして、彼の頭を自分の膝に乗せる。
 それから胸の中でルシアスとの思い出をもう一度、一から数え始めた。初めての出会いから、一緒に通り抜けた経験の一つ一つ。目に映ったもの、かいだ匂い、体を通り抜ける音、触れ合うお互いの感情……。
 一つ思い出すたびに、記憶は小さな光の玉になって舞い上がり、暗闇の中で二人を照らした。
 数え切れない光の玉が生み出される。
 ぼんやりと光を見ていてた青年の表情に何かが表れ始める。いろんな感情が交錯し、彼の中でゆれ動く。時に懐かしむように目を細め、時に何かに耐えるように固く口を結ぶ。そして光をずっと目で追っていた。
 長い時間が経ち、セレスティンは最後の思い出を数え終わった。
 かすかなため息をもらし、青年が手で目をおおった。
 彼が泣いているのがわかる。
 セレスティンは彼の髪をなでた。
 青年はその手をとり、自分の胸に当てた。呼吸が深くなる。
 やがて砂の上に手をつき、体を起こす。
 見つめるセレスティンに、彼の表情が答えた。そこに愛する男性[ひと]がいた。
 ルシアスはセレスティンの頬に手を当てると顔を近づけ、口づけをした。

 二人はずっと暗闇の中に座っていた。
 お腹が空かないから時間が計れないけれど、もう何日も経ったような気もする。
 あの中東の都市のイメージも、それ以外のすべても消えてしまって、あたりは真っ暗。思い出の光の玉は細かな光の粒子に散って、ただそれだけが二人を包んでいる。
 ここが二つ目の世界のどこかなのか、ルシアスの心の中なのかもわからない。
 これからどうしたらいいのか、どうやって戻ったらいいのか、二人にはわからなかった。
 来る前には、ルシアスさえ見つけられれば、戻ることは難しくないと思っていた。でも自分のものではない力に押し流されて、この場所に降りてきてしまった。来た道をたどることはできない。
 どこかで水の音がし始める。
 最初は遠いかすかな響き。それが徐々に大きくなって水が寄せては引くのが感じられ、やがて二人のいる場所にも水がうち寄せてきた。
 立ち上がって、これが川ならまたアリゲーターが出たりしないかなと、少し不安になる。
 深まり始めた水の中から、輝く生き物が水しぶきを上げて高く跳ね上がった。飛び跳ねた跡が青く輝く水の筋になって空中に残っている。
「今のは ウンディーネ……?」
 聞こえるのははっきりと波の音になっていた。薄い光があたりに広がり、暗闇が緩み始める。それまで感じることのできなかった生き物たちの気配がする。
 青い水をのぞき込んだセレスティンは、うれしさに声を上げた。たくさんののミズクラゲたちが漂っている。これは海の水なんだ。
 顔を上げると、波の中に人影が立っていた。
「――エステラ!」
「遅くなったわ。私も監禁されてて、うかつに体を離れられない状況だったから」
「……大丈夫なの?」
「事態は一応収拾。とりあえず番人たちに後を任せてきたから」
 エステラは微笑んだ。
「でも 私がいなくても、あなたは一人でルシアスを見つけ出した。あなたが水に運ばれてルシアスにたどり着いたから、ウンディーネもその後を追うことができた。ミズクラゲのスピリットにも手伝ってもらってね。
 帰りましょ、ルシアス。あいにく向こうはここほど静かじゃないけれど」
 エステラが手をさし伸べた。
「あなたはまだ必要とされているのよ あなたの恋人からも、友人からも——それに向こうの世界からもね」


 目を開ける。ルシアスの手を握ったまま、何時間かその姿勢でいたのだと思う。肩と背中が固くこわばって、足がすぐには動かせないほど痺れていた。
 手の中に包んだままだったルシアスの指が、かすかに動く。
 弱々しい、けれども間違いなく自発的な動き。
 彼の手がセレスティンの手を握り返そうとしている。
 二人を見守っていたマリーがそれに気づき、驚きと喜びで小さな声をあげる。
 閉じられていた彼のまぶたがゆっくり動き、青灰色の瞳がセレスティンを見つめ返した。

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登場人物紹介

セレスティン

ホノルルで大学に通う。

動物、植物、あらゆる生き物と星が好き。ダイビングが趣味。

ルシアスとの出会いをきっかけに、世間で「魔術」と呼ばれているものを学ぶ道に導かれていく。

ルシアス

もと海軍の情報士官で、ニューヨークの白魔術教団のメンバー。

訳があって軍を退役し、教団を去ってホノルルに移り住んできた。

彼のまわりでは風が生き物のように不思議な振舞いをする。

テロン

海軍の特殊部隊出身で、もと白魔術教団のオフィサー。

ルシアスの友人で、アメリカ本土から彼を追いかけてきた。

マリー

山の上に隠棲し、植物を育てながら薬草やアルケミーの研究をしている女性。

以前はニューヨークでユング派の心理療法家をしていた。

鳥の羽に導かれてセレスティンと知りあう。


エステラ

ニューヨークに住む、白魔術教団のオフィサーで占星学者。

ルシアスとテロンと親しいが、強面のテロンに「俺もルシアスも頭が上がらない」と言わせる女性。

ガブリエル・ジレ

ニューヨークにある白魔術教団のメンバー。

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